1-3「こっちはしんけんなのっ‼」
親というものは「幼児はどうせ自力で親元を離れることが出来ない」と思っているのだろうか。
いや、この言い方では語弊がある。
実際のところがどうなのかは知らないが、親が子供に対し"余裕を見せつけているように見える"ことが腹立たしいのだ。
所詮子供だから。そう理由を付けて「微笑ましい」だなんて笑って、こちらの必死さも怒りも、相手にすらしていない様子が我慢ならない。
ああ確かに、体力的にも知力的にも経済的にも敵わないだろうさ!
それらはさておき"気持ち"というものを軸に、もっと真剣に向き合って頂きたい。
それでいてこれっぽっちも心がこもっていない"きれいごと"を並べて見せた時には、皆嬉しそうに「良い子だ」「素晴らしい」なんて笑顔を浮かべるのだ。
おかげで"道徳"の授業は大の得意であった。
褒められなかった試しが無い。
いつも、これを言ってはお終いだと思ってはいるのだが「僕のことを何も分かっていない」。
幼い頃のこと。
例によって経緯なんて覚えていない。原因だって全く分からない。
しかし覚えているのは、僕は確かに怒っていたということ。
フリなんかじゃない。親の気が引きたかったとか、そんなことじゃない。
何かで母と言い争ったはずだ。
確かに僕は怒って、母はそれに対して同じように怒って(叱って)いたはずだ。
母が折れないことが分かると今度は部屋から出て、イライラした気持ちを抑え込むことに労力を注ぐ。
謝ろうなんて思わない。
"大人"になった今でも変わらず思う。
謝るくらいなら最初からしなければ良いのだ。
「言い過ぎたな」「あの時はカッとして思わず」なんて現実でも創作でもよく聞く言い訳だが、僕には理解出来ない。
もし相手の言うことの方が正しいと思うなら、その場で理解を示す。
言うべきでないと判断したなら言及しない。
それだけのことではないか。
「そう思うのは頭に血が上っているからだよ、一旦落ち着いて」なんて言うのならば、僕はずっと"カッとしている"のか。
もうそれはバーナーのようなものではないか。"カッ"なんて瞬間的なものではない。
轟々と燃え盛る、山火事か何かか。鎮火にあと何年かかるというのだ。
話を戻して。
別室で怒りと格闘していた僕は、ダイニングの方から何とも緊張感のない甘いバニラの香りとズズズッと椅子を引く音、スプーンのカチャリという楽しそうな音を拾った。
こちらはこんなにも必死に怒りを鎮めようとしているのに。
こんなにも必死になって、それでもまだ鎮まらないほど、本気の、一過性なんかじゃない、真剣な想いだというのに!
そっと様子を伺うと、予想通り母はアイスを食べていた。笑顔で。
笑顔で、アイスを食べていた。
どういうことだ。
別に「僕が怒っている間、お前も同様に怒っているべきだ」「不愉快な気持ちをお前も抱えているべきだ」なんて言わない。
母は甘味が好きだし、甘くて美味しいアイスを前にして、仏頂面で頬張ることもないだろう。
でも、せめて普通に。怒りを甘味で抑えようとしたのなら、プラマイゼロってことで真顔とか。
1人、笑顔を浮かべてアイスを食べるだなんて酷いじゃないか。
もうどうでも良いってことなのか。
僕の、本気の想いは、一生懸命に、大声を上げるほどの、燃え盛る想いは。
次の瞬間忘れ去られるような、笑顔で自分だけ甘味を楽しめてしまうような、未だに怒りを抱える僕が側にいることはどうでも良いと思えるような、そんな取るに足らないモノだったのだ。
信じられなかった。
それまでの、身体中にマグマが巡り、頭の奥でチリチリと何かが焦げ付くような気持ちは、一変して絶望へと変わった。
その程度のことだったんだ。私の気持ちも。私のことも。
きっと始まりは、私が我儘を言ったとか、そんなことだったのだと思う。
でも。だけど。今は。
それらを忘れたかのように、笑顔で1人。
どれだけ真剣に伝えたって、相手は私じゃない。
だから私の気持ちなんて分かりようがない。
私じゃない人、所詮、他人で…
失礼。色々引き摺られてしまって。
僕。僕。僕。
