すべて未来は偽物の海に

クラン

本文

 叔父を初めて目にした瞬間、頭に浮かんだのは灯台だった。物寂しい白黒写真のなかで、シマの突端にたたずむ灯台。


 連絡船で本土に着いたのは正午過ぎだった。私物を詰め込んだ段ボールは数日前に送ってあったので、手荷物は高校指定の通学鞄ひとつきり。身体の身軽さに比べて、心は重たい緊張で縮こまっていた。

 一度も会ったことのない叔父と、これから三年間を過ごす。四月から通う高校に誰ひとり知り合いはいない。しがらみのない自由な人生への期待は、本土に近付くにつれて生々しい不安を帯びていった。


 シマを出る前までは弾んでいた気持ちが、港に降り立つ頃にはすっかり萎えてしまった。雲間から注ぐ淡い日差しは、前途を明るく照らすどころか拒絶しているように感じてならない。振り返っても海が永遠みたいに続いているだけで、どこにもシマの影はなかった。

 陸のほうに向き直ると、右手側に錆の浮いた倉庫が均等に並んでいて、ずっと先にはオレンジと白の塗料で彩られたクレーンが見える。左手にはコンクリートの空間があって、車が一台だけ停まっていた。車から三メートルほど離れたところに、直立不動でじっと海を見つめている男がひとり。痩せぎすで背が高く、眼鏡が日光を反射している。私が灯台をイメージしたのは、この瞬間だった。

 バランスを崩したら海に落ちてしまいそうなくらいギリギリの位置に立っている彼に、近付くのも声をかけるのも躊躇ためらってしまった。数分前に叔父に送った『着きました』というLINEは未読のままである。前日に送った『船は二時半に着くそうです』には、『迎えに行きます』の返事があった。絵文字も顔文字もスタンプもなくて、言葉だけがそこにある。


 両親にも友達にも、シマのオジイやオバアにも、小中学校の先生にだって、こんなかしこまった言葉は使わない。だから叔父とのやり取りの素っ気なさ、冷たさに、少し惹かれる思いもあった。私たちはこれから生活をともにする上で、きっちりと互いを線引きしている。必要以上に干渉せず、けれど困り事があれば助け合う。そんな関係を想像したものだ。

 叔父であろう後ろ姿は、細くて頼りない。私になにかあったとしても、きっとこの人は気付かないんじゃないか。今もそうであるように、ぼさぼさの頭を風に晒して、ただぼうっとたたずんでいるだけなのではないか。たとえば学校でいじめられたり、夜道で痴漢に襲われたりしても、知らぬ存ぜぬの態度を取り続けるのではないか。


 甘えるな。


 私は私に呼びかける。他人を頼りにしたいなら、お前はシマに帰ることになる。高校を卒業して帰るのか、中退して帰るのか、いずれにせよお前の望んでいた自由な人生なんて送れない。磯臭い小さなシマで決まりきった生活を送ることになる。顔なじみの漁師見習いと結婚して、子供を産んで、幸せだと繰り返し口にしなければ幸せを実感できない一生が待っている。


 お腹から絞り出すように息を吐き、下唇を噛んだ。そして咳払いをひとつ、してみた。

 振り返った男は数秒ほど私を眺めてから、こちらに向かって億劫おっくうそうに歩いてきた。


「美咲さんですか?」

「はい」


 それだけの短いやり取りだった。遥々はるばるシマから船でやってきたねぎらいも、これから同居することになる者への愛想も、あらためての自己紹介もなにもない。私を美咲と呼ぶ以上、彼こそが叔父なのだろう。だから名乗る必要はない、とはならないと思うのだが。


 叔父はさっさと車に乗り込むと、じっと私を見た。なにを考えているのか分からない顔で。

 このまま車に乗らなければ、彼はどうするだろう。そんなことをふと思ったけど、実行に移す勇気は出なかった。


「お邪魔します、宜しくお願いします」

 そう言って助手席に滑り込んだ。叔父の返事はない。私がシートベルトをすると、すぐさまエンジンをかけて走り出した。




 港を出て一時間半が経つ頃、ようやく目的地にたどり着いた。道路に面した三階建ての細長い家が叔父の棲家すみかであると知ったのは、停車した叔父が「ここが家です」と真正面を向いたまま呟いたからである。一階はガレージになっていた。叔父は家に車を横付けしたまま、ガレージに入れることなく、エンジンも切らずにじっと正面を見つめていた。

