第4話 二次会終わりはハイヒール履いてきたことを後悔しがち
二次会がそれなりに盛り上がってきたあたりで、樹利亜はお手洗いへと席を外した。その隙に、上原さんが私に話題を振る。
「そういえば清水ちゃん。ご結婚されてから一か月ほど経ったようだけど、新婚生活楽しんでる?」
「ええ、おかげさまで」
「ってか、大鳥課長、ちゃんと早く帰らせてくれてるの? こないだ結構遅くまで職場に残ってたじゃん」
「先月お会いしたときですか? ――あれ、実は残業中じゃなかったんですよ」
「あー、フレックスか」
「はい。結構日によって緩急つけてるんです」
自分が早く帰る日は、食事や家事担当は私。遅く帰る日は、夫がそれらを担当してくれる。
「そうかあ、いいなあ新婚生活。俺も早く結婚したいんだけどなあ」
「飯田さんは、こないだ彼女できたっておっしゃったじゃないですか」
「……そうなんだよ。できたと思ってたんだよなー」
「できたと思ってたって何ですか?」
「今や、もうなんも連絡つかないんだよ。……あ、でも友人に訊いたところ、インス〇には浮上してるらしいから、事故とか事件とかではない」
「ど……どういうことですかそれ」
たまに、私と飯田さん、そして上原さんは互いの恋愛事情をこういう会で話すことがある。――とはいっても上原さんは一年前に結婚しており、私も一か月ほど前に入籍を済ませたので、今や恋バナらしい恋バナは飯田さんしかしなくなってしまったのだけれど、上原さんの御家庭の近況報告や、飯田さんの婚活事情を聞くのはそれなりに楽しくて、私自身も自分のことを話すのは嫌ではないからこそ成り立っている関係である。
飯田さんが合コンを経て付き合うことになってからたったの二週間で失踪した元カノに対する愚痴を述べ始めたときだった。
「あの、すみません。そういうのってセクハラじゃないんですか」
背後を振り返ると、そこには樹利亜がいたのだ。ふいに、空気が凍る。
「そういう、聞きたくもない恋バナみたいなのを職場の同僚に聞かせるのって――」
「長岡さん、こういう話苦手だった? ごめんね、もうしないよ」
すかさず上原さんがフォローを入れる。しかし樹利亜は聞いていない。
「だいたい、男性が女性二人に向かって恋バナ? どういう魂胆なんですか」
「ねえ、樹利亜ちゃん。この話題振ったのは、私だよ」
どうやら樹利亜が腹を立ててるのは「浮いた話をする私たち三人」ではなく、「女性二人をはべらせて恋バナに見せかけたセクハラを働く飯田さん(勘違い)」であることに気づき、とっさにかばう。
「だから、飯田さんを責めるのはお門違いだよ」
「……清水さん」
矛先が私に向かうだろうか。
「嫌なこと、ちゃんと嫌って言っていいんだからね。被害に遭ったら、怒ったっていいんだから」
だから、きらきらした目でそんなことを言う樹利亜の言葉を聴いて、拍子抜けしたっていうか……だめだこいつ全然日本語分かってないわ、と思った。
「ねえ清水さん、後輩だから、サラリーマンだからって黙って泣き寝入りなんて悔しくないの」
「聞いてる? 私が喋ってくださいって言ったんだってば。だから嫌なことでもないし被害でも何でもないの。こういう話題が嫌なのは私でも上原さんでもなくて、樹利亜ちゃんだよね。樹利亜ちゃんの聞こえるところでこういう話をしてしまったのはごめんだけど、後ろから近づかれてうちらも気づかなかったの」
「……そうなの?」
ようやく理解してくれたようだ、と私はため息をつく。
「そういうこと」
「それだったら別に問題ないけど。私も横から勝手に口をはさんだ身なので、これ以上どうこう言うつもりもないよぉ」
樹利亜はつんとすました顔をして私の隣に座った。グラスにほんの少し残ったカクテルには触れず、彼女は新しいお酒を注文する。
帰り道、樹利亜と飯田さんは別の方面の電車に乗り、私、上原さん、榎本くんの三人が同じ電車に乗り込んだ。
「いやあ、大型新人来ちゃったな」
私の「何が?」というとぼけた声と、上原さんの「榎本も聴いてたんだ」という言葉が重なる。
「てかびっくりした。清水ちゃんでも、怒ることってあるんだねー」
「ええ? 私、何にも怒ってないですよ?」
上原さんはなんだか面白げに私を見てニヤニヤする。まあ確かに、私は普段、怒りの感情をあらわにすることはない。だけど今日のは、樹利亜の独りよがりが過ぎたっていうか。……ううん、それもあるけれど、それだけじゃない。自分が何に対して腹を立て、何に対して寛容でいられるのかということくらい、三年も四年も働いていたら徐々に分かってくるものである。――私は、自分の築いてきた人間関係を、赤の他人に引っ掻き回されるのが許せないのだ。
上原さんはため息をひとつ、そしてこう述べた。
「職場で知り合った間だからといって、プライベートの時間に恋愛の話をするのが絶対にNGってことはないとは思う。その人たち同士の間柄にもよると思うんだよ。だけど……確かにあんまりいい印象を抱かない子もいるのは事実だし、本当に気心の知れた人だけしかいないよ! っていうときに限った方が良かったね。うっかり聞かれる、ってこともあるわけだし?」
上原さんの言うことはもっともである。タイミングが悪かったのだ。個人的な二次会であったとはいえ、入社したての樹利亜が耳にしないとは限らないようなタイミングであの手をするのは、あんまりよくなかった。
それに、飯田さんや上原さんとは、恋バナなんてしなくても、仕事とお酒の話だけで充分盛り上がれるし、恋バナだって月一で開かれる高校同期女子会ですればいいから別に――
そうだ、来週末の女子会へ着ていくお洋服を決めなきゃ。あと、美容院も予約しよう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます