第6話 厄介な友人

 夏休みを二日残して、まだこれほどまでの猛暑を超えた酷暑が最後に残っていたのかという夏の日だった。

 蝉の声は落ち着いたものの、照り付ける太陽は自転車をこぐひかりの肩をじりじりと焼いていた。

 もう何度この道を通っただろう。ひかりはそんなことを考えながら自転車のスピードを落とす。

 小さなブレーキ音をさせて高木家の玄関先に自転車を止めると、すかさず玄関の引き戸が開いて、誠司がバタバタと慌ただしくひかりを出迎えた。

 いつも呼び鈴を鳴らす前にこうやって出てくる少年の姿に、ひかりは自分が来ることを楽しみにしてくれているのだと少し嬉しいのだ。


「また早く着いちゃった」


 白いつば付きの帽子が太陽の光を反射する。


「来てくれてありがとう」


 少年は強い日差しの中で、それ以上のはじけるような笑顔を見せる少女を眩し気に見つめる。

 そしてその後、ひかりの乗ってきた自転車の荷台に目を向けた。

 そこには少し背の高い風呂敷包みが積まれていた。

 誠司の視線が自転車の荷物に向いているのを察してひかりは説明した。


「あのね、これなんだけど」


 ひかりは背の高い風呂敷包みを指さした。


「私がここに来るって言ったらお母さんが持っていきなさいって」

「これは?」

「高木君と食べなさいって。二人分のお昼ご飯だって」

「そうなんだ、時任さんのお母さんに申し訳ないな……」


 誠司は二人分にしては大き過ぎるその包みに、少し驚いているみたいだった。


「私はいいって言ったのに、お母さんったら朝早く起きて何かやってると思ったら、ちょっと作りすぎたかもって言ってたけどすごい量なの。育ち盛りの男子ならこれぐらい食べるかもって言ってたけど……」


