12月26日。記憶が消える君に、たった1つの想い出を贈ろう。

XIS

第1話 病院といったら出会い、出会いといったら病院

 これはある日、一筋の光が記憶に刻まれた時からの――物語だ。



 夏もまだ序盤。いや、夏休みに入って間もない7月の下旬。今年大学受験を冬に控える俺――紅夢灯くれないゆめとは、セミの鳴き声を四方八方から聞き、夏という風物詩を身に感じながら病院の中へと入って行った。


 何故病院なのか、端的に言えばここでは父が働いていているからだ。母から、父にあれこれ伝えろと、これまた面倒なことを言われては、炎天下を汗を流しながらも従って歩いている。


 どうせ夏休みなんて暇が多い。友人は何人か居ても、毎日誘われて遊びに行くことはない。全国高等学校総合体育大会を終えた後、3年は引退してしまうため、部活だってない。まさに手待ち無沙汰というわけだ。


 そんな暇だらけの俺。実は賢いという、受験に対しては少々楽が出来る程度の能力は持っている。だから夏休みだとしてもペンはそんなに走らせない。悠々自適な高校最後の夏を過ごすため、それらは怠惰な俺に不要なのだ。


 が、今日はそんなわけにもいかない。病院で、父を探して伝えなければいけなかった。


 思い出しながら一歩踏み出すと、そこは楽園だった。まだ14時を過ぎた時間帯なので、外は照りつける太陽によって熱を加えられる一方だったが故に、クーラーの効いた病院内は涼んで怠惰の片鱗を見せるには十分だった。


 周りを見渡せば誰もが半袖半ズボン。水を飲んだりタオルで汗を拭いたり、誰も彼も、暑さに体と精神を共にやられているのは同じらしい。流石にここに入って5分も経てば、そんな暑さの弊害を受けることは無いだろうが。


 そんな人たちで溢れた病院内を、俺は1人で歩く。父は小児科医であるため、入って最奥のとこまで歩かなければならない。一応父の息子として、小児科医関係の人たちには顔は知られているので、誰かに声を掛ければ、父はいなくても呼び出しくらいは余裕だ。


 周りをキョロキョロすることはなく、なるべく早く済ませて家に帰りたい一心で、若干歩く速さも変わる。暑さのないこの空間では、急いでも汗は流れない。だから、服が汗でびちょびちょになることも考えなくていい。気楽なのは最高だ。


 そんなこんなで、1分にも満たない時間で俺は小児科へ着いた。小児科の長椅子に座る家族は意外と多い。病状なんてこれっぽっちも知らないが、夏休みに病気に罹るのは、これまで充実した夏休みを送った先輩としては可哀想だと同情する。


 そんな中で、俺は何事もないかのように通り過ぎる。聞こえる子供の泣き声なんて、病院ならではだ。誰も不思議に思わない。1度は経験したことがあるから、聞く人も皆、同情しているのかもしれない。


 セミから子供の泣き声に変わったのを背に、小児科へ来ると、小窓に顔を見せる。


 「すみません、夢灯ですけど、父は居ますか?」


 「あら、夢灯くん。先生は今診療中だから、そこの椅子に腰掛けて待ってて。終わったら呼ぶから」


 小児科で主に受付を担当している、看護婦の福山さん。人柄のよく、子供に好かれるという小児科としてのアドバンテージを持つ、30歳の女性だ。昔から、何か病気に罹れば、父と共に担当してくれた人でもある。


 「分かりました」


 丁寧に一礼し、その場を離れようとする。


 「ん?夢灯か?どうかしたのか?」


 「あっ、先生いいタイミングです。夢灯くんが先生にお話があるって」


 俺を引き戻すように、父が俺に声をかける。少し離れてる程度では、父の低くて悪者に似合いそうな声音はかき消されない。しっかりと鼓膜に響く父の声。自然と踵は返される。


 「夢灯が?」


 「時間ある?」


 単刀直入に聞く。病気で仕事をする以上は、面倒を少しでも減らすのが普通だ。


 「時間か。あと30分したら小休憩を挟む。その時にまた来い」


 「分かった」


 確かに時間指定を聞き、俺はそのまま長椅子へ戻る。これから30分なんて、俺には耐えられないのだが、我儘を言ってもどうせ伝えないといけないことがあるのだから、どこかを行き来するよりは何倍もマシだろう。


 白衣を靡かせ仕事へ戻った父を背に、俺はすぐそこの長椅子へ腰を下ろした。横に4人は座れるというのに、独り占めしているようで申し訳ない気持ちは生まれる。


 困ってなさそうだしいいか……。


 すぐに消えたその罪悪感も、今は何をこの時間でするかの思考に切り替わっていた。スマホを取り出して、イヤホンをつけて動画を見るか、勉強をするか。趣味はゲーム程度しかない俺は、それらは少し退屈だった。


 家庭用ゲーム機が基本で、たまにパソコンを使う俺には、ソーシャルゲームは不向きであり苦手でもある。ここにモニターもなければ配線もない。つまりは、退屈凌ぎは動画を見るしかなかった。


 渋々ワイヤレスイヤホンを取り出す。耳に装着し、音漏れしない音量に調節する。心配性なとこがあり、両耳から音が流れていても、外に漏れてるのではないかと気にするので、こういう人が大勢の場所では、いつも片耳だけ外す。


 長椅子の端へ行き、なるべく音が届かないように小児科へ来た家族から距離を取る。子供には音というものは興味を惹かれるもの。だからこそ迷惑もかけやすい。医者の息子として配慮する必要があるだろう。


