異界渡りの双姫~黒白の乙女の電脳奇譚~

くろねこ

第1話

―Prologue―

 朝――枕元の目覚ましがけたたましく鳴り響き、その音で眠り姫たる「入色いりしな白黒しくろ」は目を覚ました。

「んん……朝、か。…………だるい」

 時刻は午前6時頃。白黒は寝起き故の低血圧で頭がぼーっとなりながらも寝ぼけ眼を擦りながらベッドの上から転がり落ちながら微睡みから抜け出した。

「あぃたっ! あー…………そろそろ起きなきゃ」

 ベッドから落ちた衝撃でようやく目が覚めてきて、白黒は身に纏っていた寝間着を乱雑に脱ぎ捨ててクローゼットの中から目についた洋服を適当に見繕って手早く着替える。

 ――コンコンコン

 そうして着替えが終わったタイミングを見計ったかのようにノックが鳴り、中に居る者の返事を待つことなくドアが音もなくゆっくりと開け放たれた。

「おはようございます、お嬢様」

 開かれたドアからはピンク色の給仕服を纏った女性が、タオルを腕に掛けて静かに自らが仕える人物が部屋を出るのを待っていた。

「おはよう、千草ちぐさ

 朝の挨拶を交わした後、白黒は千草と呼ばれた使用人を連れてすぐ隣の部屋と入る。

 隣の部屋は白黒が寝ていた部屋の半分ほどの広さで、そこには上半身を丸々と映し出せる鏡に陶器製の真っ白な洗面台が設えてあるいわば洗面所であり、白黒はそこで覚醒しつつある頭を冷たい水で顔を洗いつつ覚ましていった。

「――……ふぅ、スッキリ」

「タオルをどうぞ」

「ありがとう。それにしても寝起きの顔はいつもながらヒドイわね」

「お嬢様はいつも綺麗でお可愛らしいですよ」

 顔を洗う前の白黒は目が半開きで自らの名前と同じセミロングの白い髪に黒いメッシュという綺麗な髪も乱れに乱れきっていたのだが、今は目もパッチリ開き髪も綺麗に梳かされて流れるようなストレートヘアーへと変貌しており、とてもさっきの少女と同一人物だとは思えない変わりっぷりであった。

「お世辞なんていらないってば」

「別にお世辞のつもりではなく私の本心です。それと、お嬢様宛に小包が届いております」

「わたし宛に小包? いったい誰からだろう」

「宛名はF&Sカンパニーと書かれておりました」

「えっ⁉ ホントに! ……という事はアレが当選したのかも」

「おめでとうございますお嬢様。差し支えなければ当選した物をお聞かせしていただいてもよろしいですか?」

 前を歩くご主人は興奮しっぱなしで鼻息が荒く、オマケにこの感動を誰かに聞かせたい共有したいという熱意が表情の見えない背中から溢れ出てしまっている。その事を察した千草はその熱の発散の為、自然と内容物に対して質問していた。

「もちろんいいよ。でも時間が惜しいから朝ご飯の時に教えてアゲル」

「お気持ちはありがたいのですがお食事中は食べる事だけに集中してください」

 至極真っ当な注意を受けて白黒は思わずハッとなり押し黙る。その後、白黒は千草の指摘通り食事中は一切喋ることなく、食事が終わってから届いた荷物の自慢をすることとなる。

「お嬢様、先程から食事中にその小包を見ておられたみたいですが、なにか良い事でもありましたか?」

「あのね、千草」

「はい? どうかなさいましたか」

「なんで今初めてコレの存在を知った――みたいな体で話してるのよ」

「お嬢様がなにを申し上げているのか、私にはさっぱり分かりませんね」

 若干棒読み且つ誰の眼にも明らかなぐらい白々しい演技で、如何にも初めて聞きましたが何か? ――的なニュアンスを貫いていた。

「…………あ~そうね。ウッカリしてたわ確かに初めて見るものだよね、うん」

 白黒の熱を削いでしまった事を悔いた千草は、なんとか白黒が自然にそして当初の熱意を出してもらいたいと思っての『初めて聞くのですが』を演じたが、千草には演技力というモノは皆無であったが、主人をどうにかして立てようとする想いは十二分に伝わり、結果主人である白黒が使用人の気持ちを汲む形で折れる事となった。

