タイム・アフター・タイム

宮野優

プロローグ①男二人の野暮な夜

 陽気に昔話を繰り返していた勇助ゆうすけはふと沈黙し、空になったグラスに視線を落とした。

「……美香、きれいだったな」

 その呟きで、ぼくはいよいよ勇助があのことを語りだすのかと身構えた。あまりにも今更過ぎる、わかりきった、しかし一度も口に出されなかった想い。

「そんなこと、昔からわかってただろ」

 幼稚園に入る前から二十年親友でいたぼくらの間で、他の友人たちとするような恋愛話が――真面目なものからただの猥談に近いものまで――滅多に交わされなかった理由。

「今更言うのは野暮かもしれないが……」

 酒が強くないのに二次会や三次会ではそれなりの量を飲んでいた勇助だが、それでも口が重くならざるを得ないらしい。ぼくは彼の背中を押してやることにした。それは同時に自分の背中を押すことでもあった。

「野暮が許されたっていいだろ。親友のめでたい門出を祝った日だ。もうとっくに日付は変わってるけど」

 式の最中に慎みのない行動をとって美香に恥をかかせるのは論外だが、三次会の後ぼくら二人だけで飲み直しているこの場なら、ずっと言えなかったことを吐き出してもいいはずだ。

「じゃあ白状するけどな、俺は小学生の頃からずっと美香が好きだった」

 実際に口に出されてみると、いい大人二人が何をやっているのだという白けた気分が湧き上がってきた。だが滑稽に見えても、この秘めた気持ちは勇助の青春そのものだった。端から見れば全然隠しきれていないものだったけれど。

「小学何年生くらいからだよ」

「えっ? うーん、五年くらいかな」

「じゃあおれの勝ちだ。おれは二、三年の頃にはもう好きだったから」

「何が勝ちだ。そんな男も女もないようなときのは含めなくていいんだよ」

「それを言ったら五年生の好きだって、大人の好きとは違うんじゃない?」

 十数年にわたる暗黙の了解があっけなく打ち破られ、他愛もない会話に埋もれていく。

 だけどぼくらは互いに知っている。どんなに美香に焦がれていたか。いつもすぐ近くにいたのに、手を伸ばすことができないのをどれだけ歯がゆく思っていたか。

「一応訊いておくけど、まさか美香に伝えたことはないよな」

 ここでまさかという言葉を使ってしまう辺りが、勇助が美香に告白していないのを物語っている。それについては確信があった。もし勇助が美香に想いを伝えていれば、ぼくら三人の関係も今とは違ったものになっていたように思う。

「ないよ。美香はおれなんかとは釣り合わないって、最初からわかってたしな」

 年齢が二桁になる頃から、友情とは別の感情が生まれて、それが大人に近づくにつれて育っていって、持て余した。何人もの男子が彼女に告白し、玉砕していった噂を聞くたび、自分もその中の一人になってしまった方がいっそ楽になれるのではないかと思った。

 だけどぼくは学年一の人気者の彼女と気楽に話せる幼馴染という、特権的な地位を捨てることになるかもしれない賭けには出られなかった。

 それに中学の頃には、彼女が男女を意識せずに話せる間柄の男は勇助とぼくしかいなくなっていた。他の男子たちは結局のところ彼女を狙う狼の群れだった。ぼくは、いやぼくらはせめて自分たちだけは彼女が気の許せる、決して彼女に欲望の眼差しを向けることのない、安心できる友達でいたかった。

 この騎士ナイト気取りの使命感をぼくと勇助が互いに確認したことはない。それでも彼がぼくと同じ気持ちでいたことは確信できる。中学の終わりくらいから急に女の子に人気が出始めて自信がついたはずの勇助が、それでも美香とはあくまでも友人として隣にいようと努めていた姿を見ているからだ。

「下手に告白なんかして、気まずくなってもさ」

 だが自分は彼女に群がる他の男たちとは違うと悦に入っても、空しいだけだ。だから勇助相手にも今更口にはすまい。結局のところぼくはただ臆病だっただけだ。それでいい。

 けど勇助は違う。彼は臆病だったのではなく、正真正銘の騎士だった。


 中学三年の頃、受験も近くなった時期だというのに三人で映画を観に行ったことがあった。駅前のシネコンではなくアーケード商店街にある映画館だった。

「いや、正直何がなんだかって感じだよ。これ次で本当に終わるのかな」

 人気アニメ映画のシリーズ三作目は大いに盛り上がった二作目のラストから期待していたものとはかなり違った内容で、ぼくらは困惑していた。

「あたしはカヲルくんが見れて、もうそれだけで満足だよ……いや、やっぱりあのクライマックスは許せないわ」

「でも最後の三人が並んで歩き出すシーンはよくなかった?」

「わかる!」

「まあ色々不満もあるけど、完結編は絶対見届けないとな。また次も三人で見に来ようぜ」

 そんなことを話しながらアーケードを歩いていたときだ。高校生くらいのちょっと不良っぽい二人組がこちらにやってきて、勇助に因縁をつけ始めた。こっちを睨んだだろとか、そういうくだらないいちゃもんだった。

 アーケード商店街でカツアゲ被害に遭ったという体験談を同級生から聞いたことはあったけど、普段それほど街に出てこなかったぼくは自分が絡まれるとは夢にも思っていなくて、動揺して固まってしまった。急な事態に心臓が早鐘を打つのが自覚できた。

「すいません、睨んだつもりはなかったんですが元々目つきが悪いもので。嫌な気分にさせてすいませんでした」

 ぼくと違って勇助は至って冷静だった。淀みなく謝罪の言葉を並べると、躊躇なく頭を下げた。トラブルを避けるため――つまり美香とぼくを守るため――自分のプライドなどあっさりと捨ててみせた。

「すぐ謝るくらいなら最初からメンチ切ってんじゃねーよ。……ってか君、超かわいくない? なんでこんなダサいの二人と一緒にいんの? 俺らと遊ぼーよ」

 不良ABは矛先を美香に向けた――というより最初から美香にちょっかいを出すきっかけに勇助に言いがかりをつけたのだろう。

「アンタの方がよっぽどダサいんだけど? 遊ぶわけないでしょ」

 だが美香は幼馴染を侮辱されて黙っている女ではなかった。思わぬ反撃を受けて不良Aはたじろいだが、すぐにニヤニヤ笑いに戻ると、

「いいね。俺気の強い女が好きなんだよね」

 美香の肩を掴もうと手を伸ばした。――その腕を、勇助が掴んだ。

「気安く俺のダチに触んないでもらえます」

「あ? なんだてめえ」

 不良Aが逆の手を振り上げた瞬間、殴られる! と思ったぼくだったが、その後の展開は夢でも見ているようだった。

 勇助が不良Aの振り回した拳を、素早く後ろに下がってあっさりよけたのだ。

「この野郎……」

 予想外の空振りでより熱くなった不良が右、左と振り回すパンチを、勇助は左右に下に後ろにと次々とかわしてみせた。

 逆上した不良は、ケンカのことなんて何もわからないぼくから見ても不格好な蹴りまで出したが、勇助はそれも手で払いのけた。勢い余って身体が反転してこちらを向いた不良Aの攻撃はそこで途切れた。

 美香がそいつの股間を正面から蹴り上げたからだ。

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