幕間

第八章 終

「今回は戦いという戦いのない回だったね。あまり語れることもないが、ここは八八艦隊についてもう少し詳しく説明してみようか。


 八八艦隊とは第一次世界大戦中から戦後くらいにかけて計画された、戦艦八隻、巡洋戦艦八隻を中核とする大艦隊を整備する計画のことだね。主に東アジアへの野望を隠さなくなっていたアメリカへの抑止力となることを目的として計画されたものだ。先に結末を言えば、計画はワシントン海軍軍縮条約で潰れて、以降は大して顧みられていない。


 戦艦八隻の中身は、長門型が二隻、加賀型が二隻、紀伊型が四隻という構成だ。いずれも41cm砲を装備することになっていた。まあ紀伊型は二隻で終わりで更に新型を建造する予定だったって説もあるけど、当時計画に関わった人は大体死んでしまったから、真相は闇の中だね。


 結局、長門と陸奥だけが戦艦として完成して、加賀は空母になり、土佐は廃艦とされた。紀伊型は起工すらされていない。紀伊型の名称は、一番艦は紀伊、二番艦は尾張になる予定で、残りの二隻については名前も決まらない内に計画が消えてしまった。因みに大和型戦艦は四番艦を建造する予定があって、その名前に紀伊が予定されていたらしい。


 巡洋戦艦八隻の中身は、天城型が四隻、十三号型巡洋戦艦が四隻という構成だ。天城型は41cm砲を装備し、十三号型は46cm砲を装備する予定だったとも言われているが、これも真相は闇の中だ。何せ一番艦の名前も決まってない艦だからね。


 天城型については、天城は関東大震災に被災し廃艦、赤城は空母に改造されて、残りは起工されていない。因みに残りの二隻は高雄と愛宕という名前にする予定だったみたいだ。言うまでもなく、高雄型重巡洋艦にその名が受け継がれている訳だね。十三号型については、正直言って資料が少な過ぎてよく分からないって感じだ。


 いずれにせよ、当時の日本にこれだけの大艦隊を維持できる国力があったとは思えないし、半分くらい実現できたら関の山って感じだったんじゃないかな。


 では次は、よくある過去編と行こう。ちょっと長くなるけど、大東亜戦争の話の続きだよ」

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