秋─ドングリ
僕と彼女のあいだで転がる
──ドングリ。
転がされる思慮
転がる不安
試される愛?
気付くと僕は、君の手の中で転がされてる気がするような。
それとも僕が、キミに依存しすぎ転がっているだけなのか。
先日、実家で起きた騒動が元で、互いが気まずい空気のまま過ごしていた。
彼女との睦事は僕の所為で両親と妹に知られ、そのことで彼女はご立腹であった。
確かに僕が悪かった。
でも我慢出来ないほど、キミに触れたい僕はどうすればいい?
僕の失態はそれだけではない。彼女は僕から告げられていないことを母から告げられ、ますます虫の居所が悪くなっていた。
そんな彼女の重い雰囲気は解かれ、やっと口が開いた。
僕の中では
彼女は睨み越しに、僕に訊ねた。
「不眠症ってどういうこと?」
すごい形相で問われ、いつもの可愛い声色ではなく、ドスの効いた声が僕の耳に響いた。
彼女のあんな
「ねぇ私たち、連れ添って何年?」
「もう六年ぐらいかと」
「だよね?」
ここまで怒る彼女を始めて知った。
(なんてことだ……)
そういえば僕たち、喧嘩らしい喧嘩もしたことなければ口論で責め合った事もない。
「今までそんな不眠なんてひと言も」
「うん、言ってもいないし素振りも見せもしていない。そのことで家族に迷惑かけたけどキミには多分かけてない」
威張る僕は彼女から拳骨を食らった。かなりキツメの拳に僕も痛がったが彼女はかなり痛いはずだ。
こぶしを作った手が赤くなっていた。
「ごめん、そんな怒るとは……」
「怒るわよ……」
僕は彼女の赤くなった手を取り摩った。念のため、シップを医箱から出してきた。
「ごめん、でも僕はキミが横にいるおかげで寝られてる」
「……やたらと、ベッドに連れ込んだのはそういうこと?」
「……うん。安眠剤代わりにしてごめんよ、でも僕……」
「なにが『迷惑かけてない』よ。充分迷惑よ?」
「……」
彼女の手は僕の手より小さく柔らかい。手は炊事や仕事の所為で荒れてはいるが、壊れそうな柔い手に力を振るわせたことが、僕は痛い。
「……不眠は中学からなんだ」
「そんな前から?」
「うん、犬を飼っていた話はしたよね?」
「でも、詳しくは知らない」
「うん、上手く伝わらなかったらごめん。あのね……」
僕の不眠は犬が車に轢かれ
散歩中、居眠り運転の車が僕目掛け突っ込んで来た。犬のチロは素早く僕を庇い、死んでいった。
僕の中で落ちた体は暖かく、まるで寝ているよう……。呼び掛けても、耳も鼻も瞼も口も。
……動かなかった。
「……賢い犬だったのね」
「うん、僕の腕の中で最後を迎えたチロ……僕は死が、怖い……」
「そうね。死は理解しがたいもの」
彼女の言う通り、素直に死を受け容れられるものでもなく……。
チロは母乳を一切受けつけない仔だったから僕が哺乳瓶で乳を与え、育て上げた犬だったんだ。
手に今も遺る、チロのぬくもり。
最愛の
焼香が鼻腔の奥に留まるだけでなく、肌からも……。
いくら身体を拭っても、僕には染みついたままだった。僕は段々暗闇が─、夜が怖くなっていく。
話の最中気がつくと僕は、彼女の手を握っていた。
「私が旅行中やいない時は?」
「まぁ、熟睡出来ないだけで眠れない訳ではないし、睡眠薬もあったし?」
「睡眠薬?!」
落ち着いていた彼女の表情が、引き攣っていた。僕はそんなことには気が付かず話していた。
「それにキミと出会うまでは、女取っかえ引っかえでさ」
「え? それも暴露?」
「うん……懺悔的な?」
「バカ。言わなくていいわよ、そんなこと今!」
怪訝な彼女に怒られる僕がいた。
(あたりまえか)
「家出るまで父さんが─、安眠剤で抱き枕だったんだ」
「えっ、それちょっと引く……」
「やっぱり?」
言い終えた後、僕は頭を掻いた。彼女は僕と眼が合うとプッと頬を緩ませ、妖艶に微笑していた。
「まぁ昔のことだし……俺さ」
「!」
「俺っ……ん、どうした?」
俺呼称すると最近彼女は頬を膨らませ、赤面さす。
今もそうだ。
「俺……の、呼び方が好き?」
両頬を手で押さえ、下向く彼女は僕をチラ見すると頷いた。
こっちの方が男らしいし、顔の作りからは考えられないギャップ燃えすると言われた。
(……今それを言うんだね)
「ねぇ、キスしたい」
僕は躊躇いがちに彼女を見つめ、強請った。先ほどから何故か身体の芯がウズいている。
「……ダメ」
握っていた僕の手から彼女の手は離れた。
(真剣話の最中、何を言ってるんだ僕は)
「お預け?」
「バカ」
頬をプスッと膨らます彼女と、落ち込む僕。
項垂れた僕の頬に細く、柔らかい絹糸が優しく触れた。唇はさくらんぼの果肉を思わす甘さがあたっている。
少々驚いたが僕はやっぱり、この感触が好きだ。
僕は真正面にある彼女の顔を見つめ、細く眼を閉じた。
どれくらい時間が経ったのだろう。
たぶん数分の出来事だったとは思うが……僕には、長い接吻に感じた。
窓から入る風は冷たく、部屋に居るにも拘わらず肌に刺さる。
肌の温もり、人が恋しくなる寒い季節がやって来る。
「公園に行きたい」
僕は静々、言葉を零した。
外の風は少し凍てつき、頬をぴりりと撫でた。
はしゃぐ彼女を横目に僕は、秋も終わりかぁと辺りを見渡した。綺麗に色付いていた葉も落ち、淋しい枝肌が並んでいる。
そんな木々たちを前に、触れると切れそうな緑葉を生やせた枝があった。まだ落葉しないぞと、頑張るブナの樹だ。
「ね、ドングリ」
彼女はその根元に落ちている実を拾い、僕に白い歯を見せていた。
「うん。本持って来れば良かった」
茶色い艶々のドングリを僕に見せ、彼女は拗ねた。
「やめてよ、今日は。一緒に歩くんだから」
思いがけない彼女の言葉に、僕は驚いた。そんなことを訊くのは何年振りだろう。
(珍しい。雪でも降るのか)
そんなことを思い、腕を組む彼女を眺めた。
「雪が降る季節ではありません」
「あはっ、ごめん声に出てた?」
「出てた!」
公園を出ると喫茶店がある。ケーキとパンの専門店であまり行く店ではないが、ショーケースに並ぶ苺の三角系に約一名が眼をキラキラとさせていた。
止む無しかな?
