第4話
二日目・正午前――Side-Miche & Sacnya
「ねぇねぇミッこ~」
「仕事中なのですから余計な私語は控えてもらいたいのですが……無理よね」
「うん~無理~!」
「――なら、手短にお願い」
「あのさ、師匠が不審者を探して来ーいっ! って言ったけどさ、不審者がこの島にいるのが分かってるなら見た目とかの情報がウチ等に入って来ないのはおかしくない?」
「そうですわね――でも、あの人の事だから魔力の気配なり空間の揺らぎなりのわたくし達では分からない方法で不審者の存在を認識した可能性もあるわ」
魔術・体術・多種多様な武器の扱いなど一般人ではおおよそ関わることのない技能を持ち、それ以外にも異なる世界を渡り歩くようなファンタジー成分を多分に持ち合わせたオーバースペックの持ち主な二人の師でもある葉神アロエ。そんな彼女の前ではどのような生物も隠れ通す事など出来ないと思っていたのだが、今回は不審者が入り込んでしまった事のみ判明しており、それ以外の情報が無い事からミシェは隠密性に長けた人物の仕業ではないかと睨んでいる。
「……師匠ですら大したことが分かっていない相手を見つけるって――いじめ?」
「無茶苦茶する人ではあるけど流石にそれは……むしろあの人が異常だから何らかの対策を取られていると考える方が良いかもね」
「あ~それなら納得。うん、そういう事にしておこう」
自分の中で妥協できる点を見つけると、すぐにそういう事なのだろうと帰結した。
「それでミッコ……どこから探していく?」
「それは自分の感覚に聞いて欲しいわね。修業時代の貴女はわたくしはおろか、インチキをして隠れていた先生すら見つけられるぐらい感覚が鋭かったのですから」
「あ、あれは勘というか……たまたま危険な気配が分かった? みたいなものだし」
「今はその勘だけが頼りなの。どう? なにか感じない?」
「う~ん、どうだろ……」
手掛かりは現状何もないのと同義だ。ならばやれる事をやるという事に異議はない。そういう訳でサクニャは目を瞑りながらゆっくりと感覚を研ぎ澄ませていく。そしてその場から動かずに察知できるかどうか分からない気配を探り始め、数秒経った頃にいきなりサクニャが「ビクンッ!」と体を震わせた。
「あっ――! なんかアッチから嫌な感じがするかも」
「見つけたのっ!」
「多分あっちの方……でも、すっごいヤバそう」
サクニャがある方向を指さす。だがその指先は尋常ではないくらい震えており、その先にいるナニかの恐ろしさを示す度合いとも見て取れる。
「ヤバいって……どのくらいか説明出来ますの……?」
「――前に一回だけ師匠がキレた時あったっしょ。その時のヤバさくらいはあるかも」
「……どう楽観的に捉えてもわたくし達が関われるレベルをはるかに超えていますわね、それは――」
サクニャは修業時代に一度、自身の成長を師であるアロエに見せるために身の丈に合わない行動をして自らを危険に追い込む事をしてそれをアロエに咎められた過去があった。
その時にこってりと絞られた時のアロエの迫力たるや、全身の毛が逆立って抜け落ちそうなほどの恐怖を覚えたものだ。
そして今、あの時の恐怖に再び向き合うかのような相手の所へと赴こうとしている。
「そう、そうなんよ! ……もうウチの足なんてガックガクで、これ以上進めそうにないっぽい」
見るとサクニャの足が震えているがそれだけでなく、腰が抜けてその場にへたりこんでしまっていた。
「感覚が鋭すぎるのも難儀なものですわね。サクニャ、貴女はそこで待っていて。わたくしがこの先の様子を窺ってきます」
「ゴメンねミッこ……なんか一人で任せるような形になっちゃって」
「気にしてませんわ、そんな事。では、行ってくるわね」
そのままミシェはサクニャをそこに残し、サクニャが指し示していた所へと向かう。
「なにかしらあそこ?」
サクニャが指し示していた場所へ歩を進めていくと、唐突に道が崖で途切れており、もう少し進んでみるとそこは巨大な円形型で底まで螺旋状に道が続いている岩場であった。
「所々石を切ったような形跡にこの形状、採石場……でしょうかここは? しかし、これは……」
どうやらここは採石場らしく、所々で岩場が段々になっているのも見受けられる。
「……調査の為とはいえ下まで降りて行くのは骨が折れそうですわね」
底まで深さが目算で7・80メートル程あり、しかも螺旋状になっているとあっては体力に自信のないミシェでは途中で休憩を入れる必要があるだろう――とも考えていた。
「しかもスタートはあんなに遠く。飛び降りてショートカット……も出来そうにありませんわね」
下へと降りる為の入り口となる場所はちょうどミシェがいる所とは正反対で直線距離で150メートル程。飛び降りて近道を図ろうにも一段が5メートル程もある段差では、身体能力が並程度しかないミシェでは怪我をしかねない。
「……あら? 今、何か見えた様な……」
余計な近道などせず道なりに進んで行こうとしたその時、ふと岩場の底の方で人影の様なものがチラリと見えた気がした。
「双眼鏡……双眼鏡……と」
すぐさま双眼鏡を取り出して人影があったらしき場所を覗いてみると、岩場の最深部に横穴が開けられており、そこに二人分の影が覗いているのが見えた。
「あれが先生の言っていた不審者……ですわね。間違いなく」
岩場の影で全容は窺い知れないが、一人は全身を鎧兜で隙間なく纏った性別不明の人物。もう一人は銀色の長髪に真っ赤なハーフコートに色気のない真っ黒なスカートを履いた――おそらくは女性だと思われる――人物がおり、その二人の仕草から何か話し合っている事が窺える。
「これは……すぐに先生に連絡ですわね」
二人分だけだが不審者の情報を得た事により当初の目的であった「不審者の発見」は達成された為、ミシェは携帯端末に手を伸ばした。だが――
ジュッ!