「それじゃ開けるよ……」

 小包を手に取った白黒は包装を綺麗に剥いでいくと中から真っ白な小箱が姿を現わす。そして更にその箱を開けてみるとそこにはフレームだけの眼鏡にコンタクトレンズ、腕輪に指輪とファッションの小物に使うかのような物が綺麗に箱詰めされていた。

「おぉっ! これが――」

「なんというか想定以上に地味ですねコレ」

「――んなっ⁉」

「コンタクトレンズはいいとして、眼鏡はフレームの色が地味なただの伊達眼鏡のようですし、ブレスレットはデザインがダサいですし、指輪に至っては子供のオモチャかなにかと思うぐらいチープですね。本当にこんなのが欲しかったのですか? もしかして詐欺にでも引っ掛かったのですか?」

「いやいやいや違うから。取り敢えずこの眼鏡と腕輪を着けてみてよ」

 百聞は一見に如かずと言わんばかりに箱の中から眼鏡と腕輪を取り出し千草に手渡す。

「これを……着けるんですか? ダサいから着けたくないんですが――」

「いいから着ける!」

「仕方ありません。そこまで言うのなら着けましょう」

 渋々といった態度で白黒から受け取ると、眼鏡と腕輪を身に着ける。

「どう、でしょうか? お嬢様」

「おぉ……知的な感じでカッコいい」

 給仕服に腕輪はミスマッチではあるものの、眼鏡に関してはハーフリムが知的な印象を醸し出していて、全体の印象としては千草が言うほどダサいとは感じなかった。

「そうですか。でもこれでいったい何を……?」

「えーっと、ちょっと待ってて」

 白黒が箱の中を漁ると一冊の薄い取扱説明書が出てきて、パラパラと読み進めながら千草が着けている腕輪を弄る、すると――

「――なにか出てきましたね。映像……でしょうかねこれ?」

「そう! それこそがこの箱の中身の正体。なんだっけ複合現実とか拡張現実とか言ったかな、仮想空間を現実と組み合わせるって書いてあるね」

 今、千草の目の前には『F&Sカンパニーが創り出す新たな世界へようこそ』と文字がデカデカと表示されており、どうやらこれが白黒の言っている複合現実のようだが正直こんなものの何が白黒を興奮させるのか千草には理解できないでいた。

「どうやらそのようですが、私にはこれだけで興奮できるお嬢様の気が知れないです」

「むっ! まさかこれだけだと思ってないよね。だったらこの状態で外に出ればわかるから、ほら行くよ」

 有無を言わさぬ勢いで千草の手を取るとその勢いを殺さぬまま箱を抱えながら外へと飛び出していった。

「相も変わらず外の日差しはキツイですね。それでお嬢様、こんな所まで連れ出して何を……」

 そういう千草の言葉が急に途切れる。外に出た直後は日差しの眩しさに上手く目の前が見えてなかったが次第に目が慣れてくると白黒の憧れた光景が目に飛び込んで来た。

「これが……新しい世界……」

 目の前に広がる光景はいつもの見慣れた屋敷の外ではあるが、見慣れたいつもの光景からは程遠い世界が新たに顕現していた。

「そう、これこそがわたしがテスターとして応募した体感型ゲーム『ストレンジフロンティア』だよ」

 得意満面で白黒が語り始める。その後も長々と語り始めて如何にこのゲームが良いものか千草に説明するが話を聞く限りこのゲームを簡潔に説明するならば、現実世界に架空の怪物などが現れそれを自分の体を駆使して討伐していくゲームのようだ。

「概ね概要は理解しました。ですが怪我の危険性が僅かでも存在するものをお嬢様にやらせるのは使用人として許可できません」

「えーっ⁉ なんでなのよ。相手はただのデータの塊で実体が無いっていうのに、どうしたら怪我をするっていうの」

「どうしてもなにも激しい動きを強要されるならそれだけ怪我の危険性は増えますし何より、このゲームで扱う武器は現実の物を扱うのでしょう? 私としてはそれだけでも危険だと判断します」

「だ~いじょうぶだって。相手は人間じゃないし、この腕輪には事故・怪我防止用のガードフィールドが付いてから心配ないって」

「…………そうですか。これ以上は私が何を言っても聞き入れてくれないようですね。いいでしょう、お嬢様がこの腕輪を信頼するなら私はこれ以上何も言いませんし好きにしていただいて構いません。ですが、このゲームが原因で怪我をしたとなれば私は全力で没収いたします。よろしいですね」

