第11話 私達の居た世界と変わらないのね

 「――と、いうわけなんです」


温泉から上がった俺は焚火を囲みながら女性にこれまでの経緯を説明した。

 北河きたがわが上着を返してくれないのでアンダーウェア姿だ。まあ、火照った体にはちょうどいいか……。


 『別の世界から、ですか』


ミルクティベージュの長い髪を僅か濡らして、女性はまばたきもせず俺の話に耳を傾けてくれた。

 髪と同じ色をした切れ長の双眸そうぼうが、焚火の焔に美しく映える。


 ノースリーブのタイトなワンピース。そこから伸びるスラリと伸びた手足。

 そこに貼り付く翡翠の色をした結晶体。キラキラと光を反射させるそれが、白い肌にはひどく不気味に見えた。


「信じられないと思うけど、本当なんです」

『いえ、信じます。過去に例のない事例でしたので少々驚きましたが、貴方がたが虚を仰っているようには見えません』

「……当たり前よ。本当の話なんだから」


驚いたと言いつつ努めて冷静な女性に反して、北河きたがわは不貞腐れたように呟いた。

 そんな彼女の放つ苛立ちのせいか、スカイライナーはガタガタと震えて俺の隣に座っている。こっちにまで緊張が伝わるようだ。


(喉が渇いたな……)


本当は風呂上りの珈琲牛乳と洒落込みたい所だが、生憎と此処ここにそんなものは無い。

 傍に置いてあった果物の山から蜜柑みかんを一つ取って皮を向き、白いすじも取らず一口に放り込んだ。


「ん?」


そんな俺を、女性の薄茶けた瞳が不思議そうに見つめている。蜜柑ミカンの白筋は綺麗に取って食べる文化圏だったか。


『果物を食べているのですか?』


女性は少しだけ首を傾げた。はじめて彼女の反応を見た気がする……いや、そんなことより今の台詞はどういう意味だ?!


「こ、これ食べたら駄目なヤツでしたか!? もしかして毒があるとか……」

『いえ、その果実に毒性はありません』


首を振る女性に、俺はほっと胸を撫で下ろした。


「じゃあどうしてそんなことを?」

『人間の食事という行為を初めて目にしたので、少々驚いたのです』

「初めて、って……なに言ってるのよ。貴女だって食事くらいするでしょう?」

『いいえ。私に食事の必要はありません』


北河の問いかけに女性は毅然きぜんとした態度で首を横に振った。


「じゃあ、貴女は今まで一度も食事を摂ったことがないの?」

『はい』

「それなら、どうやって栄養補給してるのよ」

『主として大気中や水分中に含まれる【機粒菌きりゅうきん】をエネルギーに変換しています』


その答えに俺と北河は顔を見合わせた。北河の綺麗な碧眼が見開かれる。俺は一つ頷き返してもう一度女性に視線をった。


「あの……間違ってたらスミマセン。もしかして、貴女はAIVISアイヴィスですか?」


『はい』


俺の質問に女性はコクリと頷き返す。


「なるほど」


俺は納得した。AIVISアイヴィスなら彼女の冷静な雰囲気も理解できる。少し感情に乏しい気もするが……。



 ◇◇◇



 【機核全能性流動球菌きかくぜんのうせいりゅうどうきゅうきん】――通称【機粒菌きりゅうきん】。


 学術的には細菌に分類されるこの菌だが、真菌や粘菌など多種多様な菌の特性を持ち合わせるため、熱・酸・塩基アルカリ・高圧下など本来細菌が死滅する環境にも耐性を持つ。

 だが最も特異とされている性質は、細胞内に存在するバッテリーのような小器官にある。

 【機粒菌きりゅうきん】は光合成によるエネルギー産生が可能であると同時に、分子・原子の極微振動や波長もエネルギーに変換し蓄えることが可能なのだ。

 またカビを始めとする従属栄養菌じゅうぞくえいようきんのように他の生物に寄生し、宿主の熱エネルギーや運動エネルギーも蓄積することも出来る。

 そのほか【機粒菌きりゅうきん】は様々な特異的生態を持ち、それらを応用し創られた人工生体アンドロイドAIVISアイヴィスと呼称されている。


 要するに【機粒菌きりゅうきん】はすごい菌で、AIVISアイヴィスはそれを応用し作られた機械アンドロイドであり水と空気があれば生きられるということだ。



◇◇◇



 「――異世界なんて言うからどんな化物や魔物が居るのかと思ったけど、言葉は通じるしAIVISアイヴィスも【機粒菌きりゅうきん】もあるし、私達の居た世界と変わらないのね」


肩の力が抜けたように言うと、北河も蜜柑みかんを手に取り皮を剥き始めた。


 確かに彼女の言う通り、この世界と俺達の世界はそう変わらないらしい。平行世界ということか。

 もしも地球かどうかも分からないような異世界に飛ばされていたら、あの蜜柑ミカンだって毒だったかもしれない。


 それに昼間の巨大怪獣や、俺が襲われた首長竜ネッシーAIVISアイヴィスだとしたら納得だ。

 博物館なんかで本物そっくりに作られた恐竜型ダイノロイドを見たことがあるが、あれらもその類だろう。


 「ねえ、良ければ私達を街まで案内してくれないかしら。警察にでも行って事情を話すわ」


北河は綺麗に剥いた蜜柑ミカンを一粒だけ口に放り込むと、事も無げに言った。


『それは不可能です』


けれど女性は……否、女性型ガイノイドAIVISアイヴィスは静かに首を振った。


「どうして不可能なの?」

「信じてもらえないからだろ。『異世界から来た』なんて言ったところでさ」

「なるほどね。なら人の居る街まで連れて行ってくれないかしら。お金なら多少あるし」

『それも不可能です』


女性型ガイノイドAIVISアイヴィスはまた静かに首を振った。


「どうしてよ……あっ、通貨が違うのかしら」

『そうではありません』

「じゃあ、どういうことなのよ!」


要領を得ない応答にいよいよ苛立ちを抑えられず、北河は声を張った。

 俺とスカイライナーがビクリと肩を震わせる一方で女性型ガイノイドAIVISアイヴィスは眉一つ動かさずに、


『この世界に、人間は存在しないからです』


抑揚の無い声で答えた。そして重ねる。


『彼らはもう、絶滅しました』


その一言がトドメとばかり。俺と北河は唖然と口を開いたまま何の反応リアクションも出来ずにいた。

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