バレンタイン

 今日は街も浮かれるバレンタインデー。恋人同士いつもより愛を伝えあって、友人同士いつもよりキャッキャと会話に花を咲かせる、どこもかしこもピンクに染まりハートが飛び散る冬の一日。だというのにも関わらず、私は寂しく一人で街中を歩いている。なんで一人なの? って思う? 私は思う。でも仕方がないじゃないか。だって今年のバレンタインは学校へ行けないんだもの。何故なら今年のバレンタインはテスト休みとダダ被りだから。そのお陰で先輩には会えないし、友人からの美味しい手作りチョコは貰えないしで散々だ。あーあ、毎年楽しみにしてたのにな。一人本屋への道を歩きながら寒い中、白い息を吐く。なんだってこんなに寒いんだろう。好きな作家が新刊を出したというから本屋へ向かっているのに、もう帰りたい気持ちでいっぱいだ。本は欲しいけど温もりもほしい。なんでカイロ忘れちゃったんだろうな、アタシってほんとバカ。割と厚着をして来たはずなのに冷たい風はそれを通り抜けて体の芯まで冷えさせる。もっと何か重ねて着れば良かったと後悔したけど、直ぐに建物の中に入ったらそれはそれで暑すぎて嫌になるなと思った。冬の服装は室内外で気温が変わるため考えるのが面倒なのだ。

 寒い中三十分かけてやっと本屋に辿り着いた。ここの本屋はショッピングモールの中にあるから、建物内に入ったとしても目的地に着くには更に時間がかかるのである。モールの出入り口に設置されていた自販機で買った温かいはずのココアは寒さのあまりもう冷たさを纏っている。買ったのはほんの五分くらい前であるというのに。温かい飲み物が冷たい飲み物へと変化をする時に飲む感覚が独特なうえに味が少し変わっているからいつまで経っても好きになれない。だけど、捨てるにしてもほんのちょっぴり残っているし、残すのは勿体ないから覚悟を込めて飲むことにした。どうせ店の中には持って入れないから。ゴクン、と喉元を冷たいんだか温かいんだか分からない液体が通り過ぎていく。……ウン、やっぱり苦手だ。一気に中身を飲み干して近くにあったゴミ箱にカコンと入れて店の中に入る。


 本は予約してあったお陰ですぐに手に入れることができた。もう用事は済んだし帰ろっかな、なんて思うもののせっかくどうしようもない寒さの中出て来たのに直ぐに帰るなんて勿体なくない?休みだし。どうせなら遊んで帰りたいよなあ……とエレベーターの近くにデカデカと貼り出されている案内図とにらめっこする。ウン、ウン……何か面白そうな場所あるかなあ……ア! ここゲームセンターあるじゃん。お金は……ある! 久しぶりにゲームセンターに行こう! 思い立つや否や、エレベーターに乗って七階へ向かうボタンを押した。揺れる床に立ちながら手すりを掴みつつ上を目指す。エレベーターって内臓が上下する感覚があるから苦手なのよね。ドアが開いて、前に立つ人たちにぶつからないようにゆっくり降りる。

 目的地であるゲームセンターに辿り着いたは良かったが、小銭が無い。これじゃあ何も出来ないなと思ってせっせと両替機で二千円を崩す。めったに来ないゲームセンターだからたくさんお金を使ってもいいよね。使いすぎには注意だけど! なんて心の中でブツブツ言いつつ、雪崩の如く出てくる百円玉二十枚を財布の中にしまい直して面白そうなゲームがあるのかを見つけるべく探検を開始する。探検とは言いつつ、ゲームセンターと言えばクレーンゲームだと私は思うのでそこのコーナーしか見るつもりはないのだけど。イヤ、ゾンビを倒すヤツもメダルゲームもリズムゲームも種類が豊富だし楽しそうだけれどね。やっぱりゲームセンター! って感じがするのはクレーンゲームなわけで。そんなこんなでぐるぐると店内を色々回ってみた結果、ここのゲームセンターは凄いということに気付いた。なんてったってアーケードゲームもスロットゲームも沢山あるのにクレーンゲームの景品の種類でさえも豊富だ。ぬいぐるみにお菓子、フィギュア、ミニホットプレートに枕やポーチなんかもある。……後半の三つは取る人いるのかな。まァいいや。取り敢えずぬいぐるみが欲しい。きょろきょろと周りを見てみると、一つのクレーンゲームに目がいく。いた。いたのだ。とびっきりの可愛いぬいぐるみが。灰色と白で構成された猫の大きいぬいぐるみが。可愛い。欲しい。別に先輩に似てるから欲しいとかそんなわけじゃない。断じて違う。可愛いから欲しいのだ。……まァ、思っているだけじゃあ手に入らないのは当然。百円を投入して、息を整えて、位置を見据えて……いざ尋常に勝負! ……なあんて格好つけたはいいものの、全ッ然取れない。アームに挟まってくれても、すぐに落ちてしまう。既に七回はやっているが、取れる兆しを全く見せてくれない。