 有無を言わさぬ視線で白黒を見つめる。その眼差しはどこまでも真っすぐで彼女をいかに心配しているかが窺える。だから白黒もその眼差しに答えるように強く頷く。

「分かった、千草の言う事も考えも理解出来るからね。約束するよ、このゲームが原因でわたしが怪我をしたらすぐに千草にこれを渡すよ」

「約束ですよ、お嬢様。あなたに何かあれば私は旦那様に合わせる顔がありませんので」

「……そうだね、お父さんが知ったらいろんなところに抗議しちゃうかもしれないもんね」

 グッと親指を立てて問題ないとアピールする。二人の間でこの辺りが互いにとって丁度いい落としどころだろうと。そうして最高に格好ついたまま白黒は振り返らずに歩き出す。

(千草が何かまた言い出す前にここを離れないと)

「そうだお嬢様、これを」

「まだなにかあるの」

「これ返します。いつまでもダサい物を着けていたくはないので」

 千草は身に着けていた眼鏡と腕輪を外すとすぐさま白黒へと突き返した。

「ア、ソウデスカ。コレハ親切ニドウモ」

 外した瞬間すぐさま白黒に渡したあたりこの眼鏡と腕輪が自分の想像以上にダサいと感じていたようで、受け取った白黒は格好つけた余韻をぶち壊されたからか苦々しい顔であった。

(ダサいダサいって……そんな繰り返して言うほど酷いかな、コレ?)

 そんなちょっとした疑問を抱きつつも白黒はゲームのテスターにのみに知らされた集合場所へと歩いて行くのであった。




 千草と別れた白黒は、小包に添付されていた印の付けられた地図を頼りに歩いて行くとやがて年齢や性別がバラバラの集団に出くわした。

「どう見てもわたしと同じ目的の人達よね」

 その集団は見た目こそバラバラではあるがそこにいる全員が白黒が手に持っている腕輪と同じ物を腕に着けていた。

「最後のおひとりが到着しましたので今回テストプレイしていただくゲームについて説明致します」

 声のする方に顔を向ける。そこには車椅子に座った女性とそれを押す女性の二人がいた。その内の車椅子に座った女性が今から皆にプレイしてもらうゲームの説明を行っていた。

「ですがその前に自己紹介を。私はストレンジフロンティアを開発したF&Sカンパニーの社長をしております巻波まきなみ花南かなんと申します。そして後ろにいるのは副社長のルーネアスト・ラクシュタインです」

 なんと、説明をするのは開発会社の社長でしかも一緒に副社長も来ているという。それだけの事ですら白黒のテンションは上がっているが、詳細を語られた際にはもう昇天してしまうかもしれないぐらい浮かれている。

「……待ちきれない方もいらっしゃるようですし説明を始めます。今回テスターの皆様方には七日間このゲームを体験していただきます。その間の衣食住はこちらで用意いたしますし、この体感ゲームの肝となる仮想のモンスターに干渉できる武器等も用意しております」

「……ゲームのテストなのにサービスがすっごい手厚いなぁ。どれだけお金かけてるんだろ」

 ゲームのテスターをやってもらうだけだというのに専用の道具はともかく、衣食住の全てをここにいる全員に用意していると言うのは些かやりすぎではないだろうか。

「ちょっといいかい社長さん」

 花南の説明にあまりにも調子が良すぎると感じたのか、参加者の一人が質問した。

「どうぞ。なんでも伺います」

「ここにいる参加者はざっと数えて見たところ三十人いる、それなのに七日間の衣食住を賄うとかいくら何でも話がうますぎやしないか?」

「我々は体感型である新たなゲームのテストをお願いしている立場です。未知のバグや不具合、実際の体でプレイする都合上ケガをする危険性があります。であれば衣食住をこちらが提供し不測の事態に備えるのは当然ではないでしょうか」

