memory.4 ぼくらのなつやすみ
「お坊様、リョウタ君をご両親の元に帰してあげてください」
福岡県上戸村
「鈴木乙女さん。それはできない相談だ」
若い。眉目秀麗、僧形にそぐわぬ長髪の男は、優しく微笑んだまま首を左右に振る。
「未成年者略取誘拐罪により逮捕することになるかもしれません。今ならまだ迷子を保護したのみで話が済みます」
「それは君たち人間の法律だ。私の従う法は仏法のみ、聞くつもりにはなれないね」
話は先程から平行線を辿っていた。この和尚が異常存在だということは、本人の発言からして間違いがない。
そして、俺たちが2022年ではなく、1930年に迷い込んでしまったということも。
「鈴木さん、神埼さん、君たちは未来の人間だ。もうすぐ、酷い戦争が始まる事も知っているだろう。今ここで、君たちやリョウタ君を帰してしまえばこの村を包む結界が破れる。そうなったら、この村も戦火に焼かれる」
「帰していただけないのなら、この時代の
「化け物め」
「お互い様でしょう」
乙女さんは悪そうな笑みを浮かべる。
希空和尚は俺の方を見た。
「
「……そっすね」
「君は? 君は何を求めている?」
俺が求めているもの。
俺は、悪党の頭に弾丸ぶちこんで気分良く終わればなんだって良い。
だが――ここに悪党は居ない。
「リョウタ君は、両親の不仲で祖父母の家に逃げ込もうと家出して、この寺に迷い込んだ」
「ああ、少し長い夏休みになるね。だが良いんじゃないか、崩壊した家庭よりは、ここで退屈ながらも優しい人々に囲まれて暮らすのも」
「あんたは、この村だけが八月を繰り返すようにした」
「私じゃない。
乙女さんが嫌そうな顔をする。きっと、厄介な何かなのだろう。
「上戸リョウタを守るのはお前らじゃなくて2022年の児童相談所だ。クソみてえな現実に立ち向かうのは上戸リョウタだ。人間を越えた力で人間の運命に踏み込むな」
拳銃を向ける。Kel-Tec P50。装弾数は名前の通り50発。こいつにどの程度の妙な力が有るのかは知らないが、ぶっ放せば良い。
「……くっ」
希空は嗤った。
「ふふ、ふふふ」
顔を上げて、高らかに。
「あははははははははは!」
心底、おかしくて仕方ないという顔で。
「良いよ、それは本当にそうだ。儀式はやめるとしよう。なにせ一年、もう一年は八月を繰り返しているというのに、誰も嫌がらない! 皆喜んでいる! だから私は続けていたが、それはそうだ。君たちが嫌なら仕方ない」
「ならとっととリョウタ君を――」
「返すよ、返すとも。一緒に帰ると良い。車に乗せて来た道を真っ直ぐ戻れ。急げよ、間に合わなくなったら大変だ」
希空は立ち上がって本堂に安置された仏像を蹴倒す。
「なにを……!?」
乙女さんが目をまんまるにして驚いているのが面白いらしく希空はまた嗤う。
「1931年8月1日が始まるまであと一時間だ! ほうら、君たちはもう逃げる側だ! ここを逃せばもう二度と帰れんぞ! そこの化け物はさておき、リョウタ君と、神埼倫、君たち二人はなあ!」
ムカついたので一発ぶっ放してやった。
希空の足元の床が吹き飛び、今度は希空が目を丸くする。
満足だ。
「帰りましょ、乙女さん」
「あ、ああ~またやったよこいつ。死にてえのかな。喧嘩売るなよぉ……」
「とりまリョウタ君は俺背負っていきますから」
「お前マジ……ああもういい。後で説教な、オーケー?」
「オーケー!」
隣の部屋で寝ていたリョウタ君を抱え上げ、俺たちは寺の境内に停めていた車へと向かった。
運転席でエンジンをかけながら、乙女さんは深く長い溜息をつく。
「2022年の8月32日にさ、警察に通報したリョウタ君は――誰だったんだろうな」
「は?」
「だからあ! ここでリョウタ君が帰ったら2022年に誰も私たちに通報できないでしょ!? もう!」
「あっ……待ってください、じゃあ、あそこには」
エンジン音が鳴り響く。
旦逸寺が遠く背後になっていく。
霧が、夏の朝を静かに包んでいく。
霧の彼方で、希空がこちらを眺めている。
見送っているその影には、寄り添うように子供が一人。
「振り向くな」
後部座席で寝息を立てている少年によく似た顔をしていた。
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