第02話 お前、ちょっと異世界に行ってこい

 【機核療法士きかくりょうほうし】――通称【LAVERレイバー】。


 俺たちの居た世界では【AIVISアイヴィス】と呼ばれる機械人工生命体アンドロイドが一般化されて、生活に欠かせない存在となっている。


 だが人工知能を始め【AIVISアイヴィス】に搭載されている駆動機構は、その殆どがある特殊な菌から精製されている。

 つまり【AIVISアイヴィス】は機械であるが半有機生命体でもある。それ故に異常が生じた時も”修理”でなく”治療”が施される。


 俺はその治療法を学ぶ高校生……だった。


 この世界に来るまでは。



 ◇◇◇



 その日、俺はいつもより少しだけ早く登校した。


 前日からひどい体調不良に見舞われ、学校を休み丸一日寝込んでいたからだ。

 おかげで体は全快したが、その反動か今朝はやけに早く目が覚めてしまった。

 

 白い学生服に身を包んで登校すると、HR教室には既に何名かの生徒が登校していた。

 俺が通うのは機核療法士レイバーを育成するための専門的な高校。そのためか知らないが制服も独特だ。

 医者の白衣を思わせるこの制服のおかげで、視線を向けられると背中に妙な緊張感が走る。


「ちょっと長瀬ながせ! なに入り口でボケッと突っ立ってるのよ! 早く入りなさい!」


教室の入り口で立ち止まっていると、後ろから怒声が響いた。

 振り返ると、ポニーテールを揺らす北河きたがわ優羽菜ユウナが、青い瞳で俺を睨みつけている。


「……いま入るよ」


挨拶もなく出会い頭の罵倒。俺が休んでいたことなど気にも留めていないようだ。

 チクリと痛む胸を隠しながら教室に踏み入った、その瞬間。


 俺は別の場所に立っていた。『飛ばされた』と言った方が正確かもしれない。


 そこは全てが白に覆われた空間。距離感はおろか影もない。

 ただ只管ひたすらに白いだけの世界で、白い布を腰に纏う存在が、1人胡座あぐらをかいている。

 所々に跳ねた髪と浅黒い肌。大きく膨らんだ胸と丸み帯びた肩がそれを女だと確信させる。


「よお、クソガキ」


中性的な女の声が白一色の空間に木霊こだまする。不敵にほくそ笑む姿は何故か神々しくも思えた。


「お前、ちょっと異世界に行ってこい」

「……は?」


だが突拍子の無いその言葉に、俺は間の抜けた声を漏らして眉をひそめた。


「どういうことだよ」とぶっきら棒に尋ね返せば、女は「ククク」と厭味たらしく笑って応える。


「この世界はあらゆる可能性を秘めている。その可能性の分だけ、ほんの少しズレた世界が存在する。要するにお前たちが今住んでいる世界と少しだけ異なった次元の世界だ」


単調な説明に突拍子もない話。現実なら理解に苦しむ所なのだが、女の言葉はすんなりと頭が受け入れてしまう。まるでそれが当然のことのように。


「それはつまり……SF映画とかに出てくる”並行世界”ってやつか?」


「その理解で間違いはねェよ。とりあえずその世界の一つが今ヤベェことになってる。お前、ちょっと行ってなんとかしてこい」


まるで近くのコンビニにお使いを命じられたくらいの調子。開いた口が塞がらないとは、今の俺みたいなことを言うのだろう。


「なに、原因を解決すりゃあコッチの世界に戻してやる。何も問題は無ェ。元の生活に戻りたけりゃ、精々頑張ることだな」


理不尽とはこのこと。だが不思議なことに俺は女の言葉に疑念を抱かない。

 否、抱けないのだ。不快に思うことはあっても、俺の頭は疑うことをしない。


 ――パチンッ!


 惚ける俺を他所に、女は唐突と指を鳴らした。

 すると間もなく俺の存在は輝く粒子と変わって、白い空間から煙のように消え失せる。


 その直後、俺は水の中に居た。


 肌に伝わる冷たい感触。心地よい浮遊感と服が貼り付くような不気味な感覚。

 水面では陽の光がゆらゆらと揺れて幻想的な美しさを醸し出している。


「ごぼがぼっ?!」


だが此処が水の中だと意識した瞬間、取り乱した俺は口に溜まった空気を吐き出してしまった。


 文字通り、苦し紛れに手足を我武者羅ガムシャラに動かし上を目指した。丈の長い制服が邪魔をしてなかなか浮上できない。

 それでも必死に手足を動かし、水面に揺れる影を掴み、文字通りわらにもすがる思いで水上に飛び出した。


「ぶはぁっ! はあ、はあっ……!」


――むにゅっ。


「……ん?」


荒ぶる呼吸を整える間もなく俺は手に違和感を覚えた。掴んだ指先に伝わる柔らかな感触と、掌を柔く押し返す小さな突起。

 恐る恐る伸ばした右手を見れば、そこには一糸纏わぬ美少女が居た。


 黒水晶アメジストを思わせるショートヘアと紅玉ルビーのような瞳。長い睫毛まつげと吊り上がった大きな猫目。

 水浴びをしているのだろう、濡れそぼった黒紫の髪。雪のように白い肌は玉のように水を弾く。


 それらが華奢な肢体と相まって、芸術的な黄金比を奏でている。


 唯一つ問題なのは、黄金比の一部である小ぶりな双丘を、俺の右手が鷲掴みにしていること。


 もちろん故意ではない。だが俺は彼女から目も手も離せないでいる。

 情欲や官能とは違う恍惚とした感覚が、俺の体を絡め捉えて離そうとしない。


 だがそんな俺の感情など知る筈もなく、黒髪の女の子はキッと目尻を吊り上げ俺を睨んだ。

 同時に勢いよく振り上げられた右手。


(殴られる!)


そう思った俺は咄嗟に目を閉じて身構えた。

 けれどビンタは一向に飛んでこない。

 チラと薄く瞼を開けば、紅い瞳の女の子は忽然こつぜんと姿を消していた。


 音もなく消えた少女。

 もしかすると彼女はこの泉の女神だったのだろうか。そんな寓話ぐうわじみた妄想が頭を過ぎった。

 けれど右手には今なお彼女の感触が残っている。

 まるで夢心地。

 数瞬か数刻か、俺は天を仰いで立ち尽くした。青い空には白い太陽が燦燦さんさんと輝いている。


するとその時。ザバァッ! と背後から水を掻く音が聞こえた。もしかするとさっきの娘だろうか。


 俺は胸を躍らせ振り返った。

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