「なっ⁉」
突如ミシェ目掛けて攻撃が飛んできて、手に持っていた携帯端末を撃ち貫いた。
「攻撃……⁉ ――ッ、気付かれた!」
相手の攻撃が当てずっぽうかミシェを狙ったものかは分からないが、攻撃してきた以上自分の存在に気付いたと考え、すぐさまミシェはその場から退散行動を取る。
「おや? そんなに慌ててどうしたのかのう?」
「――⁉ 誰っ!」
すぐそばから古風な喋り方をした若い女性の声が聞こえ、ミシェは一瞬だけ足を止め声がした方へと振り向き声の出所を探すが、なぜか声の主と思われる人物を見つけることが出来ないでいた。
「どこを見ておる。こっちじゃ、こっち」
もう一度ミシェに対して呼び掛ける声が聞こえる。そして再度声がする方向へと視線を向けると、ついさっきまで確実にそこにいなかった若い女性がミシェの前で立ちはだかっていた。
(銀色の長髪にあの赤いハーフコートと黒いスカート……まさか先程の二人の内の片割れ……⁉)
「どこのどなたか存じ上げませんがわたくしに何か用でもありまして?」
「わしが……ぬしに用があると? ふむ、それはおかしいのう……どっちかと言えばそれは逆の立場に置き換えた方がしっくりくると思うんじゃが。そこんところどうじゃろか」
「――言っている意味が分かりませんわね。用が無いのなら立ち去っても良いですわよね」
(この人は……ヤバいですわね、途轍もなく。サクニャがあそこまで震えるのも当然ですわ……あの娘のような飛び抜けた感覚が無いわたくしですら逃げだしたくなるもの)
この女性と相対してミシェは直感する。間違いなくこの女性は先程見た二人の内の片割れであり、攻撃してきたのもこの人だと。
「どこかに行きたければ好きにしたらえぇ。――それが出来るなら、じゃが」
その女性がミシェの目を見ながら言った。その瞬間、ミシェは途端に全身の力が抜けたかのような錯覚に陥り、ありとあらゆる命令を身体が受け付けなくなっていた。
「か、身体が動かない……! あなた、一体わたくしになにを――」
「別にわしは何もしとらんよ。ただ、ぬしが――いや、ぬしの本能が自分の身体を縛っておるだけの話よ」
徐々に……徐々にその女性はミシェへと近寄ってくる。だが、ミシェの身体は底知れない恐怖に竦んでおりピクリとも動かすことが出来ないまま――その女性はとうとう鼻先が触れ合うような距離まで近づいて来ていた。
「あ……ぁ……」
目の前の女性への恐怖が高まり、ミシェの視線があらぬ所へと向きながらどんどんと虚ろになっていく。
「うぅむ……いかんな。やり過ぎたわけでは無かったが……精神が潰されかけてしまったか。せめてもの詫びじゃ、わしの事なぞ忘れて少し寝ておれ」
スッと女性がミシェの顔の前へと掌を突き付ける。その動作により恐怖が極限にまで高まっていたミシェはとうとう恐怖の許容値を越えて気を失ってしまった。
「――さて、と。この娘以外にもあと一人いたか。果たしてそ奴はわしが望む人材足り得るか……」
女性は、横たわっているミシェを木の幹に寄りかかるようにして移動させると、もう一人――事前に強者の存在を感じ取って動くことのなかったサクニャ――の下へと向かって行った。
一方その頃サクニャは、本能的に感じ取った強者の影に怯えるように木の上に登り、生い茂る枝と木の葉に紛れるようにしてひっそりと何者かをやり過ごそうとしていた。
「うぅ……大丈夫かなぁミッこ」
心配をしている親友は今まさに自分の感じていた脅威によって眠りにつかされたのだが、その事を知らないサクニャはただただ無事にミシェが戻ってくるのを待っている事しか出来なかった。
ガササッ――
「うにゃっ⁉ ……なんだ、風かぁ……」
木々が騒めいた。ただそれだけの事だがサクニャは盛大に驚く。
――が、すぐにサクニャは口を手で塞ぎそして……木々の騒めきが自然のモノでない事に気付く。
「――違う! この騒めきは、なにかに……恐れている……?」
そうして思い至る。自分を含めて生命の危機を感じさせるほどに畏怖する対象が近付いてきている事に。
そしてそれは、静かな圧力をまき散らしてその姿を現わした。
「隠れてないで出てきたらどうじゃ。そこにおるのは分かっとるぞ!」
銀色の長髪を靡かせた女性はピンポイントでサクニャの方を向きながら、死刑宣告ともとれるような一言を投げかけた。
「――ッ!」
目線・言葉の内容から自分の位置がバレているのは明白だと悟ったサクニャは、素直に木の中から下りて来た。
「うむうむ、素直でいい娘じゃ」
「ウチになんか用事でもあんの、おねーさん」
自分へと声をかけた女性に対し、震えの止まらない体を誤魔化すかのように高圧的な態度で質問する。
「用事? それがあるのはむしろそっちのほうじゃろ。ぬし等はわしの事を探しとったんじゃろ?」
「じゃあおねーさんが不審者の人……? だ、だったらそこから動かんでおとなしく捕まって貰いたいんやけど」
目の前の相手が探し人であると分かり頼まれ事であった捕縛に乗り出そうとするも、自らの本能が告げる彼我の実力差に、とうとう目の前の女性への恐怖が目に見える形で溢れ出してしまう。
「ぬしがわしを捕まえるか……それは困るのう。わしにもやることがあるんじゃ、見逃してはもらえんか」
女性は眉間に人指し指を当て困ったような仕草をした後、両手を合わせて拝むようにサクニャに頼み込んだ。
「――! そ、それは……出来ない!」
まともな命のやり取りをしたことのないサクニャでさえこの女性に手を出そうものなら瞬きをする間に殺られる事は確定事項として認識していた。そのあらゆる面において素人同然のサクニャがそう感じるのだから、あの女性にしてもそれは同じなのだと思っていたのだが、あろうことか実力で解らせようとはせずなぜか謙虚な態度で応じて来た事にサクニャは驚いてしまった。
「なんじゃ、わしと相対するのが怖いんかと思ったから逃げる口実を与えたつもりだったんじゃが……」
「えっ――!」
ここにいたってサクニャはこの女性の行動を理解する。ただ単にこの女性の慈悲によって見逃してもらえただけの事に過ぎなかったのだ。
「よいよい。勘違いや間違いは誰にだってあることじゃ、それに気づけただけでも僥倖ってもの。その事を理解してもらったうえでもう一度聞くが……見逃しては、もらえんか?」
最後通告の様に女性が言い放つ。引き下がるのならここが最後なのだと。
「ほんとなら『うんっ』って言って逃げるところなんだけど……出来ないよ、そんなこと」
「一つ聞くが……逃げる機会は何度かあった。ぬしはわしを捕まえんでもそのまま逃げて良かったじゃろうに、どうしてそうせんかった」
彼我の実力差は互いに認識していたはず。だからこそ嘘でも本心で無くとも、たとえ何かを裏切ってでも逃げだせる機会は何度も作ったし、ましてやそれを咎める誰かもこの場には存在しない。
それなのになぜ自分が助かる道を頑なに拒み続けたのか……女性はつい気になって問いただしてみた。
「だって……ウチはミッこのために逃げられんもん」
目の前にいるこの女性はミシェが調査を行うために通って行った道の先からやって来た。先ほどサクニャに対しぬし等と言った事からも彼女はミシェと出会っている事は明白だ。現状ミシェがどうなっているのかは分からないが、逃げたにせよ何かがあって動けないにせよ、ここで自分が逃げたらミシェが何か行動をするための時間が稼げなくなると。
「なるほど、友のためか。じゃが蛮勇は己が身を滅ぼす。それを悲しむ友がいると知っての行動だとすれば愚かとしか言えんのう」
「それでも――! ウチにだって引いちゃいけない時があるんよ!」
震える体を気合で抑え込み、相手を視界に収め、短剣を両手に構えてサクニャは――ここで果てる覚悟を決めた。
「どうやら覚悟は一人前じゃったか。……こんな所で戦うつもりは無かったがまぁいいじゃろ。少しだけ相手をしてやろう」
サクニャに呼応するように女性は何もない空間に向かって手を横に振る、するとそこから空間の裂け目が現れ、その中から自らの武器を取り出す。
「――杖?」
その女性が取り出した杖は一部分を除いて一本の太い枝を切り落とした様な見た目だが、二点ほど異様に目を引くところがあった。
「こやつの名は
まず最初に目を引くのはその色。上から下まで純白とも言えるほどの白さで、それ以外の色は一切の存在すら許されていなかった。
そしてもう一つ、杖の先に乗っかる一羽の鳥を模した造形物だ。羽根を閉じた状態で杖の先に鎮座するそれはこの世のものでは無いかのような気高さと異質さを兼ね備えており、総じて名は体を表すと言う言葉はこの杖にとってピッタリと言えるシロモノであった。
「気を付けぇよ。うっかり触れでもしたらぬしはたちどころにミイラじゃからのう」
「――なら、触らなければいいだけの事っ!」
これ以上は時間稼ぎが出来ないと判断するとサクニャは女性の下へと捨て身の突撃をする。
「やれまったく……短慮じゃのう」
真正面から馬鹿正直に飛び込もうとしてくるサクニャに対し女性は杖を振りかぶり迎撃の態勢を取り、そして石突き部分であまり勢いを付けずに突きを入れる。
「そんなのっ――!」
迫り来る突きに対し、サクニャは右手に持った短剣の峰の部分を杖の側面に押し当てるようにして攻撃を逸らし、すかさず反撃へと転じる。
「流石にそのような手はくわんよ」
だが相手方もサクニャの行動は読んでいた――というより、次の行動への布石にサクニャがまんまと釣られただけで、既にサクニャに対し次の攻撃の態勢が整っていた。
一方のサクニャは、左の短剣が女性の胸元目掛けて突き立てられようとしており、このままだと一手先に迎撃を受ける事が必然の未来となっていた。
(もう止まれないし攻撃も受けきれない……だったら!)
