第6話 彼らの時代

「数年前まで青海は高校野球界において普通の強豪にすぎなかった。東東京大会ではいいところまで勝ち上がっても、優勝候補とぶつかれば敗退してしまうような並のチームでしかなかった。それが変わったのは2年前の4月、泡坂が青海の中等部から高等部に内部進学してからのことだった」


『青海』程度のブランド力では超有望SSRな中学生をスカウトすることはできない(そういう子は引く手数多だから)。だから子供のうちに青海の下部組織(中等部)で囲って育て、高校生になったら無条件で即戦力を手に入れられる、という青海のお偉方の長期的な視野にもとづいた戦略だったのだが。

 いや、それにしてもそのプロジェクトの最初の卒業生に『天才投手』、『豪球豪打』、『戦術は泡坂』な泡坂がいるというのは何万分の1の大当たりでしかないと思う。


「泡坂はもともと2年後を見据えじっくり育てるつもりだったけれど、懸念されていた成長痛が落ち着いたこともあって1年の夏からベンチ入りしてね、それで大会の初戦、2年生ピッチャーが大量失点して2回途中で交代、んで泡坂が2番手として登板してそっから9回まで無失点ピッチング」

 夙夜は手を挙げる。授業中みたいに生真面目に。

「はい。まず泡坂さんっていうのはあなたがさっき対戦してた大きな人?」

「そう」

「本来は出すつもりがなかった1年生が夏の大会で大活躍したわけね」

「夙夜は高校野球童貞だな」

「なんで男に童貞呼ばわりされないといけないのよ! ていうかなんてこと言わせるの!」


 夙夜はフィクションが間に挟まらないと物事に関心をもたない(ベタなオタクだ)、世間をにぎわしている青海人気をまったく知らないのだ。


「青海と泡坂さんはどうなったの?」

「泡坂はバッターとしても3打点の活躍でチームの逆転勝利に貢献した。まぁあとはダイジェストになるけれど決勝まで出場して活躍しまくった。新一年生の残す成績じゃなかったね。先発した決勝戦に至っては

 せめてどちらか一方にしてくれよ。

 ったく、元チームメイトにこれだけ活躍されたら誰の心にだって火が点いてしまうだろう。

 俺はその日『野球』にもどって泡坂と同じ高みに立ちたいと願うようになった。それがどんなに困難な命題だとしても。

 夙夜も驚いていた。

「マンガでもそんな展開読んだことがない」

「そう。まぁ決勝戦は完全に泡坂のゲームだったけれど、すごいのは泡坂だけじゃなかった。今の2年は他にも特に秀でた選手が四人いる世代なんだ」

「それでーー」

「結論からいうと青海は全国大会初出場ながら夏の選手権大会を制覇した。泡坂は自分の最強を証明した。他の一年生も遜色しない活躍だった。はい夙夜さん!」

 挙手した夙夜を指名する(一人しかいないのに)。

「1年生がいきなり活躍ってどれくらいすごいことなの?」

「高校野球っていうのは全国どこでも盛んだし、みんな勝ち上がるために切磋琢磨してる魔境で、全国大会行ったらそりゃもうみんな強者なはずなんだけどそこでフィジカル的にも経験値的にも厳しいはずの一年生たちが試合でて勝利に貢献している時点で普通じゃない。『泡坂の世代』と一般的には呼称されているけれど、泡坂だけがスーパーな選手ってわけじゃない」

 スタメンも途中出場した選手全員も優れていた。たとえ泡坂が欠場しても全国優勝しかねないほど戦力は充実していたのだ。

 というか選手だけじゃなくて監督コーチ陣、トレーナー、マネージャー、栄養士などなどチームスタッフ全員が優秀でなければこれだけの成績は残せなかったハズだ。トレーニング施設などもそう。経営者から野球部への投資は莫大だったことを元部員の俺は知っている。

「野球という競技の特殊性……つまりディフェンスに大きく貢献できるのは九人のうち一人、投手だけという要素があるわけで」

 だから投手というポジションが花形なのだ。

 レヴェルの高い大会で優勝するにはチームに好投手がいなければ勝負にならない。なんというクソゲー。

「他の野手の守備も大事だけど、投手が滅多打ち喰らったら意味がないから」

 泡坂は高1の夏からいきなり結果をだしてみせた。世界一になるつもりのあいつからすれば通過点にすぎなかったのだろうが……。

 この2年間、青海には絶対戦力エースが常に二人はいた。青海の2番手投手ですら俺も苦戦する強さだ。

 夙夜はスマホで青海大学付属の情報を検索している。

「夏春夏の3連覇……」

「来週から始まる春のセンバツも制覇して4連覇するんじゃないかな。公式戦無敗なのよ『泡坂の世代』。無敵すぎて引く」

「そんなチーム過去に例がない」

「間違いなく高校野球史上最強のチームだろうね。二人の『K』がいたPLよりも上。サッカーでいうとスタメン全員プロになった世代の広島ユースよりもタレント豊富で、バスケでいうと田臥がいたころの能代工業よりも圧倒的」

