耳を疑う


 ──2週間後、舞踏会にて。


「こんばんは、シャーロット嬢。ルーカスと別れたんだって?」

「ノア様! お会いできて光栄です。でも会って直ぐそのお話ですか? もう、私ここ最近そのお話しかしてないんですよ? いい加減飽きました!」

「あはは、良いじゃないか。仕事場で聞くのも不躾だろう? それに親戚が婚約を破棄したんだから少しは気になるよ」

「皆さんそう仰るんですっ! 友達だからーとか、私達の仲だからーとか。気遣ってるフリして噂のネタが欲しい人が殆どですもの」

「ごめんごめん!」



 ノア・プラトン。国王の弟を父に持つ公爵家の長男。つまりは元婚約者の親戚で、王家の血を継ぐ由緒正しき御方だ。

 私よりふたつ年上で学園の先輩でもあり、勤め先の気象研究所でも先輩なのだ。

 彼の知識欲は恐ろしいもので、若くして博士号を取得し、教授になるのも間近だと期待されている。

 気象学については、遥はるか大昔、私達の信仰心が薄れ魔力がなくなってから発達した分野だという。天候を予想し、作物の時期や備蓄のコントロール。

 私はただ単に空を見上げるのが好きだったし、雨が降る前の土の匂いが好きだったから此処に就職した。私は博士号も持っていないし、助手でもできれば有り難いぐらいで、彼とは雲泥の差。


「でもまさか君が参加するなんて思ってなかったよ。だって彼等・・も来るだろう?」

「あぁ……まぁ……なんか色々言われていますけど。あまり気にしてません。気にした方が負けな気がして」

「うん、そうかもね。でも、辛かったら俺を頼って」


 そっと頬に添えられたノア・プラトンの手を、私は柔らかに拒絶してしまった。

 怖いのかもしれない。

 婚約破棄する前だって、あれやこれやと言われるのは私の役目だった。とりわけ存在感のない伯爵家だったから。

 目立つといえば私の容姿ぐらい。たいして目立つ容姿でもない両親から生まれた美女。今でこそ将来有望な幼い弟も居るが、そういう点でも散々言われたっけ。髪の色も瞳の色もキチンと受け継いでいるから伯爵家の子であるのは確かなのだが。


 たいして存在感のない家柄に、たいして目立つ両親でもない。その中で随分と長い間目立っていた私だったから、こういう風に育ってしまったのかも。

 大人びているんじゃなくて、大人しい子。これ以上目立ちたくないという一心で。

 なのに殿下は私を婚約者として選んだ挙げ句、帝国の姫に乗り換えるのだから薄情者である。美男美女でお似合いだと認めてもらうために上手くやってきたのに。

 これが自己中心的な考えの押し付けだとは解っている。

(でも王家の悪口なんて言えないでしょうよ……! 何をしても的は私だったのよ!? あの馬鹿男っ!)


 デートをすれば同性に生意気だと言われ、舞踏会をこっそり抜ければ異性に俺ともどうかと耳元で誘われる。

 そもそも婚約について拒否する権利はほぼ無いに等しいしその理由も無いし寧ろ伯爵家にとっては利益しかないのだけど、愛してもない人とこれからも行為をしなければならないのかとふと思ったりすると、嫌になったりもした。

(だから、違う人とも、とか、思ってしまうのかな。現実逃避ってやつかしら。耳元で囁かれる誘いに揺らいでしまいそうになったっけ)



「ごめんなさっ……つい、反射的に……」

「……触られるの嫌だったか。ごめんね?」

「いえ。そういうわけではなくて……。なんと言うか、疲れてしまって、次は普通の人がいいなって考えていたので、本当に反射的に動いてしまっただけです。申し訳御座いませんでした」

「そんなに謝らないで。じゃあ……君が酔った頃にまた話でもしよう」

「ふふ、そうやって色々と聞き出す気ですね? お気遣い有難う御座いました。また後ほど」


 黒い髪にアメジストの瞳。眉目秀麗なノア様は、殿下に続いて女性に人気の御方である。ただ殿下とは違って頑固で研究熱心な性格から、婚約者と長続きしたことがない。一番早い別れで2ヶ月ぐらい持っただろうか。女性をほったらかしにしがちなので相手方が寂しく感じるのだろう。