女性の手がサクニャの体を捉える直前――跳んだ。勢いを一切殺さぬまま女性の体を踏み台にし、戦闘を放棄して逃げた。
「おねーさんみたいな強いのと戦ってられんって!」
捨て台詞を残しながら煙幕玉を女性の周りで破裂させ、煙に紛れて逃走するとともにすぐさまサクニャの元へ向かおうとする。
「そんな陳腐な手が通用するわけなかろう」
「――えっ⁉」
空中へと飛び出して行った身体はこれ以上前へ進むことが無く、それどころか後ろへと引っ張られ地面へと転がされていた。
「あたた……なにが起こったん……」
「戦うと見せかけて逃げの一手を演じる……良い手じゃったが通用せんかったの」
サクニャが女性の身体を踏み台にして跳んだその瞬間、突き出されていた杖を瞬時に引いて先端の鳥の部分を背後の様子を一切見ずにサクニャの服に引っ掛け、そのまま地面に引きずり下ろすという行動があの一瞬で行われており、虚を突いてこの場から逃走しようとしていたサクニャは事の状況を理解できないでいた。
そして地面に寝そべっているサクニャに対し女性は、まるで倒れた子供を見るかのようにしゃがみ込み、サクニャが次の行動を起こすのを待っていた。
「……ウチを見てたってなんも面白い事なんて起きんよ」
自然を装って話しかけながら不意打ち気味に短剣を振るってみる。
パシッ!
「確かにのう……今のところはそうでもないみたいじゃな」
サクニャの振るった短剣はノールックの手刀で叩き落とされ、結果武器を一つ失うだけになった。
「ふむ……なら、少し面白くしてみようか――のっ!」
突然女性がサクニャの腰へ掬い上げる様な掌底を叩きこむ。その威力はサクニャの骨を軋ませる嫌な音と共に大きく体を吹き飛ばし、数メートル先の樹へと激突させた。
「――かふっ!」
「今のでくたばるんじゃないぞ? ……まぁ、わしと同類のぬしならそうそうくたばりはせんじゃろうけど」
「同類……? ウチは魔術も使えんただの一般人だし。言ってる意味が分からんよ」
痛む腰を擦りながら立ち上がり身に覚えのない単語に訝しむ様子を見せる。そんな、サクニャの事などお構いなしとばかりに続けて喋りつづけた。
「いやいや、そっちの方じゃない。ぬし――獣人じゃろう? なんか色々と隠す努力をしておるうようじゃが……違うか?」
含むような笑みを見せながら問いかけてくる。『――どうだ? あっているだろう』と。
それに対しサクニャはキャスケット帽を取り去らい、彼女への解答として示した。
「……何を勘違いしてるのか、何を期待したのかは知らんけどウチはそんな穢れた存在じゃない。どこにでもいる純粋な人間だよ」
サクニャの帽子の下は獣人の特徴とも言えるものはなく、獣の耳が隠されているのではと思われていた帽子にも特段変わった点もなく、もっと言えば全体の見た目からして獣の要素が皆無であることから、その疑念が出てくること事態が不可解なのだが――
「しらを切るか……まぁえぇじゃろ。折角の逸材なんじゃし、丁重に
女性がゆったりとした動作でサクニャの下へ歩み寄り、そして一度微笑むとその後はなんの予備動作もなくサクニャの腹部目掛けて掌底を繰り出した。
「――くっ! 一体なんなのさ。おかしな事を聞いたかと思えばまた力で訴えて!」
女性の掌打を膝で受け止めながらサクニャはそう答える。
「なにを甘っちょろい事をぬかしよる……その境界へ踏み込んできたのはぬし自身じゃろ」
サクニャに防がれた掌底が今度はサクニャの膝下を掴み、そのままサクニャの体を逆さまに持ち上げてから地面へと叩きつけた。
「――がっ、は!」
「それ、もう一発じゃ!」
地面に仰向けになっているサクニャに対して、杖の鳥部分での突きによる腹部への追撃がさらに加わる。
そして、今まで女性の攻撃を受けても立ち上がって来たサクニャであったが四撃目にてとうとう立ち上がれなくなってしまった。
「さて……もうそろそろ良い頃合かのう」
「……人を散々ボコッといて……なにが良い頃合さ」
(身体が痛い――それに、目も霞んで……)
「いっぺん死の間際を体感すればその意味も分かるじゃろうて」
いったい何を言っているのだろうか――これから自分は死ぬのか。そんな考えても詮無い事が頭をぐるぐると駆け巡りそして……動けないこの体目掛けて無情にも女性の手刀が迫――
ガシッ――!
