二章 人形少女と夢見る刺客の揺籃

45.《覚醒》


 彼女が初めて目を開けた時、真っ先に感じたのは『暗い』という感覚だった。


 無機質なコンクリートに四方を覆われた、広いばかりの部屋。

 高い天井から乏しくまばらな人工の照明が白々とした灯りを落とすそこは、元より十分に明るくはなく、むしろ薄暗く寒々しい場所だった。


 だが――固定座ハンガーに立つにそう感じさせたのは、部屋そのものの薄暗さではなかっただろう。

 決して。


『少尉! 少尉、返事をしろ! くそっ、一体何が起こった!?』


『こちら第二試験庫、事故発生! 待機中の救護班を要請します!』


『同調接続解除、終わった! ギア外せ!』


 怒号と恐慌が満ちる騒然。

 ハンガーに固定された彼女の正面で、まるでそういう形に投げ出された人形のようにぐったりとリクライニングのチェアで座り――目元までを覆うヘッドギアをかぶったまま、死んでいる男。


 肌を刺す緊迫と濃密な血の匂いに張りつめた、ひりつくような空気の重さ。

 その、心と魂を圧迫する『異常』が錯覚させる、彼女が知覚したのはそれゆえの『暗さ』だった。


『生体観測――バイタル:脈拍・呼吸停止。蘇生処置へ移行します』


『いやああぁっ、少尉! 少尉……マキシム……!』


『畜生、血が、血が止まらない。血が……!』


『担架ァ! 担架持ってこいってんだよ担架、早くッ!!』


『何だこの波形……バックファイア? 同調接続の?』


『同調接続を形成していた励起れいき法力だ! じゃあ、マキシムはそれでやられたってのか? どうしてそんな事が』


『……経路が閉じて、行き場がなくなったせいだ。疑似霊脈網群デミ・レイラインとの接続を、せい……?』


機主マスターからの指令を拒絶したというのか! 形成人格もない、《使令人形ゴーレム・タイプ》の操人形マリオノールが、一方的に!?』


 ――機主マスター

 起動前設定インプリントされた情報が、それが何かを教えてくれる。

 

 《操令人形マリオノール》として造られ、世界へ送り出される自分が、これから第一に従いかしずくべき存在。


 命令オーダーを、存在の意義を与えてくれる――誰より何より尊く仰ぐべき、ただ一人のひと。


 リクライニングのチェアをべったりと赤く染め、床に横たえられた今も、総身から染み出す不吉な血だまりを無機質なコンクリートへと広げている、軍装の男――もはやどれほどの楽観で繕おうと手遅れそのものの姿でしかない彼が、自分にとっての機主それなのだと。彼女は、遅れながらに理解する。


(――ああ)


 彼女は理解する。理解が胸を締め付ける。動力基と配線と金属フレームの塊でしかないはずの、その場所を。

 ――ああ、ああ、ああ。ああ……!


『煩ェぞエスメラルダ! 泣く前に手ぇ動かせ!!』


『いや、違う。あれ――』


 士官の一人が、ハンガーに固定された彼女を指差す。その先を追って視線を集中させる人々の姿を、彼女は見ていなかった。


 ――彼女は泣いていた。

 引き裂く慟哭どうこくに喉を嗄らし、あふれる涙に頬を濡らして。


 恐慌と混乱に喚く男達の誰よりも。

 恋人であった士官の惨たらしい有様に泣き叫ぶ女よりも。


 大きな、

 大きな、

 声を上げて。


 GTEM513-LⅥ――L-Ⅵ《メルリィ・キータイト》。


 血臭と死と混迷に塗れた、この世のありとあらゆる祝福から遥か遠く隔てられた、その最果てにうち捨てられたような――それが。


 紛うかたなき、それこそが。


 彼女という存在の覚醒めざめだった。

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