第4話
ヨルはとても大きくて、そしてたいへん物知りなヘビでした。地下の部屋は薄暗いのと、そのあまりの大きさに、ユルはヨルの頭と尻尾が辛うじてわかるくらいでした。地下にはだれもやってこないので、一年の多くを自分の尻尾と話して見たり、はたまた噛んだりして過ごしていたんだとヨルは言っておりました。
それ以来、ユルは仕事の休憩時間には必ず、地下のヨルのいる部屋に遊びに行くようになりました。立ち入り禁止だという言葉はすっかり忘れています。
ホテルに来る前のことは何ひとつ覚えていないユルには、ヨルの話してくれる遠い世界の話はとても興味深くて楽しく。逆にもう長いことずっと外に出ていないんだというヨルは、ユルの話をとても嬉しそうに聞いてくれます。
何より、手袋を外して触っても、ヨルは他の皆と違って凍りつかない不思議なヘビでした。
ヨルが手袋を外してほしいといつも頼むので、ここではユルは挨拶代わりにまず手袋を外すのがお約束になりました。
ユルは自分の全部が認めてもらえたような気がして、ヨルのことが日に日に大好きになっていくのでした。
「ふぅん、じゃあその氷の腕は、ずいぶん昔の呪いなんだね」
「そうなんだ。あれれっ、少しだけ氷の部分が肘よりも上に上がってきたような……、背が伸びたからかな」
「……ユルは、その呪いが解けたらうれしいかい?」
「そうだなぁ。だって手袋がないと、ぼくは他のいきものにも、マシューにだってさわれやしないもの。でも……もしそれで氷のバケモノじゃなくなってしまったら。ぼくを、皆はここに置いてくれるのかなぁ」
「おやおや。ユルは、その……マシューのことがとっても好きなんだね」
「そうなのかな……? ずっと一緒だからわかんないや。それに、マシューはね、いちいちとっても口うるさいんだよ」
あっ、ぼくもう行かなきゃ。そう言ってユルは手袋をはめて、ホテルの仕事に戻ろうとヨルの背中から飛び降りました。
「またあしたね、ヨル」
「うん……待っているよ、ユル」
ギィ……バタン、とドアが重い音をたてて閉まりました。
「ユル……ぼくが呪いを解いてあげると言ったら、きみはどう思うだろうか」
なにやら呟くヨルの声は地下にだけ響き、やがてそれにも飽きた大ヘビは明日のこの時間が来るまで眠ってしまおうと、退屈そうに自身の尾を噛んだのでした。
◆◇◆◇◆◇
「おい、ユル。最近おまえ、休憩時間にどこへ行っている?」
「ちょっと探検だよ」
「誤魔化すんじゃない」
夕食の時間は、決まってホテルの大広間。お客様のお食事が終わった後に、めいめいで集まってとるのが【HOTEL GHOST STAYS】のルールです。
今日のユルは同じフロント当番をしていた
そこにエリュマントス山産の猪を使ったグラタールを、お皿に山盛りにしてやってきたのはマシューです。どしんとユルの目の前に座り、さっそくのお説教口調。ユルはぷいとそっぽを向いてごまかしました。
「どこをほっつき歩いてるか知らんが、休憩時間ギリギリに戻ってきたそうじゃないか。それに、パパナシなんて、デザートだろう。もっと栄養のあるものも食べなさい」
「うるさいなぁ。マシューだって、自分の好物のお肉しか持ってきてないじゃない」
「おまえとは、からだに必要な栄養素が違うんだよ」
ふうと怠そうに呟きながら、栗キャベツの酢漬けサラダを差し出してきたマシューに「それ、甘酸っぱくてきらい」とユルは首をふりました。
「おまえは……いつまでもそうやってわがままなんだから」
ほれ、とマシューが少々危なっかしい手つきでフォークを使い、ユルの口元にキャベツを差し出します。
「ほんっとに。いつまでも子ども扱いしないでよ」
「どうしてさ。ユルの歳なんてまだまだ子どもだろ」
もう! とユルは頬をふくらませ、観念したようにパクリとその栗キャベツを口に入れます。
「すっぱ! あーやだやだ、一個しか食べないんだから。これ以上は絶対いやっ」
じゃあね、エリースもまた明日っ。ユルはそう言いながら、パパナシの大きなひとかけらを手づかみ。ばくりと口いっぱいに入れると、ナプキンで手袋についたクリームやジャムを拭きながら、さっさと大広間から出て後片付けに向かってしまいました。
「あらぁマシュー。ユルはそんなにお子さまじゃないわよ、それは貴方の前だけだわ」
「どこがだ、全然まだ子どもだろ」
「……まぁ貴方がそう思いたいのなら止めないけれど。ユルの仕事ぶりはしっかりしているし、とてもお利口さんだもの」
ふふふっ、とエリースは優雅にナプキンで口元を拭いながら笑みをこぼしました。その昔、恋人に裏切られたと勘違いし、火事を起こして死んでしまったエリースは、大やけどの痕のある顔半分をレースで覆っています。
「一緒に住んでいたって、隠しごとはいやだわ。それは貴方も……ユルも同じはず。すれ違っちゃう前に、ちゃぁんと話したほうがいいと思うけれど」
じゃあねぇ〜と立ち上がり、ふわふわと去るエリースの後ろ姿に、マシューは再び深いため息をつきました。
そして慣れない手元のフォークを見つめ、諦めたようにそれをテーブルに置くと、がぶりとグラタールを手づかみで食べ始めたのでした。
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