――る直前でサクニャがその手首を掴み、そのまま捻り上げた。
「――ようやっと目覚めたか。どうじゃ気分の程は」
女性がサクニャへと呼び掛ける。そこには先程まで到底動く事が出来る体ではなかったサクニャが、掴んでいた手を振り払いながらゆっくりと立ち上がっていた。
「サイアク……。はぁ……アイツ等と同じ穢れた血が流れてるだけでも嫌なのに、ウチも獣人だったとか――」
イライラしながら頭をガリガリと掻く。すると、右手に今まで感じた事のないものが触れた。それを優しくワサワサすると更に嫌な気持ちになる。
「ぅわ……なんか耳っぽいのも生えてるし……」
さっき晒した時には無かった三角の突起が二つ頭に生えており、形としては狼の耳といったようなのだがそれに耳としての機能はないようで、パーティーで身に着けるような安っぽい着け耳を思わせた。
「いやいや結構可愛らしいじゃないか」
「ウチをこんなにして一体なにが目的? ただの嫌がらせ?」
確かにサクニャには獣人の片親がいてその血を引いているのだが、もう半分は純粋な人間の血を引いている。だが、そんなこと知っているのは身内だけで、このことは親友であるミシェや梨鈴にも話したことは無かった。
――にも関わらず、この女性は自分が成りそこないだとしても獣人であることを見抜いており、しかも事実だったと言えそのような事はサクニャ本人ですら知りえていない事であった。
そして一番の問題はサクニャ本人が知らない自分自身の事を教えることで、一体彼女に何の得があるのだろうかと。
「ぬし等に死なれると都合の悪いのがおってのう。わしとしてはこれ以上首を突っ込まず大人しゅうしてて欲しかったんじゃが……まぁ無理じゃろうなと」
(――ウチ等に死なれると都合の悪い人って……まさかっ!)
「それでわしは考えたんじゃが結論が出る前にぬし等が来た。けどその時ぬしの中にいる存在を感じてビビッと来たんじゃ。コレが目覚めればよほどの事では死なんじゃろうと」
「……結局ウチがボコられた理由は分からんかったけど一つ分かった。お前が……お前がリリっちを連れて行った奴の仲間なんだろっ!」
確証はない。だが、彼女の言葉の中においてサクニャとミシェが死ぬ事を良しとしない人物など一人しかいない。一年前――何も言わずに二人の下を去っていった鳴風梨鈴その人以外に。
そしてサクニャは――現状ただ一人梨鈴の行方を知っていると思われる人物へと詰め寄り、襟首を掴み上げて詰問する。
「どこだっ! 言えっ! リリっちはどこにいる!」
「――やれやれ、少し喋りすぎたか。それじゃ喋りすぎたついでにもう一つ……梨鈴は教団の使徒の一員として生きておるよ」
襟首を掴まれ締め上げられているような体勢にもかかわらず女性は平然としたように答える。
「ほんとに……リリっちと関わりがあったんだ……」
確証がないまま突っ込んでいったが結果的に梨鈴の現状を知り安堵する。そしてその安堵に合わせるように両手の力が少し緩む。
「サービスはここまで。今回は顔見せって事で引かせてもらおうかの」
緩んだ両手の隙を逃さず、女性はサクニャの両手首を掴むとそのまま強引に力でサクニャの手から逃れた。
「――
大事な情報源を逃がすまいと食らい付く。彼女の動きを止めるならどこを狙えばいいかと考え、即座に顎へ目掛けて拳を叩きこむ。
「今回はここまでというのが分からんのか――」
迫り来るサクニャを振り払おうと女性は無造作に右手を振るう。
――が、間合いの内側にいたはずのサクニャの姿が忽然と消える。
「――ッ⁉」
一瞬――たった一瞬でサクニャは女性の背後にいた。攻撃をすると見せかけてただ女性の左下を駆け抜けサクニャは――獣のような目つきで既に左手を振り上げ、後は下ろすだけの態勢となっていた。
「ジャアッ!」
そしてサクニャの左手が振り下ろされると同時にそこでサクニャの記憶はぷっつりと途切れる。
最後に見た記憶は……天と地がぐるぐると回っていた。
「……しまった、加減を間違えてしもうた」
今、女性の足元ではサクニャが倒れ伏している。最後にサクニャの取った行動――攻撃そのものは大した脅威では無かったが、サクニャの目によからぬモノを感じた女性は今まで死ぬ事はない程度までしていた手加減を忘れ、持てる限りの力を込めてサクニャを打ち落としてしまっていた。
ツンツン……ユサユサ……サワサワ……
サクニャが生きているのか死んでいるのか……それを確かめるべく杖で
「――どうやら梨鈴に怒られる事はないか……?」
結果としてはサクニャはボロボロではあったが命に別状はなかった。――というより、外傷が目立つだけで骨とか内臓に至っては全くもってダメージが無かった。常人であれば大怪我では済まないような攻撃を受けても――だ。
「わしがやりすぎた事を知ったら怒られるだけでは済まんじゃろうなぁ……」
サクニャが無事だったのはいい――だが、問題はこの後梨鈴にどう説明をしたものか……そんな事を考えつつ女性はちらりとサクニャの方に視線を向ける。
「さすがにこのまま放置は可哀想じゃな……」
そう考えるとすぐさま地面に取れ伏しているサクニャの体を起こし樹の幹へともたれ掛けさせる。そしてもう一つ、女性は懐から青い液体の入った瓶を取り出しそれサクニャの頭の上から振りかけた。
「これは詫びじゃ。しばらくしてれば怪我も塞がって元気に動き回れるじゃろう」
どうやら青い液体は薬の様な物らしく、それをかけ終えると女性はサクニャに背を向けて大穴の底へと降りて行った。
そうして大穴の底へ着いた時、白い燕尾服を着た女性と鎧兜という奇妙な組み合わせの二人が、横穴の前で何やら言い争っている場面に出くわした。
「なんじゃなんじゃ……こんな所で騒ぎおってからに。なにを揉めておるんじゃ」
「お戻りでしたか、司教代理殿。――実はこちらのアサギという者がこの奥へ行きたいと聞かなくて。力尽くで排除するわけにもいかず困っていたのです」
兜を通しているからか少し聞き取りづらいこもった様な喋りだが、それでもこの状況に対し困っている事はありありと伝わってくる。
「この先の湖で魚を採るだけだと何度も言っているじゃないですか。それともその兜のせいで耳が遠くなっておいでですか」
かたやこっちの燕尾服はこの先の湖で魚を採りに来ただけだと言ってはいるが、道具の類は何も持っていない事からその事で不審がられているのだろう。
どちらにしろ、お互いの主張が平行線のまま停滞している所にタイミング悪くその場に出くわしてしまった事だけは確実だった。
「……どんな面倒事で揉めてるかと思えばそんな事か」
「お言葉ですがこの奥は代理殿の調査範囲に――」
「そんなん言われんでも分かっておるわ。別に魚採りぐらいさせてもええじゃろ。こやつの事が気になるんじゃったらぬしが側におったらどうじゃ」
「あなたがそうお望みならばそういたします」
――と、この司教代理と呼ばれた女性が一言口添えをすると、自らの主張をかなぐり捨て素直に従っていた。