 彼が「降りてください」と言ったのは一分か二分経過してからだった。慌てて降りると、彼はハンドルを切り、一度も切り返すことなく完璧に駐車した。車幅の関係で助手席のドアは玄関脇の壁から十センチ程度しか離れていない。自分の察しの悪さを嘲笑あざわらわれるような思いがした。




「ここが美咲さんの部屋です」


 案内されたのは二階の洋室で、ひと通りの家具が揃っていた。テーブルや本棚や食器棚、電子レンジとオーブントースター、シングルサイズのベッド、掃除機、私の身長くらいの冷蔵庫。窓にはクリーム色の無地のカーテンが引かれていて、床は剥き出しのフローリングだった。事前に送った段ボール箱はクローゼットに仕舞ってあった。


「洗濯機とキッチンとバスルームは一階のものを使ってください」


 そう言って叔父はポケットから鍵を取り出し、こちらに差し出した。私が受け取るや否や、彼は無言で部屋を出てしまった。

 しばらく待っても、戻ってくることはなかった。




 父は叔父のことを独特な男だと言っていた。悪い奴じゃないから安心しろ、とも。具体的なことを聞こうとしてもはぐらかされて、ほとんどなにも知らないままこの日を迎えたのである。LINEは素っ気なくても、シマ出身の人なのだから鬱陶うっとうしいくらいに歓迎してくれるかもしれないなんて思ったりもしたけど、ここまで不干渉な人だとは思わなかった。


 学校が始まる五日後までには叔父との暮らしのコツというかルールを完璧に呑み込んで、この街にも詳しくなっておこうと意気込んでいたのだけれど、先行きは暗かった。

 冷蔵庫に入っていたレトルト食品とパックご飯を食べてその日を終え、翌日も叔父からはなんのアクションもなく、無為に過ごすこととなった。


 ここに来て二日間で知ったのは、叔父との共同生活は、まったくもって共同と呼べるものではないという点である。食事は別々で、掃除は自分の部屋だけやればよく、門限はなし、家では自由に過ごしていい。それらの、ルールとは呼べないようなルールを、叔父は一方的にLINEで送ってきた。互いの生活を侵さないことがすべてなのだと突きつけられた気がした。それでも、家鳴りと遜色そんしょくないささやかな足音から、叔父の部屋が三階にあるのは把握した。四六時中そこにいることも。




 三日目の昼過ぎに、階下でエンジン音がした。どこかへ出かけるらしい。

 この隙にと思って、こっそり三階に向かった。急な階段を上がると右手に廊下があって、突き当りがトイレになっている。どうやら二階と同じ構造らしく、トイレから階段までの間に部屋がふたつあった。が、どちらの部屋も鍵がかかっている。信用されていないのか、と落胆したが、姪とはいえ出会って数日の相手に心を許すはずがないし、そもそも部屋を盗み見ようとしているのだから叔父の警戒心は妥当だった。


 仕方なく一階に降り、リビングのソファで持参した本を読むことにした。初日と二日目の夜もこうしてリビングで時間を潰し、偶然叔父と居合わせる瞬間を狙ってみたのだが、あえなく失敗したのを思い出す。叔父が姿を見せることはなく、私はいつの間にかソファで眠っていて、翌朝に目を覚ました。リビングは前の晩からなにひとつ変化していなかった。


 この家の玄関からは、リビングを通過しなければ階段に行けない。今回ばかりはソファで待ってさえいれば叔父と顔を合わすだろう。ひとつ屋根の下に住んで丸二日間顔を合わせないというのはあまりに異常だ。私たちはもっとお互いを知るべきだと思う。少なくとも、高校を卒業するまでの向こう三年間は同じ家に寝起きするのだから。




