醤の郷

 映画村から十分ぐらいで、


「この匂いは醤油だね」


 小豆島の名産品の一つや。こんなとこで醤油醸造が盛んになったのが不思議なとこやけど、まず製塩業が盛んやったそうや。赤穂の次の生産量があったそうで島塩いわれて評判も良かったそうなんや。


 ここのポイントやけど評判がエエっつうのは小豆島の塩を買うた客の評判や。つまりは自給用の塩だけやのうて輸出販売用の塩も作っとってん。当時の塩は貴重品やねんけど、その質と量は塩市場の標準にもされたぐらいやったとなっとる。


 そやけど塩は儲かるとわかったから、瀬戸内沿岸で争って作られるようになっていってん。幕末には十州塩と呼ばれるぐらい作られて、日本の他の産地の製塩業を圧倒してしまったぐらいやねん。


 なんでもそうやけど、仰山作られたら値が下がる。そうなったら薄利多売の大量生産路線もあるけど小豆島では無理があったぐらいやろ。生産量は同じでも値段が下がれば売り上げが落ちる。


「島だから薪の調達にも苦労したみたいってなってるよ」


 そんな時に小豆島の人が目を付けたのが醤油や。これも話は時代がチトずれるから、別に製塩業が行き詰って手を出したもんやないと思う。伝承ではゴッチャにしとるみたいやけど、醤油に商品価値を見たのが正しいと思うとる。


 醤油に目を付けたキッカケは、小豆島が大坂築城の時に石の切り出し産地になったからになっとる。石の切り出し運搬のために大名が役人や人夫を送り込んだんや。その時に小豆島の人の目に留まったんんが醤油となっとる。これは合うてる気がする。


 醤油の歴史はコトリも詳しないとこがあるけど、この時点でも貴重品扱い、珍品扱いだったらしい。味噌は日常品としてあったけど、醤油は珍しかったぐらいや。


「役人が小豆島の人に振舞ったのかもね」


 この時の醤油やけど湯浅のものやとなってるねん。産地からしてそうやと思うけど、この頃の醤油は金山寺味噌の上澄みを採ったものやとされてるねん。だから量も少のうて高価な貴重品やったんやろ。


「それを作ろうと思ったのが凄いよね」


 よほど美味しかったんか、そこに商品価値を見出したんかは不明やけど、たぶん両方やろ。そのために湯浅まで人を派遣して製法の勉強をさせたとなってるわ。


「時代がずれてるってそういう事か」


 人を派遣するのもそうやけど、醤油醸造設備を作るんもゼニがいる。もちろん桶とかの道具もや。そういうものに投資できる財力は製塩業が栄えとう時代やなかったら無理やろ。そやから最初は先行投資みたいなもんやったと思うわ。


「その後に塩の値崩れが来るわけか」


 醤油を作るのも一朝一夕ではいかんもんや。あれこれノウハウを積み上げて商品化するのと、塩の商売が衰えるのがシンクロしたぐらい時代があったんやろな。


「そこまで醤油に入れ込んだのは」


 塩の教訓もあった気がする。塩づくりも簡単やないが、それでも模倣しやすい技術や。だから今度は模倣しにくいものにしたいのはあったかもしれん。この辺は結果論があるけど、醤油を塩に代えての換金商品にするのに成功したぐらいは言える。


「醤油って言うけど、あれって小麦と大豆が必要じゃない。そんなに取れたの」


 取れへん。こっちの方がコトリは感心するけど、江戸時代は商品が大きく動く時代になって来とるんよ。作物かって自給自足で作るだけやのうて、他の所へ売って換金しようとするのもありやってん。


 それでも特産品とか、名産品とされるのは、その土地で作られたものがベースのことが多い。原料ぐらいは自前の発想やな。そやけど小豆島の人は原料は輸入で手に入るのを既に知ってたとしか考えられへん。


「そっか、瀬戸内だから、とくにだからかもね」


 秀吉の頃から天下の産物は大坂に集め市を立てて取引するのを進めとった。これは家康も受け継いどる。そやから大坂には大名の蔵屋敷が建ち並んで、年貢を現金化するのに必死やった。これは米だけでのうて特産品もそうやった。


 そのための輸送船が瀬戸内海を行き来するねんよ。それだけやない、回船業も発達する。これらの船はあちこちで売ったり買ったりしながら商売するんよ。小豆島はそういう船がよう来とったはずや。


「海路を考えるとそうなるよね」


 そこには小麦や小豆を乗せた船もあり、生活のために小豆島の人も買うとったはずやねん。それだけやない、船からいくらでも買えるのも知っとってんやろ。


「小豆島が買うとなれば調達して運んで来る船がいくらでもいるのもね」


 それを知っとったから醤油は作れると判断したんやろし、原料を買って作っても、これが醤油になれば何倍も儲かる事も知っとったはずや。


「商品価値さえあれば買い込んで運んでくれるのもね」


 加工貿易みたいなみたいなもんやけど、それが小豆島なら成立するとわかっとってんやろな。そういう仕組みを学んだんが塩やったんやろ。


「ついでにそれを出来るような資本の蓄積もね」


 当時の陸路の輸送力はプアや。千石船に仮に本当に千石の米を積んだとするやん。これを陸路で駄馬で運ぼうとすればどれだけいるかや。一俵を四斗としたら二千五百俵になるけど、馬でも二俵ずつやから千二百五十頭が必要になるねん。