「そちらの方はアナタの兜みたいな頭と違って柔らかいようですね」
「…………黙ってついて来い」
アサギの皮肉に苛立ちを一切隠さずにずんずんと横穴の奥へと早歩きで先行し、やがて鎧兜と燕尾服という奇妙な組み合わせのまま二人の姿が見えなくなった。
「はてさて……これから先、どうなるのかのう」
司教代理と呼ばれた女性はその言葉を最後にこの場から姿をくらませた。
「……あまり先を急ぎすぎるな。はぐれでもしたら我が司教代理殿に注意されるではないか」
アサギの監視のために側について行くものの、そんなことはお構いなしとばかりにアサギが先行していき、姿が見えるかどうかまで距離が離れてからようやくアサギに対して文句を言った。
「そんな鎧を着こんでいるから遅れるのでは? ワタシに文句を垂れるくらいならそんな重い物を脱げばよいのでは……と、ワタシは進言します。――あとウルサイ」
自分が遅いのを棚に上げられ苦言を呈されら事に対しアサギは至極真っ当な物言いで返す。――ただ単にうるさいからさっさと脱げと言うのが本音だろうが。
そんなやり取りをしつつやはり互いに譲り合うような展開は全くないままアサギは目的の湖へと辿り着いた。
「案内ご苦労様でした。お供はもう結構ですのでどうぞご自分のお仕事に戻って下さい」
終始アサギが前を行き案内など微塵もされていないにもかかわらず相手に対して嫌味の様に労を労う。実際、一点の曇りなき純粋さと一切の忖度が介在しない皮肉と嫌味を籠めており、追い払う気を隠そうともしていない。
「言われなくともそうするつもりだ」
…………
「――なぜ案山子みたいに突っ立っているんですか?」
このままガシャンガシャンと耳障りな監視役がいなくなるかと思いきや、少し離れたところでアサギの姿を視界に収め続けていた。
「我の任は其方を監視する事だ。案内が終わろうともそちらの任はまだ解かれてはいない」
――と、アサギの監視は未だ続行されており、この場において部外者に近しいアサギを監視し続けるのは言ううまでもなく当然であろう。
「随分と真面目な従者ですが……まぁいいでしょう。これからワタシは湖の中へ潜ります。つまり服を脱ぐという事です。ですので、アナタがそこにいるのは構いませんが、せめて後ろだけは向いていただきたい」
「我はそのような些事など気にはならぬが」
「ワタシが気にするのです。従者の鑑であるワタシはご主人のためならばこの裸身を含む全てを曝け出す事も厭わないですが、そこらの他人には見せるつもりはないので」
ハッキリとした否定の意思を見せてはいるが、途中途中で言っている内容が嘘っぽく聞こえ、最後にはまた真面目に言っていてもなんとなく嘘っぽく感じる。
「…………良いだろう。では後ろを向いたままでここで15分だけ待とう。だが、時間を超えた場合は問答無用で始末させてもらう」
「15分ですか……まぁ時間的には余裕がありますね。では服を脱ぎますのであちらを向いててください」
「分かった」
そうして言葉通りに後ろを向くと、アサギはすぐに燕尾服を脱ぎ捨てる。そこには綺麗な裸身――ではなく全身をぴっちりと覆うダイバースーツを着た姿を晒していた。
「さて、調査を始めるとしましょうか」
今回ここに来たのは白黒の為に新鮮な魚を届ける為ではなく、花南からの指令でこの島の最深部での調査の為にここへと赴いた。
そして、その調査をするための場所というのがこの島で最も深い場所――つまり地下洞窟にある湖の底、そここそが最終的な目的地なのである。
――ザヴァン!
アサギが勢いよく湖へと飛び込む。飛び込んだ後はまっすぐに水底へと進み、底の方までたどり着くと今度は壁の方へと向かいそのまま壁を探っていた。
(座標記録ではこの辺りの――あぁ、ここですね)
アサギが壁に向かって手を伸ばす。するとその手は壁をするりと抜けて奥の方まで突き抜けていく。そしてすぐ後に壁の一部が透明になり電卓の様な小さなディスプレイと0~9までの数字のキーと決定・削除のキーが露わになった。
(解除キーは確か……)
目の前にはディスプレイと数字のキー。この要素を持つものと言えば決められた桁数の数字を打ち込む所謂パスワードというやつだ。
パスワードを求められるという事は当然開かれるるものがある。ここでは壁の向こうにアサギの向かうべき場所があり、解除キーももちろん知っている。そしてアサギは軽快な動作でキーを叩いていく。削除と決定を交互に三回、次に9を一回、そして最後にまた削除のキーを叩く。するとキーを打ち込んでいたすぐ横の岩が左右に割れ、人工的な通路が姿を現わす。
(相変わらずおかしなパスワードですね。一回しか数字を使わないなんて)
そんな、パスワードの概念をぶち壊すような防衛機構に辟易しつつもアサギはその通路へと降り立つ。ちなみに水は半透明のバリアの様な物で遮られており人間以外は侵入できないつくりになっている。
「ここに来るまでおよそ3分……時間的には十分間に合いそうですね」
この先へ行って花南の指令を完遂するのに5分、帰りで3分以内ならば15分以内には余裕をもって帰れるだろう。そう計算をしながら遂にこの島の最深部へと足を踏み入れる。
「さぁ、始めましょうか」
20帖ほどの部屋の中に300インチはあろうかという壁一面に広がる巨大なモニターと、部屋の中央に胸の下程の高さの台にPCのキーボードとマイクが一本という如何にも秘密が詰まってそうな所でアサギはマイクに向かって音声でコマンド入力する。
「ID№-00020563 登録名、入色白黒を検索」
アサギが白黒の名前を音声検索すると目の前のモニターにすぐさま検索結果が現れる。そこには白黒の詳細なプロフィール画面が表示され、名前や性別・生年月日に顔写真とごく一般的なプロフィールに加え、対象の人物が生まれてから現在に至るまでの行動履歴が事細かに列挙されていた。
「さて……白黒様の様子がおかしくなったのは昨日の夜。まずはその辺りを調べましょうか」
そしてアサギはその行動履歴からおよそ半日前の項目を見る。そこにはその時に白黒が食べていた夕飯のメニューや、アサギと会話した内容等が記されていた。
「…………意外と食事の時はよく噛んでおられますね。――後は、関係ない物ばかりで手掛かりになる事は書かれていませんか」
――だが、記されている内容は平凡であるもののその量は尋常でなく、夕飯の時の内容も食器に手を付けた回数や順番それに食事時間など数えるという行為がおかしいもの。アサギと会話した時も、その時の白黒の心情やそれが嘘か本心かといった外から見ただけでは到底分からない事がプライバシーなどクソ食らえとでも言うかのように詳細に記されていたのだ。
「このサーバーで調べても白黒様の異常の原因は突き止められないか……」
アサギが口にしたこの『サーバー』。これは島の住民の全てが文字通り包み隠さず記録されており、極一部の者以外には扱うどころか存在すら秘匿されているシロモノでアサギは白黒の異常を暴く使命を花南から受けていたのである。
