痛み

「とっとと沈め!」


 瑞鶴は一気に追い込みをかけ、戦艦を沈めにかかる。一つも外すことなく次々と爆弾を投下し、艦上攻撃機『天山』で左舷から次々に魚雷を叩き込み、戦艦を確実に破壊していく。だが、その時だった。


「あっ……まずった」


 攻撃に夢中になり、天山に飛んでくる機関砲弾に気付かなかった。砲弾は天山の機首から尻尾までを綺麗に貫き、一瞬にして炎上、墜落した。


「痛いっ!!」


 かすり傷とは比べ物にならない、腕の骨をへし折られたような痛み。瑞鶴は思わず叫んでしまう。しかし、ただ痛いだけではない。


「お、おい、瑞鶴!」

「はぁ……はぁ……私、死んだの……?」


 激しい痛み。それと同時に、死んだという確かな感覚があった。自分は確かに生きているのに、死の感覚が流れ込んでくる。瑞鶴の頭はすっかり混乱してしまった。


「痛みが共感されるなら、死も共有されるということか。……事前に試しておくべきだったな。瑞鶴、気をしっかり保て。それは錯覚だ」

「…………?」


 瑞鶴は虚ろな目をして岡本大佐を見つめる。


「クッ。こんなことをさせないでくれ」


 大佐は瑞鶴の頬を強く叩いた。


「痛っ……!」

「痛いだろう。そう、だから、君は生きている。分かったな?」

「え、ええ……。今は、頑張らないと……!」


 ――そう、私は生きてる。死んだのは艦載機なのよ…………


 意識と感情を立て直し、攻撃を再開する。急降下爆撃と雷撃的確に敵艦の弱点を突き、戦艦も数分で復旧不可能になるまで破壊した。


「次……次を沈めないと……!」

「ああ、素晴らしい。本当に、君は素晴らしいよ」


 瑞鶴は攻撃を緩めることなく、爆撃と雷撃を続行する。しかし当初ほどの集中力は維持できず、彗星や天山に数機の損害を出してしまった。


 その度に死の感覚が瑞鶴を容赦なく襲い、心に穴が開けられていくようだった。


『瑞鶴、気をしっかり持ってください。その痛みはただの感覚。あなたの傷ではありません』

「え、ええ。分かってる。でもありがとう、お姉ちゃん」


 艦載機が傷付く度に体のどこかに痛みが走る。瑞鶴は何度も意識が飛びそうになりながらも、姉の言葉を命綱にして耐えながら、米軍への攻撃を続けた。


 ○


「アイオワ轟沈!」

「第五十二、第五十駆逐隊全滅!」

「大将閣下、このままでは……」

「な、何が起こっているんだ……」


 ボーガン少将は死に、第2群の艦艇も数分おきに次々と轟沈していく。気付いた時には、残されていたのは戦艦ニュージャージーと駆逐艦数隻だけであった。


「逃げろ……」

「今、何と?」

「逃げるんだ! 我々ではあの化け物どもに対抗できない! 艦長、全速力で戦場を離脱せよ!」


 ハルゼー大将は恥も外聞もなく叫んだ。最高司令官が戦場を放棄するというのだ。


「お、お言葉ですが、閣下は第38任務部隊の……」

「うるさい! ここで犬死するのと恥を忍んで生き延びるのと、どちらがマシかっ!」

「……分かりました。全艦、戦場を離脱せよ!」


 ニュージャージーは艦隊を見捨てて離脱しようとした。だが彼らを瑞鶴の彗星と天山が追いすがる。


「敵機が来てます!」

「何をしている! 迎撃しろ!」

「で、できません! あんな動き、見たことない……」

「左舷に被弾!」

「クソッ。ニュージャージーはもうダメだ……」


 一度日本軍機に狙われれば助かる術はない。ハルゼー大将はなまじ有能であるばかりに、そのことを理解していた。


「私は逃げるぞ! 君達も、逃げたかったら逃げたまえ」

「そ、そんな、閣下!」

「私は生きて艦隊の指揮を執らねばならないのだ! さらばだ!」


 確かにハルゼー大将はニュージャージーにとっては艦長でも何でもない。彼はニュージャージーが必死に抵抗する中、艦を降りようとした。


「よし。ボートを下ろせ」

「は、はい」


 大将にしてはあまりにも無様な逃走劇。彼を護送できるような艦はもう周囲には存在しなかった。ハルゼー大将は救命ボートに乗って離脱しようとする。だがその時だった。


「て、敵機です!」

「この、私が……」


 零戦からの機銃掃射。ハルゼー大将らはたちまち蜂の巣にされボロ雑巾のように死んだ。そして間もなくニュージャージーも轟沈し、第38任務部隊第2群はハルゼー大将、ボーガン少将と共に消滅したのであった。


 ○


「勝った……私、勝ったよ……お姉ちゃん…………」

『偉いわ瑞鶴。でも、今は休んでください』

「まだ、休むわけには……うっ…………」

「お、おい、大丈夫か」


 敵艦隊を全て海の藻屑にして、緊張を保っていた筋肉が弛緩したのだろう。瑞鶴は力なく崩れ落ち、岡本大佐は間一髪のところでその体を受け止めた。


「すぐに軍医を呼んでくれ。ボイラーは止めろ。君は艦載機を全て戻し、一旦休め。もう爆弾も魚雷を使い切ったろう」

「そ、そんなことない……!」


 岡本大佐の腕の中でそう強がる瑞鶴。そんな言葉に説得力はなかった。


「まったく、強がりはやめたまえ。これは命令だ。休め」

「チッ……そう、かもね……」


 瑞鶴はパタリと意識を失い、艦内の医務室に運び込まれた。


 ○


 それから数時間後。


「瑞鶴……瑞鶴?」

「お姉ちゃん……」

「瑞鶴! 起きたのね。よかった……」


 翔鶴は起き上がった瑞鶴を抱きしめた。だがそのせいで、押さえ込んでいた感情が溢れ出す。


「お姉ちゃん……私、何度も死んだの。でも私は生きていて、もうわけが分からない……」

「あなたは死んでなんていません。あなたはここに生きている。今はそれだけで十分です」

「でも私、あの感覚が怖いの……。死んだという実感があって、怖い…………」


 瑞鶴は翔鶴の胸に顔をうずめる。


「よしよし。気持ちの整理が付くまで、お姉ちゃんがいてあげますから」

「うん……」


 泣くでも叫ぶでもなく、瑞鶴はただ翔鶴に抱きしめられていた。瑞鶴にはただそれだけで十分だった。

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