 叔父が帰ってきたのは、リビングで待機してから二時間後の午後五時だった。無言で玄関を開けた叔父の両手には、ビニール袋がひとつずつぶら下がっていた。


 二日ぶりに面と向かって誰かと話せるからだろうか、それとも、叔父の登場を待ち望んでいたからだろうか、頬が自然に緩んだ。


「おかえりなさい」


 叔父はリビングに入ったところで足を止め、私を見て、それからちょこんと会釈した。それだけである。ただいまの一言さえない。


「ちょっと待って」


 私の横を通り抜けて階段へと向かった叔父の背に、思わず声をかけていた。二時間待った収穫がこれでは、あまりにも虚しい。

 叔父は足を止めて首だけで振り返った。顔にはなんの表情もない。強いていえば、きょとんとしている。港で会ったときと同じ、すっとぼけた顔のままだ。


「なにを、買ってきたんですか?」

「食べ物です」

「なんの食べ物?」

「パックの米、醤油、ツナ缶、海苔の佃煮の瓶、たらこのふりかけ、レトルトカレー、レトルトの牛丼、レトルトの中華丼、乾麺、インスタントの春雨スープ、コーヒー」


 叔父は中空ちゅうくうに視線をさまよわせて、それらを列挙してみせた。両手のビニール袋を一瞥いちべつさえせずに。


「普段からそんな食生活なんですか?」

「そうです」


 だからそんなに痩せていて顔色がよくないのではないか。


「大したものは作れませんけど、私が料理しましょうか?」

「お構いなく」


 叔父はにこりともせず、かといって顔をしかめるでもなく即答すると、階段を上がっていってしまった。

 空振りした親切ほど自尊心を傷つけるものはないのだと、この歳になってようやく思い知った。


 飾りのないがらんとしたリビングに立ち尽くし、故郷に思いをせた。

 シマでは人と人との距離が近い。大袈裟おおげさかもしれないけど、みんなが大きな家族だった。道を歩けばオジイやオバアに必ずと言っていいほど声をかけられる。なんのことはない世間話から、私の人生についてまで悪気なく踏み込んでくる。「キレイになったねぇ。んだら、漁師さ捕まえんだよ」という言葉を何度浴びたことか。

 シマでは漁師が一番偉い。稼ぎが多いばかりではなく、昔は死者が出るくらいには危険だったからだろう。美人は漁師の正妻となるのが習いなのだ、少なくとも老人たちにとっては。

 彼らのしわくちゃの温かい手で、私の人生がねられていく。それが気持ち悪くて悔しくて、布団のなかで泣きながら、お前らの思い通りになってたまるかと拳を握った夜のことをよく覚えている。


 叔父は、そのようなシマの在り方に馴染むことができずに、こうして本土で暮らしているのではないか。彼の不干渉な態度は、私の推測を裏付けているように思える。




 三階の奥の扉をノックすると、身じろぎする気配を感じた。しばらく待つと五センチほど扉が開かれ、その先に叔父の顔があった。


「少し話がしたくて、来ました。邪魔でしたか?」


 邪魔です、自分の部屋に帰ってください。それくらいは平気で言ってきそうな人だと思う。だから、心構えはちゃんとできていた。断られたら一旦引き下がって、時間を置いてまた来ようと考えていた。その想定ばかりを頭に思い描いていたものだから、叔父が「邪魔ではないです」と答えたとき、かえって驚いてしまった。


「部屋に入ってもいいですか?」

「駄目です」


 見上げると、叔父のすぐ後ろに暗幕が垂らされていた。室内の様子はまるで見えない。私がこの家に来ると分かってから用意したのかもしれない。

 少し、好奇心がいた。


「見られちゃ困るものがあるんですかー?」


 人懐っこい素振りなら得意だ。その技術のお陰で、私は私の人生を明け渡すことなく、シマでの干渉をのらりくらりと躱してきた。


「たとえば」


 叔父は、視線を私の顔からさらに下へと落とす。足元のあたりまで。廊下の窓から斜めに射し込む日光が、ちょうど彼の視線のあたりで反射していた。


「たとえば私が、部屋中に恋人の写真を貼っていたとしたら、美咲さんは薄気味悪く思うことでしょうね。そうなるとこの家は、美咲さんにとって安全な場所ではなくなります。美咲さんは別の、安全な場所を探さなければならない。居場所を探すには労力が必要です。危険な目にも遭います。自分自身を損なってしまうかもしれません。運良く安全なところを見つけられたとして、高校を卒業するまでの三年間……四年制大学に進学するのなら七年間、その場所を維持するのは難しいことです。そんな状態で学業に専念できたら、とても幸運でしょう。美咲さんが無事に日々を過ごすためにも、私には注意を払うべきではありません。人の内面を見たって、いいことなんてありませんから」


