花とスキャナー・その3

 旧市街の大半は荒森に呑み込まれてしまっていて、学校はその食い残された一画にある。

 とはいえいまや外縁部はふつうの森と特に変わるところがない。リスが暮らし、山葡萄が実をつけ、カラスが巣をかけている。森の奥へと続く道へはまた別の方角から入る。

 だらだら坂は森の外縁部をなぞって下り、ダレカノ様を祀る社への参道を過ぎ、新旧市街を隔てる鳴瀬川へと至る。かつて「森」の侵食に対する阻止線として機能した鳴瀬川は、新駅のある新市街側へ大きく膨らむカーブを描く。流れは速く、深い。橋までの高さもそれなりにあり、上からのぞけば目が眩む。祭りのときには若者たちや観光客が跳びこんでは問題となるが、不思議と負傷者がでたことはない。

 橋は川のあちらとこちらを危うげにつなぐ。

 ハルカナがステップを踏んで好一を追い抜き、その光景の中へ踏み込んでいく。背中を好一の声が追いかける。

「ハルカナはなんで、裸のデータが欲しいわけ」

「裸は別に要らなくて」とかかとを中心に身を翻してハルカナが言う。「そもそもわたしは」と回転を止め、目線を落としたままで言う。「城戸好一のデータが欲しいんだろうか」

「あいにく」と好一。「他のデータの持ち合わせはない」

「そんなことは」とハルカナは言う。

「ないんだよ」とハルカナはまた繰り返している。


 結局、城戸好一の全裸をスキャンした人たちはそれを一体どうしているのか。やっぱりプリントアウトしたりするのだろうか。実寸大で。抱き枕代わりに。しかしプリントアウトしてしまうと当座はよくても、やっぱり邪魔になるのじゃないかとハルカナは思う。人間の体というのは意外に大きく、押し入れなんかに入れておくにもそれなりの工夫が必要そうだし、たまたま親がみつけることだってあるだろう。それともマンションの点検にきた人が、うっすら開いた襖の向こうに、プリントアウトされた好一の脚をみかけたりする。話がホラーに展開するか、ドキュメンタリーに成長するかはわからない。

 たとえ形が同じであっても手触りだって違うわけだし。それにずっと布団に寝かせておくのか。ちょっと介護みたいに見えはしないか。

 フィギュアサイズで出力し、棚に並べておくという手はあるかも知れない。あるいは引き伸ばして出力する。自分の体も同じ程度に引き延ばし、横に並べておいたりするのか。それは一体、楽しいものか。


 夏の陽を浴びつつ欄干にもたれかかる城戸好一の姿には現実感が欠けている。背をつけた欄干に両肘をのせ、黙って空を見上げている。ハルカナの依頼でそうしている。別にポーズは頼まなかった。橋のその地点に立って欲しいとは言った。好一はそこに放っておくだけで自然に絵をつくりあげる。髪も肌も長いまつ毛もきちんと手入れが行き届き、靴もちゃんと磨いてあった。プリントアウトということならばいっそ素材は大理石でよいかもしれない。

「素材は色々あるんだってさ」と好一が他人事のように言う。実際、他人のことである。自分と同じ形をした何かがどこかにコピーされたとして、それはやっぱり他人なのだと好一としては疑わない。

「人肌と同じような感触の素材もあって」と欄干に指でリズムをとりながら好一が言う。「お望みなら、毛穴、産毛も植えられるってさ。でも、意外と違うんだな」

 傍らに並び、目で問いかけたハルカナへ向け、

「一瞬の形だけを写してもさ、骨や内臓まで撮るわけじゃない。できあがるのは、ひとつの素材で均一に出力した、ただの石像みたいなもので、やわらかい素材を使えば、水風船みたいに自重で歪む。現実世界で人の形を保つのは難しいのさ」

「わかる」とハルカナ。

「だからきっとほとんどの場合、データは仮想空間で展開されてるんだと思う。骨を入れて、肉の硬さを調整して、モデルをつくる。シミュレーションで動きを決める。対話知能が話しはじめる。でもそいつらには内臓がなくて、脳も内蔵していない。人間の形はしているけれど、人間と同じ仕組みで動いてはいない。それって一体、何なんだろう」

「そうだね」とハルカナは言う。それでも城戸好一のデータを欲しがる人の気持ちもわかる。たとえそれに、朝の挨拶をしてくれる、目覚まし時計つき着せ替え人形くらいの機能しかなかったとしても。

「で?」

 どうすればいいと、好一が問う。

「あれを」とハルカナが言う。ハルカナが指定するのはポーズではない。フォトジェニックな横顔でもない。

「見て欲しいんだ」と腕を伸ばす。ハルカナの腕は欄干を越え、伸ばされた指が鳴瀬川の岸を示す。右岸を指し、左岸を指した。

 振り返った好一がハルカナの指から伸びる仮想の線を追いかけ、欄干の上に身を乗り出す。

「どこ」

「あそこの木の陰のとこ」

 そこには黒い影が縛りつけられていて、好一の視力はそれが三本の脚と一つの大きな目を持つ金属の塊であることを認める。

「固定がなかなか難しくて」とハルカナ。

「だからって、三脚ごと木にくくりつけなくてもさ」

 ハルカナは、三脚に取りつけられた大型のカメラを一台、二台、三台と順に示し、好一もそれを確認していく。

 両岸には結局、計七台のカメラが幹にロープで固定されていて、その姿はなんだか捕虜にされたロボットたちの小隊のようでもある。拘束されてはいるものの、しかしうなだれることはなく、気丈に顔を持ち上げてレンズをこちらへ向けている。

 カメラたちはこちらを見ていた。

 こちらを眺めているものの、微妙に視線が合わないことに好一は気づく。

「カメラの焦点は、この橋と水面の中間にあって」とハルカナ。

「おいおい」と好一が笑う。「おいおい」と言う。

「焦点を中心とした半径二〇メートル内の球形の領域で起こることを全部精密に記録できるように調整してある」とハルカナ。好一の顔からは表情がゆっくり消えていくのに、笑顔の形だけが残っている。

 ハルカナは大きく息を吸い込んで、

「先週、ここで、君を見たんだ」と告白する。「私服で、友達とふざけるわけでもなくて、ここまで一人でやってきて、そしてここから」と欄干に触れる。「跳んだ」

「あれを見てた?」とこたえる好一の声は一段大きくなっている。

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