第18話 ひかりの声援
ピーーーッ!
ホイッスルが鳴り響く。
「誠ちゃん!」
勇磨が叫んだとき、誠司は右手を押さえて床にうずくまっていた。
「あいつ!」
飛び出そうとする勇磨の手を掴む者があった。振り返ると島田が勇磨の腕を握りしめていた。
「放せよ!」
「待て、ちゃんと見ろ」
振り返ると誠司はもう立ち上がっていた。
顔色が悪い。だが仲間に大丈夫だと合図を送っている。
「よく見とけ。あいつはきっとこれからの人生で何度もこんな壁にぶつかる。あいつは覚悟を決めてスタートを切った。邪魔するな」
島田の手は勇磨の腕を痛いぐらいに掴んでいた。
勇磨はそれからも必死でボールを追いかける誠司を、奥歯を噛みしめながら見守っていた。
前半が終了して、誠司は真っ青な顔をして水道の水で手を冷やしていた。
後ろから声をかけようとした勇磨は、誠司の右手を見て息をのんだ。
明らかにおかしな腫れ方をしている……こんな状態でまだやるのか。
「誠ちゃん」
「ああ、勇磨、悪いけどテーピングしてくれるか?」
誠司は持参してきた鞄から医療用のテープを出して、ここからこう、それでそっちに巻いてくれと指示した。
勇磨は言われたとおり丁寧に痛々しい右手にテーピングを施す。
恐らく感覚のない指が反対側に曲がってしまったのだろう。
誠司の手指はそんな腫れ方をしていた。
「きつくないか」
勇磨は誠司の顔色が冴えないのが気になった。
「ああ、上手いよ。さすがだな」
ほんの少し笑みを浮かべた誠司だったが、相当無理していそうに見えた。
「誠ちゃん」
「ん」
「がんばれよ」
「ああ。応援してくれ」
誠司は礼を言うと体育館に戻っていった。
その背中を見送った勇磨はただ見ていることしかできない歯痒さに、爪が掌に食い込むほど拳を握りしめた。
こらえていた涙が出てきそうになり、トイレに駆け込もうとしたとき、中から話し声が聞こえてきた。
「梶原、やりすぎだろ」
「あいつわざと高木にボールが渡りやすいようにして俺たちにも右手を狙えって、いくら何でもあいつ結構大けがしてたのにこれ以上やったら鬼畜だろ」
「梶原のやつ後半で息の根止めてやるって言ってたよな」
やっぱりそういうことか。勇磨はこめかみに青筋を立てつつ、ひそひそ話の中に割って入った。
「その話、詳しく聞かせてくんねーかな」
あまりの勇磨の迫力に、その場にいた三人は洗いざらい吐いたのだった。
「新君!」
後半の試合が始まってからしばらくして、ひかりは体育館に飛び込んできた。
「高木君が怪我をしたって本当?」
誰に聞いたのかひかりは明らかに動揺していた。
「ああ、でもほら頑張ってるよ」
「良かった。大丈夫だったんだ」
ひかりは安堵した様でそのまま誠司を目で追いかける。
試合の流れは前半同様、一進一退だった。
右手を痛めてから動きにキレの無くなった誠司は、小さなミスを連発していた。
時折顔をしかめながら必死に動き回る誠司の姿を、勇磨はやるせない気持ちで見守るしかなかった。
試合時間をわずかに残し、味方の動きにやや疲れが見え始めたところで相手が攻勢に出てきだした。
やっと同点に追いついた場面で味方にほころびが出来つつあった。
誠司は痛みと戦いながら相手に追い縋っていた。
勇磨は唇を噛む。
そして心配そうに見守るひかりに向かって願うように頼んだ。
「応援してやってくれないか。おまえにしかできないんだ」
ひかりはまっすぐに誠司を目で追いかける。
激痛に苦しみもがきながら前に進もうとするあいつに届くのは、お前の声だけなんだ。
勇磨は願う。
そしてひかりの声が体育館に響いた。
「高木君!」
ひかりの声は大きく高らかに体育館に広がった。
「私みてるよ! がんばって!」
勇磨は見た。苦痛に歯を食いしばっていた誠司の口元に笑みが浮かぶのを。
届いた。
