現代吸血鬼の幸運な受難

いぷしろん

現代吸血鬼の幸運な受難



 人通りのない真夜中の住宅街。俺のたてる足音のみが街に響き、変な反響をして不気味だ。……いや、俺が不気味とか言うのもおかしいのだが。

 さて、そんな俺は――、



「まじかよ……」



 とても困惑していた。思わず口に出してしまうぐらいには。

 目の前には女の子。制服は着ていないけど、俺と同じ高校の子だと知っている。


 ――その女の子は倒れていた。あおむけに。下に血だまりを作って。

 ……明らかに血でないにおいがする、血だまりを作って。


 かがんで、試しに舐めてみる。

 うん。イチゴだね。もったいない。



「あのー、赤城せきじょう高校の人だよね? というか――」


「け、結婚していただかないと、死んでしまいますうぅ……」



 棒読みだった。ぺちん、と頬を軽く叩く。

 何を大声で言っていやがる。他人のふりをしたいんだが。



「あーっ! ぶちましたね! 乙女の、顔を!」


「……なぁ月波つきなだよな? ここ最近俺のことを付けまわしてどうしたんだ?」



 いや、本当に。

 昔に色々あったとはいえ幼馴染なんだから普通に話しかけてくればいいものを。

 ……というか今、敬語使ってなかったか? いや、同い年だし前は違ったし、そんなわけ――、



「あー、さすがに気づいていたんですね。ちょっと残念ですよ――弓馬きゅうまくん」



 ありました。

 ちょっと刺さりますありがとうございます。



「えっと……月波さん?」


「はい?」



 いや、はい? じゃないが。



「……どうしてここに?」


「弓馬くんがいるからですよ。当たり前じゃないですか」



 当たり前……?

 おかしいな。俺の知ってる月波とは別人か? こんな意味わからないことを言う子ではなかったはず。



「……で、なんで俺を追いかけてるんだ。お前、俺がどうして引っ越したかわかってんのか?」


「わかってますとも!」


「はぁ……とりあえず家帰るか」


「弓馬くんの?」


「そうとも言えるな」


「……食べられちゃうんですか? 私」


「行くのは実家だ!」



 ひとり暮らしの男の家に連れ込むわけないだろ。しかも夜だぞ。

 それに、どうせ月波も母さん経由で俺の情報を得ていたんだろうしな。尋問をせねば。




 二人の足音が夜道に響く。街頭に照らされ伸びる二つの影は、つかず離れずの距離でゆらゆらと揺れる。

 俺たちの間に会話はなかった。さっきは俺も月波――は素かもしれないが――も妙なテンションになっていたが、そもそも俺たちは俺のせいで離れたのだ。少なくとも俺からは話しかけづらい。


 ――けど、俺は謝るべきなんだろうな。



「……首、痕残ってるか?」


「んー? 近くで見ないとわからないですよ」


「残ってるんだな」


「……まぁ」


「……ごめんな。怖かったろ、月波も」


「弓馬くんが謝る必要はないでしょう? 仕方ないことでしたよ」


「そう言ってもらえると助かるけど……」



 俺は本当に後悔してるんだ。


 ――あのとき、月波に襲いかかったことを。





 現代日本にファンタジーは存在する。その証明が俺たちだ。


 世界には古来より悪魔やら日本伝承やらの怪異がはびこってきたが、その中でも吸血鬼は特殊だ。東欧を起源としながらも世界各地に進出し、今なお生き残る数少ない怪異として細々と子孫を残している。彼らは日本にも根を下ろして、現代日本には十数人ほどの吸血鬼がいるらしい。


