第30話 1回裏 ミニゲーム①

《青海視点》


 21打数21安打25打席連続出塁、打率10割。

 公式戦初参戦、その2年生はあらゆる記録を過去にした。

 都大会最強の天才打者、屋敷慎一。


 高校野球史上最速ピッチャー。

 甲子園4連覇チーム、青海高校の絶対的エース、泡坂。


 泡坂対屋敷、第一局面。

 その二人がグラウンドに姿を現れただけで、スタンドは異様なまでの盛り上がりを見せる。

 観客の数が膨張したと思えるほどの声量だった。スマホのシャッター音が絶えまなく響く。

 1回表の攻防が些事にすぎなかったと思えるほどの盛況。

 スポーツマンらしくない長髪を後ろでまとめていた屋敷と、いかにも野球部員っぽい短髪の泡坂。見た目だけでも対照的な二人だ。その経歴も似通ってはいない。

 名人ウィザード新参者ニューカマー


「――打率10割なんて幻想にすぎへん。おまえの意見はともかく……」

 マウンドに登った泡坂。この巨漢はただ立っているだけで絵になる(192cm、85㎏)。

 投手とむかいあった今村は語りかける。

「俺は屋敷を『人間』だと思ってるで。いずれ記録は途切れたやろ。おまえが打ちとればそれで終いや」

 泡坂は無言でうなずいた。

 センバツでは全試合3番で起用していた泡坂をこの日青海・監督堂埜が5番に置いたのは、屋敷慎一との対戦に集中させるためだった。

 ネクストバッターズサークルにはいった屋敷と今村の眼があう。

(準決勝までのこいつのバッティング――3月あのとき5月あのときよりも洗練されとった……)

 打球速度もはるかに上がっている。

「怪物退治といこうや。ちゅうておまえも散々怪物呼ばわりされってけど」

 試合を観る者たちがグラウンドに三人の人間しかいないと錯覚する。

 打者・屋敷は飄々とした態度を崩さない。

 投手・泡坂は決意に満ちた顔をしていた。

 捕手・今村はキャッチャーマスクの奥深くに己の感情を隠す。


(努力だとか、才能センスだとか、野球への愛だとかそんなんじゃない。今日比べようとしているのは『人間』そのものだよ。選手を甘やかすのも叱るのも導くのも選手自身。指導者や環境じゃない。今日試されるのは泡坂と俺のだ)


   *


 試合前日、青海バッテリーは屋敷対策について話しあっていた。


  今村「ミニゲームやな。おまえと屋敷の戦いは」

  泡坂「どういうこと?」

  今村「青海対松濤っちゅう本筋のゲームとは別に、おまえと屋敷という個人の対決が注目される。160㎞/h出す大エース対大会記録塗りかえまくりの2年生天才バッターっつう構図ができとるってことや」

  泡坂「ふぅん」

  今村「当事者なんやからもっと意識せぇや」


 とまどう泡坂。


  泡坂「屋敷と戦えればそれでいいよ」

  今村「インタヴューで観客のレスが大事みたいなこと言うとった癖にな……青海ファンならこう思う。『泡坂なら屋敷の連続打席ヒット記録を止めてくれる』と。松濤贔屓なら『屋敷なら泡坂が相手でもヒットを打ち続けてくれる』。これで盛り上がらないわけがない。地方大会の決勝とは思えないほど注目されてるんやで」

  泡坂「――俺が屋敷を抑えられなかったら、それだけで松濤あっちに流れが傾く」

  今村「わぁっとるやないかい」


   *


(個人主義者な泡坂が、チームのために一人の打者を仕留めにかかる)

 全力で。

 あのときの言い訳ができる『9割』ではなく『10割』で。

 

 屋敷の〈意〉は『攻』。どのゾーンにきても打つつもりだ。

 今村は試合まえから決めていたサインを出した。

 泡坂は振りかぶり――長い左足を持ち上げ、

 不動のまま直立し右足にのった体重を――左足の着地と同時に、

 全身の駆動で生じたエネルギーが足から、腰、胴、そしてしならせた右腕全体に伝わり、

 ただ一点へ集約される。ボールへ! 

 泡坂の直球ストレートはたとえるなば――

 閃光。

 屋敷の始動は早い、そのスイングをたとえるならば――

 一閃。

 キャッチャー今村は前方で生じた金属音で結果を悟った。

(やはり狙いはフォーシーム!)

