ひとりぼっちの姫君
今日はとても天気が良かった。それはもう蝉が元気よく鳴くぐらいに。もうすこし暗いほうが昨日の夕方に降った雨の影響を受けずに済んだろうと思う。おかげで蒸し暑くて息をする度に水蒸気が口の中に……。
俺の住んでいる街は都会でもなければ完全な田舎とも言い難い中間の街だ。学校まわりは田んぼばかりではあるが自転車で30分くらい行けば駅があってその周辺なら必要なもの欲しいものはだいたい揃う……田舎か。
「はあ……」
昇降口に着く頃にはシャツが肌に張り付くほど、全身汗でびっしょり濡れていた。今ならどんな風も冷たく感じられそうだ。
ようやく日陰だ。息も絶え絶え、俺は昇降口の扉に身体を預けて一休みをしていた。
「あ」
ふと顔をあげると下駄箱には昨日の帰りに会った色白の女子生徒、花柳がいた。ちょうど傘立てに俺の傘を戻しているところだった。
「お、おはようございます。えっと、昨日は傘を貸してくれてありがとうございました。とても助かりました」
礼儀正しく頭を下げ、にっと笑っていた。だらしない俺を見て笑ったか、ただの愛想笑いだったか知らないが。
「お……おう」
昨日の花柳に対して周囲が見せた反応を訊こうかどうか迷っていた。何度あの光景を思い返してもやっぱりすこし変、違和感を覚える。あれはまるで……いや、それはさすがにお節介だろう。
かける言葉が見つからず黙って靴を上履きに履き替え教室へ向かった。
そのとき彼女の顔は見えなかったので……いや、意識してしまって見れなかったからどんな表情だったかは分からない。
変に思っただろうか。不自然に見えただろうか。無視したわけじゃないが、そうしたことになるんだろうか。誤解していないといいが。
席につくと真っ先にあいつがやってきた。何か嬉しいことでもあったのかまずまずいい笑顔をしている。
「おはよう榊。今日は遅刻しなかったな」
なるほど、同じクラスのやつが遅刻しなかったことが委員長として喜ばしいってことかな。
「おう。そう毎日毎日、遅刻なんてしねえよ」
言い返したが、実際に隣のアホは毎日毎日確実と言っていいほど朝に顔を見ることはない。まさか同類とも思われているのだろうか。だとしたら最悪だ。
その考えは正してやらねばなるまいて。
「俺は空閑じゃないんだよ」
頭上に疑問符を浮かべるかのように頭を斜めに傾け眉をひそめてこちらを見ていた。
「二人はいつも一緒に居るじゃないか。仲が良いのか悪いのか分からないやつだな」
「俺にも分からん」
そう返したら唐突にふっと笑われた。
「いや、なんでもない。またな」
俺からするとあいつの第一印象はさほど良くなかった。本で叩かれているからな。だがああして笑うあいつを見ると普通の女の子だし、委員長としてクラスメイトの遅刻に一喜一憂する。標は良いやつだ。
鐘が鳴り教室に教師が入ってきた。ホームルームが始まり面倒な日常が幕を上げたことを実感した。
窓の外は煌々と太陽が照りつけていた。もうちょい、もうちょい右にズレてくれ。そしたらあんたは雲の中なんだがな。
四時限目の途中、俺は机の中に見知らぬノートを見つけた。それが何なのか俺はすぐに理解した。
三時限目は保健だった。保健体育は男女別でC組はD組と合同。男子生徒はD組の教室に女子生徒はC組に集まって授業が行われた。
つまりそのとき俺の机を使用した女子生徒の忘れ物ということだ。きっと自分の席と勘違いして入れてしまったんだろう。
そのノートはどこを見ても名前は書いていなかった。しかし表紙にはバルリオンの姫君というタイトルが書かれていた。
なんだかものすごく惹かれるタイトルだった。姫君と書いてあるくらいだしきっと、お城とか騎士や貴族、剣と魔法なんかが出てくるファンタジーものなんだろう。俺はただ興味本位で中を覗いた。
内容はロボットや宇宙船が出てくるようなSFものの小説だった。タイトルに抱いていたイメージとまったく違ってかなり驚かされた。だがしかしなかなかに面白い展開で続きが気になった。
次は次はと読んでいたが残念なことにまだ途中らしい。さて、更新はいつだろうなんて。
「榊、授業に集中せんか」
バインダーでパコンと一発、軽いのを頭に食らった。
どうやら俺は回答者に指名されていたらしい。小説に夢中でまったく気づかなかった。
授業が終わり昼休み。机の上を片付けずに俺は例のノートを片手に標のところへと足早に向かった。
「なあ標、ちょっと訊きたいことがあるんだが」
俺は机に手を付いて標に迫った。
標は驚いた様子で俺を見ていた。まあ俺からこいつに話しかけるのはこれが初めてだし、そういう反応をしても変ではないが……?
