吉野ヶ里

 朝はゆっくりや。吉野ヶ里歴史公園が開くのが九時からやからな。


「二輪でも料金がかかるのね」


 百円やから我慢せい。さてここか。こりゃ広いわ。東京ドーム二個分らしいけど、広々しとる。


「鳥居には鳥の置物があったのかな」


 あれは鳥居と言うより門やろうけど、どうやってんやろ。単に鳥がよく止まっていたかもしれんが、なんともよう言わんわ。それにしてもさすがは吉野ヶ里や。これだけよう復元したもんや。


「東北ツーリングの時に三内丸山古墳はパスにしちゃったもの」


 そうは全部は回れへんからな。時代的には三内丸山古墳が桁違いに古いわ。コトリやユッキーがアラッタにおった頃になるからな。そやけど三内丸山古墳時代の文化が日本に残っとるかどうかは微妙やもんな。


「吉野ヶ里はシラクサに移ってからよね」


 そうなるな。


「ここが邪馬台国だったとか」


 合うとこはあるが、結局のところはわからんとしか言いようがない。一つだけ言えるのは、吉野ヶ里みたいな国を当時の魏の使者は見とったぐらいや。それを踏まえると魏志倭人伝の描写が目に浮かぶ気がする。


 邪馬台国論争の基本資料は魏志倭人伝や。そやけどかなり具体的に書いてあるように見えて、そのままたどったら行き着かへんエエ加減なとこがある代物や。そやから、


『ここはこう解釈して』


 それを誰もがやるから、日本どころか海外にまで候補地が出来てまうんよ。あれはあれで楽しいもんやけどな。


「コトリはどう思うの」


 コトリ説を話し出すと終わらんようになるから、一つだけキーポイントを出すわ。魏志倭人伝には魏からの正式の使者が正始元年と正始八年の二回あるねん。ここも邪馬台国論争でポイントのとこやけど、魏の使者が邪馬台国まで本当にたどり着いたかまであるねんよ。


 そやけど正始八年の使者は邪馬台国にたどり着いとる。この辺は当時の邪馬台国が狗奴国と抗争中で苦戦しとったみたいで、超大国の魏との友好に重きを置いとったで良さそうや。そやから何度も帯方郡に使節を送ってるんやが、


『遣塞曹掾史張政等 因齎詔書黄幢  拝假難升米 為檄告喩之』


 この大意は塞曹掾史って役職やった張政を邪馬台国に派遣して励ましたぐらいや。さすがに邪馬台国に援軍を送れんからな。そやけど張政は偶然かもしれんけど歴史的瞬間に立ち会わ事になるねん。


『卑弥呼以死 大作冢 徑百餘歩 徇葬者奴婢百餘人』


 女王卑弥呼の死や。ここは卑弥呼の墓の規模が書いてあるねん。大作家は『大きな家を作る』やけど素直に墓でエエはずや。


「徑百餘歩ってどれぐらい」


 中国の度量衡も時代によって変わるけど、三国時代の魏の一尺は二十四・一センチやねん。魏の時代の一歩は六尺のはずやから、一歩は百四十四・六センチになる。


「だとすれば直径が百五十メートルぐらいになるけど。イメージしにくいな」


 神戸の五色塚古墳の後円部の直径が百二十五・五メートルや。張政かって目分量やから正確やないと思うけど、五色塚古墳の後円部に匹敵する規模はあったと見ても良いと思うてる。話半分でも七十メートルぐらいはあったはずやねん。


「吉野ヶ里にはないの」


 ここが北墳丘墓と呼ばれとるところや。ここも年代特定として紀元前一世紀に作られたもんで、最初は王の墓やってんやろうけど、卑弥呼の時代には祖先の祭祀場になっとったと考えられとるねん。


「でも卑弥呼の葬儀に会場として使われた可能性は残るじゃない」


 ユッキーの言う通りやねんけど、南北四十メートル、東西二十七メートルの長方形やねん。


「う~ん、ちょっと小さいね」


 例の白髪三千丈方式で話を盛った可能性は残るけど、友好国とは言え魏から見れば蛮族やから大きく言うより小さくする方があるやろ。それと葬儀に参列しとるからそれなりに正確なサイズの可能性が残るんよ。さらにやで、


『復立卑弥呼宗女壹與年十三為王 國中遂定 政等以檄告喩壹與』


 卑弥呼が死んだ後に後継者争いが起こり十三歳の壱与女王になってようやく収まったとしとるねんけど、その間も張政はずっと邪馬台国におるんよね。そりゃ、後継者争いが収まってから壱与女王は魏への使節団を送っとるねんけど、


『送政等還』


 これは『政等の還るを送る』ぐらいに読み下すんやが、要は張政はそこまで邪馬台国におった事になる。さらに使節団は、


『因詣臺』


 臺は朝廷の事で魏の首都の許都のことになるねん。新女王の即位報告と挨拶でエエと思うけど、コトリ的に興味深いのは、この時に三国志で有名な司馬懿仲達がまだ健在やねん。健在どころか正始十年にクーデターまで起こすぐらい元気で筆頭重臣みたいなもんやから、邪馬台国の使者も会うた可能性があるねん。


「へぇ、あの司馬懿仲達とね。これこその歴史ロマンだ。それはともかく張政が見た卑弥呼の墓が吉野ヶ里にはないのね」


 卑弥呼に対して大きな墓を作ってもおかしないとは思う。そやけど吉野ヶ里は王ごとに大きな墓を作る風習はなかった気がするねん。


「でも卑弥呼の墓はそんなに大きいのに特定できていないのよね」


 そうやねん。箸墓古墳も候補になっとるけど陵墓として管理されとるから年代測定も難しいからな。


「なくなってしまった可能性もあるものね」


 無いとは言えん。土で作った墓やから木が生い茂ってわからんようになることもあるし、手頃な丘として城や砦に利用されたりもある。極端なのになると道路建設や宅地開発の時に黙って削られてしまったりもあるからな。


 卑弥呼の邪馬台国かどうかは置いとくとしても、卑弥呼の時代の国の様子が目に見えてわかるのはホンマにありがたい施設やで。


「ここなんか『宮室樓觀城柵嚴設 常有人持兵守衛』そのものだものね」


 ああそうや。ほいでも吉野ヶ里ほどの規模の国はやっぱり当時でも大国やった気はするねん。そやから邪馬台国の候補になるんやけど、それ以外の記録に残る魏志倭人伝の大国にはやっぱり狗奴國が上がってくる。タイマン張っとるものな。狗奴國の位置は、


『其南有狗奴國』


 邪馬台国の南隣とまで言わんが、とにかく南側にあって距離も近かったはずやねん。そやなかったら戦争できへんから。そうなるとや、


「あははは、博多とか北九州の市街の下に邪馬台国が埋まってるとか」


 可能性はあるけど、ロマンはロマンとして置いとくのが歴女の美学や。

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