「――言い分事態はおかしくない、おかしくないが!」

 花南の説明に不審な点は特に見受けられなかったが、逆に一切おかしな点が見受けられない所が男性の不信感を加速させていた。

「納得がいかないのなら別にテスターとして参加していただかなくても構いません。その場合は今回のテスト用のゲームと機材は回収させて貰います」

「――うぅ、くっ! わかったよ、納得したよ!」

 花南の提示したテスター用の契約とも言うべき内容に、食って掛かった男は渋々と言った感じだが引き下がった。どれだけ個人的に不信感があろうともこのゲームのテスターとして応募した以上、その権利が剥奪されるのはどうあっても容認できないみたいであった。

「ご理解いただきありがとうございます。他に質問者がいないようでしたらゲームを行う専用の場所へとご案内いたします」

 花南が男性からの質問に答え終えた後、他に質問者が出なくなったことにより次の段階へと進む。花南が車椅子の肘掛けを軽く叩くとその背後から高さ3メートルはあろうかという大きな門が現れた。

「テスターに参加される意思のある方は腕輪を装着してから、こちらの門をおくぐり下さい」

「なんかでっかいのが出て来た⁉ あの会社っていろんな物を作ってるなぁ」

 突如現れた門に白黒が驚いている間に、花南とルーネアストが門をくぐりその姿を掻き消していく。その光景にテスター達は驚く中、突然の出来事に物怖じしなかった二人組の女性が先陣を切るように門の中へ入って行くと、それに続くようにして一人また一人と門をくぐっていく。

「すごいなぁあの二人。こんな訳分かんないのに入って行けるなんて。でも……あれ? そういえばあの二人――あの門がいきなり現れた時、驚いてなかったような……?」

 これから自分もあの中に飛び込んで行こう――そう思った時、小さな疑問が湧いて来た。白黒は一番最後に集合場所に来た関係上テスター達の中では最も後ろにいたから自分以外の参加者が視界に入る位置にいたのだがその中で、紫色のミニドレスを纏った女性とその傍にいたベルスリーブ服を着たキャスケット帽を被った女性の二人だけは他の参加者とは明らかに反応が違う――というよりかは反応が薄いと言った方がより近く、且つあの門を何の躊躇いも見せず真っ先にくぐって行った事がより二人の異質さを際立たせていた。

「まぁいいや、関わらなければいいんだし。それより急がないと」

 考えたところでどうしようもないし、触らぬ神に祟りなしという言葉があるように接触さえしなければどうという事はないだろうという結論に帰結した。

 またもや最後の一人となってしまった白黒は本格的に置いて行かれてしまう前に門をくぐった。そうして誰もいなくなると門は静かに虚空へと消え去っていくのであった。

(あの門の中ってどうなってるかと思ったけど、案外まともかな)

 門をくぐっただけで人間がどこかに消える現象を引き起こす物体、そんなものが創り出した空間なぞまともなものではないと思っていたのだが、いざそこに足を踏み入れた感想は辺り一面が黒いだけで何もない――いや、目の前にただ一点だけ白い光があり、そこに向かって歩いていると徐々に大きくなることからきっとあれが出口なのだろう。そんな不思議空間を進み出口と思しき地点に辿り着くと白い光が急激に膨らみ始め思わず「うっ!」と唸りながら白黒は目を閉じた、そうして次に目を開いたその光景は――

「――プレハブ小屋?」

 視界いっぱいにプレハブ小屋が映り込む。さっきまでこんな物は近くには存在していなかった。そして周りも見知らぬ地・見知らぬ風景で、少なくともさっきまでいた所とは全く違う所だけは理解できた。

「そういえば周りにだーれもいないのは何でだろ? もしかして皆もうゲームのテストをしてるのかな?」

 テスターとして参加したのだから自分以外の者がゲームをプレイしていてもおかしくはない、おかしくはないのだが現状これからプレイするゲームについて分かっている事は先ほど花南が説明した部分とテスターとして応募した時に目にしたざっくりとした概要だけで、それだけの情報でいきなりゲームをプレイしようにもあまりにも足りないものが多すぎた。この状態で他の皆は果たしてまともにテスターなぞやっているのだろうかと首を傾げる。

「――やめやめ、考えこむなんてわたしらしくない。とにかく動くべし、よ」

 他のテスター達も恐らくは同条件だと思われるので、まずは正面に見える謎のプレハブ小屋へと乗り込む。

「お、お邪魔しまーす……。誰かいませんか~?」

 おずおずと扉を開き中を覗き見るとそこにはベッドに台所・冷蔵庫・浴場・クローゼットと生活していくのに必要な品々と、剣・槍・斧・短剣・刀・メイス等の近接武器が部屋の隅に場違いなまでに取り揃えられていた。