「な、なんだ?」
「三時限目の保健で俺の机に座ってたやつ、分かるか?」
「榊の……?確か、D組の月城さんだな。月城未来、それがどうかしたのか?」
「ちょっとな、ありがとう」
俺は急いで教室を出てD組に向かった。顔を知らない相手だからだ。もし購買か、そうじゃなくても教室の外なんかに行かれてしまったら見つけられないだろう。しかしいざとなったら情報室も手だが。
D組、D組といえば……。
「ん?」
誰かが俺の脳裏をよぎった。知ってるやつでD組がいたような気がするが思い出せない。そうこうしていると。
「あ」
廊下でばったり彼女に会った。そういえばそうだった。彼女……花柳がD組なんだった。
花柳は丁寧にお辞儀をしてこちらに歩み寄ってくる。
「こんっ……」
「ちょうど良かった!」
俺は事の経緯を軽く説明して月城を呼んでくれと頼んだ。何か言いかけてた花柳を押し切ってマシンガンのように喋ってしまったが快く引き受けてくれた。
しかし、浮かない顔で戻ってきた。
「月城さん、教室には居ませんでした」
「そうか、どこに居るかは分からないか?」
花柳は首を横に振った。
「いつも一人で行動していて、訊いてみたんですけどどこで何しているか誰も知らないみたいんです。すみません」
「いやいや、花柳のせいじゃ無いから気にしなくていいって。ありがとな」
しかしどうしたものだろう。現状は完全に手詰まりだ。
「あ、あの」
「なんだ、どうした?」
用意していた質問を忘れたか、あるいは言いづらい内容だったか口ごもって動きを止めた。
「……いえ、やっぱりなんでもないです。それじゃあ」
花柳はここに居づらくなったのか足早にこの場を立ち去った。
「あ、ああ……?」
彼女の後ろ姿を見ながらしばらくその場で考えたがどうしてもいい案は思い浮かばなかった。名前くらいしか分からない相手を昼休み中に探し出すのはどう足掻いても無理がある。
「さーかき!購買行こうぜ!」
そんなところへ空気を読めないアホが満面の笑みで視界の端から飛び出してきた。
「悪いな。俺は今日も先に済ませなくちゃならない用事があるんだ」
「なにそれ」
俺は適当に事情を説明した。特に何も期待はしていなかったが、どうも妙案があるらしくにやにやしながら話を聞いていた。
「ふふーん。まあ、僕についてきなよ」
言われるがまま空閑についていくとたどり着いたのは生物準備室だった。授業で使う生き物の標本やホルマリン漬けなんかが保管されているような部屋だ。
こいつが何を考えているのか俺にはまださっぱりだった。
「この学校で生徒のことを調べたかったらここさ」
得意げに鼻を高くして語った。
不思議に思いながらも部屋に入る。奥へ進むと全開に開けられた窓の枠に女子生徒が本を読みながら座っていた。室内に心地良い風が吹き込むと少女の前髪がゆらゆらと揺れる。
「やあ!ちょっといいかな!」
空閑が声をかけると不機嫌そうな顔でこちらを振り向いた。気の強さを感じる鋭い目をしていた。じっと空閑を睨みつけている。
「またあんた?もう情報提供はしないって言ったわよね。迷惑なの、帰ってくれる?!」
本を閉じ窓枠から降りた。眼の前の長机に本を置いてこちらに歩み寄ってくる。
「いや、あのときは悪かったって、ていうか今回はそういう用事じゃないんだ……!」
徐々に歩く速さが上がっている。最後にはもう走っていた。
「問答無用ッ!」
強気な女子生徒は空閑に強烈な飛び蹴りをお見舞いし部屋の外までふっ飛ばした。そして最後にこの変態野郎と罵倒し扉を力いっぱい勢いよく閉めた。
いったいあのアホは何をやらかしたか知らないが、とにかくこの少女に嫌われているようだ。
少女は振り返って俺の全身を舐め回すように見た。何か疑われているようだ。
「で、あんたは誰?うちに何の用?」
そう訊かれても連れてこられただけで俺にも分からないんだがな。ひとまず軽く自己紹介とこれまでの経緯を説明した。
