3.『バイ友』、合格!?

「どうでもいいわ」


 初めて会った幸太郎に雪平ゆきひら沙羅さらは無表情で言った。



 言葉はなかった。

 あまりに想像と違う言葉を耳にし、幸太郎の頭はそこで考えることを放棄してしまった。



「それからね、幸太郎君……」


 色々と話をする父重定とは対照的にその後まったく口を開かなかった沙羅。

 幸太郎自身もその後のことはあまり覚えていない。気が付けば雪平家を出て、午後から入れていたファミレスのバイトをしていた。



「幸太郎、おい、幸太郎!!」


「え? あ、はい!!」


 目の前にはぼうっとする幸太郎を呼ぶバイトチーフの斗真とうまが立っている。


「何やってるんだ! ほら、お客さん!!」


「あ、はい!」


 幸太郎は『絶対面接に落ちた』と思いながら、ハンディを持って慌ててホールへと走った。






「ねえ、お兄ちゃん、お兄ちゃん、聞いてるの?」


 土曜日の朝、アパートで朝食を食べていた幸太郎に、妹の奈々なながちょっとふくれた顔で言った。

 幸太郎とふたつ下の妹で現在中学三年生。兄に似て勉強が良くできる明るく活発な子だが、家では甘えん坊のブラコンである。



「あ、ああ。ごめん。考え事してた」


 奈々が焼いたトーストとコーヒーを飲みながら幸太郎が申し訳なさそうに言う。

 母は既に早朝のパートに出ていない。家事が苦手な幸太郎に代わって妹の奈々がその多くを担っている。奈々がすすっと幸太郎の隣に移動して来て言う。



「考え事ってなに~? 勉強のこと? それとも女の人のこと??」


「は? な、何言ってんだよ、奈々」


 幸太郎の頭の中は『バイ友』で会った雪平沙羅のことでいっぱいだった。会話はなかったが印象に残る女の子。幸太郎は妙に鋭い中三の妹にやや焦りながら答えた。奈々が言う。



「あー、図星でしょ!! 女の人のこと考えていた!!」


 そう言って奈々が更に近付いて言う。

 中学生の子供だと思っていた奈々から甘い女性の香りがする。最近暖かくなってきたせいか着ているパジャマも薄手になってきており、いつの間にか大きく育った胸の膨らみを見て思わず目のやり場に困る。


「ねえ、お兄ちゃん。聞いてるの?」


 奈々は彼女のトレードマークであるポニーテールに触りながら幸太郎に尋ねる。



「あ、ああ。聞いてるよ」


「本当に彼女できたとか!?」


 奈々が少し不満そうな表情をして尋ねる。幸太郎が答える。



「い、いないよ。まだ……」


 そう言いつつ幸太郎の頭に、今度はバイトの先輩である藤宮はるかの顔が浮かぶ。黒髪の大人の美女。たったふたつ上なのにその間には高校生ガキ大学生おとなと言う見上げるような高い壁がある。



(はるかさんがもし、彼女だったら……)