味方の一人が相手の外したこぼれ球を拾いパスコースを探る。
梶原の指示でわざとマークを緩めている誠司にはパスの通るラインがあった。
ボールを取りに来た相手に背を向けて誠司に向かってパスを出す。
誠司にボールが渡った。
「高木君!」
ひかりの声が響く。
誠司は一気に駆け出した。左手でドリブルをして、ものすごい速さで相手を抜いていく。
あまりの鮮やかな身のこなしに、観ていたクラスの女子たちが歓声を上げる。
もう残り時間は少ない。パスを出さず相手のブロックを誠司は一人で潜り抜けていく。
ゴール手前で梶原は誠司が来るのを待っていた。
ゴール際のブロックに紛れてとどめを刺してやろうと梶原は最初から狙っていた。
誠司がシュートを打てる体制になる。
「あばよ!」
両手でボールを持った瞬間に、ガードする梶原の手が誠司の右手を狙って振り下ろされた。
そして勇磨は見た。いつかの光景を。
振り下ろされた手が誠司の右手に届きかけた時、梶原の視界から誠司は消えていた。
誠司は予め梶原の動きを読んでいたかのように、相手の側面に入り身した後跳躍の態勢を作った。
梶原は思い切り手を振り下ろした反動で、前によろけて味方にぶつかり倒れこむ。
そして、誠司は翔んだ。
誠司の手を離れたボールはゴールに吸い込まれネットを揺らした。
「やった、やったあ」
いつのまにかやってきた楓がひかりに抱きつく。
ここで時間切れとなり、僅差だったが二組は六組に勝利し、二組男子は優勝した。
「時任」
勇磨がひかりの背中をポンとたたいた。
「ありがとな。おまえのお陰だ」
「私何もしてないよ」
ひかりは仲間から揉みくちゃにされている誠司をじっと見つめている。
勇磨はニヤリと笑った。
「お前がそう思ってても誠ちゃんはそうは思ってないかもな」
勇磨は仲間に囲まれる誠司に躊躇いもなく駆け寄っていった。
ひかりはそんな勇磨を羨ましそうに見るのだった。
「え? 高木君も三組の私たちの試合観てくれてたの?」
試合後、更衣室でひかりは楓にそのことを初めて聞いた。
「高木君、ひかりのこと滅茶苦茶見てたわよ。なんかもう魂抜けたみたいになってた」
「そんな、気付かなかった。損しちゃった……」
「しかしあいつ、あのバカの新ったら私の脚ばっかり見てるのよ。いくら美脚だからってホントいやらしい奴だわ」
最近、楓は脚線美に相当自信を持っているようであった。
「今日は高木君たちと合流して帰ろうよ。私ら三組は女子総合優勝だし、二組は男子総合優勝だし、どっかで祝杯なんてどうかしら」
「それ、いいわね」
誠司の怪我のことが気になっていたひかりには、楓の誘いはありがたかった。
「じゃあ私、先行って捉まえとくね。ひかりも早く来なよ」
「うん、すぐ追いつく」
ひかりはまとめていた髪を解くと、ロッカーの小さな鏡で髪を直し始めた。
それはただ、いじらしい仕草で髪をとかす少女の姿だった。
「お待たせ」
ひかりは楓が引き留めてくれていた誠司たちと合流する。
少し恥ずかしそうに誠司の横に並んでひかりは歩き始める。
「怪我、大丈夫?」
「うん。それより、応援ありがとう」
誠司はあの時ひかりの声をはっきりと聞いた。いや、ひかりの声だけが……。
「聞こえてたんだ、良かった」
はじけるような笑顔。
誠司はあまりに大きいひかりへの気持ちにまた胸の痛みを覚えた。
右手の疼くような痛みよりもずっとずっと……。
ひかりがそっと手を伸ばす。
「持ってあげる」
誠司の体操着袋を手に取るひかりに一瞬、誠司は何か感情があふれ出たような仕草を見せた。
「ありがとう」
「うん。いいの」
勇磨と楓は少し距離をとって二人の後を歩く。
夕日が照らす切ない二人の影は胸の思いを描くように重なり合っていた。
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