第3話『√.S 3/4』
UNLOCKED.
「…………違う、ちがう、こんなんじゃ……」
「おーっす、借りてたヤツ返すぜーっ、って、何してんだ?」
「ひえっ?! なな、なんでもないですっ、本当ほんとっ!」
「いや今何か書いて」
「ほ、本の返却ですねっ! はいはい受付しますしますっ! はい本っ! くださいっ!」
「あ、うん……詩織、元気だな」
「で、その……今度の本は、どうでしたか?」
「んー、ん……まあ、面白くは、あったけどなー」
「……けど?」
「いやさ、詩織に慣らされたというか、恋愛もの? も、まあそこそこ読めるようになってきたよ?……さすがにクラスじゃ隠してるけど。で、まあ面白みもわからなくもないんだけど」
「けどっ?」
「お互い鈍感すぎだろ、って展開ばっかりなのがなぁ。あんだけ好き好きオーラ出し合ってたら気づくだろ普通、っていうのが常に頭によぎっちゃってなー。イマイチ没頭できないというか……どうした詩織?」
「いや、その、あの……なんと言ったらいいか……それをあなたが言いますか、と言うか」
「? でも、まあ、そういう風になれたらなあ、っていうのは、思うよ。あの手紙のくだりとか」
「……! そう、そうですよね! あの手紙のところ、私も大好きです……あ」
「ああ、オレも好きだ」
「あ」
「……あ、いやその、変な意味とかじゃなくて、な! あはは、ったく、」
「…………しいですか?」
「え?」
「あんな手紙…………欲しい、ですか?」
「……詩織?」
「……そのうち、きっともらえますよ。誰かから、近いうちに」
「なあ、その、それって」
「……えへへ、今日はもう閉館です。さ、帰った帰った、です! ……また、明日、お待ちしてますね」
エヘヘ。エヘヘ、エヘヘ、
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
目が覚める。
切れかかった蛍光灯の薄暗い天井。
またこの天井だ。
そしてまた、この、書架の迷宮だ。
ゆっくりと立つ。当然のように傷ひとつない身体。
立ちながら思う。
この夢。
意識の断絶と再覚醒の間に垣間見せられる、この、誰かの記憶の断片は、一体なんなのだろう。
細かなディティールどころか話の大枠さえもこの指をすり抜けて行ってしまうが、少しずつ時間が進み、ひとつの幕切に向かいつつあるような感覚だけは、朧げながら残っている。
そして、次の記憶の断片で、それは完結するだろう、という直感がある。
完結、してよいのだろうか。
少なくとも居心地は良かった。アレが行き着く先にいったとして、何の問題もない気はする。そもそも何かも分からない夢の決着にこだわってどうするというのかーー
オレは、きっちり5歩進む。
5歩目の瞬間、元いた場所の書架を蹴破って
マダラ模様の怪物が姿を現した。
オレはその顔を読む。
くしゃくしゃにした便箋のような輪郭を、見ようによっては感情の起伏のような濃淡の染みを、足に落とせば痛いじゃすまない凶器を、ひとつひとつ目に収める。
最後の号令のように書架の残骸が崩れ落ちる。
同時にスタートを切る。
オレは一目散に逃げる。記憶に焼き付いたルートを辿る。一歩横の罠を尽くかわし曲がり角の四角の罠を飛び越え最短距離の10センチ外側を駆け抜ける。その度に怪物の足音が少しずつ遠ざかる。
背後の加速を感じ、それ以上の加速で丁字路を迷いなく右に曲がる。
逃げも隠れも出来ない最後の直線。
逃げろや逃げろ。
視野の左右に敷き詰められた背表紙を次々置き去りにし埃を巻き上げこれみよがしの罠を飛び越える。
薄暗闇の境界、ドアノブに手が届くまであと5メートル、
4、
3、
悪寒が背を灼く。
余裕もないのに振り返る。
鈍器が今にも振り下ろされる。
蜘蛛の糸が一筋、ギラリと光った。
その真下をスライディングでくぐり抜ける。怪物の驚愕が伝わる。だがもう遅い。
一本だけ生き残っていたワイヤーと本のトラバサミが、怪物の猛進に横合いから食らい付いた。
声にならない絶叫に片耳を塞ぎながら、オレはよろよろと立ち上がる。
ドアノブに手を掛ける。
もう一度だけ振り返る。
罠の衝撃で一帯の本が崩れ落ち、書の瓦礫が床を埋め尽くす中に、怪物は這いつくばっている。それでもなお倒れ込んだまま、必死にその腕を伸ばしてくるが、罠に縫い止められた腰がつかえて、あと10センチ、オレを捕えるに至らない。
怪物が顔を上げる。
マダラ模様の覆面で表情は窺い知れない。
だけど……雑多な本に埋もれて起きあがろうともがく姿は、何かを、誰かを、思い出しそうになる。
このままこの腕に捕まれば、そんな破滅衝動がちらりと顔を覗かせる。いや、その先があの夢の続きと結末というのなら、それは破滅という言葉すら相応しくないだろう。
でも、
ーーーーやくそく、おぼえてる?
何かが脳裏を閃く。
今初めて思い出す。大切に仕舞いすぎて逆に忘れていた、『他の誰か』との何かの、やくそく。
他ってなんだ。
誰かって誰だ。
だが、それを遂げなければならない、気がする。
作るべき夢の断片は、きっとそれだ。
だからオレはドアを開けた。
後ろ手にドアを閉めた。
もう振り返らない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます