第03話 すみません、人違いでした

 背後から聞こえた水の音に勢いよく振り返れば、そこに居たのはさきの女の子……などではない。


 恐竜を思わせる、首の長い獣だった。

 

 俗にいう『ネッシー』と呼ばれるような怪獣が、喉を鳴らし俺に狙いを定めている。


「……え?」


水の中に融けるみたく血の気が引いた。

 「なんとかこの場を離れなければ」という考えが頭に浮かぶよりも早く首長竜ネッシーは威嚇に鋭い牙を剥く。


『ゴフォオオオオオッ!!』


低く太い声は本能的に俺を萎縮させる。根源的な恐怖が俺の背筋を凍らせる。

 首長竜は牙を剥いて俺に襲いかかった。だが恐怖で足が動かない。おののく俺に首長竜が迫る。

 だが、その時。


『グロァオオオォッ!!』


激しい咆哮が俺の耳朶じだを打った。

 同時に蒼い四足型の獣が、首長竜に強烈な体当たりを喰らわせた。

 光沢輝く金属の装甲。虎のように太く逞しい脚。

 西洋竜ドラゴンのように長い首と狼を思わせる面長な顔。ポニーほどの胴体。


「ラ……ライナ!」


その見慣れた姿に俺は高々と名前を叫んだ。

 蒼い機械の動物型アニマロイドは俺の前に4つ足を広げ首長竜と対峙する。


「助かったよライナ! ありがとう!」

『グルンッ』


長い首を返してスカイライナーが振り向いた。その口にはスポーツバッグが咥えられている。


「あ、俺のバッグ!」

『グルッ』


蒼い首をしならせスカイライナーは鞄を放った。それを受け取り中を開けば、右手を模った蒼い手甲ガントレットが納められている。

 手甲と呼ぶには少々大きくいかめしい腕の鎧。長い五指が錐形すいけいに尖る。それを白い制服の上から右腕にめ込んだ。

 すると装着した蒼い鎧が空転音を伴い起動する。


『ゴフゥオオオ……』


スカイライナーの体当たりを喰らい沈んでいた首長竜が、のそりと水面から出て喉を鳴らす。


『グルァッ』

「えっ、コイツを【機療きりょう】するのか?」

『グルン』

「分かったよ。お前がそう言うなら」


スカイライナーに促されて、俺は蒼い右手を広げ手甲の外装を拳銃みたくスライドさせた。

 直後、蒼い右手甲に仄明ほのあかい光が宿る。まるで蛍を思わせるような冷たい光。


『グロアアアアオッ!!』


長い首を天に掲げスカイライナーが吠えた。

 首長竜は再び俺に襲い掛かる。

 けれど今度は逃げない。

 腰の位置で右拳を引き半身に構えた。

 首長竜の噛み付き攻撃を紙一重に回避して、光る右掌をザラついたの皮膚に触れ当てる。


 ――バシュンッ!


乾いた空砲音と共に青白い光が右手から放たれた。

 光る粒子は首長竜の体に吸収されて、その動きを止めた。

 首長竜は静かに水の上へ倒れた。


 これが【機療きりょう】。正式には【機核療法きかくりょうほう】と呼ばれる治療術だ。


俺達の世界に蔓延している人工生体アンドロイドAIVISアイヴィスを治療する能力だ。

 AIVISアイヴィスは特殊な菌を素体として作られている半機械の生命体。

 故に人間が体調を崩すように内在機関の恒常性バランスが崩れて異常を起こしてしまう。その崩れた恒常性バランスを正常化てやるのが俺達機核療法士レイバーの役目。


 要するに俺の右手甲が光ったら、それを撃ち込んで症状を改善してやるだけの話。

 ただその反動でAIVISアイヴィスは暫く動けなくなるが。


「それにしても、まさか本当に機療きりょうできるなんて……コイツもAIVISアイヴィスなのか?」

『グルン』

「まあいっか。それにしてもお前も異世界こっちに来てて良かったよ」

『グルッ』


蒼い装甲の頭を撫でてやると、スカイライナーは尻尾を軽快に振って喜びを表す。

 しかし直後、スカイライナーは蒼い体をくるりと反転させて森の中に駆けて行った。


「あ、おい!」


後を追いかけ俺も森の中に入る。

 そうして暫くスカイライナーの後を追いかけていると、先導する足がピタリと止まった。


「急に走り出して、どうしたんだよライナ」

『グル』


蒼い鼻先が目の前の茂みに向けられた。何かと思い耳を澄ませば、ガサガサと葉の擦れる音が微かに聞こえる。


「……っ?!」


咄嗟に身構え音のする方に注意を向けた。音は次第に大きくなる。


「もしかして……」


今度こそ、さっき俺を助けてくれた赤い瞳の女の子かもしれない。きっとスカイライナーが引き合わせてくれたのだ。

 そんな楽観的妄想が緊張と期待を呼んで、いやが応にも心臓をたかぶらせる。

 抜き足差し足と俺達は声のする茂みに近づいた。

 そうして音と気配を殺して茂みを覗けば――


「ファイアスラッシュ!」


――掌を突き出し真剣な眼差しで叫ぶ北河きたがわ優羽菜ユウナがそこに居た。

 ポニーテールの金髪を揺らしポーズを決めて。


「ウィンドカッター!」

「アイスエッジ!」

「ストーンスパイク!」


次から次へと手の向きや指の動きを変えて北河は叫び続けた。


「おかしいわね。異世界に来たっていうのに魔法が使えないなんて――」


不意にこちらを向いた北河と目が合った。綺麗な碧眼へきがんがパチパチと俺を見つめている。

 かと思えば白きめ細やかな肌を真っ赤に染め上げて、わなわなと唇を震わせた。


「すみません、人違いでした」


俺は引き攣った笑みを浮かべて、スカイライナーと共に茂みの向こうへと引っ込んだ。

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