第27話 グレブ皇帝の怒り、そしてダノンの町海辺、蓮次と玉藻。

 ダノンの町西方、カルド海域。


 海原を進み、ダノンの町の海岸線に上陸しようと目論んでいたグレブ帝国の十隻の帆船の姿があった。


 船団の後方上では竜が滑空し、または翼をはためかせ滞空する、という動きを繰り返していた。


 前方を見る際の竜の視線は、とある一点に集中している。

 そしてダノンの町を見る度に、くぐもった唸り声を上げていた。

 まるで、これから起こるであろう闘いに戸惑うように。


 船団がダノンの町に到着する迄、あと二時間。

 その中の、ひと際大きい旗艦内は怒号と混乱で満ち溢れていた。



 艦長席よりさらに高い位置にある椅子に座り、腹立たしげに体を揺すっていたグレブ帝国皇帝ファルナスは怒鳴り声をあげた。


「おい!どうなってやがるんだ!何で攻撃が始まんねえんだよ!先に攻撃する筈だった奴らはどこにいんだ!竜は!マルイエ!」

「別艦の召喚術師と各隊に確認を取っておりますゆえ、お待ちを」

「ちんたらしてんじゃねえよ!早くしろ!」

「はっ」


 うやうやしく頭を下げたマルイエは、既に部下に指示を出しメッセージバード通信魔法を飛ばさせている。


 ダァン!!


 椅子のひじ掛けに握りしめた手を叩きつけるファルナス。


(どうなってやがる!何が起きてる!ぼやぼやしてんじゃねえよ、この役立たず共が!が目の前にあるってのによ!……もうグズグズしちゃいらんねえ!)


「マルイエ!竜を先に行かせろ!ブレスでも吐かせて、ビビッて白旗でも上げてくりゃあ上等だ!」

「仰せのままに。おい!十番艦にメッセージバードを飛ばして、召喚術師達に竜を先行させろ!」

「はっ!」


 情報将校の術師が新たなメッセージバードを次々と飛ばしていく。

 その光景を横目で追いつつ、宰相マルイエはそっと息を吐いた。


(まさかに、竜を含め三方に放たれた我が軍をダノンに到達させぬほどの力量とは……。とはいえ、今までのいくさから竜さえいれば何とかなるとでもファルナス様は思ったのだろうが、焦りすぎだの)


 辱めを受けそうになったザンザムールの王女をファルナスの手から離れさせたマルイエは、その後宰相としての権限を行使する事に専念をさせられ、軍議には参加できずに出航を迎えていた。


(そして、三方に全戦力を配置してはいないだろう。拠点としてダノンに固執するファルナス様があの町に攻め入らなかった事がない。待ち構えていよう。本陣が、竜をも抑え込んだを超える戦力が。だが、行くしかあるまい。人を介して何度も策を進言したが及ばなんだ、無念)


 マルイエは自分の力量不足に、拳を握りしめた。

 だが、すぐに思考を切り替える。

 闘いはすぐそこまで来ているのだ、と。

 


 一方。


 ダノンの町の海辺では、蓮次がのんびりと砂浜に胡坐をかいていた。

 その膝の上を子狐姿の玉藻前たまものまえが独占している。


 のんびりとを見つめていた玉藻前の稲穂色の尻尾がふるり、ふるり、と揺れ始めた。


 くぉん。


 一声鳴き、黒々とした瞳で見上げてくるそのさまに、蓮次は頼もしい仲間を見るような顔つきでその頭を撫でる。


「お、敵さん動き出しそうかい。さすがあねさんだ」


 その言葉と撫でられた頭に玉藻前は嬉しそうに目を細め、それとは逆に沖をずっと警戒していたダノン警備隊の部隊長達の顔に新たな緊張が走った。


「蓮次殿、この海辺以外にも均等に隊を割り振らなくてもよろしいのですか?いえ、『マツリバヤシ』のみなさまのお力は信じておりますが。それに先程の轟音は……?」

心配しんぺえしなくとも、俺よりもつええ奏、エル、京がいらあな。帝国とやら、おっ返してこっちに向かってんじゃねえのか?」


 くぉん。


 蓮次に反応するように、玉藻前が鳴いた。


「だ、そうだ」

「そ、そうですか。しかし僭越ながら、蓮次殿は『マツリバヤシ』の中で一番お強いとお三方からお伺いしましたが……」

「バカ言っちゃいけねえよ。神さんから貰った御力おちからがあっても、身につかなきゃどうしようもねえ。泣いてわめいて歯ぁ食いしばって必死に頑張ってきたあいつらと化身様がいなきゃあなぁんもねえ俺とじゃ、月とすっぽんさ。あいつらはすげえよ」


 二の句が継げないガルディをよそに、嬉しそうに語る蓮次をじっと見上げていた玉藻前の耳が、ピクリと動いた。


 ぽふんっ!


 蓮次の膝で和服の少女姿になった玉藻前は、蓮次の胸板に嬉しそうに頬を擦りつけてから立ち上がり、海へと歩いていく。


「おっ、敵さんのお出ましけえ?」


 蓮次の言葉に砂浜を歩く玉藻前は、こくり、と頷いたのみである。

 そして、波打ち際に到達し、波の中をなおも進む。


 すっ。

 

 玉藻前の右手の人差し指が、目の前の海の斜め上を指し示した。


 すすっ。


 左手の指先は向かって左斜め前に。

 そのままの姿勢で蓮次に振り向いた玉藻前は言葉を発した。 


「れんじ、二匹。きょーがあれ、おいしーって言ってた。ちょーだい?たべたい。あそびたい。れんじの敵。ゆるさない。かなで泣く。泣かせない。えるきずつく。やらせない。きょーあわてる。おもしろい、けどだめ。玉藻の好きにさわるな、ちかよるな、なかすな、きずつけるな、ざこ雑魚が、ざこがざこが、ざこがざこがざこがざこがざこがざこがざこがざこが、が、があああああああああっ!!!」


 玉藻前が、絶叫した。


 ギリギリ、と軋む大気。

 引き波とは明らかに違う、玉藻前を中心に広がっていくさざなみ


 ふんわりとリラックスした顔で眺める蓮次をよそに、玉藻前の絶叫に震える警備隊の面々。ガルディが冷や汗をかきながら直立不動で辛うじて面目を保っている。


 叫びと同時に顕現した稲穂色の九尾が意志を持つように揺らめく。

 その瞳に渦巻き始めた、黒よりも深い闇の色。


 叫びを止めた玉藻前が、口元を歪ませた。


「身のほどしらず……泣かしてあげる」

 


 と、そこで。


 波がドヤ顔の玉藻前の足元を濡らし、引き波で砂をさらっていく。


「あ、きもちー。さらさら、さらさら、あっ、ぎゃー」


 ばっしゃあん!


 玉藻前は見事、水の中へとダイブしたのであった。

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