 というのが俺が両親から聞いた話。要するに、俺と母さんと父さんはその十数人のうちの三人ということだ。

 そう、現代吸血鬼である。


 俺が現代吸血鬼であることを知らされたのは中学一年――十三歳のある日のことだ。

 あまり良い思い出ではないから簡潔に説明すると、俺が月波の首筋に噛みついて月波が大泣き。俺たちの両親がやってきて俺は自分のことを知った、ということになる。

 月波たち百合ゆり家が「協力者」なる者の家系だと教えられたのもこのときだ。


 そんなこんなで俺は月波に怯えられるようになり、ひとまずは距離を離そうと引っ越したのだ。

 ……俺だけ。ひとり暮らしで。同じ住宅街に。





 さて、しばらく歩いていると「千木ちぎ」と書かれた表札がかかっている家の前に着いた。

 俺の実家である。



「月波はどうする?」



 月波の家は俺の実家の隣。

 別にお前まで来る必要はないぞ、遅いし。といった意味合いで訊いたのだが、



「え? 何がです?」



 ……月波はどこからともなく鍵を取り出し、堂々と千木家へ入り込んだ。



「……なんでもねえ」


「お母さまー!」



 月波が母さんを大声で呼ぶ。吸血鬼は夜に活発になるのでここでは非常識なことではない。恐らく母さんも起きているだろう。なお、父さんは仕事。

 現に、奥の方から足音が聞こえてきた。極力音を殺した、滑らせるような足音。一応言っておくが、この歩き方は断じて現代吸血鬼の標準教養などには含まれていない。

 そして、玄関で靴を脱いでいた俺たちの前にひょこりと顔が出てきた。



「あら、成功したの?」


「しませんでした!」


「でしょうねー。私たちは五感が鋭いから無理よ」


「あの……母さん?」


「久しぶり。弓馬」


「あ、ああ……」



 母さんは非常にマイペースで淡白な人だ。俺に愛情を注いでくれているのはわかるが、母さんと話しているとどうにも調子が崩される。



「……そろそろどういう状況なのか教えてほしいんだけど」



 もう何がなんだかついていけない俺は素直に訊くことにしたのだ。

 そしたら――、



「そうねえ、月波ちゃんが不治の病にかかっちゃったのよ」



 理解が、できなかった。言葉がしばらく脳に到達しなかった。



「は?」


「なんかねえ、悪い心臓の病気みたいでね」


「…………」


「あと二年ぐらいが限界らしいわよ」


「…………」


「でも、あなたなら助けられるでしょ?」


「あぁ~……」



 そこであの奇行につながるわけか。

 ……それを最初に言えや! なんであんな意味わかんないことしたんだよ。



「ええっと、月波さん?」


「はいなんでしょう」


「いやあの。月波はその病気を治したくて、結婚がどうのこうのって言ってたってことなんだよな?」


「……そ、そうですけど?」



 はぁ、とため息をひとつ。


 ――確かに、俺にはそれを治す手段がある。

 日本に十数人しかいない吸血鬼がどうやって生き永らえてきたのか。その答えがこれだ。

 現代吸血鬼は人生で一度だけ、一般人類を同胞、すなわち吸血鬼にすることができる。対象の子供を授かることで、その血を薄めることなく世代を重ねてきたのだ。

 で、「身体を作り変え」ということを利用してこのような病も治したりできる。

 つまり、別に結婚する必要はないということだ。


 まぁ、その場合、母さんたちに頑張ってもらわないと千木の血が途絶えることになるけど。



「月波、本当にいいんだな? お前も吸血鬼になるってことだぞ」


「ふふふ、望むところですよ」


「じゃあ私引っ込んでるから」



 母さんが軽いノリで奥へと去っていく。おい、そんなんでいいのか母親。

 ……いや、俺も月波を助けるのが嫌とかでは全くないんだけど、どうにも緊張感がない気がする。



「……とりあえず部屋行くか」


「で、ですね」



 幸い自室は特にいじられていなかったようで、俺が出て行ったときそのままの形で残っていた。

 なんか懐かしい。



「あー……月波は本当に心臓が悪いんだよな?」


「そうですよー。お母さんもお父さんもそう言ってましたし」


「そうか……」



 月波の両親は医者――医学研究者だ。これは「協力者」という立場で現代吸血鬼を調べるうえで医学の知識が必要だったということ。それと、俺たち吸血鬼が民間の病院に行くと不都合しかないからだ。