「なんで取れないンだ…………? かわい子ちゃん、もしかして頑固なの? それとも私が嫌い……?」

「何やってんだお前」

 人がぬいぐるみに振られ悲しんでるというのに、なんだその物言いは。というか誰? 悲しみと警戒をごちゃまぜにした複雑な顔をしながら声の方向へ振り返ると、なんと先輩が居た。

「え、なんでいるんですか」

「遊びに来たんだよ」

「一人?」

「そ、一人」

「せっかくのバレンタインなのに!?」

「せっかくのバレンタインなのにだ」

 つーかそのバレンタインに一人でゲーセンなんかにいるのはお前もだろ、と笑う先輩。それもそうだった。人に言えないです。納得してしまった。つまりひとりぼっち同盟ということか、なるほどね。ウンウンと一人で頷いてるとまた先輩が変な目で見て来る。これはアレだ。『なんか変なこと考えてそうな顔してるわコイツ』って言いたい顔。うら若き乙女である後輩レディに向かって失礼すぎる。謝ってほしい。

「んで、何してんの?」

「このかわい子ちゃん取るのに奮闘してたんですよ」

「……? あ、この猫?」

「そう灰色の子! 可愛くないですか?」

「確かに可愛い」

「でしょでしょ! でも取れないんですよぉ……」

 ハァとため息をついてもう一回百円を入れる。アームを横に移動させて、更に奥へ進ませる。オ、この位置はいいんじゃないか? ……ウーン、駄目かぁ。

「お前クレーンゲーム下手?」

 笑いながら尋ねる先輩。見て分かることを聞かないでほしい。

「見てたらわかると思いますけど……」

「それもそうだ」

 ヴーーーーッ! ムカつく! 絶対取ってやる!


 三十分ほど経って、やっと良い位置が分かるようになってきた。せっかくたくさん遊ぼうと崩したお金は今機械に投入したものと手元にあるものを合わせても二百円しか無かった。目の前のガラスの向こうには灰色の猫。大きくてふあふあしてて、見るからに肌触りが良さそうな猫。これを抱いて眠りたい。辛いことがあるときはこの子に癒やされたいし、嬉しいことがあったときには抱っこして私の話を聞いてほしい。このかわい子ちゃんには人生を共にして欲しい。こんなに時間とお金を費やしてもビビるほどに全く取れなくて焦りがある。なんとしても勝ち取って帰りたい。大きく深呼吸をして、汗をかきながら震える手でボタンを押す。アームは右にゆっくり進んでいき、良さそうな位置で手を離す。次はと奥の方へ進ませ、ここだ! と確信を持って手を離そうとした時。

「ア」

 汗で離すタイミングを間違えてしまった。

「なんで…………!? なんで……?」

「イヤお前………」

「もういやだ……! いやすぎる……! もう本当人生って最悪。この世は地獄……? 無理すぎるなんで取れないの……?」

 テンションだだ下がりである。だって取れると思ったんだもん。いけそうだったもん。こんなことある? バレンタインなのに一人だし欲しい本は買えたし先輩には会えたけどかわい子ちゃんには振られる。辛い。

 明らかに気を使っている先輩が口を開いた。

「……あー、俺なんかクレーンゲームやりたい気分になってきたなあ。オ、丁度いいとこに可愛い灰色の猫がいるなあ、欲しいなあ」

「でもこれむつかしいよ」

「一回やってみる。一回で取ったら褒めろよ」

「崇めます」

「毎秒崇めろ」

 軽口を叩き合いながらいつの間にやら財布を開けて取り出した百円を投入していく先輩。先輩でも無理なんだろうなと失礼ながらぼんやりと思う。だってこれ本当にむつかしい。キレたくなる。誰よアームの設定した人。ムム、と眉間にシワを寄せながら先輩が軽々と動かしているアームを見つめる。……アレ、なんか私より位置取り上手くない?

「エッ」

「あッ」

 ぬいぐるみをガッチリ掴んだアームが受け取り口の真上で止まった。そしてぽす、と壁にぶつかりながらぬいぐるみが落ちていく。

「……見た?」

「……見た」

「……ぬいぐるみは?」

「……ある」

 先輩と二人で受け取り口を覗くとそこには灰色の猫が鎮座している。ぬいぐるみを取り出した先輩と顔を見合わせて、ぬいぐるみを見て、そしてまた顔を見合わせる。

「せ、」

「せ?」

「先輩すごい!! すき!! 神!!!! 愛!!」

「先輩通り越して神と愛になってしまった」

 あんだけ取れなかったかわい子ちゃんを一発で取ってしまうなんて! 先輩ってばすごい!