「いや――切り口を変えれば。特殊管理者シャラチニを検索」
何を思ったのか突然アサギは『シェラチニ』なる人物について検索の指示を出す。すると、サーバーはすぐさま検索結果を表示し、そこには今まさに白黒の事を調べているアサギの詳細情報が事細かに映し出されていた。
「まさか自分の事を調べる羽目になるとは思わなかったですね……」
アサギが見つめるプロフィール画面、そこにはアサギの顔写真となぜか白黒と千草の顔写真が一緒に表示され、名前もアサギ(旧名・シェラチニ)という表記と共にID№655350030という一つ桁の違う数字、あとは二日分にも満たない行動履歴と、先ほど見ていた白黒のものと比べるとなにからなにまで異常な表記で記されていた。
「ワタシの基になった人物は……はて? 一人は千草さんなのはいいとして、なぜ白黒様がここに?」
他人が見れば色々とおかしく見えるこの状況においてアサギは画面上に表示されている白黒の顔を凝視し、そして昨晩の出来事を思い返しながら考えていると突然表情が変わる。
「まさか白黒様の変調の原因って……こんな他愛のないことだったのでしょうか」
そしてすぐさま携帯端末を取り出し花南へと連絡を取り始める。
「こちらアサギ。聞こえますか社長」
『はい聞こえていますよ。それでは……さっそく調査結果を聞きましょうか』
通話の相手である花南は前置き等を一切排除して本題へと入る。
「白黒様についてですが……どうやら変調の原因はワタシにあったようです」
『…………』
通話口からは無言の息遣いが聞こえてくる。どうやら報告を全て聞き終えるまでは一切口を挟まないようだ。
「――ワタシという存在が確立されたあの時、ワタシの人格の基となったのは入色家の使用人である千草だと当初は考えていました。ですが、調査の結果その中に白黒様が含まれていた、いえ――どちらかと言えば白黒様がメインで千草の方がオマケと言った感じでしょうか」
淀みなく調査結果を報告し終えると通話口の向こうから小さく頷く声が聞こえた。
『――原因は複数のIDを認識したことによるエラーと考えて良いのですね』
「まず間違いないかと」
『そうですか。では、他に報告事項はありますか』
「――以上です」
『分かりました。では、調査はこれで終了とし、通常の任の続行をお願いします』
アサギから必要な事を聞き終えると、花南はそのまま通話を切った。
「さて、あとは戻るだけ――」
アサギは手にしていた携帯端末の時間を見る。残り時間は約7分、時間は予定通りに進んでおりこのまま何も起こらなければ余裕で間に合う。――何も起こらなければ。
「なーるほどのう……ここら一帯がどうにも妙だと思っとったがそんなカラクリがあったとは」
アサギが振り向いた時、目の前には彼女がここに来られるよう口利きをした名も知らぬ、司教代理と呼ばれたあの女性が壁に背を預けて立っていた。
「さっきぶりですね。何か御用ですか?」
「ここには探し物の最中にフラッと立ち寄っただけじゃ。ぬしには特段用はないよ」
「こんな湖の底にフラッと立ち寄れるなんてすごい徘徊能力ですね。それで、そんな見え透いた嘘をついてまでここに来た理由は何ですか?」
「…………ある奴への復讐にな、この島にあるという秘術を探しに来たんじゃ。ぬしは知らんか、時間と空間を隔絶する術の事を」
復讐――その言葉が出た時、女性の顔から表情が消え目には憎悪の色が浮き出ていた。
「秘術……ですか。残念ながらあなたのご期待に沿えるようなモノはこの島にはありませんよ。――似た様な事は出来ますが」
「なーんじゃ、そいつは確かに残念じゃのう」
ここには探し求めているモノはないと分かるとすぐに雰囲気は元に戻り、そしてさして残念さも見られない表情をする。
「……白々しいですね。本当は知っててここに来たのでは」
「なーんの事じゃかわしにはさっぱり分からんのう」
「まぁいいでしょう。もう用事が無いのであればここから出る事をお勧めいたします」
いいからさっさと出て行け――と、アサギの目とその声のトーンからそういう風に聞こえてくる。言葉だけは丁寧に言っているが。
「心配せんでもわしはもう用は済んだから島から出ていくて。他の連中は……まぁ用が済んだら出ていくじゃろ、何をしにここに来たかは知らんが」
「随分とまた曖昧な答えですね。同じ組織の人か何かなのでは」
アサギの前でした二人の会話から察するに同じ組織の様なものにいるのは間違いないだろう。だが、目の前にいるこの女性、おそらくは組織内でも上位に属する存在なのだろうが、同じ島にいる仲間の動向を全く知らないというのが引っ掛かっていた。
「人員の運営は別に任せておるからのう。わしが他人の動向をいちいち知らんのもおかしくなかろうて」
「そうですか、まぁいいでしょう。ではワタシはここを離れるのでアナタも一緒に出て行って貰いましょうか」
(まさかこっちの情報収集もやる事になるとは思いませんでしたが、流石にこれ以上の情報は……時間的に引き出せそうにありませんね)
実のところ、アサギは最初から目の前の女性と鎧兜の人物がこの島に入って来た侵入者だというのは一目見た時に気付いていた。だが、アサギの指令には侵入者を探るという項目は入っておらず、最優先事項の完遂のみを目指していた。
現にここに来る前に道を塞いでいた鎧兜に対し探りを入れようものなら問答無用で始末されていたであろう。だが、幸運にもアサギの前に現れた司教代理の女性は島の最重要施設に足を踏み入れるもそれ以上のアクションは起こさず、それどころか普通に対話にまでしてきており、結果としてアサギはミシェ達とは違う方向での情報を手に入れたのである。どうにも自分から情報を流している様な雰囲気を感じながら。
「分かっとるからそんなに押すでない。それと……ほれ、ぬしにはこれが必要でないか?」
グイグイと背中を押されながらサーバールームを退去させられ、そこそこに文句を言いながらなにかをアサギに押し付けた。
「……魚……ですか。なぜこれをアナタが?」
アサギの手の中には
「それはぬしから受けた忠告の代金とでも思ったらええ。それがあれば呉城の奴も文句は言うまいて。それじゃあのう」
スチャッと手を上げながら女性は去って行く。さも当然かのように自然と壁の方へと歩いて行き壁をすり抜けながら。
「これは……どこからツッコむべきでしょうか……」
名目上は白黒の為に魚を採りに来たと説明した以上、湖から上がった時に魚を持っていなければ鎧兜――おそらくは呉城という名前なのだろう――に不審がられるのは必至だろう。だが、そもそもあの鎧兜と司教代理と呼ばれた女性とは仲間なのだろうが、なぜアサギに利する行為をするのかは疑問であった。
「いや……ワタシが気にする事ではないですね」
自分のすべき仕事は情報を持ち帰る事であり、相手の考察をするのは花南やアロエの様な者がすることなのだと余計な思考を排除した。