「榊学……変な名前ね」
相手が誰か分かりもしない段階でになんてことを、気が強いってよりか肝が座ってるなこいつ。
「なあ、ここってなんなんだ?」
「あのクズから何も聞いてないの?」
「ああ、生徒のことを調べたきゃこことしか……」
女子生徒が言うにはここはオカルト研究部らしい。こいつはその部長をやってる河守結。最初はただ学校のオカルト的な噂を集めているだけの部だったらしい。しかしいつからかある男子生徒が生徒個人の噂や情報を集めるようになり、他生徒から密かに情報室と呼ばれるまでになったらしい。
「なんで?」
「あたしに訊かないでよ。あたしがこの部に入ったときは既にこうだったの。神尾が居なくなったらとっとと潰すわよこんな部」
ちょっと事情はよく分からないがあまり関わらないでおこうと思った。
「私がやらなくても勝手になくなるけどね……」
「え?」
「なんでもない!」
一瞬落ち込んだかと思ったら急に怒ったりして。こいつめ、なんて情緒不安定なんだ。
「二年D組の生徒だったわよね。これに載ってるから、見たらさっさと帰ってよね」
まあまあ分厚いファイルを雑に渡された。中には確かに生徒の情報がびっしりだった。いくつかは写真つきで掲載されている。内容は友人関係や学校内外問わず普段の行動、趣味に部活や習い事など恐ろしく細かく乗っている。生徒によってはスリーサイズなんかも、どうやって調べたのかは訊かないでおこう。
顧問はこれについて知ってるんだろうか。まさか気づいてないなんてことはないだろうし……いや、やめておこう。
それよりこれ、俺もどっかに載っているんだろうな。他人に自分の情緒見られるなんてあまり考えたくないな。
「えっと、月城は……あった」
月城未来。誕生日2/20。血液型不明。身長148.2センチ。体重4……いやいや。
所属する部活動は文芸部。友人は不明、恐らくいない。趣味は小説の執筆。休日は……って、なんか、見るの悪い気がしてきたな。居場所が分かるような情報だけ見て閉じよう。
「なるほど、屋上か……。ん?」
俺はファイルに貼られた付箋に目がいった。綺麗に並んでいて上から順に五十音が書かれていた。そのうちハ行に目が止まった。
俺は無意識にそのページを開いた。サラサラとページをめくっていく。はつ……はて……はと……は…………な。
「ちょっとまだ見つからないの?」
俺の行動を不審に思った河守がファイルを覗き込もうとしてきた。俺は自分が何をしているのかに気づき慌ててファイルを閉じた。
「いや、見つかったよ。ありがとう」
何をやっているんだ。俺は。
ファイルを河守に返し、急いで生物準備室を出て行った。
廊下でため息をついて、たまたま視線が足元に向かう。するとそこにはさっき河守に蹴飛ばされた空閑がまだ横たわっていた。
軽く蹴ってみるが反応はない。意識がないようだ。しばらくそれをどうするか考えたが……。
「よし、ほっとこう」
起こすと面倒なのでそのまま放置することにした。
俺はファイルにあった昼休みに月城未来がよく行く場所、屋上へと向かった。
小さな手では、何も出来なかった。大きな手に、突き飛ばされた。何も失いたくない。
屋上に到着した。ここは本当に心地良い風が吹く。停滞した校内の淀んだ空気とは大違いだ。だがしかし、さすがにこの強い日差しは無視できない。油断したら体中が真っ黒になってしまう。それにもちろん夏だし暑いわけで、ここで昼飯なんてできたものではない。ベンチなんて素肌で触れたら火傷するんじゃないかってぐらい日光で熱くなっている。
そんな過酷な屋上にたったひとり、レジャーシートを広げて黙々とお弁当を食べている女子生徒が居た。俺はそこへ向かう。
小柄でショートヘアの眼鏡っ子。いかにも文化部……いや、文芸部って感じだ。教室の窓側席でひとり夢中でペンを走らせる姿が容易に想像できる。しかしSFってのにはやっぱり驚かされるけどな。