「武器……庫なのかなここ? それにしては随分と生活しやすそうだけど」

 部屋の隅に纏められた武器を手に取りながらそんな感想が口から漏れる。手に取ったのは何の変哲もない直剣だったが持ってみると意外と軽く、よく見ると刃引きしてあるようなのでここにある武器は全て模造品という事なのだろう。

「ようやく来やがりましたか」

「――うわぁ⁉ だ、誰!」

 つい先ほどまでこの部屋はおろかその周りにだって人などいなかった。だというのにもかかわらず目の前には白い燕尾服の女性が白黒の事を見つめている。

「テスター期間中のあなたの衣食住の管理を任されてしまった哀れな奴隷です」

「ど、奴隷⁉ ウソ……冗談、だよね?」

 F&Sカンパニー――一つ新技術を公表したらそれだけで経済が変わるという影響力を持つという大企業。だが、そんな所が奴隷などという時代錯誤も甚だしい人材を有しているとは思えない。だが目の前にいる人物は真顔で自らを「奴隷」などと評した、そんな事は冗談であってほしいと口にしたわけだが相手の表情はそれは事実だと言うかのようにちっとも変化してくれない。

「えぇそうです。冗談ですがなにか」

 真面目な顔でちっとも笑えない冗談を言っていた。

「あぁ~良かった。――って、良かったじゃ済まされないって。結局あなたは何者なの」

「――? 先ほども申し上げました通りワタシはあなたの管理を任された者です。それともこのような事もご理解できないない頭をお持ちなのでしょうか?」

「…………」

 もう言葉にならない。それというのもファーストコンタクトからして急に背後から声をかけて驚かせ、畳みかける様に笑えない冗談を言った挙句いわれのない罵倒を浴びせられるという初対面の相手に対する行動とは思えない事の三連発をぶちかまされては大抵の人間はこういう反応にもなるだろう。

「おや、どうして黙ってるのですか? 知能が退化しすぎて言葉をお忘れになられましたか?」

「――うがぁ! なんなのよあなたは⁉」

「もう一度説明が必要ですか? ワタシは――」

「もうそれはいいから! それで、衣食住の管理をしてくれるって言ってたけど要はお世話してくれるって事だよね。具体的にはなにをしてくれるの」

「はぁ…………毎日の食事の用意と衣類及び寝具の洗濯、室内の清掃と必要時に限り武器類のメンテナンスを行うよう社長より承っております」

「――テスター期間が終わる前にストレスで倒れなきゃいいな、わたし……」

 間のある返答に溜息。この人物は使用人としてここに派遣されてきたのだろうが、自分の屋敷にいる使用人と比べるとどうしても劣っている――というよりもそれ以前に性格の方に問題があるといえるだろう。そのおかげで白黒の胃はゲームを始める前だというのに既に終了しそうになる始末。

「なに独り言をくっちゃべっているんですか、テスターならさっさと社長の役に立つような事をしやがって下さい」

「はいはい分かってるって、さっさと行くから少し静かにしてて」

 これ以上ここにいては胃だけでなく頭も終わってしまうかもしれない。そうなる未来を回避すべく白黒は手に持ったままだった直剣を携えてようやくゲームをプレイしよう小屋の外へと出る。

「お待ちください」

 外に出た所で白黒は呼び止められる。まだ何かあるのかと振り返ると声の方向へ顔を向けた瞬間、顔面目掛けて白い何かが投げつけられた。

「あだっ!」

「忘れ物です。それが無くてどうやってゲームをするんですか」

「あいたたた……。あ、これって」

 白い何かは綺麗に額に命中し、若干痛む額を押さえながら見るとそれはあの小包であった。現在ゲームに必要な物の内、白黒が持っていこうとしていたのは腕輪と武器のみ。確かにこれだけでは複合現実であるゲーム世界を知覚することは出来ず、指輪にもゲームをプレイするうえで大事な機能があるためこの忘れ物は致命的になる所であった。