その後は何事もなく物事は進んで行き、アサギは鎧兜に何かを咎められることもなくそのまま白黒にあてがわれているプレハブ小屋へと戻っていくのであった。
そしてアサギが白黒の事を調査している一方その頃、自分が調査されている事など知るよしのない白黒は現在――
「…………どこなのよ、ここ~~~!」
木々が深々と生い茂り陽の光があまり当たらないジャングルの如き地にて絶賛迷子生活を送っていた。
事の発端は数時間前、白黒の前からアサギが逃げるように姿を消した直後から始まる。
「さ~て今日はどこに行ってみ・よ・う・かな~」
指輪のジェスチャーでメニュー画面を呼び出し、そこから周辺地図を開く。昨日は近場での成果がほぼなかったことから今回は少し遠めの地点を選び、そこで討伐スコアのトップを目指すつもりだった。
「ん、決めた! ここにしよう!」
そうして白黒が選んだのは少し背の高い茂みが点在する平原に決定した。ここでなら隠れつつ待ち伏せをしながらの怪物の討伐が出来るうえ、ヒットアンドウェイ戦法によって戦いに不慣れである白黒でも効率よく手傷を与えられると踏んだからだ。
幸いにも白黒は今回のランキング下位者への救済措置を貰っているため、一戦一戦にさほど苦労することもないだろう。
そんなこんながあって討伐に出かけたのが午前八時ごろ。そこから順調に目的地に近づいていたのだが何があったのかその途中で白黒が迷子になっていた。それから正午辺りを過ぎても一向にジャングルに囚われ続けて現在に至る訳である。
「あ~もうっ最悪! 虫の怪物はうじゃうじゃいるし、オマケに妙に強いし……」
ボヤキながらも上から下とその虫の怪物が湧いて来ており、しかもそれらが数で押してくるため一撃に重きを置いてる白黒ではなかなかに相性が悪く、それらは体長80㎝前後はあるので視覚面においても現れるたび、斬りつけるたびに嫌悪感を催す様相をしているものだから違う方面でも中々に分が悪かった。
「せいやっ!」
この気持ち悪い状況に対処する方法――それは全ての感情を捨て去り無心で斬り続ける。それを実行するかのように正面から迫って来る虫を白黒は反射的に縦一文字に切り伏せる。だが、白黒の心情を理解しているのかその虫は体液を散らしながら果てるとともに腹の中から己の分身が如き小さな虫を白黒へとけしかける。
「――ヒィッ⁉」
さすがにこれには無心で対応する事で乗り切れるかもとか考え始めた白黒でも無視できない状況で、消したら小さくなって増えるなど悪夢の様な光景が襲い掛かってくる。
「く、来んな来んなぁっ!」
わさわさと這って来る虫に対し白黒は剣の腹で叩きつぶすように対処する。だが、前方ばかりに気を取られた白黒へと背後から大きな虫が迫り、鋭き鎌の様な前足が暗殺者の如く――
――ヒュオッ!
――という音と共に振り下ろされる。
「――えっ?」
気配を察して振り向くが鎌は既に首まであと僅か。その状況で白黒の目に飛び込んだのは――一本の蒼い棒だった。
「キミ……大丈夫?」
首を刈られるかと思った刹那――横合いからきた棒の一撃が虫の頭部と前足をほぼ同時に砕き、次の瞬間には辺りの虫を薙ぎ払って周囲の安全を確保していた。そして目の前には上下ともに淡いピンク色のジャージを纏った女性がそこに立っていた。
「え、あ……はい。何とも、ないです。えっと……あなたは」
「ボクの名前はアルーシャ。この地に魂を縛られた虜囚……かな? それじゃあ今度はボクの番だ。キミの名前は?」
「あ、わたしは入色白黒です。――って、そんな悠長な事言ってる場合ですか⁉」
アルーシャと名乗ったこの人物――マイペースなのだろうか周りの状況を気にする様子があまりにも無い。
「今日のお題は虫+ジャングル……ですか。今日はちょっと時間が掛かりそう」
一度は散らした虫たちがまたウヨウヨと集まってくる。今度集まって来た虫は今まで見たことが無い種類も混じっており、虫が苦手な白黒には更にキツイ状況となった。
「イヤ~~~ッ! もうほんとにこっち来ないでぇっ!」
とうとう恐怖の臨界点が突破してしまった白黒は近くにいる虫目掛けて闇雲に剣を振り回す。だが、そんな狙いの定まらない攻撃では当たった所でまともな威力になるはずもなく、相手方の攻撃の手も進軍の足もまるで鈍ることが無い。
「そんなに振り回したら危ないよ。虫の相手をするのならね、頭を潰すのはセオリーではあるけどそれだけでは倒れないのもいるんだよ。こういう風に、ねっ――」
白黒の顔の横を背後にいたアルーシャの持つ棒が掠め、目の前にいる鎌を持った虫の頭が飛んで行く。だが、頭を飛ばされてもその虫は未だに前進してくる。
「あぁ~~~キモイ! キモイ‼ キモイィ~~~ッ⁉」
「落・ち・着・く! もう少し冷静に状況を見極めるのよ、ほら」
アルーシャに背中を棒で小突かれて少しビクッとする。だが、そのお陰で一瞬で正気に戻りアルーシャの言葉に従い目の前の敵を見据える。
(頭もないのに何で動けるの……とか考えるのは後! まずはよく見る)
目の前の虫は頭を失ってふらついてはいるがまだ倒れそうな気配はない。そこで、相手をよく観察すると腹が少し膨れており無暗に斬りかかったらまた小さい虫が湧いて出てきそうだった。それ以外にも鎌の向きから攻撃の軌道もなんとなく読めるし、どの部分が構造的に弱そうかも見えてきた。
「――ここっ!」
手足をもぎ取ってもまだ動こうとするなら真っ二つに両断すればいい。だが、そうすると今度は小さい虫が増えてしまいそうなので腹の内部に衝撃が行き渡るようにすればいいのではと考えた結果、白黒は剣の腹を使い虫の胴体へと思いっきり叩き込んだ。すると今度は小さな虫を出させずに倒す事が出来た。
「お見事っ! その調子で冷静にいくのよ」
「はいっ!」
それからの白黒の戦闘能力の向上には目を見張るものがあり、一つ一つの動作の無駄が少なくなり、攻撃を当てる事や逆に避ける事も多くなっていく。
そして戦闘が始まってからおよそ一時間後――そこには白黒とアルーシャの二人だけが立っていた。
「はぁ~……つっかれたぁ~」
虫の軍勢の殲滅を確認すると白黒は疲れ果てて大の字で地面へと寝ころんだ。
「おやおや……レディがそんな恰好をしてはいけないよ」
「いやだって、虫の数が多くて疲れちゃったしそれに……もう精神の方が持たないんです」
今回の戦闘で白黒は確実に強くなった。それはアルーシャという自分に指導してくれる存在が大きかったがそれに加え、戦闘に慣れるために動きを反復できる相手がいた事も要因の一つだった。そんな白黒の幸運も相手が虫であったが為に苦手意識で体の動きが鈍り、その結果余計に体力と精神力を持っていかれたのは不運であろう。
「まぁ今日はしょうがないよね。虫が多いとボクも嫌だしウンザリしちゃうからね。でもまだキミはラッキーな方かもね」
「ラ、ラッキーって……あんなおぞましい光景に出会うこと以上の不運はないですよ」
