第8話 勇磨

 新勇磨あらたゆうまは自分の強さに自信があった。

 一対一の喧嘩では一度も負けたことはなかった。

 小学校三年生から親の影響で空手をやっている。

 道場でも筋がいいと一目置かれていた。

 中学に入って同級生の不良グループから喧嘩を売られて叩きのめした後、周りの勇磨を見る目が変わった。

 親しくしている連中もなんとなく自分と微妙な距離があるというか、変な気遣いが見えだした。

 切れたら暴力をふるう、そんな風に思われているのが誰からも感じられる中、自分に寄ってきて親しくなろうとする連中は、いつの間にか新勇磨の連れという肩書が欲しい奴らばかりになっていた。

 勇磨はそんな中、すさんでいき、道場にはほとんど顔を出さなくなり、取り巻きの連中とつるんでは些細なことでも相手を殴るようになった。

 そんな生活を送る中、現れたのが高木誠司だった。


 転校生。


 中学二年の二学期、張り付くような暑さの中、高木は勇磨の前に現れた。

 なんとなく線の細い高木が、勇磨の近くの席に座った時から、何かが変わり始めた。

 ある日の昼休み、高木は自分の席で一人、弁当を食べていた。

 転校してきてから特に誰とも仲良くなろうとする訳でもなく、他人に対し無関心を貫いているような態度を高木は取っていた。

 そこに勇磨といつもつるんでいる連中が、高木を取り囲むように立っている。

 勇磨は近くの自分の席で腕を組んでいる。


「よう転校生」


 勇磨の取り巻きの一人が高木に声をかけた。

 そして二年は俺たちのグループが仕切ってるんだと虚勢を張り、これからはそのことをわきまえて行動しろと凄んだ。

 そしてグループのボスである勇磨に挨拶しろと迫った。

 まるで相手をすることなく、高木は何も言わずに黙々と食べ続けた。

 そんな転校生の不遜な態度に、取り巻きの一人が大声をあげた。


「無視してんじゃねえ」


 高木は弁当を食べ終えると、丁寧に弁当箱を風呂敷に包んで鞄にしまった。

 席を立つと何も言わずに教室を出ていこうとする。

 そこに誰もいないかのような高木の態度に、取り巻き達は怒りをあらわにした。


「舐めてんのか。新は空手やってんだぜ、そんな態度してたらどうなるか分かってんのか」


 話の途中で高木は立ち止まり、勇磨を振り返った。表情は穏やかだったが明らかにその瞳には冷ややかさがあった。


 そして……。


「武道をけがすな」


 はっきりとそう言って、高木は教室を出て行った。


「この野郎」


 追いかけようとする取り巻きを勇磨は制した。


「やめろ!」


 その一声で取り巻きたちは大人しくなった。


「あいつとは俺が話をつける」


 出て行った高木の方を睨むような眼で見ながら勇磨は席を立った。



 給水機で水を飲んでいた高木を見つけて、教室から出て来た勇磨が近づいてきた。


「さっきの言葉、取り消せ」


 高木は何も言わない。


「武道を汚すなって言っただろ、取り消せ」


 凄む勇磨に見向きもせず、水を飲み終えた高木は袖で口元をぬぐった。

 そして相変わらずそこに誰もいないかの様に、何も言わずに勇磨の横を通りすぎようとする。

 その刹那、勇磨の拳が高木の顔面にはしった。

 拳は空を切った。

 そして勇磨の前にもう高木はいなかった。


「な……」


 いつの間にか勇磨の横に、高木はスッと腰を落とした状態で立っていた。

 正確に言えば突き出した拳の側に並ぶように立っている。

 勇磨は慌てて飛び退いた。


 なんだ今のは、いつの間に……。


 勇磨の背筋に冷たいものがはしる。

 高木は何事もなかったかのようにまた教室へ向かう。


「ちょ、ちょっと待て」


 高木は振り返り、さっきと同じような冷たい目を勇磨に向けた。


「取り消さない。武道を汚すな」



 旧校舎の裏は不良のたまり場になっていた。

 たまたま運悪く通りがかった一年生二人が、タバコを吸っている三年生三人に絡まれていた。

 二度ほど殴ったとき、一年の一人が抵抗して不良たちの暴力の抑制はきかなくなっていた。

 そこに自分もタバコを吸おうと現れた勇磨たちだったが、目の前でボコられている一年を見て引き返そうとした。

 取り巻きの連中は関り合わないようにさっさと退散したが、勇磨はその場をなぜか動けずにいた。


 武道を汚すな。


 高木のひと言が胸に引っ掛かっていた。

 小学校の時、テレビのヒーローに憧れて強くなりたいと思った。

 つらい稽古をただひたすら繰り返す日々、それでも道場の周りの人たちはいつも汗を流しながらいい顔をしてた。

 小学校四年の頃、白い犬に落書きをしていた同級生と喧嘩した。

 三対一だった。ボコボコにやられたけど犬を助けた自分が誇らしかった。


 俺は……。


「やめろ」


 勇磨の口から、自分でも意外なひと言が漏れ出した。

 

