第三章「穿山甲」⑨

 蛍光ランプの灯りが足元を照らしている。

 コツ、コツ、という杖が床を叩く音が、壁に反響してやけに大きく聴こえた。

 先を歩く式部の足取りは重い。既に老齢である。階段の昇り降りも楽ではないはずだ。

「……俺たち竜堂のものが、村の人間に何と呼ばれているか知っているか?」

 進行方向を向いたまま、振り向かずに式部は不由彦に問いかけた。

「ええ。憑き物筋……トウビョウ持ちだと」

 トウビョウ。蛇の姿をとる憑き物だという。無論、そんな生き物は竜堂家には存在していない。竜堂家の裕福さを僻む村人達の、想像の産物である。

「そうだな。くだらん奴らの取るにたらない戯言だ。……そう、俺は思っていた。ここで先代の当主から家督を引き継ぐまではな」

「思っていた、って……。まさか、本当にそのトウビョウがいるとでも言うんですか?」

 そんな馬鹿な、と不由彦は口の端を歪めて苦笑いを浮かべた。

 しかし、式部に冗談を言うような雰囲気はない。その真剣な物言いに、不由彦の表情は徐々に引き攣っていく。

「伝承とは語り継がれるうちに、少しずつその形を変えていくものだ。トウビョウ、という憑き物も、或いは一つの隠れ蓑だったのかもしれん。先人が、『月鱗』を使った秘薬を『穿山甲』と呼んだのもそうだ。私たち一族は、常に何かしらの影に潜んできた」

 不由彦はブルっと身体を震わせた。

 寒い。どこからか冷気が漂ってきている。

「竜と蛇をまとめて言い表す『竜蛇』という言葉がある。古くから、この二種の存在は近しいものだと考えられていたんだな。我々の先祖はそこに目をつけた。より真実に近い形で偽ることで、目眩しは良く機能する。そうして我ら一族は『竜堂』の姓を名乗るようになった」

 階下に足を進める程に冷気が強くなっていく。それは地下深くから漂ってきていた。この下にいったい何があるというのだろうか。

「どうして竜堂の血を引くものに、あの『月鱗』が現れるのか、考えたことがあるか?」

「……いえ。ただ、そういうものなのだと」

「ここで育つ子供は、そう考えるように躾けられるからな。無理もない。……あれは、『先祖返り』のひとつ。古の血が濃く現れた、印のようなものだ。竜堂が近親者同士での交配を繰り返してきた目的は、より濃い血をもつ子供を産み出すことにある。『月鱗』は、あくまでもその副産物に過ぎない」

 前を歩く式部の足音が止まった。

 どうやら、ここで下り階段は終わりらしい。灯りが少ないせいでよく見えないが、そこには随分と広い空間が広がっているようだ。

 骨まで染み込むような冷気が、辺り一面に広がっている。

「不由彦。お前が見るべきものはここにある。そして知るのだ。竜堂という一族が、何のために現代までその血を繋げてきたのか。この先、当主として何を守っていくのか」

 その瞬間、周りが明るくなった。

 式部が電灯のスイッチを入れたのだろう。

 闇に慣れていた不由彦の瞳は、その眩しさに順応するのに、しばしの時間を要した。

 ぼんやりとした視界に見えてきたのは、真白な部屋にずらりと並んだ箱だった。

 二メートル程の幅を持つその直方体は、ガラスのような透き通る素材で作られている。中に人のような影が横たわっていた。あれは棺ではないのか、と不由彦は思った。

 等間隔に配置されたその箱は、少なく見積もっても三十個以上はある。

 その中の一つに、式部が杖をつきながら近づいていく。不由彦もそれに続いた。

 ガラスの箱に眠る人影は、遠目で見る限り、白い着物を身につけているようだった。死体でも見せられるのか、と思った次の瞬間、不由彦は無意識に悲鳴をあげていた。

 それは、人ではなかった。

 死体や木乃伊の類でもない。

 これまで見たことのない姿をしていた。

 蛇、なのだろうか。

 人間の子供ほどの大きさの爬虫類が、透明な棺の中に横たわっている。

 それは白い着物に袖を通していた。人のように四肢があるのだ。胸の前で組まれた手の指には、巨大なトカゲにも似た長く鋭い爪が生えている。

 仰向けに天井を見つめるその顔は、紛れもなく蛇のものだ。瞼は無く、琥珀色の眼球が剥き出しになっている。小さい穴のような鼻腔が、顔の中央に二つ空いていた。

 その表皮には、細かな鱗がびっしりと張えている。人のような体毛は一本たりとも、生えてはいない。

「こ、これはいったい……」

 後退りをする不由彦とは対照的に、式部は爬虫類の眠るその棺に近寄っていった

 杖から手を離し、透明な棺を抱くように両手を広げる。

 まるで、愛おしい誰かを慈しむように。

「……これ、とは失礼だな。この子は麗亜。俺の最初の娘だ」

 式部はその棺を抱き締めた。

「……いま、何とおっしゃいましたか」

 不由彦は思わず聞き直した。

「俺の娘だよ。六代前に『苗床』を務めた。洋菓子を食べるのが好きで、ザラメのついたカステラが大好物だった。俺は何度も無理を言って、長崎からそれを取り寄せた……」

 式部が名残惜しそうに手を離した棺には、確かに『麗亜』という名が刻まれていた。その隣の棺にも奇妙な姿の生き物が眠っている。式部はそちらにもそっと手を触れた。

「この子は重嗣。年嗣の末の息子だ。気性の荒い子でな。『月鱗』を採取する時には、よく暴れた。それでいて、夜には痛い痛いと泣くんだ。竜堂の子供には麻酔が効きづらいから、不憫だったよ」

