第2話『√.S 2/4』
UNLOCKED.
「す、すみません……手伝っていただいて……」
「気にすんなって。しっかし驚いたよ。誰もいないから奥まで入ってったら、書庫で本に埋もれてるんだもん。ま、そんだけ胸デカかったら本運ぶのも大変だよな」
「いっ?! む、胸っ、ってそのあの……ぉ!」
「あ、そういえばこの間貸してくれたヤツも、めっちゃ面白かった! 教えてくれる本、だいたいオレ好みだな!」
「あ、はいっ! えへへ、〇〇君の趣味、けっこう分かってきましたから……」
「読書、いったんハマると抜け出せなくなるなー。まさかオレが本にハマるなんて思っても……ん、
「こ、これはその、れ、恋愛小説の金字塔とも大河的存在とも言うべき作品で、元々は複数冊の文庫版だったものが愛蔵版として一冊に纏められててもしよかったら〇〇君も、」
「恋愛小説かー、うーん、パスかなー、なんかムズムズしそう……詩織って、キホン委員長らしいんだけど、たまにすげー早口になるよなー」
「うえっ、うぅ、そう、ですか……早口……」
「おっと、ちょっと今日は行かなきゃ! また来るね! 次も良いの、貸してくれ!」
「早口、はやくち……あ、は、はいっ! また、来、て、くださいね、え、えへ、」
エヘヘ、エヘヘ、
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
目が覚める。
切れかかった蛍光灯の薄暗い天井。
またこの天井だ。
周囲の様子を伺いながら慎重に立ち上がる。本のぎっしり詰まった書架が縦横列を為し、その聳え立つ迷路の壁と壁の狭間で、再びオレは立ち尽くしている。
頭に手をやる。頭痛のようなもやもやがずっと脳裏にこびり付いているが、外傷はなく血も流れていない。
さっき脳天に振り下ろされたハズの鈍器の跡などなく、罠のトラバサミに切断されたハズの足首から下も、ちゃんと付いている。
ワケがわからない。
そもそも何もがわかっていない。ここがどこで、オレは誰で、一体何が起こっているのか。何もかもを忘れ、忘れているという確信だけが事実で、
突然、刹那、予感。
というより既視感。
とっさに身を投げ出す。
同時に轟音。
いま居た場所の書架が紙細工のように真横に吹き飛んだ。血飛沫の様に紙片が撒き散らされる。
そして、その狭間から大股で現れたソイツを、オレは見上げる。
百キロは下らないだろうあのデカい書架を軽々ぶっ飛ばした、マダラ模様の覆面をした怪物を。
怪物は見下ろす。
完全に不意を打ったはずの一撃をかわしてまだ生き延びているオレを、感情の読めない覆面越しの目で。
交差する荒い呼吸以外のない奇妙な静けさが、本の縦横列の間に一瞬だけ漂う。
書架の残骸が音を立てて崩れ落ちるのを合図に、再び鬼ごっこが始まった。
そう、この逃走と追跡は、双方にとってきっと再びのものだ。
ーーーーーーーーーーーーーー
よろめきながら躓きながらどうにか駆け出し書架の迷路に身を躍らせるうちに、段々と思い出してきたことがある。
まず、あの怪物の足はそれほど速くない。直線距離ならきっと追いつかれることはないし、この迷路状の地形でもさして問題はないはずだった。
しかしやっかいなのが、至る所に置かれたトラバサミの罠。曲がり角の最短距離や倒れた書架の陰など死角を突いて設置してあり、危うく踏み掛けたのも一度や二度じゃない。
おそらくヤツはそれを見越してオレを追い立てている。悠然とした足取りはその余裕のあらわれということなのだろうか。手当たり次第に書架から本を引き抜いて床にばら撒いたり、隙あらば書架を倒して進路を塞いでみたりもしたが、またいつの間にかピッタリと少し後ろにつけてくる。
「……ぅ、わっと!」
またしても足一つ分のところで罠をかわす。
(こうも罠だらけだと全力で走れないな……)
歯痒さに舌打ちが出る。こちらの思考を見透かしたような設置の仕方に、いまいましくその凶悪なヤクモノを見下ろす。誰かが一度掛かったのか、乾いた血がこびりついていてすこぶる気分が悪い。そういえば血まみれの罠は他にも見掛けた気がするが、オレ以外に一体誰が、
ふと、その、本来閉じてあるものが開かれて置かれているというありように、目の眩む様な既視感を覚える。
足音が近づいてくる。背後の闇のすぐ向こうにヤツがいる。
何かを思い出すその寸前で、オレはまた走り出す。
「はっ、はっ、あーっ! クソっ!」
もうどれだけ経っただろう。全速力で走り続けているが、不思議と体力切れがない。そのせいで時間感覚は曖昧で、更に空間の全容は依然として知れないが、駆けずり回って罠の血のつき方や配置、倒れた本棚や散らばった本の様子を見るうちに、分かったことがある。
あるエリアに近寄った時、必ずヤツはスピードを上げてオレに追いすがり、オレはやむなくそこの丁字路を最短距離の左に折れていた。そこだけやけに灯りが強く、左折の方が視界が取りやすかったというのも、ある。
それが、今回もまた、偶然でないとしたら?
明らかに歩調を早めてきたのを確認し、オレはまたしても丁字路左に足を向ける。心なしか、それを見た怪物が一瞬安堵したように思われ、次の足が遅れた様に見える。
そう思うことにする。
オレは左に傾いだ体を思い切り右に弾き、初めて右の通路に踏み込んだ。
怪物の驚きが静かに伝わる。間髪入れずに腕を目一杯伸ばしたであろう凶器の一撃が振り下ろされる。
死に物狂いで背中をくねらせ、薄皮一枚の位置でチリチリと死が通り抜けていくのを感じる。
背に熱を感じながらどうにか転ばずに前を見据える。左右に
きっとドアだ。
そう思った瞬間爆発的な踏み込みが足元に宿る。アレが出口だという確信で力が満ちる。直線なら敵じゃない。アイツの足音を置き去りにした。見通す限り床にワナもない。加速し視界の全てが置き去りになり汚れた空気もやっかいな蜘蛛の巣も突き破って古ぼけたドアまであと5メートル、4、3……眼前の蜘蛛の巣がギラリと光った。
背筋を貫いた嫌な予感。
止まろうとした。止まれなかった。
飛び込んだ蜘蛛の巣は破れずオレの全身に網の目を刻む。
微かな風切り音。
書架の左右から無数の本が飛び出し牙を剥き、獲物の腕足腹喉を食い千切った。
血溜まりに横たわったオレに悠然と怪物が歩み寄ってくる。それが見えるってことは、他の部位は知らないがひとまず目玉は残っている。だがその働きもきっと長くは続かないだろう。それを知ってかヤツも、あえてトドメは刺す気がないかのように鈍器をだらりと垂らしたままだ。
急速に凍りついて行く視界のなか、せめてもの強がりでヤツの顔を凝視する。
マダラの覆面。
白地にぐちゃぐちゃした黒陰影の模様。
イカれた焦点がおかしな具合に捻れたせいか、最期に見たそれは、くしゃくしゃに丸めた手紙の束のように写った。
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