 幸太郎は一瞬だがそんな幸せな妄想を頭に浮かべる。しかし分かっている。自分はただの年下のバイトの後輩だと。



「お兄ちゃんってばあ!!」


「え?」


 隣で顔をぷっとふくれている奈々がいる。



「『まだ』って何よ? もうすぐできるみたいじゃん!!」


「いや、そんなことはないけど……」


 全くそんな予定のない幸太郎。頭に思い浮かべていたのはただの希望的妄想。現実味は薄い。奈々が言う。



「彼女できたらちゃんとここに連れて来るんだよ。奈々がお兄ちゃんに相応しいか見てあげる」


「はあ? 何だよそりゃ……」


 幸太郎はトーストを口に入れながら渋い顔をして言う。


「だってえ、お兄ちゃん人が良いから絶対変な女に騙されるもん! そんなの嫌っ」


「おいおい、お前俺をどう見てるんだ……」



「こうだよ!!」


 そう言って奈々は幸太郎の顔を両手で挟み込むようにして顔を近づけて言った。


「お、おい! 何やってんだよ! 近い、近い近い!! 飯が食べれんだろ!!」


 幸太郎は嫌がるそぶりを見せつつも、半分照れ隠しなのを気付かれないかとどきどきしていた。奈々が椅子に座り直して言う。



「お兄ちゃんに彼女ねえ~、ねえ、お兄ちゃん」


 奈々がにっこり笑って幸太郎を見つめる。


「な、なんだよ……」


 その顔はなにか良からぬことを考えている時だと幸太郎は知っている。奈々が言う。



「もしお兄ちゃんに彼女できなかったらね、奈々がずっと一緒にいてご飯作ってあげるよ」


「は? な、何ってんだよ……」


 照れ隠し。

 もはやそんなものがこの妙に鋭い年頃の妹に通用するとは到底思えなかった。






『こーくん、今、大丈夫?』


 幸太郎はいつも通り夜遅く勉強していると、スマホにサラりんからのメッセージが届いた。


『大丈夫だよ。ちょっと待って』


 幸太郎は先にスマホでそう返すと、すぐに机の上にあるPCの電源を入れる。

 実は幸太郎はスマホの文字入力が非常に速い。スマホの学習アプリを通学中にやっていて上達したのだが、極端な話、画面を全く見なくても入力できるほどのレベルである。


 それでも幸太郎はメッセージをやり取りすのはPCが好きだった。大きな画面でしっかり考えてから返事を書く。サラりんへの場合ももちろんそうである。

 PCがウィーンと音を立て画面が明るくなる。幸太郎のノートパソコンは相当古く起動に時間が掛かるのだが、貧しい幸太郎には当然新品など買う余裕はない。



『どうしたの?』


 少し経って幸太郎が返事を書き込んだ。サラりんも書き込む。



『うん、この間話した男の人に会うって話だけどね』


 幸太郎は先週の金曜の夜に彼女がそのようなことを書き込んでいたことを思い出す。


『まあ、半分仕事みたいだったんだけどその男の人、すごく固そうでちっとも面白くないの。なんかね、ぼうっとサラりんの顔見てるだけであまり喋らないし。ねえ、こーくん』


『なに?』


『その男の人、これから時々うちに来るの。ちょー面倒でしかないんだけど、どうしよう?』



 幸太郎の脳が回転する。

 サラりんは高校生。仕事はしていないはず。男が時々会いに来る? 一体何のことなのか理解できない。幸太郎が書き込む。



『家族の方は、知ってるんだよね?』


『うん、パパの命令だから』


(パパ? 本当のお父さんのことだろうか? それとも別の意味のパパ?)



『こーくん、どうしよう?? こーくん、決めて』


『え? なにを?』


『その男がうちに来ていいかどうか』


(それは……、全く背景が分からないし、どんな男かも知らないし)



『その男って何しに来るの? サラりんの友達?』


『知らなーい、友達になりたいんだって。でも、サラりんの友達はこーくんだけだよ!!』


 プライベートの質問はあまりできないのでサラりんのことは詳しく知らない。ただ友達がいないのははっきりしているし、また彼女のパパが許可しているなら安全なのだろう。だったら彼女の人間関係構築の訓練になるかもしれない。



『いいんじゃないかな。少しぐらいは付き合ってあげれば。嫌ならやめればいいんだし。あ、やめれるのかな?』


『やめれるよ! サラりんが嫌って言えばすぐにやめれるんだよ。でもこーくんがそう言うならちょっとだけやってみようかな』


『うん』


 少し間を置いてからサラりんが尋ねる。



『ねえ、こーくんはサラりんが他の男の人と会うことは嫌じゃないの?』


 意外な質問。だが当然起こりうる質問。幸太郎が答える。



『心配だよ、すごく心配』


 言葉を選んで書き込む幸太郎。サラりんが続ける。


『サラりんはね、こーくんだけにずっと見ていて欲しいの。こーくんがいいの。ねえ、こーくんはサラりんのことどう思ってる?』


 少し考えてから幸太郎が書き込む。


『大切な人。とっても』


 嘘はない。これは心からそう思っている。



『うん、嬉しい。サラりんはいつかこーくんに会いたいと思ってるよ。あ、でもサラりん、全然可愛くないから。幻滅しちゃうかな?』


『可愛いと思うよ』


『えー、どうして会ったことないのに分かるの??』


『こんなに心が清らかで可愛いサラりんだもん。絶対可愛い!!』


『きゃー!! ハードル上がっちゃったじゃない!! どうしよう……』


『心配しないで。俺はサラりんとこうして心で触れ合えることが嬉しいんだ。可愛いと可愛くないとかそんなに重要じゃないんだよ。心が清らかなサラりん、自信持って!!』


『ああ、もうこーくんなしじゃ生きられないよ~。どうしよう、どうしよう!? とりあえず今日は興奮で眠れない、こーくんそばに来て一緒に寝てよ~』


 結局この日は明け方近くまでサラりんとメッセージのやり取りを続けていた。




 翌朝、まだ眠い幸太郎のスマホに一通のメールが届いた。


【城崎幸太郎様、あなたを雪平沙羅の『バイ友』として採用します。今週の金曜日の夕方よりお越しください】



 簡単な文章ではあったが、絶対に落ちると思っていたバイトだったのでその内容は意外であった。

 こうして城崎幸太郎の三つ目のバイト、難敵雪平沙羅との『バイ友』生活が始まることとなる。

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