「はあ、新、おまえ今なんつった」

「やめろって言ったんだ」


 相手は三人、学校で一番たちの悪い三年生だ。


「そいつらを放せ」


 勇磨はもう間合いを取り始めた。


「なんだお前、俺らに盾突こうっていうのか」


 勇磨は雄たけびのような声をあげて三人に向かっていった。



 しばらくして旧校舎裏には人だかりができていた。

 大勢の生徒が学園の事件を口にして見物に行く中、高木は教室の掃除をしていた。


「新が三年とやってるって」

「相手は三人らしいぜ」


 黙々と人がいなくなった教室を掃除する高木だったが、廊下の話し声に手を止めた。


「なんでも一年を庇って三年に喧嘩売ったらしいぜ」



 人だかりに囲まれる中、勇磨は自分の肉が打たれる音をぼんやりと聞いていた。

 もう何度殴られたのだろう、体のあちこちが痛い、今はただ頭をかばって蹴られ続けている。

 野次馬が大勢いる。

 みんなみじめにボコボコにされている俺を見ている。

 いつもつるんでた連中も遠目にただ見ている。

 不良同士の喧嘩に割って入ってくる者は誰もいなかった。

 あいつ以外は。


「高木……」


 見物人を割って一歩を踏み出す高木の姿を、勇磨は腫れた瞼の下で見た。

 どこか現実味を帯びないような、力の抜けた高木の姿に勇磨はくぎ付けになった。

 真っ直ぐに歩いてくる。

 その足取りに何の迷いもない。


「なんだおまえ」


 勇磨への一方的な攻撃を止め、三人が高木と対峙する。


「こいつの連れか」


 不良の一人が高木の胸ぐらをつかんだ。


 その瞬間。


「い、いててて」


 高木の胸ぐらを掴んだまま、仕掛けた三年の一人が膝をついた。

 高木は胸ぐらを掴む手に右手を添えているだけに見えた。

 いったい何が起こっているのか、その場にいる誰もが分からなかった。

 最初に仕掛けたやつは胸ぐらを掴んだまま、手を放すこともできずに苦悶の表情を浮かべている。


「は、はなせ」


 そのあとの高木の動きは速く滑らかだった。もう一方の掌を相手の肘関節に添えると同時に側面に回り込んだ。

 その時相手の腕は綺麗に裏返り、あっという間に地面にうつ伏せにされていた。


 すごい。


 勇磨は高木の技の鮮やかさに、痛みを忘れて見入ってしまった。


「こいつ!」


 高木は殴りかかってきた拳を払うように捌くと、相手の側面に瞬く間に移動した。


 あれは、あの時の…。


 それは勇磨も体験した一瞬で間合いの内側に入られ、裏三角と言われる弱い部分に移動するあの動きだった。

 そして……。

 殴りかかった不良の両足が綺麗に空中に舞い上がったと思うと、背中から地面に落ちていた。


「ぐう」


 肺の空気を無理やり吐き出さされたような音を出して、不良は動けなくなった。


「もうやめませんか」


 そう言ったのは高木だった。

 二人を倒した時点でもう勝敗はついていたと言っていい。残った一人が高木と一対一で戦ったとして、今見ただけの実力で計ったとしても勝敗は明らかだった。

 だが、突然割って入った下級生に三人がかりで敵わなかったとしたら、彼らの学校での権力図が明日から完全に壊されてしまうとしたら。

 最初に高木が倒した不良の手に、小石の入り混じった土が握りしめられていた。

 次の瞬間、高木の顔に向かって握っていた土が投げられた。

 反射的に顔をかばった隙に、残った不良の拳が綺麗に脇腹に入った。

 追撃を避けようとする高木の足に、土を投げた男の腕が抱え込むように絡まり、高木は相手の拳を何度も叩き込まれる。

 顔面への攻撃は腕で防いでいたが、動けない高木の脇腹には何度も拳と蹴りが入っていた。

 勇磨は突進していた。

 どうやって立ち上がったのか、どうやって一歩を踏み出したのか分からない。

 気が付くと高木に殴りかかる奴の懐に飛び込んで、羽交い絞めにしていた。

 そしてまた殴られていた。


「新」


 高木の声。


 初めてだったな。クラスメートで席も近いのに、お互いに名前を呼んだこともなかった。


「あとは、任せろ」


 高木は足を振りほどいて自由になっていた。


「ああ、たのんだ」


 勇磨は膝から崩れ落ちた。

 速い右ストレートが高木に襲い掛かる。

 捌きは一瞬、側面に並ぶ、しかしあれは……。

 腕を取り背を向ける。相手は高木という渦の周りを回るしかないように流され、中心の渦は一瞬で反転し向きを変える。


 そして……。


 勇磨は見た。人間がこんなに綺麗に宙を舞うのか。

 振り上げた腕を支点に、不良の体が綺麗な弧を描いて宙を舞う。


「大した奴だ」


 そしてこの時を境に、高木と勇磨、二人の関係は始まったのだった。

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