第29話 1回表 敗北者
《青海視点》
*
今村は言った。
「青海のモットーは『全国制覇』ではない、『優秀な選手を育てる』ことですらない」
監督の堂埜はうなずく。
「『自律・自尊』です。寮の入り口のすぐの目立つところに貼ってありますやろ? 俺はこの言葉をこう解釈しています。『考えてプレーしろ』と」
堂埜はうなずく。
「たとえば打撃・守備・投球といった各局面で
堂埜はうなずく。
「出場選手全員がミスを恐れず勝利に貢献してもらいたい」
堂埜はうなずく。
「指摘がないと
*
1回表、青海高校の攻撃。スコアは0対0。
マウンドの桜の周りに内野陣と捕手が集まっている。
スタジアムの満員の観衆の反応は、
「超打者・風祭による先制打への期待」
あるいは、
「松濤が初回から大量失点しワンサイドゲームになりそうなこの展開への不満・失望」
この2種類だった。
誰もまだ松濤の勝機を見出せていない。
「青海を倒せそうなのは大阪……和歌山……宮城の代表校か。やはり青海を倒せる相手は全国にしかいなかった」
3万人の眼が言っている。
「青海を倒すのはおまえたちではない」
1塁ランナーの今村
(想像したないくらいの大ピンチやで松濤……)
1番打者の佐山が3球目のスライダーを捉え1・2塁間を破るシングルヒット、
2番打者の芹沢が1塁線への送りバントに成功、かつ俊足を飛ばしセーフ、
3番打者の今村はカウント
結果1つのアウトも獲れずにランナーがすべて埋まり、
全国最強と謳われる打者と最悪の条件で第1打席を迎えることとなった。
(1年には荷が重すぎる相手やで……悪くないボールを投げとるんやがな)
今村が青海高校を選んだのは、シニアで全国屈指の好投手としてその名を轟かせていた中学時代、都内に遠征し青海の中等部と対戦し、泡坂と風祭、二人の『王』に完全に、完璧に打ち砕かれた経験があったからに他ならない。
今村は
(強いチームに勝てへんならその強いチームに加入すればいいんや)
(強者には惹かれるし憧れる。俺はもう二度と負けたくないからこのチームを選んだ)
今村は望んで捕手に転向し、練習風景や試合の映像をコーチに撮影してもらい、自分のプレー集を作成し動画のコードを青海のスカウトに送りで推薦入学をとりつけたのだ。
そして入学して2年間、今村は自分の望みを叶え続けてきた。
常勝。
(風祭は力まないやろ。ここは長打なんていらん場面。最低限――犠牲フライか
現状桜のコントロールはそこまで安定していない。カウントが悪くなればコースが甘くなる……。風祭は打ち損じない。
「無失点で切り抜けたら奇跡だね」
ファーストの屋敷がつぶやいた。
今村も内心屋敷の言葉に同意した。
まもなくゲームが再開する。
頭上の内野席から響き渡る応援歌、爆音で奏でられた『アフリカン・シンフォニー』が敗北イヴェントの挿入歌にきこえてくる。松濤ナインは絶望感を味わっているだろう。
守備フォーメーションはほぼ定位置。
(バッテリーの〈意〉を見ておくか……桜も、片城もこのピンチに負のオーラがない。気負いもない。風祭相手に勝算があるとでもいうのか?)
相手の立場になって考えればわかりやすい。
無死満塁は守る側にとって致命的なシチュエーションに思えるが、しかし統計的には76%の確率でしか得点には至らない。無死1、3塁や無死3塁のほうが得点する可能性は高い。
理由は2つ。
①塁にランナーが溜まっているため併殺がとりやすくなる。
②最初の打者を封じてしまえば攻める側に焦りが生じ、守る側に余裕が生まれる。
(そんなことくらい百戦錬磨の風祭は充分承知している)
第1球、アウトコースにスライダーが決まりストライク。
風祭は悠々と見送った。
桜の
今村は観察を続ける。
(この試合と準決勝までの桜のピッチングの違いは……)
決勝戦、松濤バッテリーのサインは投手・捕手両方からだされている。
準決勝までは捕手の片城がサインを出していたというのに。
(どちらかが
第2球、アウトコース低めにスライダー、これを風祭が叩く。打球は三塁線ギリギリ外れファウル!
場内から大きなため息が漏れる。
泡坂が投げている試合で2点以上のリードはくつがえせない。試合開始4分の今の段階で決着がつきかねない。
「打てるよ
三塁ランナーの佐山が叫ぶ。
風祭の微塵の隙もないバッティングフォーム。
やや外寄りに構えているが、アウトコースにはバットが外角に余裕で届く、そして甘いボールがくれば風祭の力でレフトスタンドまで運ぶことができる。
打者にとって最も打ちにくいアウトローに投げさえすれば安牌で抑えられる、そんなセオリーはこの強打者には通じない。
しかしカウントは
(2球外のスライダーを続けた。遊び球なしなら内角を攻め――)
第3球、アウトローにスライダー。豪打。左翼席をはるか高く越えるファウルボール。
(3球続けてバックドアやと!)