 申し訳なさそうに、ちょっと困った顔をしているひかりの頬から汗が伝い落ちる。

 きっと誠司は自転車の風呂敷包みよりもひかりが熱中症にならないかと心配になったのだろう。慌ててひかりを家の中へ招き入れた。


「取り敢えず中に入ってよ。これは俺が運ぶね」


 括りつけていたロープを解いて風呂敷の結び目に手を掛ける。

 そして左手で持ち上げようとすると予想以上に重かったのか、誠司の表情がこわばった。

 それでもひかりの手前、風呂敷包みを軽く持っている感じを誠司は出している。


「ごめんね。重いよね」

「いやあ、どうってことないよ、このぐらい」


 そしてひかりは誠司の母の写真に手を合わせた後、エアコンの効いている誠司の部屋でひと心地ついた。


「今日は暑いね。もうすぐ九月だっていうのにね」


 誠司はひかりの前に置いたグラスに、よく冷えた麦茶を入れてやる。


「ありがとう」


 ひかりはグラスの麦茶を喉を鳴らしながら一気に飲み干した。


「おいしー。生き返った」


 ひかりは火照った顔でふうと息を吐いた。


「大丈夫? 顔が赤いよ」


 誠司は心配そうにグラスにお茶を足す。


「大丈夫。私鍛えてるから」


 それからひかりは誠司の運んでくれた高さのある風呂敷包みを前に、困った顔でどうしようかと悩み始めた。


「お母さん、お刺身とかも入れてたみたい。とりあえず保冷剤入れてきたから大丈夫だと思うけど冷蔵庫に入らないよね」

「そうだね、流石に入らないかな……」

「どうしよう……」


 背の高い包みを前に二人は一緒に考える。


「時任さん、まだしばらくは保冷剤持ちそう?」

「うん。あと三十分くらいなら大丈夫だと思う」

「じゃあ三十分後に食べ始めたらどうかな。少し早めにお昼ご飯にすればきっと大丈夫だよ」


 時計を見ると11時を少し回っていた。


「そうね。それがいいかも」


 ひかりは誠司の提案に賛成し、にこりと笑った。


「じゃあリビングのテーブルに持っていくね」


 誠司が風呂敷包みに手を伸ばしかけた時、玄関のベルを鳴らす音がした。

 ひかりが外の方に目を向ける。


「誰か来たみたい」

「そうだね。誰だろう?」


 誠司は外の様子を確認しようと、いつもひかりが来たときに覗いている窓から玄関の人影を伺ってみる。

 そこには坊主頭の中学時代からの友達、新勇磨あらたゆうまが汗だくで白いビニール袋を持って立っていた。


「ゆ、勇磨!」


 誠司はサッと身を隠した。


「どうしたの?」


 明らかに動揺している誠司に、誰が来たのかとひかりも窓から外を覗こうとする。


「待って、時任さんちょっと待って」


 誠司は必死でひかりを引き留める。

 余計に気になったひかりはちょっとだけ覗いてみた。


「あれ? うちのクラスの新君だ」


 夏休みに入る前、毎日クラスで顔を見ていた同級生に、ひかりはすぐに気付いた。


「時任さん聞いて。あいつ面倒くさい奴だから時任さんがここにいるのを知ったら変な風に勘違いするに違いないんだ。おまけに口は軽いし、ここは気付かれないようにしようよ」

「え? うん、そうね。高木君がそう言うんならその方がいいかも」


 予期せぬ友人の訪問に慌てふためいている誠司とは対照的に、ひかりはそれほどこの珍客を大層には考えていないようだった。


 一方誠司はこの状況に追い詰められていた。 

 ひかりと二人きりになれて幸福感いっぱいの誠司だったが、坊主頭の登場で状況は一変したのだった。


 ここで時任さんと一緒の所をあいつに目撃されたら、ややこしいことになるに決まってる。何とかこの修羅場を上手く乗り越えなければ……。


 何とかしようと考えを巡らせる誠司の耳に、またよく通る声が聴こえてきた。


「おーい、せいちゃん。いるんだろ。アイス買ってきたから早く入れてくれよ」


 なんてタイミングが悪い奴だ。アイスを置いてとっとと帰れ!


 誠司は心の中で叫んだ。


「仕方ない。玄関で追っ払ってくる」

「うん。がんばって」


 誠司はしぶしぶ玄関の引き戸を開けて、何か用かと不愛想に対応した。


「おう、誠ちゃん、一緒にアイス食おーぜ」


 誠司にとっては見慣れた姿だったが、勇磨は能天気にそう言って白い袋をぶらぶらさせた。


「あれ?」


 勇磨はいぶかし気な顔で、そこに止めてあるひかりの白い自転車をじろじろ観察しだした。


「誰か来てんのか?」

「いや、誰も」


 誠司は平静を装う。


「女が乗りそうな自転車だな」

「それ親父のやつ。白が好きなんだ」

「ふーん」


 勇磨はまだ納得してなさそうだった。


「とりあえず入らせてくれよ。もう暑くって。そこのコンビニで買ったアイスも溶けそうだし」


 そう言ってそのまま入ってこようとする勇磨を、ちょっと待てと誠司は引き留めた。


「アイスはありがたく頂いとくよ。悪いけど今日の所は帰ってくれ」

「なんだよ。今日の誠ちゃん滅茶苦茶冷たいな。なあ頼むよ。喉も乾いてるし涼しい部屋でアイス食わせてくれよ」

「いや、申し訳ないが今日は都合が悪いんだ」

「なんの都合だよ?」


 やたらとしつこい勇磨に、誠司は何と答えていいものか一瞬だけ悩む。


「それはあれだよ……そう、今家の中リフォーム中なんだ」

「何言ってんだよ部屋いっぱいあるだろ」

「全部リフォーム中なんだ。エアコンも全部使用不可だ」

「でも誠ちゃんは中にいたじゃないか。どうなってんだ?」


 不毛なやり取りを延々とやり続けているうちに、汗だくの勇磨は誠司の部屋の窓に目を向けた。


「ん? 今あの辺りで何かが蠢いたような……」


 さらに目を凝らそうとする勇磨の視線の先の窓には、ちょっと反射で分かり辛いが、薄っすらと何かの影らしきものが見て取れた。


「なんだ? なんかいるぞ」


 首を伸ばして覗き込もうとする勇磨をの視界を、誠司は不自然にさっと前に出て隠す。


「リフォーム業者だよ。気にするな。ははは」

「いや、なんかもっと別の感じだった」


 勇磨は誠司を押しのけ目を凝らす。

 なにかが窓からちょっとだけ顔を覗かせてさっと消えた。


「やっぱりなんかいるぞ!」


 勇磨は誠司を振り切って家の中に駆け込んだ。

 勢いよく誠司の部屋のドアを開けて勇磨は腰を抜かしそうになった。

 ひきつった笑いを浮かべて、ひかりは棒立ちになっていた。そして誠司は勇磨の後ろで頭を抱えている。

 

