Chapter 1-3
古びた城門を抜けると、彼方から迫り来る鬼たちの姿が見えた。ここが間違いなく魔王城であるならば、あちらは東だ。魔王城より東は、果てのない山脈が連なっている、世界の果てとも呼ばれる難所だ。奴らはそこを乗り越えて来たというのか。
「結花、急ぐぞ。しっかり掴まってろ」
「は、はいっ! きゃっ……!」
結花が返事をしたと同時に、カヴォロスは彼女を抱えて駆け出した。北や南にも世界の果ての山々は延びている。越えて行けば魔族の里がある筈だが、魔王城のこの有様を見るにどうなっているかは分からない。なにより、結花を抱えての山越えは相当難しいだろう。
よってカヴォロスは西へと走った。西にある王国とは即ち、魔王軍と戦いを続けてきたアルド王国である。辰真という青年の言った通りの方角へ逃げなければならないのはまことに業腹であったが、それ以上にまさかこの四魔神将カヴォロスが西へと落ち延びなければならないとは。
カヴォロスとしての矜持は完全に引き裂かれていたが、竜成としては内心ほっとしている所ではある。状況が未だ不明瞭な以上、決して楽観視する事はできないが、ようやく普通の人間と会話できる機会があるかもしれないというだけで有り難かった。
相反する思いを胸に抱きながら、カヴォロスは進む先に見えてきていた森の中へと飛び込んだ。魔王城とアルド王国を隔てるように存在するこの樹海は、慣れない者が抜けるには早くても二日は掛かると言われる、天然の防壁だった。無論、隅々まで知り尽くしているカヴォロスには一日も必要ないのだが。
ある程度奥まで進むと、鬼どもの気配が遠ざかっていくのを感じた。正確には、奴らは魔王城で足を止めているのだろう。
「よし、もう大丈夫みたいだな」
と、カヴォロスは結花を地面に降ろしてやる。
「あ、ありがとう……ございます」
「いや、別に敬語じゃなくていいんだけどさ」
礼を言いながらも不安げな表情で見上げてくる結花を前に、カヴォロスとしても竜成としてもどう説明したものかと頭を掻く。
「……取り敢えず、ここには日本にいない虫やら植物も多いからな。そういうのに狙われないように加護を掛けとくよ。俺はあまり術の類は得意じゃないから、気休めにしかならないかもしれないけど……」
と、カヴォロスは魔力を起動させる。この世界では、生物の持つ超常的な力の源を総じて魔力と呼んでいる。これを用いて引き起こした超常現象が、魔術だ。厳密な学問に於いては、魔法・魔術・魔力と分類されるそうだが、力自体が魔力・それを使うのが魔術という認識が一般的である。
ともかく、カヴォロスは掌に意識を集中し、魔術を行使する。対象の身体を魔力で包み、害のある虫などを寄せ付けなくするという、初歩的な魔術であるのだが、カヴォロスはどうしてもこういった精密な魔力操作が苦手だった。
それでもなんとか、魔術として形にする事はできた。結花を対象に、魔術は効果を発揮する――筈だったのだが。
「きゃっ!」
淡く銀色に輝く魔力の膜が、結花の身体を包もうとした時だ。突然、それは泡のように弾けて消えてしまった。破裂音に声を上げる結花と、それを見て目を見開くカヴォロス。魔術行使を失敗した訳ではない。結花の中から確かな抵抗を感じた。結花の魔力がカヴォロスの魔力と反発し、結果、拒絶されたのだ。
「大丈夫か、結花」
「は、はい……」
結花は何が起こったのか分からない、といった調子である。自分の中にある魔力に無自覚なのが見て取れる。
初歩的な魔術とは言え、カヴォロスの魔力は強大である。跳ね除けるにはそれ相応に強い魔力でなければならないが、ここまで見事に、しかも一瞬で拒絶できる魔力となるとカヴォロスには心当たりが一つしかない。
再び意識を掌に集中する。その手に魔力を纏わせて強化する、結花に対して用いようとした魔術を自分自身に使っただけのものだ。そのまま結花の肩に触れてみると、やはり魔力は弾けて霧散する。
「……成程な。悪い、念の為に確認してみただけなんだ」
またも魔力が弾けた事で怯えたような表情を見せる結花に、カヴォロスは頭を下げて謝罪する。
ようやく状況が呑み込めて来た。カヴォロスは顔を上げると、自身が理解できた範疇で結花に現状の説明を始める。
「改めて言うけど、俺は宮木竜成だ。けど、この身体は四魔神将カヴォロスっていう、この世界に生きてた魔族のものなんだ。なんでかは分かんないけど、俺とカヴォロスの身体はこうして一つになっちまったらしい。ほら、昨日飲み会があっただろ? あの後目が覚めたら突然こうなっちゃってて……」
「飲み会?」
「へ? いや、昨日サークルの皆で行っただろ」
「サークル……?」
カヴォロスの説明に、結花は全くピンと来ない様子を見せる。と言っても、どうやらカヴォロスが竜成と同一人物であるという事実は呑み込めてきたようで、物怖じしなくなってきている。
カヴォロスは背中に冷や汗が流れるのを感じた。まさか、ここで竜成の記憶が疑わしくなるとは思わなかった。いや、だが途切れるまでの記憶は確かだ。結花もその場にいた筈なのだが、まさか彼女に限って記憶がなくなるまで飲み明かしたという事はあるまい。
そういえば彼女の姿が、記憶よりもどこか幼いのは何故だろうか。高校生か、大学生に成り立ての頃くらいに見えるのだが。答えは当人から返ってきた。
「私たち、まだ高校生だよ?」
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