第19話 交換日記
そして火曜日が終わる。と言いたいけど、晩御飯を食べてお風呂にはいってもまだ一日は終わらない。陽子だ。昨日もこの時間、お風呂でしていた習慣なのか、お風呂に入ってから私の部屋を訪ねてきた。
もしかして、なのだけど、私って犯罪者すれすれのやばい女にしかモテないのだろうか。私自身は清く正しく何一つ犯罪に手を染めずに……喧嘩で相手を殴るのって一応お互いさまでも暴行罪自体は成立してるんだっけ。うーん。まあ、起訴されなきゃ無罪だよね。我々はみんな綺麗な身の上。
コン、コン―
などと言う自己弁護をしていると、控えめにドアがノックされた。
「……おねえ、起きてる?」
「はいはい、どーぞ」
寝てるふりをしても仕方ないだろう。私は軽く促した。それにしても、昨日はわくわく感のある声だったけど今日はまた緊張してるみたいな声だ。
ドアが開いておずおずと陽子が入ってくる。なにやらノートを胸に抱いている。どうしたんだろう。自慰にどう関係するのか。さすがに物理的には使わないだろうけど、なにかとんでもない方法でも書いてきたのか?
「あの、おねえ。私、昨日、ちょっと反省したんだ」
「ん? あ、ああ。まあ、そうだね。反省すべきところはあったよね」
「あのさ、その、気持ちよすぎて、ちょっと夢中になりすぎちゃったけど、その……おねえに私のこと好きになってもらうためには、まず、お互いのことをもっとよく知る必要があると思うんだ」
「お、おお。そうだね」
まともなこと言ってる。いや、私と陽子は姉妹で生まれた時から一緒だし、これ以上知ることある? とは思うけど、一般的な他人同士で一方的に告白した関係から距離を詰めるために妥当な第一歩だろう。
。妹が我儘で自分勝手な性格から一歩脱却することができた。そんな妹の成長は嬉しいけど、あまりに急な変化にびっくりしてしまう。
「うん、だから、さ。これ……交換日記、してください」
「こ、交換日記!?」
「そ、そんな驚く? あの、私、面と向かって話したら絶対また、思ってもないこと言ったりすると思うんだ。だから、毎日手紙書こうかなって思ったんだけど、おねえ、手紙の返事とか書くの絶対めんどくさいでしょ? だから、交換日記って形なら、おねえは最悪、その日の天気書くだけでもいいし、してくれるかなって」
「……」
え、陽子、めっちゃ私のことわかって考慮してくれてるじゃん。しかも、交換日記とか、めっちゃピュアじゃん。可愛いが過ぎる。ごめん、そのノートまでピンクの何かだと思い込んでた。私の心の方が汚れてた。
「……駄目?」
陽子なんて性欲しか頭にない、と偏見を持ってしまっていた自分の非道さにショックを受けて思わず言葉を失ってしまっていたけど、陽子の不安げな声音にハッとする。この流れで無視しちゃ駄目だろう。
「あ、いや。いいよ。ちょっとびっくりしすぎただけ。一日交代で書く感じなんだよね?」
頷いた私に陽子はぱっと表情を明るくして、いそいそと近寄ってきて私の前でノートを差し出した。どこにでもあるノートで表紙にでかでかと『交換日記』と書かれている。
「うん。天気でもいいけど、その、できたらおねえのこと、なんでもいいから、今日のお昼ご飯とか、そう言うのでいいから、知りたい」
「うん……そっか、わかった。できるだけ、やってみるよ」
「おねえ! ありがとう! 大好き!」
受け取った私に陽子は嬉しそうにその場でぴょんぴょん跳ねて喜んだ。
うんうん。陽子は怒ったり拗ねたりしたらすぐ怒鳴るくらい、感情の起伏が激しい。でもそれは逆に言えば、嬉しい時も爆発しちゃうくらい喜んでくれる。
そう言うところが、可愛らしいのだ。そうそう、だから可愛い妹なんだよね。
「えへへ。じゃあ、私は戻るから、読んでね。書くのは面倒でも、読むのはお願いね? 絶対だからね?」
「はいはい」
そのまま陽子は部屋を出ていった。今日はしないのか。そう言うところも、ちゃんとしている。
私はこの数日ですっかり、陽子を性欲モンスターだと思い込んでいた。でも違った。やっぱり私の可愛い妹だったのだ。
「……さて」
仕方ないので言われたとおり、私は机に向かって交換ノートをひろげた。
『おねえへ』とまるっきり手紙の感じで始まった。
○
『おねえのことが好きだけど、おねえは分からず屋だから、きっと家族だからとか、すりこみだとか、かんちがいとか、そうゆう風に言うと思う。
だから恥ずかしいけど、おねえのどこが好きなのか説明していこうと思います。』
そんな感じで始まって、私のどういうところが好きか、陽子は一ページまるまるつかって説明してくれた。どうでもいいことなのだけど、そうゆう、と表記されるととても気になる。何故か途中から敬語になってるのは可愛い。
それはいいのだけど、内容が、何と言えばいいのか。例えばここ。私の優しいところが好き、と言いながら具体的なエピソードを出しているのだけど、アイスを二つに割った時に大きい方をくれるところ。って、めっちゃ小さくない?
