98: のりなが

 本居宣長という人は、不思議と歌が下手だった。

 他人も認め、自分も認めた。

 むしろ下手であるのを誇りとしていたふしさえある。

 それでも日々、欠かさず歌を詠み続けた。そうした実践なくしては、日本の心を知ることなどはとてもできないと考えた。

 宣長は、古き日本の時代を考えはじめた先駆である。ついては、日本とはなんであるかということを考え、その姿を説いた。

 主に言葉を通じて過去を考えようとした。古き言葉をよみがえらせて、古い時代を目の前に展開しようとした。そこでは人の心はまっすぐであり、にごりのない世が広がっていた。

 言葉は時代をうつすのである。

 というよりは、古代の言葉にはまだそのような力が備わっていた。自分たちの時代の言葉にはない。言葉によって世界が拓かれるという考え方をもっていた。


 万葉の時代をさらに遡ることを目標とした。

 考古学的な資料にも依ろうとしたが、その時代まだ大規模で系統的な発掘事業というものはなく、そこまでの資材は揃わなかった。

 まとまった言語資料が残るのは万葉からである。

 そこから先へ、日本の心の源へ遡らねばならぬ。

 そんなことが当たり前のやり方でできないことは宣長自身がよく知っていた。「自分の暮らす時代の言葉だけを資料として」、「万葉の時代の言葉を復元する」ことなどは不可能だ。であるならば、「万葉自体の言葉だけを資料として」、「その前の時代の言葉を復元する」こともまた同様に不可能である。

 ただ、今の言葉と昔の言葉は、同じ言葉ではないかもしれない。

 むしろ、違うべきであると考えた。考えるまでもなく、そうあるべきに違いなかった。なぜならば古代の言葉はこの日本という国をつくり出す力を持った言葉だったのであり、現在かすかに残る言葉などとは比べようもない不思議を備えたものだったのだ。

 である以上、今の時代の言葉でタイムトラベルが実現できなかったところでそれが、いにしえの言葉がタイムマシンとして働き、日本の成り立ちの全てを明かすことができない証拠とはなりえないのだ。

 ただしかし、それはなにかまじないを唱えるように、ただ声に出すだけで叶うことではありえず、その言葉を紡ぐプロセスこそが重要なのであり、そうでなければ聖人の言を真似た凡俗が同じ力を好きに操る結果となるではないか。

 つまりは身の処し方である。古き心を備えずに、形だけを真似たものはただの抜け殻であるにすぎない。

 だから結果としての歌は下手でよいのだ。

 今の時代の人間からみた歌の善し悪しさえもがどうでもよかった。その歌が古の空気の中で発せられたのかが大事であって、息するように歌い、歌うように呼吸をするべきなのだった。それでこそ、自らもあの力に満ちた時代に生きることが可能となり、言葉に意味を蘇らせ、この世の流れに従うことができるのである。

 風が流れることと歌を詠むことが同じになり、同じになるがゆえに、自然に口をついた歌が木々を揺らし、波を騒がせ、月を傾ける力を備え、日輪をも駆動するのだ。


 そのためには、日々歌を詠むしかないのである。

 それを下手と呼ぶのは、今の木の葉の舞い方は不器用だとか、蛙の跳び込み方が無様であったとか評するのと同じで意味はない。いちいち上手い下手を言うものではなくて、ただただそういうものであるにすぎない。

 しかし記録しておく必要はあり、日々の天気を記すようにして、淡々と書き留めていかねばならない。上達を見るのではなく、年輪の幅や氷床の模様を残すようなものである。あらゆる者の歌が胸に迫るような時代は、常人に耐えられるようなものではあるまい。


「それでは」と弟子はときに賢しらをいう。

「先生の言葉が過去へ遡ることの可能なものであるとしたなら」

「そう願っている」

「万葉の世から『現代』を予測するというのは如何でしょうか」と問うのである。

「現在の言葉をか」と宣長。

「左様、万葉の言葉がそれ以前の言葉を空気を呼吸をよく蘇らせるのであれば、万葉の言葉だけを資料として、『現代の言葉』を導きだすこともできるのではないですか」と弟子は問うのである。

「無論」と宣長はためらわない。「古の言葉の弱り果てた姿が今の言葉だ。豊かに機能を盛り上げていくことは難しくとも、削ることに困難はない」

「であるならば」と弟子は身を乗り出してくる。

「『未来』は如何」

「今より先、『未来の言葉』を知ることはできるのか、か」と宣長はさすがに言葉を呑む。

 古の言葉が今をも超えた未来の言葉を示すことができてよいのではないかと弟子は問うのだ。

「言葉がこのままどのように衰微して滅びを迎えるのか、それも古の言葉を知れば、予知することができるのではないでしょうか」と弟子は問う。

「そうならぬように、日々、歌を詠むのである」

 というのが宣長の返答である。言葉が滅びてしまう以前に、古の力を今の言葉に吹き込み直さねばならぬ。

「日本の言葉は滅びぬ、という未来もまた、いにしえの言葉に含まれてはおりますか」と弟子は問う。

「いる」と宣長の答えは力強い。

「含まれていなければならない以上、含まれているに決まっている」と断言する。

「歌を詠め」と宣長は弟子に命じる。「ひたすらに歌を詠み続け、そのような疑問が浮かばなくなった地点で、日本の言葉は不滅のものとなっているのだ」と言う。

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