 ……月波がそれを継ぐことができるかは甚だ疑問だけどな。



「なぁ、どうやって俺たちが人類を吸血鬼にするのか知ってんのか?」


「それがですね。誰も教えてくれなかったんですよ」


「ふーん。なるほど……」



 これはいよいよもっておかしい。

 俺の親も月波の親も命に関わることでそんなことをするだろうか。


 ここは、ひとつ策を弄してみよう。



「んじゃ、腕を出してくれ。俺が血を吸って月波がそう・・願えば終わる」


「わかりましたー」



 何も疑っていない月波の返事。ちなみにもちろん嘘である。

 本来は血を吸うのではなく送り込むのだ。それも口から。

 ……別に噛みつくだけと言ってもよかったけど、それはまぁ、うん。俺だってたまには人間の血が飲みたかったということで。


 そうしていると、月波がおずおずと……いや、全く躊躇してないわ。嬉々とした様子で腕を差し出してきた。



「……いくぞ」


「どうぞどうぞー!」



 このころになるに至り、俺はもう月波が病気なんかじゃないことを確信していた。けれど、突然降ってわいた、人間――それも女の子に対して合法的に吸血できる機会をみすみす見逃す精神力も、俺は持ち合わせていなかったのだ。


 そして、俺は月波の肘と手、その真ん中ぐらいの場所に牙を伸ばして突き立てた。



「――んっ……」



 月波が上げた妙に色っぽい声も気にならないぐらい俺はその血の味に驚愕した。


 ――あまりにも美味だったのだ。



 俺たちは、吸血鬼というからには血を生きる糧のひとつとしている。

 それは人である必要はなく、親族以外の血であればなんでもいい。だから、俺たちは普段は血が多めの肉だったり魚だったりを食べているわけだ。が、正直に言ってそれらに味はない。強いて言えば鉄の味がほんのりとしなくもないといったところか。


 しかし、しかしである。人の血――特に女の子の血は違うのだ。俺が人の血を味わったことは今までで二回のみ。一回は月波のお父様。もう一回は中学一年のときに月波自身からだ。

 お父様はその絵面に思うところあって――血はとてもおいしかったのだが――月波はそもそも事故だったため、それ以後はないが、俺は月波の血の味が未だに忘れられていなかった。



 ――あの、月波の首筋からした形容しがたい味。肉のようでいて砂糖のように甘く――なんて食レポもできないほどやみつきになりそうな味。


 上の歯の二本の犬歯からその味が復活した。



「んっ……ぁ、ふぁ……」



 直後、味覚を聴覚が乗っ取った。さすがに無視できないレベルで……その、エロい声だった。

 名残惜しく感じつつも、口を離す。

 月波の腕を見ると、二つの吸血の痕はもう近くでも見えないぐらいに治っていた。昔より吸血鬼として成長したからだろうか。これなら首の方も俺が舐めれば治ったりしないかな、と現実逃避気味に考える。



「きゅ、きゅーまぁ……ぁ……」



 俺を現実に引き戻したのは月波だった。

 舌足らずな声で呼びながら、俺の胸に倒れこんでくる。

 月波の声が俺の脳を震わせ、背中には手を回されて月波が更に近くなる。月波の顔は赤く上気していて、息も荒い。

 なんだかいい匂いもしてきて、俺はどうにかなりそうだ。



「ちょっ……おい!」



 叫んでも聞こえてない様子の月波を見て、俺は理性をフル稼働させた。

 俺も月波の背に手を回し、まるで子供にするように手の平でぽんぽんと叩いてやる。


 ――こいつは娘こいつは娘、父親は娘に欲情なんかしねえ!