最近はしてないけど、小さい頃はそう言うこともあった。だけど低学年以下の陽子に割らせるわけなくて、私が割ったのだから極端に差が出たら小さい方を引き受けるのは普通だ。
優しさと言えなくないかもしれないけど、その状況で小さい方を渡したら途端に非道な人間になってしまうだろうし、当然のことだ。
他にも転んだ陽子をおんぶしてあげたこととか、特別優しくしてあげたつもりがないことばかりだ。
それこそ、そんな些細な日常の積み重ねで私のこと好きだと言ってるのだとしたら、刷り込みとしか言いようがないのだけど。
あと三つ入りのガムの最後の一個のすっぱいやつを食べてくれたって、それはもう私が多く食べてるだけなのよ。いやまあ、実際すっぱいの苦手だから喜んで食べたわけじゃないけど。
そんな他愛のないものばかりが書き連ねられて、一ページの後数行のところで書きすぎてしまったからあとは次回。と言って締めくくられている。
陽子が私の些細な、優しさと言うほどでもない、姉と言うかもはや人として普通の親切を、ひとつひとつ覚えて大事にしてくれていると言うのは伝わってきた。
突っ込みどころはあるし、これがどうして恋愛感情だと思ったのかはわからないけれど、陽子が私のことを大好きなことだけは嫌と言うほど伝わってきた。
いや、もちろん、嫌ではない。近年は我儘で生意気になってきたと思ったけれど、それも私を意識してついぶっきらぼうになったりしていて、なのに変わらず優しい私のことが好きと言書いてあって、そう言われると、陽子の不器用さを実感してまた可愛らしく感じてしまう。
陽子はこうして誰かに手紙を書いたり、人に気持ちを伝えるのになれていないのだろう。思いつくまま書かれただろう内容は箇条書きみたいだし、時系列もめちゃくちゃだ。
でもそれもなんだか陽子がなれないなりに一生懸命に伝えようと頑張ってくれているようで、いい風に受け取ってしまう。
「……しょうがないなぁ」
ほだされてしまっている。そう思うけど、やっぱり陽子を見捨てることはできないだろうなと感じていた。
とは言え、だからって恋愛的にありというわけではない。陽子の幸せを願うからこそ、私以外のまともな人を好きになって幸せになって欲しい。
私はため息をついてペンをとった。面倒くさいけど、ちゃんと陽子が納得できるまで、満足するまで、陽子のすることに好きあってあげよう。
えーっと、交換日記なら今日あったこと、だよね。
「……」
今日何があったかな、と思い返そうとして、思い浮かぶのが放課後のことしかない。いや、うん、まあ。そりゃあね。初めてだし。相手が思っていた以上にクレイジーなことが判明した小梅でも、意識はするよね。
いけないいけない。今日のところは陽子に合わせて手紙調にしよう。
陽子へ。と先頭に書く。陽子は私に自分の気持ちがちゃんと恋愛感情で本気で好きなのだと伝えようと初日の日記を書いたのだ。
だから私もそれに答える形で書けばいいだろう。
『
陽子へ
陽子が私のことを大好きなのは伝わってきたよ。ありがとう。私も陽子のことは本当に大事に思っているし、好きだよ。
でもいっぱい説明してくれて悪いけど、陽子が言ってくれてる優しさは誰でもすることなんだ。友達でも誰にでもする、人として当然の親切だよ。
もちろん、当然とは言ってもできないことだってあるし、できたことを評価してもらえるのは嬉しいけど、それだけで恋なんだって言われても私はまだ納得できないかな。
私のことを好きって言ってくれること自体は嬉しいよ。でもね、どうしてそれを恋愛感情だと思ってるのか、それが私にはわからないんだ。私もまだ誰かに恋をしたことがないからさ。
姉なのに、情けないこと言ってごめんね。でも、それが正直な気持ちなんだ。陽子は私に対して性的興奮を覚えるから恋だと思ってるみたいだけど、それでも私は納得できないよ。それはそう言う性癖と言ってしまえるよね。
辛辣なことを言うけど、今はまだ陽子は子供だし、自分の感情を制御できなくて、欲求を恋愛と混同することはおかしいことじゃないと思う。
そうじゃない、本当に恋愛感情であると言う可能性も否定はできないけど、勘違いじゃない可能性も否定はできないよね?
