44.それから:ある《幻獣》の、名前にまつわるちいさなおはなし
「やっぱりアークレィがいいと思うんだよね、僕は。こいつだって今はこんなちいさいナリだけど立派な《幻獣》なんだし、箔がつく名前のがいいよ」
「ガルム=エインシェントブリリアンⅢ世」
「まだこの子が《幻獣》だって決まったわけじゃないでしょ? ていうかどこの何さんの名前よそれ」
「確か、アークレィ・テオヴァルト――ええと何だったかな。とにかく、大陸で魔王を封印して聖王国を復興させた偉大な建国王がそんな名前で」
「何よメガネ、めちゃくちゃうろおぼえじゃない! 却下よ却下そんなあやふやな名前、つけられるわけないでしょ!?」
「ガルム=エインシェントブリリアンⅢ世」
「ドニー・ポワソン! ドニー・ポワソンにしよ! でなかったらラーヴァルト・セイブレム!」
「どっちも小説のキャラクターじゃない! 却下却下!!」
「ええー!? なんでさぁ、ラフィ」
かっこいいのに――とランディは唇を尖らせるが。
一方のラフィは、反駁する従兄弟をキッと正面から見据えて曰く、
「名前は一生のものなんだから、そんな適当につけていいものじゃないの! 小説なんてそのうち完結してめでたしめでたしになっちゃうけど、その子はその後だっておんなじ名前のままなんだからね!」
厳しい口調で、ラフィは喝破する。
「だから、名前はこの子のための、きちんとしたのにしてあげなきゃダメなの!!」
「うぅ……」
返す言葉もなく、ランディはしょぼくれた。
従姉妹のラフィのいつになく真剣な物言いに、「確かにそのとおりかもしれない」と腹落ちしてしまっていたせいだが。
「ガルム=エインシェントブリリアンⅢ世」
「ガルムなんたらはナシって何度もゆったでしょーがリテークううぅぅぅ!!!」
「ラフィ落ちついて! 落ちついて……っ!」
肋骨の隙間に薄刃を差し入れるように幾度もその名を差しはさむリテークに、とうとうラフィは怒鳴り声を上げて喚く。
頭のてっぺんから今にも湯気をふかんばかりの有様で、フェアブロンドのツインテールが猫のしっぽみたいにぶわっと膨らんだようにすら錯覚する――というのはさすがにランディの気のせいだが、とにかくそれくらいの迫力ではあった。
「……いい? マロンちゃん。あなたの名前はマロンちゃん。ね?」
「そこォ! エイミー抜け駆けしない! ちょっと目ぇ離した隙にしれっと何やらかしてくれてんのあんたはぁ!!」
「ふ、ふえぇん……」
臆病で引っ込み思案のエイミーは、耳元でラフィに怒鳴られて今にも泣きださんばかりの涙目だったが。けれど、今回ばかりは、さすがに庇おうとする声はあがらなかった。
ユーティスは無論のこと、リテークのぼんやりした眦も、心なしか今は冷ややかに見えた。
森の『迷宮』で、白くてフワフワした子犬みたいな姿の《幻獣》――と、思しき生きもの――を保護した、その後。
日もとっぷり暮れた時分、ランディたち五人はランディの家にいた。
理由はただひとつ。
《幻獣》の名前が決まらなかったせいであった。
毛並みが綿あめみたいにふわふわしていて、しっぽまでふわふわ。
脚はあまり長くなかったけれど、代わりに太くてがっしりしている。
形よく伸びた口吻とくりっとした黒目の目立つ、一目でそうと分かる整った顔立ちをしていて、斜め後ろに伸びたぴんと長い耳が特徴的。
『遺跡』の隠し部屋に一匹だけ取り残されていた、卵から生まれたばかりの幻獣の名前をどうしようか、と――帰り道で口にしたのは、幼馴染の中で一番小柄で大人しいエイミーだったが。
それを皮切りに、クラスでいちばん頭のいいユーティスも、従姉妹のラフィも、果ては日頃ぼんやりして口数の少ないリテークまでも次々と思いついた名前を挙げはじめ――
結局、それは森を出た後もいっかな収拾がつかず。
なので、こうしてみんなでランディの家に集まってソファセットの応接を囲み、白い《幻獣》の名前を決める話しあい――なのか、怒鳴りあいなのか――みたいなものが、完全に日が落ちた今に至るまで続いていたのだった。
「ただいまぁ」
その時。玄関から響いた声に、ランディは「あ」と声を上げる。
「お帰りなさい、ユイリィおねえちゃん!」
「ただいまぁー」
間延びした声で帰宅の挨拶を繰り返し、ソファセットのある一番広い部屋にユイリィが姿を見せた。