家に着くと彼女は嬉しそうに、珈琲の準備を始めた。僕はその間、彼女が見繕った茶色く輝く粒を水に浮かせていた。
「何してるの?」
「こうすると虫が居るかどうか、判るんだ」
「へぇ。おもしろ」
ドングリは中に虫、もしくは食べられてると軽くて浮くが、実が無事なら重くて沈む。拾われた実は全部沈んだので珈琲を待つ間、水で拭き取りキリで穴を開け爪楊枝を差した。
「どんぐりコマ」
作ったコマを回し、喜ぶ彼女がいた。
「ニス塗ると持ちがいいよ。塗っておこうか?」
「え、じゃあ顔描いていい?」
「クスッ、いいよ」
ほんと、女の子はこういう物に落書きしたがる。面白いなぁ。
ソファに坐り、本を読む僕の前に香ばしい珈琲の匂いと、仄かに香る甘酸っぱい実が彩るケーキが出された。横に坐る彼女を覗うと、甘いスポンジはもう口の中に運ばれていた。
「美味しい!」
「プッ、口の端」
倖せそうに、口角を弛める彼女に張り付く白い物体。それを僕は手に掬い、舐め取った。
「珍しい。
キョトンと眼を見開き彼女はスプーンを咥え、笑窪を携えていた。
「だって、怒られるかと」
ぼそっと文句言う僕は彼女のキスを鼻で、受け止めていた。
「温めて上げようか?」
「またまた、そんな気も!」
僕は彼女に熱いキスを交わされ、気がつくと押し倒されていた。
「雪どころか、槍が降りそうだね」
「今日はいいんじゃない? 降っても」
「珍しいことを言うね」
合わさる唇に重ね合わそうとする体温。どれもが僕には嬉しいことだが積極過ぎる彼女にふと、沸いた疑問。
握り合わす手、首筋を食んだときに伝わる肌の高揚さ。あまりにも色っぽ過ぎる艶声どころか妖艶過ぎる声。
様子が─、変だ。
(この
「おいっ」
「はい、ぃック」
やられた! これはアレだ。と急いで僕は珈琲を確認した。微かにブランデーの味がする。
しかも彼女にとっては
「体、温まる、入れた、ヒック」
ああ、もう! こういうコイツも抱きたいがフェアではないし、酔うとコイツ……。
昔、酔った彼女に
「続き?」
「僕、酔っ払いは相手にしない主義」
「あいっ!」
彼女は軽く、可愛く返事したあとスゥと寝息を立てた。
疲れていたのもあったのだろう。
やれやれと思う反面、少し勿体ないことしたかな?
僕は珈琲を一口飲み、彼女の手にある白い薬布を見つめた。
僕を気遣い、世話してくれる彼女の手。
「ありがとう」
僕は礼を述べ、傷ませた彼女の手に口付けた。
ドングリには『永遠の愛』という言葉がある。僕はこの先、どのように彼女を愛すのだろうか。
この先も彼女はこの綺麗な顔を僕に見せ、また叱ってくれるかな?
先なんてわからない……。
んふぅんと寝ぼけ吐く彼女を見た僕は、よく「誓い」で唱えられる言葉をぼやいた。
「死が二人を分かつまで」
いつまでが「分かつ」なんだろうね?
僕に安心し、肩を添わせる大好きなキミ。僕は愛しい人を眺め、開いていたページを閉じ珈琲をゆっくり味わっていた。
◇◆◇花言葉◆◇ ◆◇ ◆
※こちらも本文通り。昔は食糧として長く常備出来ると重宝された実。帽子を被り、愛くるしく寄り添い永く持つ姿から『末永く寄り添う』という意味合いを込め(永遠の愛)と付けられたそうです。
◇◆◇◆◇◆ ◇◆◇ ◆◇ ◆
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