 頭がくらくらする。叔父が「恋人の写真」云々うんぬんと言ったところから息が詰まる感覚になって、それから先なにも言い返せず、ただ聞くだけになってしまった。


 もし仮に叔父の部屋が写真まみれだったとしても、私に危害が加えられなければ全然問題ないと思う。ただ、実害があるかどうかは害が出てからしか判定できないわけで、そんなことでは遅過ぎるから、不安や危機感というものがあるのだ。叔父が言いたいのはそういうことだろう、多分。そんな理屈なんて突っぱねたいところだが、叔父の口から出た「大学」という単語にびっくりして、無性に嬉しくて恥ずかしくて、そうですね叔父さんの言う通りかもです、という感じにほだされる自分がいた。


 しかしながら、人の内面を見てもいいことなんてない、とは思わない。私は私の本心をちゃんと知ってもらいたかった。相手が誰であっても。一方的に傷つくのが明らかだったからシマではひた隠しにしていたけど、内面を知る必要なんてないのだとうそぶく心境にはなれそうにない。叔父がもしシマの風土から逃げてきた人ならば、同じ思いであってほしいと強く感じる。


 きっと私は、ただ寂しいだけなのだ。




 叔父は入室こそ拒絶したが、リビングで話をするのには応じてくれた。


 私は、自分のことばかりを叔父に話したと思う。薄っぺらな子だと思われても構わなくて、ただ知ってもらいたい気持ちだけがそこにあった。

 叔父は終始、聞いているのかいないのか怪しいくらい無反応だったけど、一度だけ、目を大きくし、脱力したように口を薄く開いた瞬間があった。


「叔父さんを見たときに、あれを思い出したんです。白黒写真の灯台。船の上からシマを撮った昔の写真で、崖の上の灯台が棒みたいに見える写真です。叔父さんも知ってますよね?」

「もちろん、知っています」


 今はもう消えてしまった灯台だ。崖際に建っていたその建造物は、大地震の三日後に地滑りを起こし、海中に倒れ込んだのである。私の曽祖父の代の話で、もちろん叔父もこの世にはいなかった。真新しい昔話として、シマの学校では社会科の授業で頻繁に取り上げていた記憶がある。公民館の二階では当時の写真や資料、灯台の破片が飾られていた。館内の図書室によく通っていた私は、文字を追うのに疲れたときや、読書を続けられないくらい眠たくなったときに、気分転換として公民館の内外を散歩して気をまぎらわせたものだ。見慣れていても、写真の前を通るときには自然とそちらに目がいってしまったことを思い出す。りし日の灯台は、なにかを負わされているように見えた。目に映らない、写真に残らない、不確かな重みに耐えかねて、海へと落ちて、砕けて、失われた。失われてからは、昔日せきじつの念を負わされている。


「海に落ちた灯台は、しばらく直立していたという説もあります」

「え、そうなんですか?」


 叔父は浅く頷いて続けた。「明け方に海辺を散歩していた男が見たそうです。郷土史に載っています。ただ、男はどうやら酔っていたようで、信憑性しんぴょうせいのある証言にはならなかったようですね。ですから正式な記録ではなく、不確かな逸話いつわとして語られるにとどまったのでしょう」


 嘘かまことか錯覚か、いずれにしても灯台は海に倒れ込んだのだ。一部の破片を除いて海中にぼっしたのである。


 それから叔父は、灯台について語り続けた。シマの灯台はもちろん、各地の有名な灯台や、灯台そのものの存在理由についても。


「……ご存知かもしれませんが、灯台は船舶の航行を支援するための目印です。光によって、船は陸地からの位置関係を知ることができ、航路の助けとなったのです。今ではGPSがその役割を果たせますが、未だ現役で稼働している灯台も数多あります」


