第10話 節操なしって……なにが?

 「どうかしたの、長瀬?」


間が良いのか悪いのか。俺の制服を肩に掛ける北河きたがわがヴェルファイヤーの影から顔を覗かせた。


 湯船に倒れる俺へ手を差し伸べる全裸の美女。

 その光景を目の当たりにした瞬間。北河は開いた口を閉じることも忘れて肩を小刻みに震わせると、


「こ……この変態大魔王――――!!」


顔を真っ赤に染めながら、俺の顔面を思い切り殴りつけた。


「へぶしっ!!」


きっちり左頬に拳を受けて、飛沫を上げた俺は受け身も取れず湯の底に沈む。

 そんな大立ち回りが目の前で繰り広げられているにも関わらず、カピバラはのほほんと湯に浸かったままだ。


「ぶはあっ!」


あぶくを立てながら湯の中から這い上がった俺の前に、仁王立ちの北河が腕組みしながら険しい様相で見下ろしている。

 ふわり。プリーツスカートが風に揺れて黒いレギンスパンツの奥が見えそうになり、俺は慌てて視線を逸らした。

 間違ってスカートの中を見ようものなら何をされるか分からなったものじゃない。誤解とはいえこれ以上怒らせるわけにもいかない。


「なに目ぇ逸らしてんのよ、アンタ!」


だが俺の配慮は違算。火に油を注ぐ結果になってしまった。

 弁明しようにも『スカートの中が見えそうで』などとのたまえば余計に怒らせるだろう。

 怒り心頭の彼女に、スカイライナーも鋼のボディをガタガタと身震いさせている程だ。


 「私の眼を見れないってことは、何かやましいことがあるってことよねぇ?」


頬をヒクつかせいびつな笑みで、北河は俺の顔面を鷲掴みにした。唇をタコみたいに尖る。

 何故そんな考えに至るのかはなはだ理解に苦しむが、北河の圧が強すぎて反論できない。今まで女子と絡んだことの無い俺では尚のこと。


「反論しないってことは、アンタやっぱりその女になにかしたのね……この節操無し!」


「せ、節操なしって……なにが?」


「とぼけるんじゃないわよ! さっきまで私をその気にさせるようなことをしておいて、こんな美人と二人裸で……って、アンタなんで裸なのよ!」


北河の頬が赤みを増した。月明かりでも耳まで赤く染まっているのが分かる。

 というか温泉に裸でいるのは当然だろうに、今更なにを言っているのか。あまりの怒りに周りが見えていなかったのか。


「ちょ、ちょっと待った! 『その気に』って何のことだよ?!」

「う……うるさい! とにかく他の女と裸で居るなんて最低よ! このスケコマシ!」


訳の分からないことを叫びながら、北河は再び拳を振り上げた。


「ちょ、一旦落ち着いてくれ! 何を誤解してるのか分からないけど俺の話も――」

「問答無用!」


勢いよく身をひねり、掲げた拳を繰り出そうとした瞬間。


「あっ」


塗れた縁石に北河が足を滑らせた。

 揺れるポニーテール。前のめりに倒れる体。このままでは湯の中へ一直線だ。


「危ない!」


咄嗟に手を伸ばした俺は、倒れ込む北河をそのまま抱き留めた。

 だが振り上げた北河の拳も止まることなく、俺の鼻柱にクリーンヒットする。


「ごふぁっ!」


一寸だけ怯むも足に力を込めて、かながら北河を湯に落とさず済んだ。


「だ、大丈夫か?」

「あ、ありがとう……って、アンタその血……」


ギョッとした様子で北河が俺を見た。彼女を抱く腕の片方を離し鼻の下を触れると、赤い鼻血がトロリと伝っている。


「ああ、これくらい何でもないよ。それより北河が落ちなくて良か――」

「なに裸見て興奮してんのよ、このスケベ!」


再び北河の右手が振り上げられた。今度は平手。ビンタの構えだ。

 俺は咄嗟にまぶたを固く閉じた……が、しかし。


 『あの――』


女性の声に北河の平手が皮一枚の所で止まった。

 恐る恐ると振り向けば、美女がこちらを見つめている。せめて胸や局部を隠してくれないか。


 だが問題はそこではない。彼女の左肩から肘にかけて付着している緑色の石……いや、石というよりも軽金属の結晶体か。

 それも腕だけではない。外腿そとももや腹部にも同様の結晶体が付着している。


 俺の視線に気付いた北河も女性の肌に視線を送ると、すぐに驚いたよう碧眼を見開いた。

 再び俺を見遣みたる北河は唖然と声を失い瞼を開閉させる。彼女のアイコンタクトに俺も神妙な面持ちで頷いて応えた……が。


「誰が貧乳よ、このドスケベ!」


意思のシンクロは叶わず中断していた平手打ちを喰らい、俺は再び飛沫を上げて倒れた。


『貴方がたは、何者ですか』


湯の外から響く平静な美女の声。

 耳朶じだを震わすその声を聞きながら、俺は泡を吐いて湯の底に沈んでいった。


 『プキュ〜〜〜ッ』


 だからなんなんだ、お前カピバラのその声は。

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