「さっさと用意してとっとと行ってください。それと――このような事を聞くのは馬鹿らしいとは思うのですが、初期設定は当然済ませてきているのですよね」

「あっ……!」

「どうやらあなたは大変な愚か者だと認識せざるを負えませんね。そんな所で突っ立っていられても迷惑なので初期設定のお手伝いをしてあげましょう」

「……はい、よろしくお願いします」

 白黒の返答など端から考慮に入れてない口ぶりではあるが、それでも彼女の事を思って? の行動に、白黒もいくら口が悪かろうとも、いくら態度が尊大であろうとも指摘された事そのものは事実であるので消え入りそうな声で初期設定の手伝いを強制的に受け入れるのであった。

 そうして早速初期設定を手伝ってもらう訳なのだが――

「眼鏡タイプとコンタクトタイプ、どちらでゲームをプレイされますか。オススメはコンタクトタイプですが」

「じゃ、じゃあそれでお願い」

「かしこまりました。では装着させますので瞬きしないようお願いいたします」

「え、いや……自分で出来――うひゃぁあああ!」

 コンタクトレンズをすぐさま目に装着されたり(手慣れているのか意外にもすんなりと着けられた)

「腕輪はバイタルの観測にプレイヤーの保護機能、それとゲームに必要なデータが保存されているだけですので着けているだけで構いません。指輪の方はジェスチャーでメニュー画面を呼び出したりするのに使います。なので自分が覚えていられるジェスチャーを登録してください」

「なんでも良いんだったら…………これで」

 説明を受けるがままにジェスチャー登録を済ませ、動作確認としてメニュー画面を呼び出し(メニュー画面が暴発して出ないように人差し指と中指に指輪を嵌め、人指し指の指輪を二回、中指の指輪を一回を一秒以内にタップに設定)

「武器のほうは腕輪を着けている方の手で五秒握っていれば認証登録されるので、そちらの操作は特にこれ以上することは無いですね」

 ――と、設定を行っている時だけは悪態も口の悪さも鳴りを潜め、まるで別人かのような変貌ぶりを見せながらあっという間に全ての設定を終えてしまっていた。

「あ、ありがとう。おかげですぐに終わりました」

「いえ、これくらい出来て当然ですのでお気になさらずに。では行ってらっしゃいませ」

 そうして全ての設定を終えてしまった後は先ほどまでの別人っぷりは消え失せ、また最初に見せた姿に戻ってしまっていた。

「あ、うん――行ってきます。あ、そういえば名前――」

 そういえばと思い出す。初遭遇があまりにも酷かったために相手の名前を聞きそびれていた。七日間とそんなに長くない時間とはいえ共同生活をしてお世話をしてくれるのだ。名前を呼ぶ機会があるのなら、たとえどれだけ相手が失礼であろうと名前を知らなくては意思疎通も図りにくくなるだろう。

「あなたのお名前は存じ上げておりますが?」

「いや、わたしじゃなくてあなたの名前ね。まだ聞いていないし」

「ああ、そっちですか。別に好きに呼んでいただいて構いません、ワタシの様な奴隷如きに名前など勿体ないですから」

「えっ……!」

 名前が無い――最初に自分は奴隷だと言った時は冗談だと思っていた、その考えは今でも変わらないがそれでも、名前が無いと言っていた時だけは冗談を言っているようにはとても見えなかった。だから無意識に呟きが零れる――

「アサギ……うん、これからあなたの事をアサギって呼ぼうかと思うけどどうかな?」

 最初にこの人を見た時、白黒はなぜだか千草に似ていると思った。顔も声も本人とは似てはいないのだが雰囲気が似ていると感じた。アサギという名前も入色家の家系は色に関する名前が多く、千草も血の繋がりこそないが入色家の一員で白黒と同じ色の名前を持つ。そんな千草に似た雰囲気を持つこの人にアサギという近似色の名前は、ある意味で相応しいと思いそう呼びたかった。

「良いも何もワタシは最初にお好きに呼んで構わないと言いました」

「じゃあ決まりだね。それじゃあ行ってくるね、アサギ!」

 ゲームのプレイを妨げる要因は今度こそ全て排除された為、白黒は待ち望んでいた『ストレンジフロンティア』の世界へと飛び出していった。

「いってらっしゃいませ、白黒様。どうかお気を付けて」

 アサギは胸元に手を当てながら小さくなりゆく白黒の背に向かって見送りの言葉を投げ、彼女が怪我無く帰って来られるように祈った。

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