「誠ちゃん、とうとう女を連れ込むようになったのか!」


 勇磨の第一声だった。


「勇磨、誤解するな。今から説明するから」


 勇磨はひきつった笑いを浮かべて立ちすくむひかりをじっと見つめて、「んー」と唸った。


「どっかで見たことがあるような……」


 こんな美少女一人しかいないだろ! 誠司は心の中で突っ込んだ。


「おまえ時任だな。時任なんとかだな!」


 勇磨は昔から人の名前を覚えるのが苦手だ。


「この涼しい快適な部屋に時任がいて、クソ暑い外で俺を引き留めて追い返そうとしたってことは……」


 暑さと動揺で頭の中が混乱しているのか、その次のひと言まで少し時間がかかった。


「さてはおまえら付き合ってんのか!?」


 誠司とひかりは勇磨の勘違いにドキッとして、そのあと慌てて否定した。


「違う。違うんだ。勇磨まあ落ち着いて話を聞け」

「言い訳すんな。この状況でそれ以外何があるっていうんだ。そうならそうと言えよ」


 誠司の予想は的中した。こうなることが分かっていたので知られたくなかったのだった。



「なんだよ変に隠すから、俺誤解しちまったじゃないか」


 その後、誠司から一通り説明を聞いたことで勇磨はやっと疑いの目で二人を見るのをやめた。


「誰かをかばって怪我したって聞いてたけど、それが時任だったとはな」

「まあ、そういうことなんだ」


 誠司は勇磨が騒がなくなって取り敢えずはほっとした。


「いいか、このことは誰にも言うなよ。おまえ口軽いから」

「なんだよ、俺は口軽くないぞ。時々大事なことをポロっと言っちゃうだけだ」

「それを俺は心配してるんだよ。いいか、変に勘繰られたら時任さんも困るんだ。絶対言うな」


 誠司の真剣さが伝わったのか、勇磨は分かったと承知した。


「で、時任はあれからずっと誠ちゃんの手伝いをしてたのか」

「うん。高木君の手が治るまでは力になりたいの」

「そうか。じゃあ俺と一緒だな」


 勇磨は変な仲間意識を持ったようだった。


「まあ先輩の俺を見習ってがんばれよ。時任なんとか」

「時任ひかりさんだよ。失礼なやつだ。ごめんね、こいつほんと人の名前覚えようとしないんだ」

「うふふ。なんかもっと新君って怖い人かと思ってた」


 話してみれば意外と気さくな勇磨に、ひかりの緊張はそこそこ解れたみたいだ。

 勇磨は一見すると短く刈った頭に目つきも鋭くぶっきらぼうだったので、クラスの女子の間ではちょっと怖そうな人で通っていた。


「まあ、よろしくな。俺たちは誠ちゃんのサポートチームだからな」


 どうやら勇磨はひかりを歓迎しているようだ。


「うん。よろしくね」


 ひかりもニコニコしている。


「ところで新君は高木君の何のお手伝いをしてたの?」


 ひかりの質問に勇磨は固まった。


「お、おまえこそ何してたんだよ」

「私はまだ大したことしてなくて、病院にいるときはお見舞いに行って。帰ってきたら宿題のお手伝いしてた。それで今日はお昼ご飯持ってきたの」


 ひかりはこれからもっと頑張るねと付け加えた。


「勇磨、そういえばおまえ俺になんかしてくれたことあったか?」


 誠司が覚えている限り、勇磨が現れた時はしゃべって食べて帰るだけだった。


「お、俺はアイス買ってきたぞ。もう溶けて食えねーけど」


 勇磨はひかりの登場で、誠司の一番の親友という立ち位置がおびやかさるのではないかと危機感を見せた。

 そして、先ほどの友好的な感じから一変し、対抗心をむき出しに食って掛かった。


「俺、これから本気だそうって思ってたとこだからな。言っとくが実力は無限大だからな。二学期に入ったらおまえの出番は殆どない。覚悟しとけ」

「おまえ何張り合ってんだ? さっきチームだとか言ってたのおまえだろ」


 誠司は変な方向に行こうとしてる勇磨にくぎを刺しておいた。

 ひかりはというと勇磨の話を真に受けたのか目をキラキラさせて、「そうかー無限大なんだ」と胸の前でぎゅっと手を握る。


「時任さん、こいつの話は真面目に聞いちゃダメ」

「まあいいや。なんだか腹減ってきたんだけど、誠ちゃんなんか食わせてよ」


 ひかりは丁度良かったと、あの重たい風呂敷包みの中身を三人で食べようと提案したのだった。

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