 人を殺せそうな速度の打球が三塁線外に切れていった。ファウルボールだ。

「開幕ぶっぱやめろ」と屋敷。

「前飛ばしてんじゃねぇよ」と今村。

 バックスクリーンの表示を見た。球速は157㎞/h。轟く場内の歓声。

 いつもなら振り返って球速を確かめることがある泡坂だが、今日はそうしない。

 まるで屋敷相手に視線を切ったら

(初球打ちはしのいだ。どんな相手でも第1球から見送ることなくヒットにしてきた屋敷の攻撃的バッティングスタイル。こいつはカウントで追いつめる――)

 屋敷は泡坂の豪速球に初見でアジャストした。

(こいつ相手に出し惜しみはせんで)

 今村はサインをだした。

 泡坂の主な球種はストレート、カットボール、カーヴ、シュートの4つ。

 ストレートを連投し圧することもできるがここは、

 ウイニングショットを使う。

 ボールの中心から人差し指と中指をずらし握り、切るような感覚で投げる。

 その変化球はストレートに近い軌道・速度から手元で小さく変化する。

 カットボール。

(名づけるなら死神の鎌デスサイス

 ストレートとまったく同じフォームからそれが――

(構えたとおりアウトコース! 初見なら100%こいつにも通用する)

 左打者ならバットの根元にボールが喰いこみ、

 右打者ならその凄まじい切れ味にボールを見失う、

 屋敷は外へ逃げるそのボールに、

(ストレート待ちで全力のカットにはあわせられへん!)

 対応しきれない。屋敷の超高速のスイングはわずかに――バット下部に当たったボールはフェアグラウンドに転がり――

 右に切れファウル。一塁手ファーストの風祭があと3歩まえに守っていれば凡退インフィールドアウトにできた。

「惜しい!」風祭の表情が歪む。

「おまえも人間なんやね」と今村。

「追いつめた……」と泡坂。

「チートいい加減にしろよ」

 屋敷は振り返って捕手にそうつぶやいた。

「なんのことや?」

 バットを構え直しながら屋敷は言った。

「5月に相手の考えがわかるってゲロったのはおまえだろ? 打者の待球がわかるならリードに苦労はない。観察眼に優れているってレヴェルじゃなくてESPエスパーじゃん」

 今村は返事をしない。

(まぁそのとおりなんやけど……。相手打者の〈意〉がわかる以上、そこから対応できない球種、コースを選択すればまず打たれない)

 読心術――配球を任される捕手が身につけて良い能力ではない。

 今村の能力は『マインドスキャン』、あるいは『後出しの権利』とでも呼称すべきか。

 今村は自分の能力を卑怯だとは思っていない。

 先天的な特殊能力ではなく、後天的に努力して身につけた技術だからだ。

 ……今村の視線は屋敷の手元に向いていた。

(あのバットの握り――グリップエンドに小指をひっかけバットを通常より1㎝弱長く使っとる。そのわずかな違いによってスイングに力が増す。慣性モーメント的によりパワーが必要となるが、投手が投球動作にはいる直前まで両の人差し指を立てをなくしとる――)

 剛柔一体。

 屋敷はどのコースにボールがきても苦もなく打てる。


 第3球は外角へ逃げるカーヴ、屋敷は見送ってボール。


 第4球は内角に喰いこむシュート、屋敷は反応しかけるがストップ。ボール。


(積極的なはずのこいつが余裕をもってボール球を見送りやがった。3月の泡坂との対戦で外れたボールを打ったのは伏線だった? 不覚や! 無意味にカウントを悪くしてもうた……)

(それでも泡坂は絶好調。緩急が利いとる。現状ほぼ要求どおりの位置に投げこんどるし)

 今村は次の1球で打ちとることを確信していた。

 捕手は屋敷の〈意〉を確かめる。

(この打席はすべて泡坂の最速ストレートにあわせるつもりらしい)

(ストレート待ちにはカットがセオリーやが……)

 だが今村は5球目にカットボールを選択しない。

 その理由を今村は言語化できない。この究極といっていいシチュエーションで論理ではなく直感を信じる。

 ただなんとなく、

(泡坂はこのボールを投げたがる……)

きびいな。でも次で逆転するよ」

 屋敷が独り言を口にした。

(それはないで)

 今村は内心そう答える。


   *


 泡坂は証言する。

「痛烈な打球が野手の正面をついてアウト、っていうのは試合を観ていればよくあることだけれど……その打球を打ったコースっていうのは大半が四角いストライクゾーンの『辺』なんだ。特に四隅コーナー――アウトロー・アウトハイ・インロー・インハイにいいボールがくると、速い打球を打っても野手の定位置に飛んでアウトになりやすい」