「本当に? 昨日は数は少なかったものの5メートルを越える大物に囲まれていたのよ。さて……キミはどっちが幸せかな?」
「どっちって……」
昨日、白黒が出くわした怪物は確か3メートル程の大きさで、あれ一体を倒すだけでも今の白黒では到底不可能な相手であった。だがアルーシャはそれよりも大きな相手に囲まれながらも無事に切り抜けたのだからそれを自分に当て嵌めたらどちらに出くわしたほうが幸運だったのかは考えるまでもない。
「こっちの虫の方がだいぶ楽です……!」
当然ながら虫を相手にした方が戦う相手としては楽であったと答える訳だが、精神的に多大ななる影響を与えた虫の存在を考えると白黒にしてはどっちもどっちであった。
「まぁ大抵の人はそうだよね。――そういえばキミは何をしにここに来たの?」
「何をしにって言われても……なんか迷っていたらここに来ちゃったんです。地図を見てもここがどこだか分からないし」
そう言って白黒はメニュー画面から地図を呼び出すのだが、ここに来る前は見れていた地図は今はなにも映し出されていない状態になっており、完全なる迷子になっているのであった。
「あ~ここはちょっと変わった場所なのよ。だからうっかり迷い込むと出られなくなるの――死んでもね」
「えっ、え~~~っ⁉ 嘘っ⁉ 出られないの⁉」
アルーシャの衝撃的な一言に頭を抱え俯いた。それはそうだ、なにせ死んでもこのおかしな所に囚われたまま出られないなど発狂したとしても不思議ではない。
「でも大丈夫。ボクはここから出られる唯一の経路を知っているから、ほら――顔を上げて」
そう言ってアルーシャは優しく手を差し伸べる。だが、白黒はいつまで経ってもその手を取らず未だ頭を抱え込んだまま俯いていた。
「あ、あれ――? もしかしてボクの言葉が耳に入らない程ショックだったかな?」
取り敢えずここに迷い込んだ者をこのままにはしておけないという事でひとまずアルーシャは白黒の顎に指を添えてそっと顔を上げさせた。
「……なんだか妙な事情を抱えていそうだねこの子」
白黒の生気のない顔を覗き込んだ時、なんとなくではあるが彼女の持つ特殊性を垣間見た。そんな白黒に対しアルーシャは何かしてあげられることが無いか考え、そして一つ思い至る。
「まぁやるだけやってみましょうか」
そう決断したアルーシャの行動は速かった。すぐさまアルーシャは白黒の顔に手を添えるとその唇に口づけをする。
5秒……10秒と互いに唇が触れ合う中、白黒の目に光が戻りすぐさま自分の状況に気付き、顔を真っ赤にして狼狽え始めた。
「……ぷはぁっ! えっ⁉ ちょっ――なに⁉ なんでわたしキスされてるの⁉」
「それはキミに必要な事だと思ったからだよ。だから、ほら、気にしちゃ駄目だよ」
「いや気にするよ⁉ わたしまだ誰ともしたことが無い初めてなんだからぁ~!」
「あれ、そうだったの? それはゴメンね。まぁでもなんだか様子がおかしかったみたいだからちょっと……ね?」
本人の言動こそ軽い雰囲気を受けるが眼差しにはその軽さはなく、白黒もすぐにアルーシャのした事に何らかの意図があると感じた。尤もそれにどんな意味があったのかも分からないし何とかしないと、と思っていたとしても他になにか良い方法があるのではないかという気もしないでもなかったが。
「はぁ……そうですか。ま、まぁキスごときで驚くわたしでもないしー。ましてや初めてを奪われた程度で狼狽えなんかもしてないしー」
声が裏返りながら必死に虚勢を張ってみる、が――
「あー……じゃあボクとキミの間に何もなかったそれでいい?」
「え、えぇそうですね。わたしはナニもされなかった、オーケー。――じゃそゆ事でわたしはここで……細々と一生を終えるんだね」
ひとまず二人の間には先ほどの一連の行為は無いものとして扱われた。そして改めて白黒は自身の置かれている境遇に諦めの境地で受け入れ、今生をここで終える宣言をした。
「あっ! ちょっと早まらないで! 出れるから、ボクと一緒ならここから出れるから」
「…………本当?」
「本当だからそんな潤んだ瞳で見つめないで。だから――ほら、こっちだよ」
アルーシャは優しく手を差し出す。するとその手を白黒は掴み、そのまま手を引かれて走り出す。
周りはどこもかしこも木が生えて目印となるものが存在せず、オマケに歩きやすい道も無いものだから霧の中を無策で動き回っているような感覚に陥る。それでもアルーシャは何の迷いもなく進んで行くのだから白黒はその姿に安心してただひたすらにその背を追って行けた。
そうしてどのくらい脚を酷使しただろうか……アルーシャはその脚を止め白黒の方へと振り返る。
「着いたよここが終点。この先を振り返らずに前に進んで行けば知っている所に辿り着けるよ」
「ここが……じゃあこれで一緒に――」
「……ごめんね」
白黒がこの先へ一緒に進もうとアルーシャの手を引こうとしたところ、その行為を拒絶するかのように手を払いのけてただ一言――ぽつりと謝った。
「ど、どうして謝るの? あなたにだって離れ離れになったら困る人がいるでしょ。だったらこんな所にいないで一緒に出ようよ」
見ず知らずだった他人である白黒をここまで保護するような人だ、アルーシャには白黒よりもずっと人との繋がりの輪があるはずだ、だから一緒に出るべきだ――と考えそんな提案をしたのだが、アルーシャの答えはただ首を横に振るのみであった。
「残念だけどボクはその向こうに対応できる身体を持っていないんだ。だから気にしないでいいんだよ」
払いのけられたまま中空を彷徨っていた白黒の腕を握るとアルーシャの背後の空間へと踊るように引っ張った。
「――うわっ! ……と」
白黒はそのままつんのめる様なかたちでアルーシャの背後の空間へ2歩、3歩と進んで行く。
「ここがキミとボクとの境界だ。さぁ戻るんだ、ここはキミがいていい所じゃない。わかったら――ほら、ね?」
「う――」
アルーシャの優しい声に白黒は声を詰まらせる。それが白黒は本当にここにいてはいけない事を、アルーシャはこの向こうへは行けない事を悟らせ、そして――
「うん、わかった……じゃあ、その……バイバイ」
最後に別れの言葉を告げアルーシャに背を向ける。最初はゆっくりと歩いていくが次第に速度を上げていき、最後は力一杯に前へと走り抜けていった。
「…………」
白黒が数歩向こうに言っただけでその姿はアルーシャから見えなくなり、そっと自分の口元に指を添える。
「あの娘で二人目――か。本当は生涯に一人だけだったんだけど、その誓約ももう意味を持たないものね」
アルーシャが他者へ口づけ出来るのは生涯に一人だけと決まっていた。だが、そんな誓約など意味の無いものとして二人目である白黒にもした。
「そろそろまた削除対象が増えた頃かな。さーてボクもそろそろ戻らないと」
歩いてきた道へと向き直りアルーシャは白黒とは真逆の方へと歩きだしていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます