焼き芋

「なあ後輩よ」

 静謐な部室の中で、不意に先輩が口を開いた。普段と違い、あまりにも真剣な雰囲気を出しているものだから少したじろいでしまう。

「……なんでしょう?」

 私は知っている、こういうときの先輩はあまりまともな発言をしないことを。嫌な予感がするぞ、と冷や汗が一筋背中を伝った。せめて頼むからまだ納得できる事を言ってくれ、と。ただ強く願うばかりである。

 そんな焦る私の胸中を知らない先輩が言った。

「焼き芋するぞ」


 居所変わって学校の校庭。そして山になった落ち葉の前でアルミホイルに包まれたさつまいもを持つ私と先輩。

「あの、なんで焼き芋をしようと?」

「食べたいから」

 それ以外に理由があるか? と言うような表情をしている先輩。……言いたいことがあまりにも多すぎる! 学校で焼き芋なんて聞いたことないし、そもそも火はどうするの? 先生から許可は? 見つかって怒られるのだけは勘弁してほしいからそこのところもの凄く気になります、私。というかこのさつまいもどうしたんですか? 昼休みに買いに行った? そうですか……。

 そんな私の心を知ってか知らずか、先輩は「ここに実験室から拝借したマッチがあります」と言ってマッチを一本取り出し、箱に勢い良く擦りつけた。マッチはボッ! と爛々と火を灯し、落ち葉の中に落とされる。

「あの、これ先生から許可は?」

「中山に確認したらいいぞ! って親指立てながら笑顔で言ってた。後で多分参加するんじゃねえかな」

「あ、じゃあ何も心配いりませんね」

 中山先生は数学科の先生でありながら私達文芸部(二人しかいないから文芸同好会の方が正しいのか?)の顧問だ。適当で大雑把な上に面白いことならなんでも容認してくれ、度が過ぎるときちんと叱ってくれる先生である。その中山先生から許可が下りたなら安心だ。他の先生に怒られたり咎められたりしたら中山先生の名前出せば大丈夫だろう、たぶん。

 そうこうしている間に、火が燻ってきた。そろそろですかね、と先輩をちらりと見れば「芋入れるか」と返ってきたので芋を投入する。あと三十分から一時間すれば美味しい焼き芋が食べられるらしい。早く食べたいなあ。

「なあ後輩」

「なんでしょ先輩」

「さつまいもだけじゃ物足りなくないか?」

「つまり?」

 先輩はニヤリと笑って木の根元に置いた鞄の中からこれまたアルミホイルに包まれた小さな塊を二つ取り出して見せた。

「じゃが芋も焼こう」

「天才すぎる……!」

 そうだろうそうだろう、と笑いながら火の中にじゃが芋を入れる先輩を崇めるようにして頭を下げた。部室でも嫌な予感はもうない。だって楽しいし美味しいもの食べられるし最ッ高!

「ァ、私チューブ式バター持ってる!」

「オイオイじゃが芋がまた美味くなっちまうなァ」

「最高〜〜〜〜!」

 てかなんでバター持ってんの?

 今日寝ぼけて筆箱の代わりに持ってきました。

 バァカ、でもいい仕事したな。流石。

 そんな会話をしている間に良い匂いが辺りに漂う。絶対美味しいやつだよこれ。本日のおやつの中で優勝が確定した甘い味を想像しながらトングで時々芋を転がして焼き加減が偏らないようにする。あまりにも楽しみすぎて頬が緩んでしまう。

「間抜けヅラしてんぞ」

「早く食べたいんですもん!」

「もうちっとだから我慢しろよ。アほら中山が紙皿とゴミ袋持ってきてくれたぞ」

 先輩が見つめる方向見ると確かに中山先生が笑顔で走りながらこっちへ向かってくる。その両手には紙皿とゴミ袋。食べ方と片付けにはキッチリしてる。流石だ。

「先生お疲れさまです」

「イヤ!これくらいなら別に。美味しい物食べれるなら協力しようって思っただけだしね」

「あ、そこ、そろそろ焼けますよ」

「先生皿ください」

「ハイハイ」

 各々、紙皿の上にアルミホイルの塊を二つずつ転がす。アルミホイルを開けると、さつまいももじゃが芋も濡れた新聞紙に包まれていたようで、先輩の用意周到さに感心した。

 バターをポケットから取り出して、じゃが芋の上にぐるりと円を書くように落とす。先輩にバターを渡して、じゃが芋にバターが絡まるまで待つ。その間にさつまいもの皮をぺりぺりと外す。アルミホイルを開けたときとは比べ物にならないくらいの濃厚な甘い香りと共に姿を表した黄金があまりにも眩しい。あむっ、とかぶり付くと、自然由来の甘さが口の中を埋め尽くす。これは、とてつもなく美味しい……! 蜜も多いからねっとりとした食感が舌に纏わりついてくる。匂いも食感も味もはなまる満点!

「美味いな」

「ア〜〜〜寒いときはやっぱこれよな、約束の味。暖かさ。最高。美味い」

「先生オジサンみたい」

「なッ、俺ァまだ三十六だぞ」

「もうオジサンだろそれは」

 アハハ、と笑ってまた再度さつまいもにかぶりつく。何回口にしても美味しい。そのせいではぐはぐと食べるスピードが上がってきていて火傷しそうではあるけれど、それ以上に悪魔が「もっと食べろ」と囁いてくるから仕方がない。美味しいは正義であり、罪なのだ。そうしてあっという間になくなったさつまいもに満足感と物悲しさを覚えながら次はじゃが芋に手を伸ばす。いくらアルミホイルがあるとは言っても、まあるいじゃが芋は食べにくそうだ。

「せんせ、フォークある?」

 中山先生は呆れた顔をしながらズボンのポケットに手を突っ込んだ。

「あのなァ、いくら優秀で用意周到でこの学校で一番イケメンで気遣いの出来る俺でもフォークなんて持ってるわけ……あるに決まってるだろ」

「あんのかよ」

「しかもちょうど三人分」

「なんで持ってんだ」

 ほら、と渡されたプラスチック製のフォークを受け取りながらお礼を言って、いよいよじゃが芋と対面。金色のオイルがちょうどよいくらいに染み込んだじゃが芋は少し冷めてしまっていて四つに切り分けるのにちょっとだけ時間がかかったけれど、このくらいの暖かさのほうが食べやすくて私は好きだ。切り分けた一欠片を口に入れる。口の中でほろほろと形を崩しては喉を通り過ぎていくじゃが芋。これもまた考えられないほど美味しい。

「芋ってなんで焼くだけでこんなに美味しくなるんですかねえ」

「寒いから暖かさが身に染みるんだろ」

「それもある」

「落ち葉集めて焼いて味付けする手間がかかってる上に皆で食べるから美味く感じてんだろ」

「先生いいこと言う」

「流石四十路の先生は説得力が違う」

「まだ三十六な」

 こまけえ、とぼやく先輩に対してお前も大人になればこうなる、と笑う先生。楽しそうでなによりだが、そろそろ最終下校のチャイムがなりそうな予感がする。みんな食べ終わっているようだし、そろそろ片付けを始めなければ。先輩の真横に置いてある、先生が持ってきてくれたゴミ袋を手に取り、広げて中に紙皿とフォークを入れて先輩達の方へ声を掛ける。

「ゴミ貰いますよ」

「サンキュ」

「いやあ助かる」

「あとは落ち葉ですね、どうします?火は鎮火は一応してるみたいですけど」

 先生は考えるように顎を触りながら答える。

「肥料にでもすっか」

「じゃあ集めて置いときましょうか」

「ン」

 いつの間にやら箒や塵取りを持った先輩が、箒をグイと渡してきた。

「先輩が箒使わないんですか。私塵取りでいいですよ」

「スカート汚れんだろ、黙って箒動かせ」

「イケメンじゃん……」

 先輩の気遣いにキュンとしながらそこまで散らばっていない落ち葉を掃くと、先輩が器用に溢れないように塵取りに入れる。どこへ運んだらいいんだろ、と思っていると、先生はもう一枚別のゴミ袋を持っていたようで、それを広げて待機していた。先輩がそこに落ち葉をズシャーと勢い良く綺麗に入れて、片付けが完了した。二人の手際が良すぎてすぐに終わってしまった。

 片付けも終わったとなれば、残るは帰る支度。寒さを感じないようにコートを羽織り、マフラーを首にぐるぐる巻く。口元まで隠さないと寒くて仕方がない。不思議だ、まだ十一月なのに。先輩の方を見ると、先輩はコート、マフラー、手袋とフル装備だった。しかも耳当てまで持ってきてる! ……先輩が十二月や一月に寒さで倒れないか心配になってきた。

「じゃあ俺、これゴミ捨て場に置いとくから。お前らは気を付けて帰れよ」

 最終下校のチャイムの音が鳴り終わったあと、袋の口をキツく縛りながら先生が言った。

「私ゴミ捨てやりますよ」

「最終下校過ぎてんだろ、早く帰れよ。俺がいつまでも生徒を居残らせてゴミ捨てまでさせるひっでえ先生だと思われんだろ」

「そう言ってるし、任せときゃいいんだよ。じゃあ先生ゴミ捨てお願いします」

「お願いします!」

 カラカラと笑いながら、先生に手をひらひらとさせて「早く行け」と言外に告げられた。

「せんせーばいばーい!」

「じゃ、」

 先輩と二人で元気良く帰りの挨拶をして、校門を出る。駅まで先輩と一緒だから、そのまま隣り合いながら歩き出す。先程まではずっと焼き芋や片付けのことで頭がいっぱいだったから全く気が付かなかったけれど、空は黒く覆われていて、そろそろ本格的に冬が始まることを知らせていた。今年の秋はあまりにも呆気なくて、物悲しい。なんでだろう。さっきまであんなに楽しかったのに、急に悲しさが襲ってくるのは、どうしてなのか。多分、寒さのせいかな。あとは秋の終わりのせい。マフラーしてるのにね。不思議。

「ねえ先輩」

「何だ後輩」

「寒くないですか?」

「いやあったかい」

 そりゃあ、そんな格好してたら冗談でも寒いなんて言う人あんまりいないでしょうけど。そう思っていると、「でも、」と先輩は言葉を繋げる。

「後輩が寒いってんならあっためてやってもいいけど?」

 カイロがな。なんて言いながら先輩はカイロを握らせてきた。どんな言い方してんの、と笑いが溢れる。カイロも持ってたのか! なんて言う暇もない。なんなんだ、この人。あまりにも面白すぎる。悲しさなんて抱いている場合じゃない。どんだけ寒がりなんだ。

 やっと笑いがおさまって、カイロの暖かさに浸りながら「またやりましょうよ、焼き芋」と言うと「当たり前だろ」と返ってきて心まで暖かくなってきた。

「次は何焼きます?マシュマロ?」

「もう芋関係ねーな」

「ほんとじゃん」

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