「野球のルール――ストライクゾーンだとかフィールドの設計が上手くできている証拠だよ。ピッチャーが質の高いボールを四隅コーナーに投げさえすれば当てられてもアウトがとれる。ヒット性の当たりノットイコールヒットってことね。だからトップレヴェルを目指したいなら野手のいない位置に打球を飛ばすことを学ばなければいけない(プロは『惜しいかった』じゃなくて結果を残さないといけない)。そのためにボールの叩く位置を状況に応じ真芯から微妙に変え、もしくはスイングの軌道を変え、打球を意図的に操作することを覚えないといけない」


「別に難しいことを言っているわけじゃない。テニスだとか卓球だとか……他の球技じゃ打つボールに回転をあたえて変化させることは普通の技術でしょ? 考えてみたら屋敷がやっていたスポーツばっかりだね」


「打球を操作する感覚は一朝一夕では……というか小学生のころからその感覚で打ってないと高校生の今一流を相手にその技術を使うことはできない。才能もそうだけど経験も必要」


「他の高校生もある程度は『打球操作』の技術は使っている。でも俺や屋敷ほどは使いこなせてない。俺は長打を放つために、屋敷は確実にヒットを打つために使っているから成績は似通わないけれど……」


四隅コーナー投げを攻略するために『打球操作』という技術がある。じゃ、その『打球操作』を使う打者を攻略するためにピッチャーはどうすればいいのかって言うと、それは単純に


   *


 置鮎は証言する。

「まったく身も蓋もないことを言うな泡坂! 人に変化球教わろうっていうのに少しはかしこまったらだろうなんだ? 将来日本を代表するピッチャーになるこの俺に!」


「『1億積んで頭を下げろ!』ってレヴェルだぞ。わかってんのかこのベースボールマシンがよ。人の心ねぇのかよ!」


「屋敷対策? あいつは確かにヤバいバッターだったが……」


「ったく。こっちが断れねぇのわかって頼んでんだろ? 人の良さそうなツラしておいて本当性格悪ぃな……だが対価を寄越せ。金なんかじゃねぇ」


「俺の彼女だよほら! 美人だろ? 一瞥で視線切んじゃねぇよおまえ! 野球以外興味ないサイボーグかおまえ……。選手権終わったら彼女とデートするからおまえついてこい。少しは普通の高校生っぽいこと教えてやるからよ。1日空けとけ」


   *


 泡坂のフォークボールは……。

(置鮎の唯一絶対のそれとはまるで比べものにならない出来やった)。

 置鮎が強打者たちから空振りを奪いゴロを打たせフライを打たせカウントを稼ぎ打ちとり続けてきたフォークに比べたら、コントロールも精度も劣るだろう。

(せやけど落ちる)

 落ちる変化球ほどバッターから空振りが奪えるボールはないのだ。

 泡坂はチームメイトかつライヴァルである置鮎に頼みこみ、この3ヶ月間この1つの変化球を覚えることに多大な時間を費やし、そしてマスターした。

 今の泡坂は本物のフォークボール投げることができる。

 実戦ではまだ投じていない。

 一度だけ使える奇襲攻撃。

 それを1回表の先頭打者に使う。それだけの価値が屋敷にはある。

(敵は過大評価するにこしたことはない。10割という数字はどこまでも真実なんやから――)

『打球操作』という技術も、当たらなければどうということはない。

 カウント

 今村のサインに泡坂はうなずく。

(さぁ空振れ! ひざまずけ! おまえもアウトになるんだよ!)

 投じられたボールは、最初はストレートと同じ軌道、

 だがボールにかけられた回転は低速、ゆえに下向きのマグナス力が発生し、

 打者がスイングを開始するタイミングで落ち始める。打てるはずがない。

 しかしボールが低い。

(地面に叩きつけられる!)

 泡坂のフォークはホームベースの手前で跳ねた。

 遮蔽ブロッキングのため両膝を落とす今村。

 両チームの選手ほぼ全員が思った。

(泡坂の第5球は大きく外れた。屋敷は見送り決着は3-2フルカウントになってから)と。

 だが現実には、

 屋敷はスイングを開始する。

 バウンドしそれでも膝よりも高く上がらなかったボール、

 それを、ほぼ真下に振り下ろしたバットが捉える。

 ゴルフスイング。

(こいつ、軸足を抜いて無理矢理クローズスタンスに!)

 ストライクゾーンのはるか下部の跳ね上がったボールを正確にとらえ、打球は三塁手サード後方へ。その守備範囲を越える位置までボールは飛翔し、

 左翼手レフトの前に落ちた。

 これで22打席連続安打。


 10割継続。


 1塁ベース上の屋敷は控えめなVサインをベンチに、そしてあてこすりで泡坂にむけている。

 ベンチの夙夜が片眼を閉じ、手のひらを上にして眼の下に添えるという謎のポーズをして屋敷を見ていた。


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