 灯台はそうした実益の面以上に、文化財として見做されつつあるのだと、叔父は続けた。今も日本には三千以上の灯台が建っているが、すべて自動化され、灯台守は常駐していない。無人の灯台が、日暮れになれば淡々と光を掲げる。

 道標は、今や誰もいない空っぽの灯台から投げかけられている。人の有無にらずとも、灯台は正しくしるべとなっている。


 シマは、標がなくなって久しい。




 その日から毎日一時間は叔父と話すようになった。私が彼の部屋まで行き、二人でリビングに降りて、ときどきはコーヒーなんかを飲みながら、ささやかな話を交換する。

 私は私自身について語ることがほとんどだった。といっても大した中身はない。シマでの生活で感じていた違和感――未来が自分の知らないところで決定されていく恐ろしさについてだとか、高校では文化部に入りたいこと、できれば文芸部があればと願っていることなんかを話した。


 SNSについても、話すつもりがなかったのにいつの間にか喋ってしまっていた。インスタでもTwitterでもなんでも、SNS上には、すごく自由な人だったり自分の力で何事かを成し遂げつつある人の発言が、スマホを操作して数秒で表れる。彼ら彼女らのプロフィールの真偽は不明だし、そこに至るまでの苦労も本当には分からない。それでもパッと見れてしまう場所にいるのだから、どうしたって身近に思えてしまうのだ。身近にいるすごい人の存在は、私の内側を揺らしてやまない。


 あなたはそれでいいの?

 それで満足なの?

 生き方を他人に決めさせていいの?


 実際にそういうダイレクトメッセージを受け取ったわけではなく、彼らの発言を眺めるたびに、問いを突きつけられているように感じてしまう。


 叔父は私の話題に関して相槌すら打たない。ただ黙って聞いている。話し終わっても感想なんて言ってくれない。十五歳の主張を決して判定しない。だからこそ、言わなくていいことまで喋ってしまうのだろう。


 私には夢がないことも、きっと叔父は見抜いているに違いない。ぼうっとした表情のくせに、視線だけは私から逸らさなかった。瞳を通り抜けて、頭のなかの、まだ話していない本心にまで入り込まれているような気分になる。


 シマに高校はないので、進学者はみな本土に行くことになるのだが、私は故郷を捨てたつもりでこの地にやってきた。私の人生を無理やり動かそうとする人がいない環境を求めて。ひとりにならなければ、自由な選択などできはしないと思ったからだ。


 私はまだ、人生の舵を取るのはおろか、航跡ばかり見つめて呆然としている。




 本土に来て五日目の晩のことである。その日はどういう風の吹き回しか、叔父から外食に誘われた。


「英気を養っていただきたいので」


 明日は初登校の日だった。


 私も名前を知っているくらい有名なファミレスで、パンケーキを注文した。それくらいならなんとか食べられそうだと思ったからだ。叔父が和風のパスタを選んだことに、料理が運ばれてから気がついた。


 注文してからも、料理が来てからも、私たちのテーブルには無言の時間が流れていた。日曜日のファミレスは家族連れで賑わっている。絶えず子供の嬌声きょうせいが弾けて、あちこちを小さな影が走り回っていた。私と叔父は互いになにも喋らず、粛々しゅくしゅくと食事を進める。叔父はフォークでパスタを巻くときも、それを口に運んで咀嚼そしゃくするときにも、音を立てなかった。私はというと、慣れないナイフのせいで、どんなに静かに食べようと心がけても陶器が鳴ってしまった。それを気にしている余裕もあまりなくて、明日のことばかり考えてしまっていた。


「学校は、楽しみですか?」


 叔父が切り出したのは、食後にコーヒーを飲んでいる最中だった。


「はい、まあ」


「不安ではないですか?」

「それなりに」


 というか、かなり不安だった。上級生も下級生も誰もが知り合いだったシマの学校とは違い、これから行く高校にはひとりの知人もいない。なにもかもをイチから始められる清々しさもあるけれど、それ以上に恐い。明日には片道三十分の電車に乗って登校するなんて、現実感がない。