これは、僕の語る、物語。
僕が、伝える、物語。
さて、僕が。僕が悲しくなった後。
母は様子を窺っていた僕に気が付くと、アイスを
ここで「要らない」と言ったら、「意地を張って"かわいい"」等と笑われるのだろう。
「なんでアイス食べてるの?」と言えば、僕とのやり取りはそんな簡単に頭の隅に追いやれるようなものなのかという怒りと失望は通じず、ただ、「一生懸命になっていて"かわいい"」等と笑われるのだろう。
「食べないで」と言っても、拗ねていて"かわいい"、「ずるい」と論点を変えて怒っても、食い意地が張っていて単純で"かわいい"。
僕の負の感情は全くこれっぽっちも気付かれることもなく、幼子に向ける便利な言葉"かわいい"で全て笑われる対象になってしまうのだ。
僕は母から視線を外し、部屋の奥へ引っ込んだ。
そうしてしばらくしてからもう一度覗き見た。
母はまたしても僕に気付き、再び匙を向けてくる。
そのまま固まるものだから、アイスが溶けて零れてしまいそうだ。
僕は仕方なく母に歩み寄り、アイスを一口食べた。
すると母はやはり"笑って"「絶対に来ると思った。アイス食べたいものね」と
何を言っても笑われると思ったから、それが嫌だったから黙っていたというのに。
そのまま無視していればアイスが垂れて、「ほら、あなたが早く食べないから」なんて理不尽に怒られると思って仕方なく目の前に来てやったというのに。
プラスの意味でもマイナスの意味でも、"子供"がどんなに熱い想いを持っていようと、必死で話して行動していたとしても、"大人"はいつも一笑に付してしまうのだ。
何度も聞いた。
「どうして笑うの」
何度も伝えた。
「一生懸命なのに笑わないで」
すると決まってこう返ってきた。
「ごめんごめん」
「かわいいから笑っているの。馬鹿にしているわけじゃないよ」
「笑われると悲しい気持ちになるの。だから笑わないで」
そう言うと今度は「ええ~?」やら「だってかわいいから」等と言って、また"笑う"。
何度も、何度も、何度も、何度も何度も何度も言えば、向こうも覚える。
"覚える"だけだ。
「〇〇ちゃんは、笑われるの好きじゃないもんね」と笑いながら話すのだ。
僕を傷付けて遊んでいるのだろうか。
否、何も。僕の気持ちを、全く理解していないだけだ。
ただただ自分の子供が、小さい子が、かわいくて仕方ないだけだ。
やっぱりその気持ちは、僕には理解出来ない。
例えば出先で僕が怒ったとき。
"親"はよく「置いていくよ」なんて言ったりするが、実際に置いて行って困るのは自分たちのはずだ。
僕は幼いながらにそう思っていた。
どうせいざ帰ろうとしたときに僕がいなければ、ママやパパの方が心配するに違いない。
僕は今怒っているのだから、ママとパパがいなたって大丈夫だけども。
もし困ったら、勇気を出して大きい大人の人に声をかけよう。
トイレは何処ですか?××にはどうやったら行けますか?
ちゃんと自分で出来るから、ママもパパも要らない。
それに、僕は知っている。
置いていくなんて言っておいて、本当は少し先の方で僕が追いかけてくるのを待っているんだ。
僕は追いかけたりしないから、ずっとずっと待っていれば良い。
そして、全然僕が来ないことを不安に思って、怖くなって、向こうが僕を探しに来れば良い。
僕はそれを、隠れて眺めてやるんだ。
そうして"親"を無視していると、大抵向こうが僕を探しにやって来て、「さっさとこっちに来なさい!」なんてまた僕を怒るんだ。
そっちが置いて行ったんじゃないか。
こういう経験は、親以外ではしていない気がする。
友達のお母さんとか、幼稚園の先生とか。
それから…弟は、こんなこと、していただろうか。
私が、可笑しいのだろうか。
色々理由を付けるものの、結局のところ自分を見て欲しかっただけという、身勝手な欲望が全ての原因なのだろうか。
まあ、自分を見て欲しいという願いの何処が悪いのか、という話にもなってくるが。
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