 竜堂麗亜。竜堂重嗣。

 古い資料に載っていた通り、それは確かに過去に『苗床』を務めた人間の名だった。

 そう、人間だ。

 断じてこんな、化け物の姿では無いはず。

 不由彦は整然と並んでいる他の棺に駆け寄り、そこに刻まれている名前を確認した。

 長彦。美月。三郎。つる。仁左衛門。

 それらの名前は古い資料で目にした覚えがある。全て『苗床』だった人間の名だ。

「……石蔵に閉じ込められた『苗床』は皆、精神を病んで亡くなった、と聞いています」

 不由彦は式部の方に目をやった。

 先程とは変わり、式部は当主らしい冷淡な表情に戻っている。

「方便だ。事実は見ての通り。月鱗が全身を覆う頃、竜堂の血は覚醒し、肉体は完全に先祖返りをする。例外は無い。そしてこの場所で深い眠りにつくことになっている」

「眠り……彼らは、眠っているのですか?」

「そうだ。身体を低温下に置く事で、彼らは半永久的に仮死状態を維持できる。そうしてその時が来るのを待っている」

「……その時?」

 不由彦は、ゴクリと唾を飲み込んだ。

「……王の誕生だ。ヒトという種が蔓延る数億年前、この大地は我らの先祖が支配していた。今では血も薄まり、隠れるようにして生きているが……強大な力を持つ王さえ覚醒すれば、全てが変わる。血を持つ者達は一斉に目覚め、我らは再びこの地の覇権を手にする。それが、連綿と続く一族の悲願だ」

 強大な力を持つ、王。

 その言葉に、不由彦はハッとした。

「まさか魚月がその王だと言うんですか!」

 過去に見た、子供の頃の魚月の姿が不由彦の頭の中に映像として浮かんだ。

 竜堂魚月は、異例尽くしの存在だ。

 古い歴史を辿っても、前例の無い強力な異能。制御すら出来ない『月鱗』の効力。彼を鬼子と呼び、畏れて近づかない老人達。事象を重ね合わせると、色々と合点がいく。

 式部はゆっくりと頷いた。

「……俺はそう考えている。お前も秋人から報告を受けているだろう。近頃、魚月の身体から排出される『月鱗』の量が異常に増している。覚醒の兆候だ。時を同じくして、遥香に『月鱗』が現れたのも偶然ではない。王が『苗床』の役割を離れ、それを引き継がせる為に、竜堂の血がそうさせているのだ」

 ガラスの棺に眠る先祖の姿を、不由彦はもう一度眺めた。魚月と遥香の身体も、いずれこうなるというのだろうか。あの暗い石蔵に押し込められて。

「……あの子はまだ一人で眠れないんです」

 ポツリ、と不由彦は呟いた。

 ぬいぐるみを持つ遥香の姿が思い浮かぶ。

 式部はつかつかと不由彦に近寄り、胸ぐらを掴んだ。老人とは思えない程の力だった。

 燃えるような瞳が、不由彦を睨みつけている。ぎり、と奥歯を噛むようにして、式部は言葉を絞り出した。

「……麗亜もそうだった。泣いて嫌がるあの子を、俺は石蔵に閉じ込めた。年嗣も、自分の息子にそうした。『苗床』となる子供が可愛いのはお前だけじゃ無い。それでも俺たちは、そうしなければならなかった!」

 式部の乾いた頬にすーっと涙が伝った。

 怒り。後悔。悲しみ。憐憫。その感情の奔流を、強い責任感と義務感で堰き止めて来た男の眼から溢れた涙だった。

「血が途絶えれば、全てが無駄になってしまう。一族の悲願のため、幼い頃から隔離された数多の子供達。この血を繋いでいく為に犠牲になった者達。竜堂の家督を継ぐとは、その数多の命を背負い、悲願を果たす為に最善の判断を下すということだ。大義の為に支払う犠牲を定め、その痛みを受け止め続けるということだ!」

 式部の声は、地下室に広く響いた。

 不由彦は、その迫力に気圧されていた。

 重い。

 あまりにも重い。

 この痩せた老人は、その肩にどれほどの重荷を背負ってきたというのだろうか。

 掴まれた腕からその重みが伝わって、腹の底がズシリと沈んだような気がした。

「わ、私は……」

 そう言い淀み、不由彦は目を逸らした。

 式部は胸ぐらを掴んでいた手をゆっくりと離した。少しばかり逡巡したのち、床に落ちていた杖を拾いあげる。

「……決定は覆らん。明朝、正式に遥香を『苗床』と定める。あの子には俺から話をしておく。お前は少しの間、頭を冷やせ」

 そう言って式部は杖をつきながら、もと来た階段を昇っていった。

 不由彦は、ぐったりと床に膝をつき、しばらくそのまま動けなかった。

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