青春を想う

夜星ゆき

青春

「まゆちゃん」

放課後の、私の他には誰もいない教室。

不意に自分を呼ぶ聞き慣れた声に、心臓が跳ねる。

「ともきくん」

振り返れば、教室の後ろのドアによりかかったともきくんがいた。

「よっ」

にかっと笑う笑顔が、バスケのユニフォームに映えて、まぶしい。

私はずっと握っていたペンを置いて、身体をドアのほうに向けた。

すると彼は私の机のすぐ横まで歩いて来て、私の解きかけのノートをのぞきこんだ。

「今日もおべんきょ?」

「うん。今日は古文にしたの」

自分のノートを見られるのはちょっと恥ずかしいけれど、今日は得意な古文だったからたくさん間違えているというわけでもないし、まだ良かった。

「おお、それは楽しそうでなにより。まゆちゃん古文好きだもんな」

「うん。大好き」

勉強は嫌いじゃない。特に古文は、昔の人たちの優雅な生活を知れて、自分も平安時代の貴族になれる気がして、すごく楽しい。

「すごいよ、毎日勉強頑張ってて」

「ふふ、ありがとう」

子どもみたいに目を輝かせて褒めてくれる彼を見て、思わず笑みが零れてしまう。

「ともきくんも……部活、頑張っててすごいよ」

それは、紛れもない本心だった。

「え?そうかなぁ?…ありがと」

ちょっと視線を外して、照れくさそうに頬をかく。

褒められなれてないのかなと思うほどに、ともきくんは褒められると照れてしまうのだった。

「まあ俺は、毎日無我夢中でやってるだけなんだけどね」

そう言ってはにかむように笑う彼を見て、思わず零れた。

「……青春、だね」

私の言葉を聞いたともきくんは、ちょっと驚いた顔をして私を見た。

「へへっ、そうかも」

一瞬の間の後、彼はまた笑顔になった。

その笑顔が眩しくて、そう、きっと眩しかったから、私は少しだけ、目の前の輝きから目を逸らしてしまったんだ。

「聞いてよまゆちゃん、今日はシュート練で吉永がスリーポイントの練習しててさー」

今日の部活であったことを楽しそうに話す彼を見ながら、少しだけ心に影が差していくのを感じた。



キーンコーンカーンコーン

やっと授業がおわった……。

この無機質な音が、お腹と背中がくっつきそうな今の私にはすごくありがたかった。

「まゆちゃぁん!」

そそくさと教科書類を片付けて、お弁当を広げ始めていた私は、前からものすごい勢いで走ってくる人を見てとっさに横に飛びすさる。

ガッシャーン!という音のしたほうをおそるおそる見ると、私の机のさらに向こう、教室の後ろの壁にあるロッカーに激突した友人がいた。

はぁ……危なかった、あやうくあれに巻き込まれるところだった…。

私は弁当を死守できたことに安堵しつつ、頭を抑えて悶絶している友人に近づいた。

「だ、だいじょうぶ?りーちゃん」

俯いていて顔はよく見えないけど、まさか泣いてる…!?

「まゆちゃん…」

「な、なに?」

肩を震わせたりーちゃんは、ばっと顔を上げ、1枚の紙を突き出した。

「このプリント、締切いつだっけ!」

……え?

「あ、明日……だけど……」

予想外の言葉になんとか答えると、りーちゃんの顔が真っ青になっていく。

「………………終わった……」

な、泣いてるわけじゃない……?

