番外編~ふくろうカフェの日常~

らいむとはっさくがイチャイチャする話

 夜の闇のような深い青の壁に囲まれたカフェの店内。

 カウンター席で、れもんが紅茶をゆっくりと飲んでいる。隣の席では、すだちが退屈そうに足をブラブラさせていた。カウンターには空になった皿とグラスが置かれている。


「遅いね~。はっさくとみかん……」


 すだちが心配そうに言葉を零し、カフェの出入り口である木の扉へ目をやった。

 カウンターの奥でグラスを拭いていたらいむも、手を止めて顔をあげる。


「なにかあったんですかね。今回の夢鼠は、たいしたことないからと二人で行ってしまいましたが、やはり全員で行くべきでしたか……」


 そう言って、垂れ目な目尻をさらに下げ、不安げに扉を見つめる。

 暗い空気が立ちこめてきた店内で、コトリッと、カップがソーサーに置かれる音が響いた。


「あの二人だから、きっと大丈夫だよ」


 れもんが顔をあげ、らいむとすだちを励ますように笑みを浮かべる。


「ただ、怪我をしてないといいけど」


 そう呟いて後ろへ振り返ったその時、ドアベルの澄んだ音とともに扉が開いた。

 店内にいた三人の顔が喜色に染まる。けれども次の瞬間、その表情が曇った。

 扉の先から、最初にみかんが入ってきて、続いてやってきたはっさくが、左手で右の脇腹を押さえていた。


「ごめん。はっさくが怪我したから、手当てしてくれる?」


 みかんがぶっきらぼうに言って、そっぽを向く。

 よく見れば、はっさくが手で押さえている脇腹の部分が薄く紅色でにじんでいる。

 すだちが「ひっ」と声をあげて、表情を固めた。

 らいむはすぐさまカウンターの奥から出てきて、はっさくに駆け寄った。


「はつ、大丈夫ですか?」

「かすっただけだ。問題ない」


 はっさくは普段通りの淡々とした声で答えるが、顔をかすかにしかめていた。


「今すぐ手当てしますね。休憩室に行きましょう」

「いらん。寝れば治る」

「ダメですっ」


 らいむの口から強めな口調が出てくる。真剣な表情ではっさくを見つめ、右手を握って隣の部屋へ引っ張っていく。

 はっさくは眉根を寄せつつも、なにも言わずにらいむの後へ続いた。


「みかんは、大丈夫?」

「うん。ボクはなんともない」


 後ろではれもんが席を立ち、みかんのそばへ寄っていって尋ねる。

 みかんは店内の隅にあるキッズスペースに入り、れもんと目を合わせずに答えた。



   *   *   *



 カフェに入って左側の扉を開けると、そこは休憩室になっている。物置のように棚が並び、その中に整頓された物が収納されている。そしてその奥に、ベッドがひとつ置かれていた。


 らいむははっさくをベッドの上に座らせて、棚から救急箱を取ってくる。

 その間に、はっさくは服を脱ごうと、ボタンに手を掛けていた。けれども右手を動かした時に、顔をしかめて動きを止める。どうやら右の腕も怪我をしているらしい。


「はつは動かないでください」


 はっさくの様子に気づいたらいむが、救急箱をベッドの脇に置き、服に手を掛ける。はっさくがなにか言うよりも速く、慣れた手つきでベストのボタンを外して脱がせ、さらにワイシャツのボタンも外して脱がせる。


 筋肉がつき、引き締まった身体があらわになる。けれどもやはり、右の脇腹と右の二の腕に、切り傷がついていた。幸い、深い傷ではないが、それでも紅色が傷口からにじみ出ていた。


「少ししみますが、我慢していてくださいね」


 らいむは救急箱から道具を取り出し、手当てを始める。

 はっさくは両手を膝の上に置き、無表情で前を見つめた。


「みかんを庇って、怪我をしたんですか?」


 手当てをしながら、らいむが言葉を零すように問いかける。

 はっさくはなにも言わないが、かすかに顔を動かして片目をらいむへ向けた。


「本当に、はつは無茶ばかりしますね」


 消毒液をつけた脱脂綿を傷口に当てながら、らいむが呟く。

 傷口がしみるのか、はっさくは膝に置いた手を握り締めた。


「だれかを守るのは、悪いことではありません。でも、自分のことも大切にしてください」


 続いて手に取った包帯を巻きながら、らいむが優しくたしなめるように言う。

 はっさくはそんならいむに対して、不服そうに眉根を寄せた。


「小言を言うな」


 小さく呟いた言葉は、すぐそばで手当てをしているらいむの耳に、もちろん入る。


「小言ではありませんっ」


 包帯の端をきつく結びながら、らいむがらしくない声を上げた。

 はっさくは思わず顔をしかめ、らいむと顔を合わせる。

 伸びてきた細い指が、左の頬に触れる。そのまま指は、眼帯の当てられた左目を撫でた。


「はつの痛々しい姿を、私は見たくないんです……」


 どこか震えた呟きが、口から発せられる。

 手当てを終えたらいむは立ち上がり、もう片方の手をはっさくの右頬に添えた。両頬を両手で押さえながら、無理やりはっさくの視線を自分に合わせ、言葉を続ける。


「もしもはつがいなくなったら、私は、おかしくなってしまうから……」


 訴えかけるような瞳が、目の前に迫る。ひたいと額が触れ合い、鼻の先が触れる。頬に触れた手のひらの温もり。生きているという確かな熱が、互いの肌を伝え合う。

 はっさくは一度ゆっくりとまばたきをして、表情を変えずに口を開いた。


「俺には片目がない。戦いで不利になるのは確かだ。狩りではなにがあるかわからん」


 触れ合う肌の温もりとは対照的に、はっさくの声色は淡々としていて、突き放すような冷たささえ感じられた。


「だから俺は、今ある命を、一瞬一瞬、咲かせるだけだ」


 至近距離で見つめ合う目をそらさずに、はっさくは告げる。

 らいむの瞳が揺れる。悲しげに目尻を下げて、唇を静かに引き結ぶ。そして、堪えられないというように、両手をはっさくの胸に回して、そのまま身体をベッドに押し倒した。


「はつは、いじわるですね」


 額と鼻先は触れ合ったまま、らいむが震えた声を零す。

 覆いかぶさった身体は、それでも傷口を刺激しないよう、バランスを取っていた。


「こんな時くらい、『大丈夫だ』って言ってくださいよ。『俺はどこにもいかない』って、嘘でもいいから言ってくださいよ」


 胸に回した両腕が、キュッと締められる。両足も内側に閉じて、はっさくの足を挟み込む。


「らい……」


 今にも泣き出しそうな瞳を間近で見つめながら、はっさくが言葉を零した。

 ベッドに倒れた姿勢のまま、左腕を軽くあげ、らいむの背中へ持って行こうとする。

 けれども、背中に触れる直前、手が止まった。

 だしぬけに眉をしかめ、半目になって、らいむから視線を外す。


「聞き耳を立てるな」


 らいむ以外に向けられた言葉が部屋に響く。直後、扉の向こう側から、三人分の足音がパタパタパタと聞こえてきた。

 はっさくが視線を戻すと、らいむは顔を離して扉のほうを見ていた。それからクスッと笑みを浮かべ、はっさくへと向き直る。


「らい、続きはあいつらが寝てからだ」


 はっさくが無表情に、淡々とした声で言った。

 その言葉を聞いた瞬間、らいむの瞳が丸く見開く。そして、唇が弓なりに曲がる。


「はいっ」


 涙の引いた目を細め、頷く顔は、頬が真っ赤に染まっていた。

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