勘違いだとして陽子が勘違いに気が付くまで、私はそれに付き合ってあげてもいい。でもとりあえず冷静になって、自分の感情がなんなのか、今一度ちゃんと向き合ってほしい。
陽子が私以外の誰かを好きだと言うなら、勘違いでもなんでも構わず心のままに動いたっていいよ。何度だってやり直せるんだから。
でも私たちは姉妹だからこそ、慎重に考えないといけないよ。この関係は何度もやりなおせるものじゃないんだから。
願わくば、この交換日記がその一助になるといいと思ってるよ。
』
……思いのほか長文になってしまった。しかもなんか、ちょっとカッコつけてしまった。陽子にはがっかりされるくらいがちょうどいいんだけど。
基本、陽子の前ではいい姉であり、尊敬される姉でありたいと思ってるから、ついいい顔してしまうんだよね。
まあ、どうせただ冷たくしたって、それはわざと諦めさせようとしているだけで本気じゃないとか、都合のいいように考えて簡単にはいかないだろうし、いいか。根競べだ。いや、いっそ上から目線だしこれはこれでイラッとされる可能性もある。うん。可能性は無限大だ。よし。これで行こう。
書き終えてノートを閉じたところで、ぶぶぶ、とスマホが震えた。手に取って、昨日小梅と通話したのと同じくらいの時間で、小梅からの通信通知だった。
本気で毎日なのか。私からいいと言った時間だからいいと思ったんだろうか。まあ、いいんだけど。でも、今日はちょっと気まずいな。と思いながらも応答する。
「はい、小梅?」
『はい。こんばんは、朝日先輩。今、いいですか?』
「ん、いいよ」
スマホの向こうからは昨日と何も変わらない、ちょっと楽しそうな声が聞こえてくる。その変わらなさにほっとして、私はスマホを手にベッドに移動する。
小梅は放課後のことは口にせず、たわいない話題をふってくれた。私もそれにのって、お弁当の好きな具材とか話した。
『あの、朝日先輩って犬、好きですよね?』
「うん、好きだよ」
ふいにそんな質問をされて、私は首をかしげつつ頷く。
犬か猫なら犬、と言うのは小梅にもう言っている。小梅も犬が好きらしくそこは気が合って、何犬が一番か話したりした。まあ、私自身が何犬が一番かなんて決められていないのでもちろん結論はでなかったけど。でもなんでもう一回聞いたんだろう。
『あの、実は私、子犬の、えっと、キーホルダーを作ってまして。お揃いなので、もらってほしいなと思ってまして。……明日、もらってくれますか?』
「え、小梅そんなのもできるの? えー、すごーい。もらうもらう」
手作りのキーホルダー、となるとフェルトの小さい人形とかなのかな? と想像しながら嬉しくなる。
好きなものが同じで、好きな物をわざわざ作ってプレゼントしてくれる。それは相手が誰であれ嬉しくなる。うーん、私ってちょろい。
どんなやつー? なんて話をしてから、私も疲れたので小梅と同じくらいの時間に寝落ちした。
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