『バックドア』とはバッターから見て外角のボールゾーンから内側に曲がりストライクゾーンにはいる変化球を使ったリードの総称(『フロントドア』はその逆)。
あわやHRという当たりを見せたが、風祭の〈意〉に焦りが見られる。
(3球続けてスライダー、アウトコース低め)
サインミスではない。キャッチャー片城は桜になにも言わない。
そしてコントロールミスではない。
(ありえへん。まるでこれじゃ)
予告投球。
すべての競技・遊戯に共通する駆け引きという行為を拒絶しているに等しい。
観客の大半も、選手の半数以上もこの異常事態に気づいていない。
あの怪物相手に球種、コースを半ば宣言し投じているようなものだ。
(どうして他の球種を投げない? ストレートは? カーヴは?)
あるいはこれまでの3球がハイリスクな餌撒きで、4球目に別のボールを投げ勝負をつけようというのか?
しかし3球続けてストライクに投げる意味は限りなく薄い。
そこまで信頼に足るボールなのか? 桜の投げるあのスライダーは。
(横への変化量の大きいスライダー。そうはいうてもうちの打者から空振りは奪えへん)
第4球、アウトローにスライダー! (速度も変化もさらに極まってきた!?)
4番打者はハーフスイングしかける。ストライクか? 球審の判断は?
わずかな静寂ののち、球審は「ボール!」と。
カウントは
練習試合で滅多打ちにした1年生ピッチャーに仕留められかけた。
桜はマウンド上で一人笑っている。
(桜は……呆れている? 捕手のリードに?)
今村はキャッチャーの姿を見改める。スポーツマンとしては小柄な優男だ。感情が読めない。青海戦、初回無死満塁という死線を歩いているこの現状でいかなる感情も発していない。
(こいつが
準決勝までの投球内容など当てにはならない。
この決勝戦に標準を定め準備し続けてきた。
桜と片城がカモにしようとしているのは青海の4番なのだ。
今村は思う。
(主将が固くなっている。同じボールを4度続けて投じられ逆に打つことが難しくなってるっちゅうことか? そして次の投球がアウトローのスライダーとは限らないわけで……クソっ、片城の野郎考えやがったな!)
第5球、アウトローにスライダー。リプレイ映像を再生したかのようにまったく同じボールが投じられ、
反応した風祭のスイングは常人の眼には止まらぬ速さに達し、
そしてそのフルスイングから放たれた打球は消えた。
(消失!)
ボールは、
サード中原正面へ! 中原は弾丸ライナーを腹で地面にたたきつけ、
素手で拾う。そのまま3塁ベースを踏み、ほぼノールックで2塁へ送球!
(滑りこむ――俺は間に合わん、だが得点は――)
セカンド華頂がそのボールを1塁屋敷へむけて即射出、
(投げるまでが早すぎる! なんやこいつは!?)
1塁ベース、駆け抜けた風祭よりも屋敷への送球が一瞬早く到達した。
塁審が右腕を挙げアウトを宣告する。
屋敷が右腕でガッツポーズ、球場内でため息と歓声が同時に発生した。
青海0 |0
松濤 |0
青海の攻撃は無得点に終わった。
立ち上がった今村はベンチに引き上げる華頂の後ろ姿を見る。
(ユニフォーム越しにもわかる肩の筋肉……肩から先の力だけであのスローイングしたっちゅうことか? 化物やろ?)
(……最悪は
うつむいてベンチに下がる風祭。自分への怒りを隠し切れていない表情だ。
(これが後輩に見せる上級生のプレーか? 今のバッティングは風祭の怠慢でしかない)
「計算どおりすぎてつまんねぇぜ」
当てつけを口にしたのは松濤エースの桜。
すれ違った風祭は意に返さない。
なぜか桜のチームメイトたちは口を大きく広げ驚いていた。
「急に喋るんじゃねぇよ桜! 死にかけてたクセに!」と中原。
「完封が見えてきたな。この試合これ以上のピンチはもうねぇ」強がりを言う桜。
*
桜「は? 青海には入部テストがない? 推薦で入った奴だけ入部できる?」
片城「どこの馬の骨とも知れない人は入部させないでしょう。一般試験で入学した実力が不確かな生徒がエリートぞろいの野球部に入ったら、能力の違いで足を引っ張ってしまいます。だから桜君があのチームでプレーすることは叶わないです」
桜「あいつらと野球できたら楽しいって思ったんだがな……。ならオレは青海蹴散らす側に回るしかねーってことか」
*
――間の抜けた会話を耳にしつつ、今村は自軍ベンチの様子をうかがった。
(無死満塁という最悪の場面から生き残った。凌ぎおった。これは幸運ではなくあいつらの実力とみるべきや。このゲーム苦戦は免れんかもしれん。『夏は怖い』。そのことを思い出せる3年生は俺を含めて四人だけか……)
今村はベンチメンバーに手伝ってもらいキャッチャーの防具をつける。
(最初が肝心や。この対決でゲームの流れが決まりかねへん。相手は――)
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