にしても、暑くないのだろうか。
「ちょっといいか?」
「……何?」
無表情のまま小さな声でそう言った。
「あ、えっと、このノート。おまえので間違いないか?」
例のノートを見せて事の経緯を説明した。俺からノートを受け取ると中身を確認していた。荒らされていないか確認しているんだろう。
こういう創作物を人に見られるのは恥ずかしいと感じるのが普通だと思うが、その間も無表情のまま淡々と俺の話を聞いていた。
「なあ、こんなところにいて暑くないのか?」
「暑い」
「じゃあなんでここで昼飯食べてんだよ。もっと涼しいところにっ……」
「ここがいいから」
その言葉だけは今までよりも強くはっきりと言った。月城は俺の目をじっと見つめていた。それはほんの一瞬の出来事だったのだが俺にはそれがとても長く感じた。
「ここが……寂しくないから…………」
また弱々しく小さな声に戻った。うつむいて悲しそうな目をしている。それが寂しくないと言う人の顔には見えない。
ここは夏はこの通り暑すぎて、秋は風が冷たく冬には雪が降ったりして恐ろしく寒い、春はこんど風が強いせいでとにかく一年を通して人気がいない。いつ来たって誰もいないこんな場所が寂しくないとはいったいどういう意味だろう。
「読んだ?」
「え?」
唐突に今までとまったく無関係な質問をされてなにを訊かれているか分からなかった。
「小説」
次のその一言で俺はここへ来た本来の理由を思い出した。月城を詮索するのが目的じゃあない。
「あ、ああ!悪い。読んだ」
「そう。なら感想を聞かせ……」
昼休み終了を知らせる鐘が鳴った。月城を探すのに手間取りすぎたようだ。残念だが昼飯は抜きとなってしまった。
その月城はというと。食べかけのお弁当と広げたレジャーシートを片付けて立ち上がった。
「放課後、第三多目的室に来て」
「なんで?」
「そこが文芸部の部室。小説の感想を聞かせて欲しい」
そう言って教室へ戻っていく月城の小さな背中を俺は呆然と眺めていた。
しんみりした空気かと思ったら一転、普通に喋ったりこちらの意図しない回答が返ってきたり、なんともまあマイペースなやつだな。
ポコっと。まったくもう、これは迂闊に寝ていられないな。起き上がると目の前にはやはり無慈悲な委員長が不機嫌そうな顔をして立っていた。
「榊、キミはいつも寝ているな。時計を見ろ、もう放課後だぞ」
「ほっとけよ」
「そういう訳にいくか。私は委員長だからな。キミみたいな生徒は放置できない」
標は誇らしげに胸を叩きそう語った。委員長とはそういうものなのか俺には分からないが、要するにこいつの近くで乱れたことは出来ないってことだ。実に残念。
「空閑はいいのかよ。あいつ今日も遅刻だったぜ?」
「遅刻……?」
標は首を傾げて眉をひそめた。俺の言ったことをどうも理解できないようだ。
「君は何を言っているんだ?私は今日、空閑を見ていないぞ。夢でも見ていたんじゃないのか?」
「んなわけ……あれ?」
隣の席にあのアホは居なかった。しかし昼休み確かにあいつの姿を見たはずだった。思い出そうとしたが、まあアホのことだしと、すぐにどうでも良くなった。
「なあ榊、そんなことより……その、今日はい……一緒に、帰らないか?」
標は恥ずかしそうに頬を赤くして自信なさげに弱々しくそう言った。
「え、俺とおまえで?」
思いがけない提案に俺は驚いて質問で返してしまった。
「そうだ。一緒に来て欲しい……場所があるんだ。その…………駄目か?」
今度は上目遣いで俺の顔を覗き込む。なんだ、断ったら泣いてしまうんじゃないかって目をしている。指をもじもじさせて不安そうに俺の返事を待っていた。
しかし、駄目か良しか以前に俺らはそういう仲ではない。委員長と生徒、そう思っていたがもしや標の認識は違ったのだろうか。