「みんなのおうちに行って、お父さんやお母さんとおはなししてきたよ。今日のお夕飯は、ランディちゃんのおうちでみんなで食べます、って」
「ありがとうございます、ユイリィさん」
ソファから真っ先に降りて、ユーティスが折り目正しく頭を下げた。
地元の名士である町長クローレンス氏の長男である彼は、こうしたところの教育もしっかりしている。
「うちの父と母に、何か言われたりしませんでした?」
「ううん、へいき。エイミーちゃんやリテークちゃん――それに、ラフィちゃんのおうちもだいじょうぶだったよ。おうちのことは気にしなくていいし、ユイリィにおまかせします、って」
にっこり微笑んだユイリィがそう請け負うのを聞いて、ラフィがほっと胸をなでおろしていた。
家が宿屋を経営しているラフィは、学校から帰った後には宿の仕事のおてつだいをしている。が、今日のところはそれも免除してもらえることになったみたいだった。
「それよりみんな、その子の名前はもう決まったの?」
「いえ、それがまだ……」
ユーティスが力なく首を横に振る。
一同の視線が集まる先――ソファの足元では、ちいさな白い幻獣が、床に背中を擦り付けるようにごろごろと転がっていた。床が気持ちいのか、目を細めながらくぅくぅとちいさな鳴き声を零れさせていた。
「そっかぁ」
と、ユイリィは一度頷くと、
「なら、みんなはおはなしを続けてて。ユイリィはその間にお夕飯の支度しちゃうから」
「えと、あの。わたし、てつだいますっ」
「あ、ぼくもっ」
エイミーが申し出るのにつられる形で、ランディも手を挙げる。
ユイリィはそんな二人に好ましげに笑みを深くしながら、しかし、ふるふるとかぶりを振った。
「ありがと。でも、ご飯はもうおひるのうちにひととおり作ってあって、あとはあたためなおすだけだからね」
なので、と。
薄い胸元に軽く手をあてがいながら、明るく請け負う。
「なので、ユイリィひとりでだいじょうぶなのです。まかせて」
ふふん、と自慢するように鼻を鳴らすと、ユイリィは軽やかに踵を返して台所へ入っていった。
そんなユイリィを見送っていたランディ達だが――その背中が見えなくなると、あらためて額をつきあわせるようにして向かいあう。
「――じゃあ、あたし達はユイリィさんのおことばに甘えて。この子の名前、どうしましょうか」
一同を見渡すラフィ。
息を詰めるようにして考え込む沈黙が、応接のテーブルに重たく垂れこめる。
「ジークフリートはどうかな。ジークフリート・フェインニールっていう、大昔に《
「ガルム=エインシェントブリリアンⅢ世」
「あのねぇ――」
「ふたりとも」
呆れ顔のラフィがまくしたてるよりも早く。
殊更に「怒ってるんだよ?」と言いたげに細い眉を吊り上げながら、エイミーがほっぺたを膨らませていた。
「ふたりとも、もっとちゃんと考えようよ……この子の名前」
「いや、なに言ってるのさエイミー。ちゃんと考えてるし、だからさっきから由緒ある立派な名前にしようってさ」
抗弁するユーティス。リテークもそうだそうだと言わんばかりに何度も頷く。
だが、エイミーはちいさく息をつくと、
「ふたりとも、ずぅっと男の子の名前ばっかりだけど……この子が男の子なのか女の子なのかって、ちゃんとわかってる……?」
――あ。
絶句する呻きが重なった。
完全に盲点だった。恐らくだが、ユーティスもリテークもそうだったのだろう。
「え……じゃあ、この幻獣って女の子だったの!?」
「ううん。それは、そうじゃないんだけど」
ランディの引き攣った問いかけに、ふるふるとかぶりを振るエイミー。
「わたしもそういうの、わからないから……だからね、この子のお名前は、男の子でも女の子でも、どっちでも困らない名前がいいかなぁ、って」
ランディはユーティスと、互いの顔を見合わせた。リテークは遠くを見る目をしながら、そっと天井を仰ぎ見た。
――完全に、幻獣を『男の子』だと思い込んでいた。頭から。
だが、確かにそうだ。そうと決まった訳ではない――確かめ方がわからないし、そもそも性別を確かめるという発想自体が抜け落ちていた。
「でもさぁ、あたしはエイミーの名前もどうかと思うわよ? マロンちゃんっての」
「えっ!? そ、そうかなぁ、かわいいと思うんだけどな」
「今はね。でも、この子べつにマロンちゃん要素ないし。それにこの子が将来大きくなったらどうなるか――それだってわからないわよ?」