 叔父はそれ以上なにも言わなかった。なんのために問いかけたのかさえ謎だった。


 ただ、思うところはあったのだろう。帰宅後、叔父は初めて私を三階の部屋に招き入れてくれた。階段から向かって奥の部屋ではなく、手前の部屋である。

 その部屋は、どこもかしこも本だらけだった。人ひとり分の間隔で書架が並べられており、壁も天井までの高さの本棚で埋まっいる。あとは小ぶりの書見台とパイプ椅子があるだけ。キチンと書物が収められた棚もあれば、雑然と本が横倒しに積まれている棚もあった。


 呆気に取られていると、叔父は奥の壁に面した本棚に触れ、入り口でまごつく私を振り返った。彼の左手が置かれた棚には、とりわけ古そうな、ボロボロの装丁の書物やら、クリアファイルやらが並んでいた。


「この一角はすべて、偽書や偽史が収められています」


 ギショ?

 ギシ?


「本物のように記された偽物の歴史や、年代や筆者を偽った書物のことです」

「はぁ」


「……嘘も、嘘としての価値があります。巧妙であればあるほど、本来の歴史の、本来の筆者の、ありえたかたちが浮かび上がってきます。私たちが一年後、二年後、十年後の未来を想像するのと本質的には同一の、単なる仮定に過ぎません。しかし想像というものは、常に現実の或る部分を支えているように思います。嘘もまたしかりです。現実ではないという点で、想像も架空も等しい。その意味においては、不安も、欠くべからざるものとして現実を支えているのだと思います。灯台のように」


 叔父が偽書や偽史の研究を仕事としているのを、私はこの日ようやく知った。不器用な励ましのあとで、言葉少なに教えてくれたのだ。それが嘘か本当かは分からないけど。


 思えば灯台の話を出したとき、叔父が最初に語ったのは、直立したという眉唾な逸話だった。崩壊を迎えたという結果以上に、叔父は不確かな証言を、真偽不明なままに――不明だからこそ――愛着を持ったのだろう。本土にやってくる姪を待つ間、遥か海上に目をらしていた叔父は、海にそびえる生白い一本の塔を幻視していたのかもしれない。


 叔父は私に、もし資料を破損してしまったならすぐに報告するのを条件に、三階の書庫への立ち入りを許してくれた。収蔵されているのは本物の歴史の本が大半で、偽書や偽史はひと握りだけ。でも、それらは偽の文献を引き立てるエッセンスなのだろう。きっと。


 嘘を共有してもらったことを本心から嬉しく感じた私は、その部屋を偽物文庫と名付けた。




 その日の夜は、疲れてはいないはずなのに、不安も消えてはいないのに、不思議なほど滑らかに眠りに落ちた。そうして夢を見た。


 海中に立つ一本の灯台。寄せる波が塔の足元で砕け、細かい飛沫となってぜる。海をまとってそそり立つ灯台は、もう光を放ってはいなかった。なんの標にもなっていなかった。それはただ、間違った場所に表れて、じきに消えていく存在だった。今にも倒れてしまいそうなその灯台を、私は両の腕でいだくようにして支えた。守らねばと思った。と同時に、守られたいのではないか、という自問も湧いた。支えているのかすがっているのか、定かではない。ただ、消えてほしくなくて、私はいつまでもそうやって、灯台に触れていた。




 翌朝、リビングに降りると珍しいことに叔父の姿があった。テーブルには焦げた食パンが二枚ずつ、叔父と、向かいの席に置いてある。皿と皿の間には真新しい苺ジャムとトースターがあった。


「初日ですから、駅まで送ります」


 すっとぼけた顔で言う叔父を見ていると、なんだか笑えてきて、欠伸のふりをして誤魔化した。そうして、今朝の夢をどのタイミングで話そうかと考えて、今晩がきっと相応しいと結論づけた。

 二人分のコーヒーを用意して、夢の話をする。学校でのことも話すかもしれない。自己紹介に失敗して浮きまくって、初日から孤立するかもしれない。先生は距離の近い熱血漢かもしれないし、叔父のような人かもしれない。いずれにせよ、私は真実だけを語るつもりなどない。


 パンに苺ジャムを塗って口に運ぶと、ザクッとして、甘くて、苦くて、美味しかった。

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