 顔認証でスマホを解除し、動画配信サービスを人差し指で押す。見るものと言っても、アニメが基本だ。洋画や邦画もありだが、中途半端は性格上好みじゃない。だから、1話で25分は潰せるアニメが今は大正解というわけだ。


 ちょうど最近放送中のアニメの最新話が未視聴だったので、それに決める。夜にモニターと接続して見たい派だが、こればかりはどうしようもない。昼間にスマホで見ても、気分が変わるくらいだから、そんなに気にしない。


 そして、ポチッと押して視聴を始めようとした。その時だった。片耳外していたのに、全く足音はなかった。だから警戒も何も、本能的に防衛機制すら働かなかった。


 右肩をトントンとされる感覚。間違いなく意図的。咄嗟に無言で、驚くことなく振り向いた。


 「やっ、紅夢灯くん」


 そこに居たのは紛れもなく知り合いだった。いや、知り合いなんてレベルではない。同じ高校へ通うクラスメートの――瑠璃美月るりみつきさんだった。


 茶髪の艶髪を靡かせ、肩すら届かないショートカットヘアで、俺の背後に満面の笑みで中腰で居た。きめ細やかな肌に、夏なのに外へ出てないと分かるほど透き通った肌の色。小さな顔に、大きく備わった黒の双眸。学校で有名なあの瑠璃美月さんだ。


 「……瑠璃さん……なんで?」


 この「なんで?」には確かに意味は込めた。学校では才色兼備で有名でありながら、友達も多く誰とでも分け隔てなく関わるのも知れたこと。だけれど、俺と話したことなんて数回程度。記憶している範囲で、それは授業で仕方なくだ。だから、何故話し掛けて来たのか分からなかったのだ。


 そもそも俺をここで見て、話し掛けるような仲ではないのはお互いに知り得たこと。全く理解が出来ない。


 隠そうとしているが出ているのか、俺の内心で狼狽するのを見抜いたように、瑠璃さんはその小さく、可愛げのある口を開く。


 「なんで?んー、聞かれると正確に答えは出てこないかな。単に夢灯くんが目に入ったから、話し掛けてみようって思って来ただけ」


 右手の人差し指で顎を触り、考えてますポーズをとるが、全くの無意味だった。答えという答えは本当になく、好奇心に駆られたからここに来たと、そう彼女は言った。


 「なるほど……」


 全くなるほどなんて思ってない。けど他に言葉は見つからない。臨機応変に対応なんて、俺にはまだ不可能な領域だ。陰キャと言えば頷きはしない。けれど、仲のいい友人は多く居るから、コミュ障と言えば頷く。初対面の人には狼狽するし、仲のいい人以外には本性なんて出さない。


 彼女も例外ではなかった。しっかりとなんと言えばいいか困った。しかし、またもや見抜かれたか、予想外のことを言い出した。


 「なーんてね。嘘だよ嘘。本当は夢灯くん、君に少し聞いてもらいたいことがあるから来たんだよ」


 両手を静かに叩き合わせ、陽キャ女子の、その天真爛漫の片鱗を見せ始める。


 「聞いてもらいたいこと?」


 嘘をつかれたことには何とも思わなかった。いや、思えないほどに後半の言葉が刺激した。俺に聞いてもらいたいこと。それが、今までほぼ無関係だった俺に対してとは、正直ドキッとする要因ではあった。


 「そう。君だけにしか言わない、秘密のことをね」


 「秘密のこと……」


 「どう?なんだか膨らみがあって興味そそるでしょ?」


 「まぁ、結構」


 話し掛けられた時点で興味は頂点に達している。美少女だから、それはより一層強まって。


 「正直者だね。そういうとこが君らしいよ」


 「俺のことを知り尽くしてる感だな」


 「そりゃ、高校2年の3学期に隣の席になって沢山話したから、結構知ってると思うけど?」


 「えっ?……そうだっけ?」


 「えっ?忘れたの?」


 記憶内で遡ること約半年前。俺は高校2年で何をしていたかを思い出す。そしてだんだんと思い出してくる。確かに隣の席に彼女が居たことを。けれど。


 「……いや、今思い出した。けど、そんなに話してない気がするんだけど」


 隣で誰かに囲まれて賑やかだったのは思い出した。けれど、俺にはそんなに覚えるほどのことはなかった。話し掛けられたことも思い出せないほど、彼女の周りは好意を持つ人たちにより埋め尽くされていた。


 「あー、それはそうかもね。でも、私が忘れ物した時は優しく教科書見せてくれて、席もくっつけて仲良くしてくれたじゃん」


 「マジ?……ごめん。覚えてない」


 「えぇー!私ってそんな記憶に残らないほどの小さい女だったの?!」


 病院だと分かっているからこその、コソコソの大声。驚きは本気のようで、目をこれでもかと開いて口も開く。美少女としての矜持が傷ついたのか、それなら謝る1択だが、そんなこともないだろう。


 「いや、才色兼備なとことかは知ってる。関わりない人で唯一覚えてるのが瑠璃さんくらい。だから小さい女ではないよ」


 「……そういうことじゃないんだけどね……」


 呆れるように項垂れ、俺に失望した様子の彼女は、もうふにゃふにゃだった。背もたれを掴む手だけが、ガシッと固定されている。


 「まぁ、いいよ。覚えてないなら別に今気にすることじゃないから」


 「……よくなさそうな反応だったけど」


 「いいの。本題に移るよ」


 そう言って、彼女は空きに空いた隣へ来ては静かに座った。

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