そんな目をされると断りにくいが、先約があって応えるわけにはいかない。忍びないがここは仕方ない。
「悪い。俺はこのあとちょっと用事……文芸部に行かなくちゃならなくてな」
「……っ!……そ、そうか…………。私こそ変なことを言ってすまない……」
標の瞳から光が消えた。視線を落とし寂しそうな顔をしている。緊張で固くなっていた身体から力が抜けていき背中が丸くなった。もじもじしていた指の動きが止まって、見開かれていた目はまた小さくなっていった。
ああ、女の子のそういう姿は見ていられない。
「なあ、それは今日じゃなきゃダメか?」
返事は無かったが標は顔を上げ俺をじっと見つめている。……あまり見ていたくない顔だ。
「もし今日じゃなくてもいいなら、ほら明日とかなら……」
「本当か!」
「あ、ああ」
急に元気になり、さっきまでの暗い表情とは一変しぱーっと明るい笑顔になった。目がキラッキラしている。
「じゃあ明日、絶対だぞっ!」
標はいつになく上機嫌になり鼻歌なんか口ずさんで教室を後にした。見える見える、あいつの頭上にるんるんという文字が見える。なにがどうしてそんなに嬉しいのか分からないが。
俺も続いて教室を出て文芸部の部室、第3多目的室へと向かった。その道中、俺は何度もあくびが出た。恐ろしく眠く、目を開けているのがやっとだった。
ところで標は俺をどこへ連れて行く気なんだろう。喫茶店かそれともどっかで買い食いとか?…………いやいや、委員長に限ってそれはないな。それじゃあ……妥当なとこ文房具屋か?あいつらしいっちゃそうかも知れないが、それじゃ俺いらないしなあ……。
変化球で駄菓子屋だったりしてな。立場上、行きたくても行けなかった駄菓子屋に俺という偽不良を配置して、注意しに来たという大義名分でもって悲願の入店……だったりして………………なんか有り得そうな気がしてきたな。
「あ、よっす!センパイ!」
無邪気な笑顔を見せる銀髪ツインテールの少女がこちらに向かってピンと伸ばした両腕を振っていた。
階段を上がってきた九重と渡り廊下前で鉢合わせした。これから軽音部の活動らしく音楽室へ向かっているところだという。
「よう、自転車泥棒」
九重は俺の挨拶に眉をひそめ、そして頬を膨らませてこちらを睨んだ。
「むっ!ちゃんと返したじゃないですか!もう!」
そうやって不機嫌そうにしながらも俺の横について歩いた。並んでみるとこいつの背の低さが目立った。俺の肩よりもすこし低い。150くらいだろうか。
「なんですかセンパ〜イ、あたしのことじぃーーっと見つめちゃって〜」
九重は不敵な笑みを浮かべ俺の腕に抱きついた。
「もしかして〜、好きになっちゃいました?」
「んな訳あるか。ただおまえって結構ちいさいんだなって思っただけだよ」
言った直後、九重は急に顔を真っ赤にして腕で胸を隠した。そして慌てて俺から数歩遠ざかった。
「な、ななな、センパイ酷い!気にしてるのに!まだ知り合って間もない相手に何を言ってるんですか!センパイのエッチ!」
「は?おまえ何言って……っ!」
俺は九重の行動とその慌てようから、あいつが何を言っているのかようやく理解した。
「いや待て誤解だ!そっちの話じゃない!身長の話だよ身長の!」
「榊センパイのへんたーい!」
「人の話を聞けーっ!」
俺の呼びかけも聞かず九重は一目散に走り去ってしまった。これは次に会ったときの弁明がかなり面倒そうだ。あまりそういったことを気にして無さそうに見えたが、思いのほか乙女なやつだな。
周囲からひそひそ話がたまたま耳に入った。
「あの人、下級生の女の子に何したのかしら?」
「やーね。近づかないように気をつけなくっちゃ」
「違う!俺は何もっ!」
「キャッ!こっちに気づいた!」
「キャー!」
ひそひそ話をしていた女子たちは悲鳴をあげながら逃げていった。
