それは恋じゃなくて、毛布論。
篠岡遼佳
それは恋じゃなくて、毛布論。
「こんにちはー、先輩、そろそろ掃除の時間ですよー」
言いながら、軽く図書室のドアを開けるのは、銀ボタンの学ランを着た少年だった。
「……あれ?」
いつもなら、ここで先輩が「やっほー、待ってたよ!」あたりの台詞を言ってくるはずだが。
その理由はすぐに知れた。
貸出カウンターに突っ伏して、呼んだ当人が眠っているらしい。
まあ、疲れているのだろうなあ、と思いながら、その姿をついつい見つめてしまう。
夜明けの黄金色をしたさらさらの長い髪、その色味とよく合う濃紺のセーラー服とちょっと短いスカートと、ハイソックス。
見つめながら、とことこと隣の椅子までやってきて、少年はつい微笑んだ。
すっと通った鼻筋の、色白の顔は、今は机の上で組んだ腕の中だ。
なんだか眠っている顔は幼く見えて、可愛らしくて――相手の方が先輩なのだが――この距離で見られるのは役得であるとしみじみ思う。
先輩と少年は、「不明存在対策部」に所属する、いたって普通の、魔力を行使できる学生である。教師にスカウトされ、いつの間にかそういうことになっていた。
不明存在は、世に言う幽霊や妖怪や怪異現象、"世界の狭間"を越えてやってくる存在を指す。
人命にあだなすものがいたならば、それをやっつけるのが不明存在対策部だ。
先輩と幾度か戦闘を乗り越え、少年はすこしばかり魔法を使えるようになってきた。もちろん、日々の授業で行使の仕方を学んでいるためでもあるが。
少年の特殊な点は『青の瞳』という、莫大な魔力を秘めたその眼球にある。
その名の通り、少年の目の色は深い空の青色をしている。
魔力を相手に渡したり、それをコントロールして物理的に相手にぶつけることもできる。今までまったく使ってこなかった『青の瞳』の力を、ようやくここに来て解放し始めている。
つまり、ド素人なので、部の活動と言っても、魔力の扱いの修練であったり、不明存在に対するときの注意点であったり、そういった授業でやるようなところを復習したりもする。
だが、ここは図書室。図書室を管理する人間はいるにはいるが、その教師はすべての権限を委譲して――ほっぽりだして――、部活動に組み込んでしまった。
よって、冒頭のように、図書室の清掃も対策部ふたりの仕事になるのである。
今日は試験最終日のため、学校は半日で終わっている。
借りていたマンガ(バレーボールをする少年マンガだ)を返し、語り合おうと感想を胸いっぱいにしてきたのだが、しかし、この寝顔ならなんでもいいかな、と思う少年である。
どこかの窓が少し開いているのか、微風が吹いてきた。
さらさらの金髪が、かすかに揺れる。
寒いかな? と思い、自分の制服の上着を脱ぎ、くさくはないことを確認して、そっと先輩の肩にかけた。
おっと、セーラー服に学ランとはなんたる妙!
制服好きの自覚がある少年は、たはー、と額を抑えた。重症である。
風邪引かないといいな、というところまで考えて、少年は過去を回想した。
以前、「君がおなか出して寝てないかなぁって、ときどき心配するから」と、先輩は少年に言った。少々照れているようでもあった。
しかし、意味がちょっとわからない。
よって、友人にそれを相談した。
赤い短髪(染めてるらしい)の友人は、じと、という目で少年を見てきた。
「お前まじで意味わかってないの?」
「いや、なんていうか、お腹出して寝てないかな、って心配するのは、先輩にとってはよくあることなのかなと……」
「まあ、確かに先輩はそういうところ、友人を心配するような人だと思うけど、そうじゃねーだろ?」
な? と、惣菜パンを食べながら友人は言う。
「あのさ、考えてみ?
お前、風邪引いてほしくないなーってひと、いちおういるよな?」
「そりゃ、先輩も、お前も、まあ引きそうにないけど先生とか、健康でいて欲しいとは思うよ?」
「うーん、根本が違うんだよ、根本が」
もう一口パンを食べ、友人は世界の秘密を打ち明けるように、そのことを教えてくれた。
「毛布を直してあげられるのは、この世にひとりなんだよ」
「…………ど、どういう事……?」
「だから、わかんねーの? ちょっと考えてみ」
「ええと……毛布を治してあげられるということは、隣にいるってことか」
「そう」
深々と友人は頷く。
「つまり、寝ている時に、隣にいるってこと……?」
「そうなるよな?」
「え、ちょっと、えっと」
あれ、これはすごく恥ずかしいことなんじゃないのか?
恥ずかしいというか、照れることなんじゃないのか?
「だから、先輩はさ、もう思ってくれてるわけ。
お前なんぞの隣にいて、寝てる時も、それを見守って、できれば、毛布をかけ直したいなあ、って」
「……先輩、ほんとなんですか? それ」
これを毛布論という、と友人は指を振ってえらそうに教えてくれたが、果たしてそれはどうなのだろう。先輩の考えていることは、ほんとうにそうなのだろうか。
――いや、これは先輩の問題ではないな、と、少年は気づいている。
自分も、先輩が眠っている時に、おなかを出して寝ていないか気になる。
気になるということは。
こうして、上着を掛けて、心配したということは。
たぶん、自分は、先輩を好きで、いや、人間として当然好きなのだが、そういうことではなくて、そう、もっと好きに、もっと知りたくなって、もっと、できればそばに。
――――多分これは、恋をしている途中なのだ。
考えると顔が熱い。
そうだ、俺は多分、先輩に恋をしようとしている。
少年はその青い瞳を瞬かせ、先輩の名を呼んだ。フルネームで。
目覚める時に俺がいられるということも、きっと毛布論に組み込まれている。
そう、気づきながら。
それは恋じゃなくて、毛布論。 篠岡遼佳 @haruyoshi_shinooka
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