第9話 誕生日
うつらうつらとミントの香りに包まれて、夕日が落ちていくのを義一はベッドから見ていた。
現実と夢の間で、義一は最近よく義雄が産まれてから妻の由紀子が亡くなるまでの7年間を途切れ、途切れ思い出す。
結婚してからなかなか子供に恵まれなかった。当時は不妊治療なんてものはなくて、子供が産まれない原因は妻の由紀子にあると両親や親戚に陰で言われては、傷つく由紀子を見ていられなかった。
「子供がいなくても、由紀子と結婚したんだ。私は幸せなんだよ」
何度も由紀子に言っていた。
義一自身、子供がいてもいなくても、もともと体が強くない由紀子が生きて側にいて仕事から家に帰ると、温かい食事と由紀子の「義一さんと結婚して良かったわ」と言う言葉に、仕事の疲れは毎日に癒される。
働きだして結婚してからの貯金が貯まりだした時に、2人で当時は珍しい海外旅行を計画した。
そんな矢先だった、義雄を由紀子が授かったのは。慌て海外旅行を取り止めて出産費用へと金を貯めた。
安定期から8ヶ月までは、誰にも言いたくないと言う由紀子の意見を尊重して出産ギリギリの報告で、親戚から非難をあびる覚悟で2人でひっそりと毎日を過ごした。
つわりも軽く、義雄は順調に由紀子の腹の中で大きくなり父親の自分は何だか実感がわかなかった。
「お腹をよく蹴るから、痛いの」
そう言いながらでも、微笑む由紀子が幸せそうだったので、側にいたいと思い、出産予定日の前後は、有給休暇をとった。
秋が終わり冬が少し目覚めたような11月に義雄は、小さな産院で産まれ、由紀子の予後も順調だ。
病室で少しでも触れたら壊れそうな赤ん坊を見ていると由紀子が笑う。
「私も抱っこは、馴れていなくて怖いのよ」
由紀子がそう言って、腕から義雄を渡してきた。
おくるみにくるまれた義雄は、目を少し開きこちらをじっと見ている。小さな手は義一の拳の半分もない。
新生児で、少し目を開いては閉じて、少しもぞもぞと動く。
「ほとんど、動かないぞ」
慌てて由紀子を見た。
「産まれてから1日ですよ、そんな動き始めたら怖いわよ」
由紀子は、義一の腕からそっと義雄を抱きしめると呟くようにささやいた。
「この子が大人になって、私達の年齢も追い越した頃には、私達が逆にこの子のように動けなくなるのね」
由紀子は、時々、不思議な事を言う。
義雄の誕生日から1週間後に、由紀子と義雄は退院した。
「子供が産まれたら義一さんの一文字をとって、ずっと名前をつけると決めていたの」
義雄の1才の誕生日に、由紀子の口から聞いた言葉だ。
物欲もなければ、でしゃばりでもない由紀子だったが1番ずっと子供が欲しかったのは由紀子だった。
1才になった義雄を膝にのせて、由紀子が冬の窓ガラスから差し込む日だまりの中で、笑っている。
「ああ・・・本当だな。由紀子が言ったとおりに、自分が動けなくなってしまった」
義一は、夕日が落ちると共にうつらうつらとまぶたが落ちていく。
由紀子、義雄の誕生日は由紀子より増えてしまったよ。
義一は夢の中へと入る前に、由紀子の静かな笑い声を聞いた気がした。
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