第45話 6回表 佐山と風祭③

《青海視点》


 ベンチの今村はそのスライダーの《変化量》に瞠目する。

(『ブーメランスライダー』、スピードがありかつ曲がりが大きい。これほどの変化量はかつて経験したことがない……。並の投手が投げるスライダーの倍は横に曲がっているやろ)

 わかっていても打てないスライダー。

 泡坂が狙い球を決めても打つことができない変化球、それが桜のスライダーだ。

 1回で風祭に連投したピッチングの再現、外角アウトコース無効領域ボールゾーンから有効領域ストライクゾーンに曲げるスライダー。

 桜井の唯一無二のウイニングショット、

 列強ひしめく青海打線相手にこのイニングまで延命できた理由はこのスライダーがあるからだ。

 5番・泡坂の第3打席の結果は、

 インロー・スライダー→ファウル、(

 インハイ・スライダー→見送りボール、(

 インロー・スライダー→ファウル、(

 アウトロー・スライダー→見送りストライク。

 見逃し三振!

 その変化球がミットに吸いこまれる最後の瞬間、のぞきこむようにボールを見送った泡坂の恐ろしい表情。

(ピンポン球みたいに変化した……!)

 片城はフレーミング(捕球後にミットの位置をずらし、ボールをストライクと主審に誤認させる技術)などしていない。その必要がなかったからだ。

 遠く離れた場所にいる観客の眼から見ても超変化していたブーメランスライダーがストライクゾーンの右下の隅に決まった。

 投げ終えた桜にはそれがストライクだという『確信』があったのだろう。大きく開いた口の形が勝利の雄叫びを予兆していた。

 直前の死球をあたえた際の桜の悪童的なふるまい、球審は感情的に「ストライク」とコールしたくはなかったはずだ。

 だがその至上のスライダーを見て「ボール」とコールできる球審は世界中どこにもいない。完璧に意図デザインされた投球。これが1年生ピッチャーか?

(桜君のスライダーは速度、変化量、そして《コントロール》すべてにおいてSクラス。この球種だけならすでにプロでも上位にはいる)

(究極スライダーだけ投げさえすれば青海のすべてのバッターを完璧に抑えられる……ですがそれは1巡目に限ってのこと)

(桜君のスライダーに眼が慣れてしまう、あるいは桜君の身体があのブーメランスライダーを投げられないほど消耗することを避けたかった。負担が大きい球種ですから)

(抑えクローザーはできても先発は任せられない。短いイニングならスペシャルな存在ですけれど長いイニングを任せたらアヴェレージです)

(だから前半は意図してそのスライダーの投球割合を抑えた)

(ゲームは終盤へむかっていく。このまま逃げ切れるのか……9回で決着がつかなかったら厳しい。過去最高に好調な桜君ですが、いつ体力を切らしてしまうかわからない。そもそもキャッチャーとして僕は彼をコントロールしきれていない)

(彼の人格……自分の最強をまったく疑わないエゴイズム、自分のベースボールプレイヤーとしての過剰なまでの過大評価)

(だからこそここまで臆せず青海相手に無失点ピッチングを続けることができたわけですが――)


 ベンチに居座る置鮎がチームメイトにむけてこう語った。

「あのスライダーは超厄介だ。全然打てない俺が言うのもどうかと思うが……」

「左打者からすれば見送りたくなる変化だよな。青海うちは左打者多い。バットを振ってもファウルになりやすい」

「これがヒントになるかどうかはわからないが、桜のスライダーはな、おそらく桜が実戦を経験していないからこそ、独学だったからこそ身につけることができた変化球なんだ」

「一つの球種を投げこんだからあの馬鹿げた変化量を実現できた。試合で打者を打ちとるという成功体験を経てないが故に極めることができた」

「あれはピッチャーの自己満足だ。ともかく眼に見えて変化しさえすればいい。だってそのほうが

「『試合で投げて勝利する』ことが目的じゃなかった。『自分が投げたいボールを投げられるようになる』」

「試合経験がなかったからこそあいつの異能は身についた」

「まともな指導者なら肩を痛めるからあんな変化球連投させない」

「あれでコントロールできなかったら左打者にぶつけまくって使い物にならなかったはずだ。なのに桜はスライダーに限ってはほぼ失投がない。あの球種にだけは絶対の自信があるんだ。左打者が多い青海には特効」