「だいじょうぶ、まだ時間はあるよ。私も手伝うから、頑張ろう?」

そう言うと、りーちゃんの瞳がぱっと輝いた。

「ほ、ほんと?」

私は肯定の意味で、首を縦にふる。

「古文は得意なんだよ」

りーちゃんはさらに瞳をキラキラさせて、

「ありがとうー!」

と飛びついてきた。

だいぶすごい音がしたのに、何事もなさそうに振る舞うりーちゃんは、やっぱり丈夫なんだろうと思う。

「まずご飯食べよ。おなかすいちゃった」

「そうだね!私もぺこぺこだよぉ」

私が広げかけたお弁当をもう一度広げて待っていると、お弁当を取ってきたりーちゃんが隣に座った。

「高井さん」

「ん?」

まさに食べ始めようというときに、りーちゃんを呼ぶ声。

「明日の委員会なんだけど──」

同じ委員会の子みたいだ。

「ごめんまゆちゃん、先に食べてて」

「だいじょうぶ!お仕事頑張ってね」

Vサインを見せてくれたりーちゃんは、委員会の子と一緒に教室を出てしまった。

もうお腹が限界で、一口だけご飯をほおばる。けれど、やっぱりお仕事を頑張っているりーちゃんに悪い気がして、お弁当箱に蓋をした。

10分たたないうちに、廊下からトタトタトタッという足音が聞こえてきた。

「たーだいまー!」

「おかえり、りーちゃん」

走って戻ってきたようなのに、少しも息が上がっていない。

さ、さすがりーちゃん…。

「さ、お昼食べよっと」

今日はハンバーグなんだぁと、大好物に胸を躍らせながらお弁当を開いていく。

と、背が高くスラッとした、バスケのユニフォーム姿の女の子たちが教室に顔を覗かせた。たくさんの高身長の子たちが集まると、迫力がある。

「莉子ー!昼練いくよー!」

ハンバーグを口に入れる直前だったりーちゃんは、大きく口を空けた状態のまま一時停止している。一旦ハンバーグを置いた彼女は、教室の前方に返事を投げた。

「行くー!けど待ってご飯食べる!」

「まだ食べてないのー?」

「時間なくなっちゃうよー」

女の子たちが一斉に話すと、ガヤガヤとしてしまっていまいち聞き取りづらかった。

こ、これ、何人いるの…?

「わかってるわかってる、先にコート行ってて」

りーちゃんの言葉を受けて、バスケのユニフォーム姿の人たちはぞろぞろと去っていった。

「はぁ…ハンバーグやっと食べれるよ」

さっき委員会の仕事もしてきたからか、りーちゃんは少し疲れた顔をしている。

「ふふ、りーちゃん人気者で大忙しだ」

彼女はクラス委員で、生徒会の会計もやりながら、文化祭でも体育祭でも実行委員をやって、部活までやっている。

私には到底できない量の仕事を、きっちりこなしてる。

「いやぁ、自分でやること増やしちゃってるだけなんたけどね」

あははっと笑う彼女も、私には眩しく見えるんだ。

「よし、食べ終わった!」

言い終わると同時にほぼ片付けも終えて、そのまま机の横にかけてあったユニフォームを手に取る。

「じゃあ行ってくる!」

「うん、頑張ってね」

「ありがとうー!」

言い終わらないうちに、もう彼女の姿は見えなくなっていた。

ふふ、速いなぁ。

なんだか嵐のようなのに、なぜか微笑ましくて、自然と笑みがこぼれる。

よし、私も食べ終わったら勉強がんばろう!

「綾瀬さん」

「え?」

普段呼ばれることのない人に急に名前を呼ばれて、ビックリしてしまう。

「どうかしたの?佐藤くん」

用件を聞くと、佐藤くんはなぜか少し顔を赤くした。

「ええっと……俺、高井さんと仲良くなりたくて…」

ははぁ、そういうことかぁ。

りーちゃん、モテるなぁ。

こういう感じに、りーちゃんのことを知りたいからって私に話を聞きに来た人は、今までも何人かいる。

「部活のことはわからないけど、それ以外のことだったら…」

「まじ!ありがとう!」

こうやって恋に頑張る子を見ると、応援したくなっちゃうんだよなぁ。

「私にできることなら、なんでも──」

「あれ、っていうか高井さんと綾瀬さんって同じ部活だから一緒にいるんじゃないんだ?」

「え?」

「いやーなんか、系統違うっていうか?あんまり一緒にいなそうなタイプだから」

佐藤くんの発言の意味がわからなくて、でも胸がひどく冷えていくのを感じて、とっさに言葉が出てこない。

「…い、いや、私部活はやってなくて…」

なんとか絞り出した言葉を遮るように、佐藤くんが驚きの声を上げる。

「えー!部活やってないの!?部活ってザ・青春って感じじゃん!もったいないよー!」

もったい、ない…?