「シャーロット様おひとりですか? 良ければ私と話でも」

「え? あ、はい」


 ノア様が離れれば子爵家の男性がひとり、暫くして男爵家の男性がまたひとりふたりと増えていき、あっという間に男性陣に囲まれた。

(あら。私ってこんなにモテていたのね)

 いつも殿下のお側に居たので忘れていたが、わたしは顔だけは良いのだ。

 酒も食事もただ立っていれば持ってきてくれるしかなり楽かもしれない。殿下がいつも味わってた気分ってこんな気分だったのか。ふむ、なかなかいい気分だな。


「シャーロット!? シャーロットか! 一体なんの集まりかと思えば。そのドレス似合っているじゃないか」

「皆さんこんばんはぁ〜。すごぉい! シャーロット様ってとっても人気ね! ドレスもとってもよくお似合いよ?」

「殿下、とミーシア様。こんばんは。お褒め頂き光栄です」

「殿下だなんて堅いなぁ。今まで通り名前で呼んでくれよ」

「いえいえ。キチンと身をわきまえませんと」

「ルーカスの言う通りよ! 私たちの我儘にシャーロット様はその広いお心で身を引いてくださって。本当に感謝してますの! だから私のことも気軽に呼んでくれて構わないわ。だってこれからも長いお付き合いになるでしょう?」

「へ? あ、そう、です、ね(??)」


(いやなんで? 関係は終わったハズでは??)と問いたいところだが怖いので敢えて聞かないでおく。

 というか何故ミーシア様は元婚約者の私と普通に話せるのだろう。嫌味なのだろうか。立場を考えれば私が引くしかないのに。いたたまれない気持ちなのは私だけなのか。というか何故殿下も私と普通に喋れるのか。意味がわからない。周りの視線が痛いのは私だけなのか。

(もうワカラナイわ! 何故わたしに構うの! 目立ちたくないのに!)


 そんな思いとは裏腹に、転がり落ちた飴に蟻が集る。

 ダンスを合図する音楽が流れれば次から次へとダンスの相手が代わり、酒も入っているせいか頭が回らない。

 少し飲みすぎただろうか。いや飲まされすぎたの間違いか。

 くるくる回る視界にチラチラと入ってくる殿下とミーシアの楽しそうな笑顔。

 私だけ、何をやっているのだろうか。男漁りだとでもまた噂されるのか。調子に乗って、いい気になって、いい女ぶって。そう言われる的であるしかないのか私は。



「──ッ! すみませ、足を踏んでしまいました、痛かったですか……?」

「いいえ、私は大丈夫ですよ。貴女こそ、ダンスの誘いが絶えないですから。疲れたでしょう」

「いえ、そんな、」

「無理をしないで下さい。私の部屋で少し休憩でもしませんか?」

「え?」


 もう何人目のダンス相手か分からない。確かに疲れた。疲れたけど、きっと、これはそういう・・・・誘いなのだろう。

 タイミングよく音楽が終わる。重ねたままの両手が強く握られ、瞳が合わさると微笑む伯爵家の男。

 私はもう誰かの婚約者じゃないんだ。

(十分大人なんだし、そういうコトも、たまには、いいよね?)


 コクンと頷くとそのまま手を引かれ、エスコート。

 ホテルの大ホールから階段を上がり、重いカーテンをくぐり、廊下を抜けると招待客が泊まるフロアに出る。

 ごく自然に、他の参加者もしているように、ホールから抜け出すだけ。唯それだけなのに、階段を数段上ったところで聞き慣れた嫌な声で呼ばれた。


「シャーロット! お前何をやっているんだ!」

「──え?」


 振り返ると予想通りの人物。元婚約者、その隣にはミーシア姫も居る。

 二人とも信じられないという目付で睨み、呆れたように溜息をつかれる。一体私が何をしたというのか。まだ致していないのだが。


「シャーロット、お前は……。私に対する当て付けか? 嫌がらせのつもりか!?」

「……はい?」


 あまりにも大声で呼び止め、あまりにも目立つ場所だから自然と注目を浴びる。目立ちたくないっていうのに。

 出来るだけ冷静に対応するも、大衆に届きやすい声でやはり注目を浴びる。


「えっと、一体なんのお話か……」

「惚けるのもいい加減にしてくれ……! 正妻の座を簡単に明け渡したと思ったら……っ! 側室では気に入らないのだろ!? ならそう言えばいいではないか! わざとらしく他の男と関係を築いて帝国との関係を壊す気か!? ミーシアに失礼だとは思わないのか……!!」

「………………はい?」

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