「早口になったね慎一」

 スポーツに関しては夙夜よりもオタクだからこうもなるだろう。オタク意識しなければ相手に情報圧縮してまくしたてがち。

「――青海の名は高校野球界の最強の代名詞となっている。紅白戦が全国の決勝よりレベルが高い。もう本気で青海を倒せると思っているチームは全国のどこにもいないだろう。今年の夏の大会なんて平均得点10以上で平均失点1以下だもん。全試合圧勝だった。どうせ今度の選抜も似たような内容で勝っちゃうさ……。でぇ、勝負事っていうのはわかりやすくていいよな。『最強』に勝っちゃえば勝者は今度はその名声と実績をそのまま奪える」

 素晴らしい。

「それが慎一の目的なんでしょ」

 夙夜は微笑んだ。

「俺の打撃なら泡坂のボールを打ち崩せるかもしれない。俺こそが勝因。俺がいなければ物語は始まらない」

「物語?」

「最強無敵なチームが高校3年間を無敗で駆け抜ける……なんて平穏な起伏に欠けるストーリー誰も観たくなんてない。連中が一敗地に塗れるところを観たいはずなんだ。青海が大物喰いジャイアントキリングされるをね、まぁ出来れば俺・主演で上演したいところ……」

「大丈夫? 顔引きつってるけれど……」

 自分ではわからないが顔が青ざめているようだ。

 ピッチャーやれるならともかくね。

「うん、できれば、実現して欲しいけれどさ……ぶ、ぶっちゃけ現実味はないかな。だって俺以外1年生の創部1年目のチームでまず東京大会を勝ち上がらんといけないから……まずそこからしてキセキだよね」

「自信満々だったのに急にテンション下がらないでよ」

 心配そうに夙夜は言う。

「なにが必要なの? 私が手に入るものならなんだって……」

 頼むからただ見守るだけでいてくれ。ただの観察者であってくれ。

 このプロジェクトに夙夜を巻きこむつもりはない。幼馴染にはただ結果だけを享受してもらいたいのだ。

 夙夜に助けられるままの自分なんて許せない。

「夙夜は俺を見ているだけでいいよ。それだけで俺はなんでもできる……」

 夙夜が近くにいるだけで俺は特別な人間になれる。少なくともそう思いこめる。

 ふと気がついたらクサいセリフを口にしてしまっていた。彼女の耳にしっかり届いてしまっている。

 音声によるコミュニケーションってキャンセルができなくて不便。

 夙夜と俺は8秒間沈黙する。

「きゅ、急に変なこと言わないで! それで?」

「俺が最善を尽くしても個人競技じゃないからダメなんだよねぇ……」

 つうか俺からしてチームプレーできるかどうかわからないし不安しかないし。

「じゃあさっきグラウンドであんな自信満々だったの?」

「そりゃ、今年はウチにくる指導者がすごい名将らしくてさ、そいつなら一年だけのチームでも速攻で強くしてくれるんじゃないかという他力本願だよ」

 俺のその言葉に明るくなる夙夜。

「そんなにスゴい人なの?」

「まぁね。会ったことはないけれど甲子園優勝何回かしている七〇いくつのじいちゃんで超名将らしい。名字は龍岡だったかな」

 うちの学校もーー私立松濤も本気で野球部を強化するつもりらしい。どこにそんなコネがあったんだか……。

「んん? 慎一その龍岡さんって人とまだ会ってないの?! 仮にも野球部員なのに」

 確かにおかしい。俺がクズなので学校の教職員たちからひどく嫌われていて(それは納得する)、なんなら野球部創設のために邪魔者あつかいされていることくらいわかっているが、それにしても最近は妙な空気を肌に感じるようになっていて。

「一度学校に電話してみたら?」


 学校関係者に連絡をとれたのは翌日のことだった。

 来年度から私立松濤高校の監督に就任するはずだった高校野球屈指の名将、龍岡烈堂氏はおよそ半年前に亡くなっていた。享年77歳。死因は心不全だった。

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