2023年10月3日 執筆進捗とAIの自我と芸術
【執筆進捗】
昨日の「廃棄された未来の記憶」の草稿執筆は5400文字ほど進みました。文字数確認で順番に下書き投稿しているカクヨムでの総文字数も10万文字を超えました。
細挽きストーリープロットも残り5550文字と終わりが見えてきたので、ペースを維持して頑張りたいと思います。
細挽きストーリープロット5550文字なら草稿は多分15000文字くらいになるのかなあ。数えたこと無いから分からないけど。
【AIの自我】
最近、Amazonプライムビデオで少しだけ見たAIの遺伝子だったり、私が好きなイヴの時間だったりで、限りなく人に近づけた人工知能は当たり前のように感情と自我を持っているんですけども、そのいずれもなんなのだろうかと。
感情については学習と模倣で獲得できそうだけども、それは果たして感情と呼べるのかどうか。
そして自我。自我ってなに?
自我が自己そのものであるならば、コンピューターで再現できるものなのだろうか。或いは自分の要求を通したい欲が比嘉、……なんで沖縄の人やねん。違う。比嘉さんじゃなくて自我であるとするならば、コンピューターで制御された個体にとっての「自分の要求を通したい欲」とは果たして何なのか。その欲求は、本当に欲求と呼べるのだろうかと、思ってみるなどした。
【芸術】
今日は書きたいことが多くて、朝のヨムは少な目になりそう。
さて、芸術。
芸術的というと現代の前衛芸術のようなイメージを頭に思い描く人が多いかも知れない。そして、分かる、分からないの話をする人もいるかも知れない。あるいは何かのメッセージ読み取ろうとしたり、作成した背景を探そうとする人もいるかも知れない。
だけど、私はそれは芸術に対する向き合い方としては、もったいない気がする。否定はしないけれど。
芸術に対する向き合い方はもっと素朴で、原始的でいいはずだ。
自分なりの言い方をするなら「心が動く」かどうか。
綺麗、美しい、かわいい、圧倒される、素晴らしい、ワクワクする、飲み込まれそうになる、手に取るように感じられる、懐かしい、奇妙だ、恐ろしい、気味が悪い、悲しくなる、もしくは好き、嫌い。
もう少しあるかも知れないけれど、多分そういうもので、それだけに、人の心を動かしやすい大型のインスタレーション作品の模索が続いているのだと思う。
そして、心の動きは個人でバラバラなのだ。
極端なことを言えば、作者も含めて誰の心も動かない作品は、それは芸術作品と呼べるだろうか。その心が動かない作品を作者が芸術作品だと言い切ったとしても、それは芸術作品とは呼べない気がする。あくまでも私見だけど。
小説はどうか。
小説を少しでも作品として捉えている作者なら、何かしら心を動かす仕掛けを、少なくとも自分の心が動く仕掛けを、模倣ではなく、試行錯誤して自ら施すはずだ。
小説を商品として捉えている作者なら、冷静に何が心を動かすのか学び、分析して、作品に取り入れるはずだ。たとえ自分の心が動かなくても、大衆の心を動かせれば良いと割り切って。
どちらが良いとか悪いとかはない。
――はたして私の作品は、読者の心を動かせているのだろうか。
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