確かに、ついさっきの光景を見て勘違いするのは無理もないが話くらい聞いてくれたっていいじゃないか。
あんなたった一言がまさかこんなことになるとはな。これで変な噂が立たなきゃいいが、この手のはすぐ広がるだろうからな。
「はあ…………」
いろいろあったが、なんとか第三多目的室に到着した。室内から特に物音がしないのが気になるが、俺は扉を開けた。
「ちわー」
部屋に居たのは月城未来ただひとり。まだ俺に気づいていないのか太陽の光が差し込む窓辺の席で黙々と鉛筆を走らせていた。
月城の前の席に座ってようやく気づいてもらった。
「よう、来てやったぜ」
鉛筆の音が消え時計の音だけが木霊する。静まり返る教室、月城はゆっくりとこちらへ視線を寄越す。
「……誰?」
真剣な眼差しで一言俺にそう言い放った。予想だにしない大ボケ発言に俺はついコケてしまい、椅子から落ちそうになった。
「おまえが来いって言ったんだろ!」
一連の出来事をところどころ省略して説明した。
「それは知ってる。名前を訊きたい」
「……今の、そういうことだったのか」
終始、表情は変わらない。しかし首をほんのすこし傾けた。疑問に思っているということなんだろうか。人付き合いが難しそうなやつだった。
俺が名前とクラスを教えると月城は小さく頷いた。
「どうだった?」
さっきから言葉が足りな過ぎて意味が伝わってこない。だがまあ今回は小説を読んだ感想のことだろうと思い、面白かったと話た。
「気になったところはあった?」
「いや、特になかったな」
「そう……」
「悪いな。あまり参考にならない感想で」
「いい」
小説が書けるくらいだ。もうすこし普通に話せるはずだと思うんだがな。他の部員はこいつのことをどう思っているんだろう。
「なあ、他の部員は?今日はおまえだけか?」
「文芸部は私だけ」
確か部活として認めてもらうには最低四人以上の部員が必要だったはすだ。もし集められなかった場所は、何か特別な理由がない限りは廃部。訊くと、一年の頃に居た先輩連中は全員三年生で今は卒業していないという。
「夏休みまでにあと三人勧誘できなければ廃部になる」
終始淡々と話し、こいつからまったく危機感というものを感じない。
「えっ、まずくないか?もうあまり日が無いぞ」
「うん」
ずっと思ってたが恐ろしくマイペースなやつだった。
「これ、考えておいて」
そう言って入部届を差し出してきた。なんてテンポの悪い勧誘なのか。二度目になるが、月城は恐ろしくマイペースなやつだった。
「まあ、名前を貸すくらいならな」
月城から入部届を受け取り鞄へ詰めた。
「ところで、その小説は続きあるのか?」
「今書いているのがそう」
となると今俺がそれを読むわけにはいかないか。しかたなく俺は鞄を手に取り立ち上がった。
「帰るの?」
「おう、じゃあな」
「うん」
そうして俺は多目的室を出ていった。廊下をしばらく歩いたところで人に声をかけられた。そちらに振り向くと壁に凭れ掛かり腕組しているオカルト研究部改め情報室の河守が居た。
「あなた、あの子に変なことしてないわよね?」
「してねえよ。なんだよいきなり」
「気にしないで。ただあんたはあのクズと一緒に居たから、あまり信用してなかったの」
突然話しかけてきたと思ったら、驚くほど失礼な発言を繰り返す図々しいやつだった。
「まさか、聞いてたりしたのか?」
「壁に耳あり障子に目あり、よ」
「なんだよ急に……。って、聞いてたって意味か!?」
「それじゃ!」
「おい!」
そうして河守は駆け出したが途中で振り返った。
「あ、そうそう一つアドバイスよ。女の子の身体の話はもうちょっと慎重にしなさいよね。セ・ン・パ・イ!」
「はあ?」
再び駆け出し曲がり角に消えた。俺はそれを傾いた視線のまま見ていた。
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