 そやから人の往来は陸路が多くても、荷物輸送は河川も含めた水路がメインや。瀬戸内海はそのメインルートみたいなとこで、小豆島やったら物流の中に存在しているようなもんやったはずやねん。


「だから素麺も作ったのか」


 そんなとこやと思うけど、あれも一ひねりあるかもしれん。とりあえず目の前の讃岐が天下のうどん県やんか。さらに言うたらうどんはどこでも自前で作れるようなもんや。気候風土の問題もあるけど、


「あえて素麺にしたのかもね」


 素麺はうどんより作るのがはるかに難しい。だから産地も限られとる。それに素麺は保存食品やんか。うどんかって乾麺あるけど、無理に乾麺にせんでも生で食べたらすむもんや。輸出という観点から見れば希少性でも輸送を考えても換金食品として適してるぐらいは言えるで。


「佃煮はイマイチね」


 また誤解されるようなことを。今の小豆島の佃煮は美味い。そやけど商品に付加価値は加えられへんかったと見るわ。言い換えればブランド化や。ブランド化されてこそ商品の価値が上がるのは今も昔も一緒や。それにしてもこんな小さな島に十八も醤油メーカーがあるねんからな。


 ここは現役の醤油蔵が見学できるんや。ほぉ、木桶で仕込んでるんやな。こういうとこは珍しなったもんな。蔵に沁み込んどる醤油の匂いが日本人ならたまらんな。


「これこそ醤油蔵だよ。こうやって作ってこそ本物の醤油だよ」


 例のグルメ漫画の影響やな。あの漫画は全部ウソやとは言わんが、考え方が偏り過ぎてるとこがある。なんでも、かんでも昔ながら至上主義や。そうした方が美味しいのもあるけど、現代技術をボロカスにしすぎやで。


 醸造技術もそうで、こんなもの環境要因の影響が大きすぎるもんや。自然任せやったら、どう頑張っても出来不出来が出てまう。とにかく相手は微生物やからな。


「ワインなんかもそうだものね」


 そやから今の最先端の醸造技術は、最適の発酵条件に人工的にコントロールするのが常識や。たとえばやが、神の悪戯みたいな最高の発酵条件の再現かって、いつも出来るってことや。そう、あの作者が大嫌いなオートメーションの工場システムや。


 原料かって丸大豆に異常にこだわったんも笑えるで。醤油を作るプロから言わせれば、いつの時代の知識やと冷笑しとったわ。あれは昔が丸大豆やっただけの知識でしかあらへんてな。それよりなによりや、中途半端な庶民の味方のフリも鼻に付いたもんな。


 作者御推奨の方法で作ってみい。醤油が一本なんぼになると思うてるねん。これがワインの話やったらまだ譲る。ワインは日本人の欠かせない飲み物やないからな。そやけど目を剥くほど高くなった醤油を庶民をどうせいと言うんや。


「それはある。醤油って基本調味料だものね」


 そりゃマイぐらいの神の味覚があったら変わるやろうけど、あそこまでわかるのがそもそも異常や。神でさえ足元にも及ばんわ。そんなビックリ値段の醤油の味を知らん人間が不幸やとか抜かすんはムカムカするわ。


「それはまあ、漫画の話の設定の部分もあるけど・・・」


 そういうけど、あの中華料理至上主義はなんやねん。中華は美味いけど、あそこまで至上主義をやられたらケッタクソ悪いわ。それでも中華料理礼賛はまだ許せる。殴ったろうか思たんはオーストラリア絶賛や。


 あんなとこの料理が美味いわけないやんか。だいたいやで、オーストラリア料理って聞いたこともあらへん。あそこはイギリスの流刑地から始まって植民地になっとるから、天下のイギリス料理の直系やろうが、


 これも誤解されたら困るから付け加えとくけど、オーストラリアにも美味い料理も美味いレストランもある。そやけどオーストラリアの伝統料理とか、家庭料理みたいなものがどんだけあるねん。


「途中で移住したみたいだから身贔屓が出たのよ」


 それやったらエラそうに和食を語るな。あの漫画も最初は面白かったんよ。コトリも新刊が出るたびに楽しみにしとったからな。そやけど、人気が出るって言うのは作者にとっては必要な事やが、漫画の質には逆効果になりやすい。


 それは無理やりのひたすらの延長や。あの漫画の構成の基本は独立したエピソードの積み重ねや。そういうスタイルの難点は、そのうちネタが尽きて来る。エピソードのネタの質が下がって来ると漫画の質も必然的に下がるんよ。


 漫画の宿命やいうたらそれまでやけど、人気があり続ける限り連載は続くんよ。そやからどんな人気漫画でも最後はグダグダになり、人気も落ち切って人知れず消えてまう。そうやない漫画なんか数えるほどや。


「なんとか最後まで頑張れたのは、こち亀ぐらいかな」


 今日は止まらんわ。あの漫画は社会的主張も織り込んどった。これかって、最初は社会の変化により失われた味ぐらいの位置づけやったけど、ネタの質が下がるほど、それをカバーするためか濃くするどころか、


「鼻血のエピソードね」


 アホかと思うたわ。日本に住んで現実を見てから書きやがれ。安全地帯から遠距離射撃してせせら笑いやがって。


「作者の世代的にそういうのが正義だと信じて疑わないかもね」


 そういうこっちゃ。たかが漫画、されど漫画や。


「どうどうどう。だから人気が無くなったんだよ。さあ醤油ソフトクリームでも食べて落ち着いて」


 こういうミスマッチは微妙な気がするけど、これはこれで美味いな。

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