「あぅ」
と、ちいさな鳴き声を上げて、肩を縮めるエイミー。
「確かにその通りかもしれないけどさ、ラフィ。それを言い出したらいつまで経っても決まらなくないか?」
「それは――」
ユーティスの指摘に、ラフィはかっと歯を剥いて反論しかけたようだったが。
結局、喚きだすより先に口を閉じて考え込んだ。
「……じゃあ、メガネはどうするのがいいってゆうのよ」
「僕の意見は最初から変わらないよ。《幻獣》らしい箔のつく名前がいい。男でも女でもいい名前っていうのが、すぐには思いつかないけど――」
「わたし、ラフィちゃんのゆってた名前が素敵だと思ったよ。
エイミーが明るく言うと、再び思案の気配が一同の間に漂う。
やがて、例によってユーティスが真っ先に口を開いた。
「……まあ、確かに。妥当っていうか、悪くないとは思うよ。僕も。箔はあんまりないけど」
「なーんか引っかかる言い方ね」
「他意はないよ。もっとふさわしい名前はあるかもしれないけれど、今のところ僕には思いつけないし」
ユーティスはリテークを伺うが、リテークはさっきからぼんやりと天井を見上げたまま、何を言う様子もない。
ラフィもエイミーも口を閉じて、周りの反応を見る方に回っている。
新しい案が出なくなった。それで何となしに、その場の空気が結論の方向へと傾きはじめる。
が――
「んー……」
「? ランディくん、どうかした」
「えっと……ごめん。たぶんこれぼくのワガママだと思うから、ダメならダメでいいんだけど」
ランディはいたたまれない心地で、控えめに手を挙げる。
煮え切らない従兄弟の様子に、ラフィが眉根を寄せて唸る。
「なによランディ、言いたいことあるなら早く言いなさいな」
「フロスって名前なんだけど……できれば違うのがいいなぁ、なんて……」
「何で? 何か気になることでもあるの?」
「気になる……っていうなら、そうなんだけど」
どうにも、歯にものが挟まったような物言いになってしまう――正直、これは完全に、ランディのきわめて個人的な躊躇に由来するもので、声高に訴えるのがためらわれたせいだ。
しかし、やがて大きく息をつくと、ランディはその
「なんかさ。フリスねえちゃんとおんなじみたいな名前で……そういう名前でそいつを呼ぶの、変な感じするっていうか」
「あー」
「そっか……」
口々に納得の声が上がった。
正直なところ、てっきりワガママを言うなと怒られるものとばかり思っていたので、むしろ意外な反応にきょとんとしてしまう。
「その……なんか、ごめん。ラフィ」
「いいわよ、べつに。そもそもこの子、しばらくはランディの家で預かるんだしね」
そこは譲ってくれる、ということなのだろう。
特別気にした様子もないラフィに、ランディはあらためて「ありがとう」と頭を下げる。
「しかしそうなると、また振り出しかなぁ……どうしようか、こいつの名前」
うーん……
と、揃って唸るランディ達。
白い幻獣は完全に暇を持てあまして、その辺を駆けまわりはじめていた。
そんな時だった。
「ごはんできたよーっ!」
明るい声と共に、台所からユイリィが戻ってきた。
両腕で抱えるほどの大きな皿に乗っているのは、ほかほかの湯気を立てるミートパイだった。
刻んだ玉ねぎとニンジン、それからひき肉を混ぜて炒めてソースで味付けしたフィリングを、パイで包んで焼いたものだ。オーブンで焼き直したそれは格子状の蓋になった生地が艶めかしく輝いていて、アツアツのサクサクに焼き上がっているのが漂う香りからだけでもそうと推して知れた。
食卓ではなく、ランディ達が集まっている応接のローテーブルへどんと大皿を置くユイリィ。
とたん、鼻先を肉汁とソースの香りがくすぐって、ランディは思わずごくりと生唾を飲む。
そこまで露骨な反応を見せたのはさすがにランディだけだったが、しかし他の皆も目を輝かせて、食い入るように大皿のミートパイを見つめていた。
その間に――ユイリィは取って返して人数分の小皿とフォーク、それから包丁を持って戻ると、パイを大胆にザクザク切り分け、それぞれの取り皿に分けていった。
「さ、今日のお夕飯です。みんなどうぞめしあがれ」
「「「「「いただきます!!!」」」」――ます」
食前に手を合わせるのすらもどかしいとばかりに、ランディはミートパイへむしゃぶりつく。
「………………!」
――おいしい!!