「綾瀬さんもなにか部活やったらいいのに!高校で部活やらないと青春に逃げられるよ!なーんて」

青春に、逃げられる…?

「…?綾瀬さん?」

佐藤くんに顔を覗き込まれて、ハッと我に返る。

「あ、え、えと、何の話だっけ…」

「え?だから、高井さんの話を聞かせてっていう話」

そ、そうだ、りーちゃんの話を…。

彼の言葉が身体中をグルグルと回って、その後のことは何も覚えていなかった。



目の前にあるノートは、問題番号以外、真っ白。

手の中のペンも、ノートの上に添えているだけで、動こうとしない。

ダメだよ、頑張らなくちゃ。

頑張らなくちゃ…。

「どうしたの?まゆちゃん」

ハッとして、顔を上げると、目の前にともきくんの心配そうな顔があった。

「あ、あれ?いつのまに…?」

私は驚きと動揺を隠せずに、ともきくんの顔を見つめ返す。

「結構前からいたよ?聞こえてないみたいだった」

「そっ、か……」

ともきくんの声を聞き逃したことなんてないのに。

どうしちゃったんだろう。

というか、あれからどのくらいの時間、経った…?

どのくらいの時間、無駄にしちゃった…!?

「い、今何時!?」

思わず、ともきくんの腕に縋り付く。

「えっ、ろ、6時だけど…?」

彼は戸惑いながらも、教室の掛け時計が示す時間を教えてくれた。

「6時…」

ということは、帰りのHRが終わってから、2時間ちょっとは経ってる、ってことだ。

そんなに無駄にしちゃったんだ……。

ともきくんは、黙り込んだ私を見て、真っ白な私のノートを見て、意を決したように、口を開いた。

「…何かあったの?」

真っ直ぐに、こっちを見てくる瞳に、一瞬だけ気圧されそうになる。

「う、ううん、何でも……」

私は無理やり笑みをつくって、取り繕う。

ともきくんに、心配かけたくない。

彼は私の瞳を見て、何度か口をパクパクさせていたけれど、

「………そっか」

とだけ言った。

「じゃあ、いつもみたいに、俺とお話ししてくれる?」

彼の笑みが、優しさが、私の中の黒々としたものを、少しだけ取り払ってくれた気がしたた。

「……うん」

「やった、ありがとう!今日はね、俺もスリーポイントの練習してたんだけど…」

私が落ち込んでいるから、彼がわざと明るく振舞ってくれているのがわかる。

本当に優しい人だな。

できるだけ明るい、楽しげな口調で部活の話してくれている彼は、本当にキラキラしていて。

いつもは平気なのに、なぜか今日は、ぽろっとでてしまったんだ。


「いいなあ……」


驚いて、自分の口に手を当てる。

今、私なんて言った?

いいな…?

突然の私の言葉に驚いて話すのをやめた彼は、ためらい気味に口を開いた。

「……まゆちゃんは、部活やらない───」

「やらないよ!部活なんて!」

私が立ち上がった拍子に、椅子が大きな音を立てて倒れた。

“部活”という言葉で、私の身体を駆け巡っていた黒いものが胸のあたりに集結して、苦しくて、痛くて。

「…まゆちゃん?」

「やらない……やれない、んだよ…」

涙が溢れて、止まらない。

ああ、そっか。

うらやましかったんだ。

憧れて、いたんだ。

部活をやっている人に。

……青春に。

「そっか」

彼は優しく微笑んで、私の両手を握ってくれる。そして真っ直ぐに私の瞳を見る。

「俺だって、頭が良いわけじゃないけど、なんにもわかってないわけじゃないんだよ」

私はただただ、泣きながら彼の言葉を聞く。

「まゆちゃんが部活に憧れを持ってるのも、持ってるのに入らない……入れない理由があるってことも、ちゃんとわかってる。……理由はわからないけど、まゆちゃんが決めたことだから、俺は応援しようって、思って。俺が部活の話したら楽しい気持ちになってくれるかなって、顔に影がさすことも減るかなって」

「と、ともき、くん…?」

彼の顔には、いつものまぶしい笑顔じゃなくて、悲しい笑みが乗っていた。

「でも、それでまゆちゃんに悲しそうな顔させてたんなら、意味ないよな」

「そ、そんな、こと……」

ともきくんと、話していて、楽しくなかったことなんてない。

なかったのに、私は、悲しい顔をしていたの……?

