督促状を踏み越えて

紺の熊

最後に残ったもの

 値の付く家財の一切を処分し、ひどく殺風景になったワンルーム。就職して以来今に至るまで住み続け、ややくたびれたフローリングには、幾つかの紙のみが置かれていた。


 紙は大きく2つに分類できる。

 某大学の設立者の肖像が描かれた、同じ図柄・同じ大きさの紙、つまり一万円札が5枚。

 もう一方の出処は様々だ。奨学金機構、区役所、消費者金融などなど……、失職して以来少しずつ滞っていった諸々の支払いの督促状である。


 これが、今の私に残った全てと言えるだろう。

 銀行口座には来月分の家賃を支払えるかやや怪しい金額のみが残り、家財も年季の入った布団と僅かな衣服を残して全て売り払ってしまった。スマホは持っているが通信契約を最低金額のプランに変更したため、フリーWi-Fiスポットまで持って行かなければ使えるのは電話かメモ帳くらいだ。


「詰み、だな……」


 「詰み」。現状を表す最も適切な言葉だろう。

 私はいわゆる多重債務者だ。特別だらしない生活を送っていた訳でもないが、施設を出てから一人暮らしをしながら大学に通えば、卒業する時には奨学金を中心に1千万円近い債務を背負っていた。


 それでも、働ける間はどうにかなった。国内大手のメーカーに就職し同世代と比べやや高めの収入を得ていた頃は、元本こそ大きく減らなかったものの、求められる分は十分に返済できていた。

 30半ばには早くも課長に昇進でき、順調にキャリアを積み上げていた……、1年前までは。


 昇進して間もなく、大規模な検査偽装が週刊紙にすっぱ抜かれた。不祥事は瞬く間に世間に広まり、大きなバッシングを受けた社は第三者機関による調査の徹底と複数の責任者の懲戒解雇を発表し、世論の鎮静化を図った。

 そして勿論、懲戒解雇された責任者の中には私の名があった。


 思えば、時期外れの、更に言えば社内でも随分と早いと話題だった課長への昇進は、こうしてスケープゴートにする為だったのだろう。

 社内政治からは距離を取っていたが、それも悪い方に影響したのかもしれない。庇護者のいない哀れな羊は、社内政治の敗北者と共に懲戒解雇の憂き目にあった。


 そこからはどうしようも無かった。種々の手続きを終えていざ再就職しようにも、関連企業や取引先では懲戒解雇されたような人間を雇用しない。同業他社も同様だ。しかし、他の業界・業種に飛び込むスキルも若さも無い。

 施設育ちかつ未婚である私には、頼れる縁者もいない。頼み込めば金を貸してくれそうな友人は何人か思い付くが、そうして友人を失うのは絶対に嫌だった。


「結果、このまっさらな部屋と5万円、大量の督促状のみが私に残った訳だ」


 誰に聞かせるでもなく呟いた独り言と共に、部屋の中央、テーブルが無くなったことで産まれた広い空間に大の字で寝転がる。ひんやりしたフローリングの床が心地よい。


 経年劣化で薄ら黄ばんだ天井と、消灯した丸形のLED照明を眺め、考える。

 おそらく来月、6月の下旬である今からおよそ1週間で、債務整理に入ることになるだろう。返済に充てられる資産も給与も持たない以上、自己破産という形になると思われる。ヤミ金のような筋の悪い所には金を借りていないから、おそらくはそれで決着だ。

 そこから先は……、どうなるのだろう? 生活保護を受給しながら、コンビニかスーパーでアルバイトするのだろうか?

どうにも心踊らない将来予想だ。


「この5万もなあ、どう使ったものか」


 自己破産について軽く調べて見たが、どうやらこの程度の金額の現金は差し押さえられることは無いらしい。生活費まで取り上げるのは制度の本意ではないからだろう。

 だがどうしてか、この5万円を生活費に用いることがとても惜しく感じられる。どうせ生活保護の受給なりアルバイトなりで生活費を稼げるのであれば、まだ遊びに使える間にパッと使ってしまった方が良いのではないか? という考えが頭を離れない。


「5万円あったら何しようか……」


 5万円。流石に国外は難しいが、国内の一人旅であればそれなりに遊べるだろう。あるいは飲食で使うのであれば、食べたことの無い美味しい肉や、とても手を出せなかったコース料理なんかを食べてみる事もできるかもしれない。


 徐々に心が5万円を使ってしまう方に傾いてきた。

 思えば、人生でこれほど金を使って遊べたことはほとんど無かった。大学生の頃、友人達と卒業旅行をしたのが最後だろうか。


「自己破産したら当分遊んでる余裕なんて無いだろうなあ……。これが最後の機会になるかも知れないのか」




「……よし、決めた。今日から1週間、遊び尽くそう!」

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