 テンションが上がり大喜びしている私を見て先輩は「凄くて腕前が天才でイケメンで優しい後輩思いの先輩をもっと褒めていいぞ」と調子に乗った。私は頭に浮かんできた言葉をポンポン言い放ったから「天才って先輩のことを言うんですよね古事記と万葉集に書いてあった」「もしかして先輩ってノーベルクレーンゲーム賞受賞したことあります?」「先輩の『せ』は性格良いの『せ』」と適当にベラベラ喋った。最後に言った「先輩ってなんでそんなにイケメンで優しくて凄いのになんでモテないんですか?」については「世界が俺の魅力に気づいてないだけ」と言っていたからやっぱりこの人顔も性格もいいけどこういうところ残念なんだな……と思った。

「ホラ、」

 先輩がかわい子ちゃんを押し付けてくる。ア、やっぱりふあふあしてる! もこもこ。かわいいな君……。と思って更にまたテンションが上がったけれど、なんで押し付けてくるのか疑問に思って「?」を出して首を傾げる。

「欲しかったんだろうよ貰え」

「でもお金出したの先輩じゃん。いいんですか?」

「俺よりお前の方が金出してただろ」

「でも取ったの先輩でしょ」

「ア〜〜面倒くせえ。お前の為に取ったんだからこれはお前の。貰えよ。ア、ホラ今日バレンタインだろ? これバレンタインチョコの代わりってことで」

 バレンタインチョコの代わりなら、本来は私が先輩に何か渡すのが普通ではないだろうか。納得出来なくてウンウン唸っていると、先輩がふっとかわい子ちゃんを手放した。

「なにしてるんですか!?」

「お前がこれ貰ってくれないと捨てるだけになるからな。まァお前が今ガッチリ掴んでるしそれお前のもんになったし俺には関係ねェか」

「なっ……〜〜〜〜〜!?」

「大事にしろよ」

 もこもこでふあふあなかわい子ちゃんを抱きながら文句を言おうかお礼を言おうか迷う。きっと形容しがたい顔をしているんだろうな。先輩めちゃくちゃ笑ってるし。

「……ありがとうございます」

「オ〜〜。お礼言えて偉いじゃん。じゃあホワイトデー期待してるわ」

「……もしかしてそれ狙い?」

「さァ、どうだろ?」

 打算的な人だなあ……。でもそれに助けられたし何も言えまい。

 帰ったら今日はこの子と一緒に眠って、朝日が登ったら顧問に自慢しようと思った。明日は部活があるので。きっと顧問は話をウンウン笑いながら聞いてくれて、それを隣で聞いてる先輩をからかって遊ぶんだろうなと想像すると明日が楽しみになる。

「先輩はもう帰ります?」

「さっき来たばっかだぞ。遊んで帰る」

「え! じゃあお菓子取りません!?」

「お前クソでかいぬいぐるみ持って操作出来ンの?」

「多分、頑張る!」

「じゃあ乱獲しに行くぞ袋いっぱいに詰めて持って帰ろうぜ」

「楽しそう〜〜! やります!」

 ワイワイ言いながら足取り軽く歩く。

 バレンタインなのに一人とか寂しすぎるわとか、二人で歩くの条例違反にしない? とか思わないこともなかったけど、先輩に会えたことでそう思わなくなったし、なんなら最高の一日になった。本もぬいぐるみも手に入れられて、ゲームセンターに来て良かったと自分を褒め称えたいくらいだ。

 嬉しい日だとくふくふ笑ってると、「変なモン食べた?」と怪訝な顔で先輩に尋ねられた。失礼だな、と思ってバシバシ軽く叩くと「反抗期かよ」って笑われて勝てなくなってしまった。

「何取りましょうか!」

「チョコだろ、チップスターだろ、じゃがりこ」

「チョコ以外難しいもんばっかじゃん」

「オ、日和ってる?」

「なわけ〜〜。むしろやる気十分って感じ!」

 お菓子が詰まっているクレーンゲームの周りをウロウロしながら談笑しながら、時折コインを投入し機械を動かしたりした。そのお陰かせいかお菓子はたくさん取れたり、なんにも取れなかったり、一つだけ取れたりして夕方になる頃にはあっという間に袋二つ分は取れてしまった。

「大漁〜〜!」

「楽しすぎる」

「エまた来よ」

「お菓子目当て?」

「そォ! ぬいぐるみも!」

「んじゃ手のかかるかわいい後輩の為にまた来るか」

「先輩が格好よく見える」

「もとからかっこいいだろ」

「知ってる」

 パンパンにお菓子が詰まった袋を片手にぬいぐるみを抱っこしながら、店内から出る。先輩と二人くだらない会話をして、歩きながらお互いの好きなお菓子を交換こしたりした。先輩は大のつくほど甘党なのにチョコをくれたからお返しに別のチョコをあげたら変な顔をされたりもした。何故。納得がいかない。

 駅に着いたらお互い真逆のところホームだったからそこでバイバイと手を降って別れた。先輩と別れてすぐ、電車を待っているときに何故か酷く寒さを感じたのは多分冷たい風のせいだろうと思いたい。

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