「全部、聞かせてくれないかな?悩みも、不安も、俺に」

涙が、止まらない。

黒いものが、ずっとずっと溜まってきた黒いものが、溢れていく。

「……小学生の時、お母さんと、お父さんが、離婚したの」

「…うん」

「…母子家庭になって、本当にお金がなくなっちゃった。学校行くのって、すごくお金がかかるんだよ」

彼は私の手を握りしめたまま、静かに聞いてくれている。

「……お母さんは私と大学生のお姉ちゃんの学費を払うために、一生懸命働いて、家事もやってくれてる。お姉ちゃんも、卒業して働き始めたら、私の学費を払う、って言ってくれてる」

優しい家族の顔が、目に浮かぶ。

「……だからね、だからこそ、私は特待生になれるくらい勉強頑張って、奨学金もらわなきゃいけないんだ。そのために、部活はやらないで、勉強頑張るって、決めたの」

一瞬も目を逸らさずに、本当に真っ直ぐに見つめてくれる彼の瞳が、心に少し余裕を作ってくれる。

「……でも、部活を諦めなくちゃいけなかったのは……つらかった」

誰にも、言えなかったこと。

「私だって入れるなら入りたい。うらやましい」

家族にも、言えなかったこと。


「……私だって、青春したかった」


また、涙が溢れる。

自分の気持ちをはき切って、黒いものを、一緒に洗い流すように。

ともきくんが、優しく抱きしめてくれる。

その温もりに、強ばっていた身体も、心もほぐれて、さらに涙が流れてしまう。

「……うぅ、ひぐぅ、うわぁぁぁぁん」

もう、溢れて溢れて、止まらない。


「……落ち着いた?」

何分泣きじゃくっていたかわからないけれど、流れ出る滝のような涙がつきた頃に、彼がハンカチで優しく顔を拭ってくれる。

泣きじゃくってしまった恥ずかしさやら、抱きしめられていた恥ずかしさやらで、きっと私の顔は真っ赤っかだ。

「も、もうだいじょうぶ、だよ!」

私は胸の前で両拳を作って、元気だよ、というポーズをとる。

「無理しなくて、いいからね」

「……へへ」

もう、取り繕っても意味ないか。

全部ぶちまけちゃったもんね。

不思議と今は、落ち着いている。

「まゆちゃんが、話してくれたことだけど」

「うん?」

ともきくんが、少し躊躇いを見せたあと、意を決したように口を開いた。

「まゆちゃんが、部活に入るのは、難しいかもしれない」

「うん、そうだね」

もうそれは、わかってるんだ。

「でも、青春は、部活だけじゃないって思うから」

「え?」

彼の瞳は、いつだって真剣だ。

「俺がまゆちゃんといるのだって、青春だって、思うから」

彼は、そこで一度言葉を切って、言った。


「好きなんだ」


「……へ?」

彼の真っ直ぐな瞳を見つめていた私は、突然の言葉に、ただ間抜けな声を出してしまった。

「好きなんだ、まゆちゃんとお話しする、この放課後の時間が」

「あ、そ、そ、そういうことか!」

も、もう脳がキャパオーバーで顔は真っ赤を通り越して火が出ちゃってるよ!

そうか、もう一つ、わかった。

「……私も、好き」

今度は、ともきくんが驚いて固まってしまった。

「ふふ」

そうだ。

私は、私も、好きなんだ。

ともきくんとのこの時間も、ともきくんも。

「ありがとう」

大好きな彼には、助けてもらってばっかりだな。

「これからも仲良くしてくれるかな……ともくん」

彼は、ともくんは、目をまん丸にして、しばらく固まってたけど。

顔を赤く染めながら、とびきりの笑顔を見せてくれた。

「もちろん!」


私との時間を好きだと言ってくれた彼と、私が大好きな彼とのこの時間が、この眩しい世界が、いつまでも続きますように。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

青春を想う 夜星ゆき @Nemophila-Rurikarakusa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る