歯触りのいいパイ生地をサクッと噛みちぎった瞬間、口の中いっぱいにソースの味と肉の旨味が広がる。脂がたっぷり絡んだ挽肉の肉汁に玉ねぎとニンジンの甘さが溶けて、舌の奥まで染み入るようだった。
ランディはアツアツの肉で口の中をヤケドしそうになりながら、「はふはふ」と冷たい空気を取り込んで口の中を冷ましては、大口を開けてミートパイにかぶりついてゆく。
「ユイリィおねえひゃん、これおいひい!!!」
「よかった。お口に合ってなによりだよ」
それから、彼女の足元でぐるぐるしている白い幻獣を見下ろした。
「だいじょうぶ、ちゃんとあなたのぶんもあるよ。はいこれ」
膝を折ってしゃがみ、幻獣の前に木製の深皿を置く。
皿に盛られているのは、焼いた挽肉を冷ましたものである。野菜と混ぜてソースで味をつける前のあまりを、皿に盛ってきたようだった。
幻獣はわずかの間、すんすんと鼻を鳴らして匂いを嗅いでいたが。
それが食べものであると理解するや否や、鼻先を突っ込んでがつがつと食べはじめた。
くぅ。くぅ。
――と、甲高い鳴き声をあげながら。
床へ挽肉を散らかす勢いで、挽肉にむしゃぶりついてゆく。
「ああもう、お肉飛び散ってる。お行儀悪い……」
「今日まで野生にいた子だからね」
むっと眉根を寄せるラフィを宥めるように。
ユイリィは優しい声で言い、幻獣の背中を撫でていく。
「この子がいつごろ産まれたかはわからないけど――でも、こんなにちいさいんだもの。一人じゃ食べものを獲るのもむずかしいし、他の獣にご飯を取られたことだってあったかもしれないね」
白い幻獣はユイリィの手から逃れるようにぱっと動くと、床に飛び散った挽肉を拾い集めるように食べてゆく。
まわりの、他の生きものに餌の乗った皿を奪われたとしても、自分が食いっぱぐれたりしないように。
そのために、あらかじめ皿以外のところへ挽肉をばらまいたのだ。
「だいじょうぶ。ここが誰にもごはんを取られたりしない――安心していられるところなんだってわかったら、この子もきっと、落ちついて食べるようになるよ」
――だから、大丈夫。
一心に食事を続ける《幻獣》の後ろ姿を見つめながら、ユイリィは眦を細める。
くぅ。くぅ。
幻獣が挙げる鳴き声だけが、重たい空気を切るようにして甲高く響いていた。
湿った沈黙が、応接のソファセットに垂れこめていた。
「クゥちゃん……は、どうかな」
「え?」
ぽつりとエイミーが零したことばに、ランディ達は揃って振り返る。
一身に集まる視線に顔を赤くしながら、エイミーは「ええと」と続ける。
「だから、クゥちゃん。くぅくぅ鳴くから、クゥちゃん……」
「……クゥちゃん、ね」
ユーティスがひとりごち、名前の響きを舌の上で転がす。感銘は特にないが、妥協点としてはそんなところ――くらいに思っていそうな横顔だった。
ラフィは乗り気の様子で口の端を緩め、リテークも特に異論はないようだった。
そしてそれは、ランディも同様だった。
ランディが同意を示して微笑むと、幼馴染みの反応をひととおり見渡したエイミーは、ふとラフィを見遣り、
「えっと……フロスと間を取って『フゥちゃん』でもいいかなぁ、なんて」
「いいわよ、そんなとこ気を遣ってくれなくても。クゥちゃんにしましょ」
リーダーを自任する彼女のその一言が、場の空気を完全に決定づけた。
ほっと緊張が解けて、安堵の気配が広がる。
「じゃあ――今日からお前はクゥだよ」
ランディは、足下で挽肉をがっつき続ける幻獣へ呼び掛けた。
必死に食事をむさぼる中でもランディの声を聞き留めてか、ぴんと耳を揺らした白い幻獣は、その顔を上げ――
やがて、「くぅ」と一言。
肯定とも否定ともつかない、甲高い一声をあげたのだった。
【たぶんそれは、とてもとても遠い時代からの《遺産》・(今度こそほんとうに)了】
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