 と意味不明なお経を唱えていたのが役に立ったのか立ってないのか、たぶん立ってなかったけど幸い俺がヘンなことをしでかす前に月波は正気に戻ってくれた。

 身体を離す。



「……ぁ――あれ、私吸血鬼に……なったの?」



 おい敬語はどうした、と思ったが口には出さないでおく。



「おーう、なったぞー。これで病気とやらも大丈夫だろ」



 もちろん嘘である。

 こんな軽い感じで言うわけがない。



「……くふふ。もうこれで弓馬は他の女を吸血鬼にできないんだよね?」


「うん。まぁそうだな」



 今の俺はさぞ生ぬるい目をしていることだろう。

 しかし、月波はそれに気づかず話を続ける。


「それで、吸血鬼は同じ吸血鬼としか結婚しちゃダメって決まりがあったよね?」


「まぁ……あるな」


「つまり弓馬は私と結婚するよりないわけだね」


「うーん……その前に心臓が本当に平気か調べてきたほうがいいんじゃないか?」


「その必要はないよ…………それ嘘だからね!」



 知ってた。

 けど、俺が口をはさむ前に月波は上機嫌で話を続ける。



「いやぁ、弓馬も案外ちょろかったねー。衝撃の再会で混乱させて、お母さまに教えてもらった君の好み――敬語系女子になったらあっさりこっちを意識して? そこでとどめとどめの私と結婚できるチャンスだもんね。うんうん。男であるところの弓馬が引っかかっちゃうのも無理はないよね。さっすが私の隙のない完璧な計画」



 急展開についていけない俺をよそに、ひとりしたり顔で自画自賛する月波。

 えーっと? 要するに、月波は俺と結婚したくて、吸血鬼になるのも厭わずにこんな茶番――月波曰く “隙のない完璧な計画” ――を組んだってことか?

 何それ嬉し。


 まぁ、嬉しいのは事実だけれども、これから俺は月波に真実を伝えなければいけないわけだ。



「あのー月波さん」


「なになにー? あ、そういうのはまだ早いからね!」



 なんのこっちゃねん。



「いや、あの。吸血鬼になってなんかないけど、月波は」


「へ?」



 月波の身体がピシリと硬直する。



「俺の嘘な。月波も母さんもどうにも怪しかったからさ」


「…………」



 まず、月波の顔が真っ白になった。愕然としたんだろう。

 次に、青くなった。色々とまずいことに気づいたんだろう。

 お次に、赤くなった。騙した俺に怒りを覚えたんだろう。

 そして、更に赤くなった。自分の言動を思い出したんだろう。

 最後に、口を開いた。



「……し、心臓が痛いなー」


「棒読みじゃねえか」



 それに仮に痛くてもたぶん別の理由だぞ。

 恥ずかしすぎて痛いとかそういうやつだろ。



「はぁ……なんでこんなことしたんだ」


「そのぉ……言わなきゃダメ?」


「かわいい声でかわいい顔して言ってもダメ」


「か、かわいいだなんて……」


「月波さーん?」


「あ、いや、その、簡単に言うと、弓馬がいくら待っても会いにこないから既成事実作っちゃえみたいな?」



 みたいな? じゃないんだよ。もっと自分を大切にしてほしい。

 はぁ……月波には怯えられてると思ってたんだけど。どうしてこうなったんだか。

 まぁ、悪い気は全くもってしないが。


 俺だってこんなこと言われて何もせずにいられるほどには男を捨ててはいない。


 ――そっちが先に仕掛けてきたんだからな?


 月波の肩を掴む。

 そして、こちらに引っ張った。



「えちょ、弓馬? 何を――んぅ」



 唇に柔らかいものが触れる感覚。

 こういうときの作法に則り視界は閉じているけど、恐らく――。


 一方で、俺はその感触を理解する間もなく、牙を伸ばそうとするのを必死で我慢していた。

 その瑞々しい唇から血を頂戴したらどんなに美味しいだろうか、と想像するに留めておく。


 呼吸の限界がやってきて、どちらからともなく離れる。



「……月波」


「は、はじめて……ほわぁ……」


「月波」


「ひゃっ……な、何よ」


「今は、これが俺にできる精一杯だ。俺が大人になってちゃんと結婚できるようになって、そのときも月波の気持ちが変わらなかったら、そのときは――」


「今度こそ悪い病気にかかっても平気ってことね!」


「え? いや、うん、そうなんだけど……」



 雰囲気がぶち壊れたんだが。

 というかどんどん月波がぽんこつになっていってる気がする。



「――そのときは、吸血鬼らしく襲いに行ってやるよ」


「ふふふ。頼みましたよ。弓馬くん」



 このときの月波の、妖艶とも言えるような顔は、その敬語の破壊力も合わせて、俺の頭から離れることはなかった。

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