第2話 特別支援学校勤務

三月末、四月一日からの勤務先である、県立ひいらぎ特別支援学校へ向かい、新任者説明会に参加した。その席で楓は校長の国枝から正式な辞令を直接言い渡されたのだが、病休で休んでいる正規職員の代わりの勤務ということで、勤務契約は四月一日から七月末までの四カ月というものだった。

「森川さんには、小学部二年男子の肢体不自由の生徒の担任をお願いしますね。まぁ三カ月と半分勤務したら、夏休みに突入と言うことやし、短期契約だから、気楽に勤めて下さいよ。」

特別支援学校未経験の楓を気遣ってか、校長の国枝は柔らかい口調で、あえて勤務日数を強調した言い方を繰り返した。

まさか四カ月契約だと思わなかった。

夏休み中は、また職探しと教育委員会に再度、講師登録をしなければならないのか。そう考えると軽く吐き気を覚え、楓はしばしその場で茫然としてしまった。

しかしながら四ヶ月の勤務とはいえ、肢体不自由児童との対峙は過酷そのものであった。担当した児童は、アテトーゼ型脳性麻痺児であり、意志と一致しない動作や姿勢の変動があり、それがなお一層、楓を困らせた。過去の経験が生かせるかと甘く考えていた自分を恥じた。障害が異なれば、対応も全く別であるということを、楓は全身で学ぶこととなった。 

非常勤として即勤務が開始したため、重度障害児用の介護研修や食事の与え方研修等も受けていない。後で先輩教師に聞いたら、正式に特別支援学校の教員に採用されたら数回にわたり、そのような講習はあるらしいのだが、非正規雇用である講師にはそんな研修は用意されていないのだという。現場で一つ一つ学んでいくしかないのだ。こちらの仕事を世話してくれた亀岡は、特別支援学校の大半は、非正規雇用の講師で成り立っていると言っていた。つまり大半は、未経験者で研修すら受けていないのだ。特別支援学校に通わせている保護者は、この現実を把握しているのだろうか。都道府県にもよると思うが、学校ごとに研修の機会を設けている特別支援学校もあるだろうが、楓の勤め先には,そんなシステムはなかった。

楓は三週間で何度も嫌な汗をかいた。困ったら先輩教諭に頼ればいい、と言われていたものの、先輩教諭も何人もの重度の障害のある子どもたちを担当していて、頼れない瞬間もある。

一度、子供用の便座のセットを忘れて、生徒を座らせてしまい、便器に落としてしまったことがあった。そばに先輩が誰もおらず、楓は事務室まで全速力で走り、ヘルプを求めた。

こんな事もあった。

子供がうんちのサインを出したので、先輩に教えられたとおり、子供のわきを支え、便器の上に体を持っていき

「はい、頑張って、きばって!」

と生徒に声をかけた。そして子どもがおなかに力を入れた瞬間、おしっこが勢いよく飛び出し、楓の顔面を直撃したのだ。

 楓は生徒を安全な場所に寝かせた後、急いで顔を洗いに走った。多種多様な薬を服用していることで青色に変色している尿は、首元に巻いていたタオルを薄い青色に染めていた。

学校が夏休みに入ったらお役御免となるわけだから、七月中旬からは職探しをしなきゃいけないな、講師登録を再度しなきゃならないなと頭では分かっていたものの連日に渡る、戸惑いと衝撃にまみれた激務で、就職活動などできる余裕は皆無だった。体重が四kgほど落ちた勤務最終日、楓は校長室に呼ばれた。

「森川さんね、次の職場、決まってないよね。」

「はい。就職活動をする余裕もありませんでしたので、明日から頑張ります。」

「じゃあ八月は一か月間休んでさ、九月から十二月までの四ヶ月間、次は小学部二年の知的障害クラスの方に行ってくれないかな。」

と突然、打診された。

 体内感情から発する音は、全力でNGを出していたが、校長の前では音声変換されなかった。非常に過酷な環境の中にも、今まで経験してきた仕事にはない“特別なやりがい”を見いだしてきていたのかもしれない。また先輩教諭がいろいろと助けてくれる環境であったことも大きい。そして仕事を斡旋してくれた恩師、亀岡の顔に泥を塗ってはいけない、と過ぎったことも事実だった。

就職活動と再度の講師登録をしなくてよくなり、心持ち気が楽になった楓は、延長を快諾したその日、帰宅途中で本屋に立ち寄り、特別支援教育に関する書物を買い漁った。

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