「あれは俺のフォークと同等のウイニングショットだ」

「他に武器を育ててない。ストレートもカーヴも並だ。だから唯一の武器を磨く必要があった。5月の練習試合で打ちこむことができたのはスライダーの割合も低かったからだ。桜がこの数ヶ月で実戦慣れしたおかげで弱点はなくなった」

「スライダー対策?」

「そうだな。。なにしろあの異様な曲がり方……腕に負担がかからないはずがない。桜はベストピッチングを更新し続けている。準決勝までの試合を観ても今日ほど桜のテンションは高くなかった。顔を見てもわかるけれど精神的にもハイになっている。自分のピッチングに酔ってるっていうか……」

「気をつけろよ三ツ谷。(風祭に続いて)またぶつけられるかもしれないぞ」


 バットを手にした三ツ谷が振り返る。

「避けねぇよ置鮎アユ。俺も貴船の魂背負ってんだ」

 チームを救う好守備の代償でゲームから退場した右翼手ライトの魂を。


「6番貴船君に代わりまして、代打、三ツ谷君」

 右打者に送られた監督からの指示は『待球』だった。

 バッターボックスに立つ三ツ谷の佇まいからそれを即座に見抜いた桜と片城。初球のスライダーをど真ん中に放る。

 三ツ谷はなにもできず見送る。

 彼の耳にベンチからの檄はとどかない。

 不甲斐ない心境のまま桜の第2球を待つ。

(なんだこのグラウンドの空気は? 薄い。寒い。みんなこんな場所で戦っていたのか?)

(ここは息苦しい)

(都大会決勝戦、無得点、無敗の青海、甲子園5大会連続出場が懸かったこのゲームのプレッシャーに耐えられない? 3年の俺が……)

 今村が甲高い声を上げているが彼の耳には届かない。

 指先がまともに動かなかった。

 三ツ谷は考えがまとまらない。思考が固定化されたままきた球を打つしかない。

 桜は笑い、

 キャッチボールよりもゆるい♨ 山なりのボールを投じる。

「おらよ」

(ざけんな!)

 強く振ったバットはまともにボールを捉えられず、ショート逸乃の定位置に。ショートゴロ。

 気恥ずかしさからかピンチヒッターは頭を下げたまま一塁へ走っていた。

 塁審が「アウト」とコールする、マウンドを一歩降りた桜がベンチにむかって歩きだしていた。

「傲慢」「悪ふざけがすぎる……」「野球を舐めるな!」そのような声が球場の各所からきこえてくる。

 桜は意に返さずベンチでドリンクをむさぼるように飲んでいた。

 松濤のエースはすでに次のイニングの戦いに備えた顔をしている。

「これだけゼロが続くと『サッカーより点が入らない』ってアメリカ人が怒りだすと思う」と屋敷は夙夜にささやいた。

「ちょっと前に『近年のアメリカにおけるサッカー人気は本物だ』と言ってたのに……」


  青海000000   |0

  松濤00000    |0


「青海は全力で潰すに値するチームだ。絶対ぜってー気は緩めねぇ」と桜。

「デッドボールのあともそうだし最後の打者もそうだし、桜は問題児に見られないと気が済まない子?」

「んなわきゃねぇだろ地だ地」

「つか桜高校浪人してたりするのん? 顔がチンピラ」と屋敷。

「チンピラ……」

「失礼ですよ。確かに粗野な顔をしていらっしゃいますが」と夙夜。

「ソヤってなんだ……?」

「だから女の子にフラれるんですよ」と片城。

「フフ……てめぇら、青海に勝った投手がモテないと思ってるのか? 明日――いや今日から俺の時代だ! 憶えとけよ!」と桜。

「エースの動機が不純すぎねぇ?」と勢源。


「……」「」「ピッチャーとしての能力だけではない」「メンタルが強い」「あのふてぶてしい態度」「球威も衰えない、むしろ速くなっている」「スライダーだ、あのスライダーが半端ねぇ」「泡坂の世代の打者たちをここまで抑えるとは……」「近年稀に見る接戦」「青海が公式戦で6回まで得点を奪えないだなんて……!」

 試合をモニターで観ている全国の強者たちは桜を讃えつつも、試合の結末を予想できずにいた。

 まだ善戦止まりだ。

 松濤は10割・屋敷を擁しても未だ泡坂から点を奪えず、

 そしてどんな形からでも(ヒットを打たずとも)青海は点を奪うことができるのだ。

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