第8話 フラッシュバック
「何でちゃんと見てなかったのよ!」
救急隊員4人、自分と付き添いの家族の50過ぎの娘が狭い救急車の中で、肌にひりつくようなヒステリックな声だけが響く。
目の前のストレッチャーに乗せられ、さっきまで会話をしていた老人の男性は、娘のヒステリックな声にかきけされるような、酸素呼吸器でかすかな音で息をしている。
「・・・さん、・・・・なべさん!」
想像以上に揺れる救急車の中で、隣に座っていた救急隊長に名前を呼ばれ渡辺は我にかえった。
「渡辺さん、大丈夫ですか?病院についたら経過を報告して頂く義務がありますがで出来ますか?」
隊長と言っても、自分よりも若い30代前半の青年だ。強い意思を持つ瞳はブレる事はない。
「はい・・・」
その時に、動かなかった頑張った感情が動いたとたん、自分の瞳から温かい涙がひとすじこぼれている事に気がついた。
もう一件、介護で回る家は会社に電話して、急遽、休みの人に出てもらう事になっている。
嵐のように救急車が、受け入れ体制の病院に滑りこむと救急隊員によって外側に開くドアが開き、冬の冷たい空気が一気に車内に流れこんだ。
冷たい雨が降り始めている。
救急隊員にしたがって、まるで自動的に自分が動いている事しか分からなかった。
病院の事務の人が状況を書く書類とペンを持ってきた。夜の病院はおそろしく広くまるで人のいない空間は自分の心のようだ。
名前、会社名、介護者の名前、年齢、場所、書き込んでいるうちに止まらない涙でボールペンの字がにじんでいく。
搬送を終えた救急隊員隊長がかけてきた。
「厳しい状況のようですが、あのご年齢では渡辺さんのせいではありません。ご自分を責めないで下さい。我々は戻りますが、大丈夫ですか?」
肩におかれた手がやたら温かくて、涙が止まらなくなった。
遠くで娘のヒステリックな「渡辺が父を殺したのよ!」と泣き叫ぶ声が聞こえて震えた。
救急隊員隊長は、少し蘇生処置をしている場所を睨む。
「我々でも、全力を尽くしても命全てを助ける事は出来ません!お気を確かに持って下さい」
その言葉を最後に何もかも暗転した。お風呂に入れなければ、もっと早く異常に気がついていれば、もっと早く救急車を呼んでいれば。
涙と溢れたのは自責と後悔。
うつむき、泣くしかなかった。
「いやだっ!」
自分が脂汗をかき、飛び起きた事に渡辺は気がついた。
そうか、今日、田中義雄さんの涙を見てからずっと押さえていた過去がフラッシュバックしたのだ。
布団の横にある常夜灯をつけて、枕元に置いてあるペットボトルの水と処方されている安定剤を飲む。
いつになったら、この夢は時間と共に去った過去のフラッシュバックから自分を解き放ってくれるのだろうか・・・。
ふと、自分の腕からかすかなミントの香りがした。
渡辺は、少し微笑み脂汗まみれの寝巻きを着替えるために布団から静かに出た。
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