第三章「穿山甲」①
床の上には荷物が散乱していた。
段ボールの箱、古ぼけた紙箱、木箱。掛け軸や絵画まである。
「藍那さん、これはどこに置くー?」
両手で怪しげな立像を抱え、店の奥から出てきたのは竜堂ナツキである。
頭の後ろで長い黒髪を結い、バンダナで覆っている。白い無地のTシャツに、ダボっとしたデニムのサロペット。作業向きの服装だ。手には軍手をはめている。
「うーん、どうしようねぇ。とりあえずこっちに持ってきてちょうだい」
漢方藍那堂、店主の藍那は手当たり次第に周りの荷物を寄せて、立像が置けるスペースを無理やりつくった。
足の踏み場もない状態の床をひょこひょこと歩き、ナツキはあてがわれた場所に荷物を置いた。
「倉庫の荷物、まだいっぱいあるよ。これ全部外に出すの?」
ウンザリ、という表情でナツキは言った。その額にはうっすらと汗をかいている。
藍那は苦笑いを浮かべた。
「秋人君の指示によると、そうみたい」
ナツキはチッ、と舌を鳴らした。
「くっそー。人に命令しておいて、なんで当のアニキは居ないんだよ! 倉庫の掃除をやるって言い始めたのは、あいつだろ?」
「まぁまぁ、そう怒らないで。うっかり秋人君に別のスケジュール組んじゃったのは、私なんだから」
「アニキに悪気がなくても、俺がこき使われてる事実には変わりねーもん。あー、やだやだ」
ナツキは口を尖らせた。
在庫のリスト化を兼ねて倉庫の大掃除をすると、秋人が言い始めたのは、春の初めの頃であった。
薬局の他に、珍品奇品を扱う骨董屋としての顔がある藍那堂は、とにかくいつも在庫に溢れかえっている。この状況は、店主である藍那ナイアの性格に依るところが大きい。
藍那は整理整頓が得意ではない。というより、整えるという発想がない。倉庫の中はいつも雑然としている。その上、何処からか集められてきた珍品はその数を増やし続けている。結果として、在庫は溢れかえるのだ。
何処に何があるのか、どんな物があるのか。いくらで仕入れて、いくらで売るのか。藍那はその辺の判断をすべて肌感覚に頼り、なんとなくでやっている。
初めはお手伝いのような形で藍那に雇われた秋人は、この事実を知って頭を抱えた。これでどうして経営が成り立つんだ、と不思議に思いもした。
実際なぜか、藍那ひとりで仕事をする分には問題は起きないのだ。けれど、手伝いをする秋人は幾度も困難にぶち当たった。
あれを取ってきて、と言われても場所がさっぱり分からない。そんな瑣末な事から始まり、顧客とのやり取りに至るまで、藍那にいちいち指示を伺わなければ、仕事が何も進まないのだ。
初めの数年はなんとか耐えていた秋人だったが、最近になって、いよいよ我慢が出来なくなった。
倉庫の大掃除は、秋人の掲げる業務改善計画の第一歩だ。品物をカテゴリー別に分け、リスト化して、定位置で管理する。その為にまず、混沌とする倉庫から品物を引っ張り出し、一度中身を空にしてから整理しなおすと決めた。ついでに業者に頼んで壁や床も綺麗にする。
業者を呼ぶ、と決めてしまえば、ものぐさな藍那といえども倉庫を片付けざるを得ない。業者の来訪予定日を前にして、店主はようやく重い腰を上げた。
一緒に片付けをするはずが、このタイミングで運転免許を取得する泊まり込みの合宿に赴くことになったのは、秋人自身の意思ではない。知らないうちに、藍那がそれを申し込んでいたのだ。
「仕事で使うかもしれないから」と言われれば、秋人としてもそれを無下に断ることはできなかった。
秋人はどこかの山奥にあるという合宿所へ向かい、その代わりの労働力として駆り出されたのが同居人のナツキであった。
もちろんナツキはたっぷりと小遣いをいただく契約を秋人と結んだ。しかし、実際にこうして肉体労働に従事していると、指示だけは細かく出しておいて現場にはいない秋人に、ナツキはなんだか腹が立ってくる。
「あー、むかつくむかつく。藍那さん、そろそろ休憩しない?」
「そうだねぇ、お茶でもいれようか?」
「賛成! とっておきの茶菓子出すよ」
本日、三度目の休憩であった。
引き締め役の秋人がいないと、この手の作業は遅々として進まない。
「あ、それと、藍那さんコレ」
埃除けのバンダナを外しながら、ナツキは手の平に乗るほどの小さな箱を取り出した。
随分と年季が入っているが、つくりはしっかりしている。箱に書かれた文字を見る限り、漢方薬か何かのようだ。
箱の表面には行書体で「穿山甲」と書いてある。
「倉庫の中にあったよ。薬かな? 中身がわからない物が出てきたら藍那さんに渡すように、ってアニキから言われてるから」
そういって箱を藍那に手渡す。
藍那はそれをじっと見つめた。
「……これ、もう手に入らない貴重な物なんだよ。ありがとう、ナツキちゃん」
穿山甲。条約でも密猟が禁じられている絶滅危惧種、哺乳類鱗甲目の生物である。鱗甲目、と分類されるように、穿山甲の全身は硬い鱗によって覆われている。
中国、インドの文化圏において、穿山甲の肉や鱗には特別な薬効があると信じられていた。高値が付いた穿山甲は、そうして乱獲に遭い続け、現在では絶滅の危機に瀕している。
近年の研究で、古くから語られていた薬効については、医学的な根拠はないと証明された。しかし、それでも密猟は続いている。
魔除け、お守り、漢方薬に媚薬。穿山甲の鱗から作られた薬もまた、名を同じく「穿山甲」と呼ばれた。
藍那は古びた箱の蓋を開け、その中身を覗きこんだ。
この薬は希少だ。それだけでなく、藍那にとっては思い入れが深い。
かけがえのない友人から受け取ったものだからだ。
数年前に訪ねた山奥の屋敷。そこで起きた忘れられない出来事を、藍那は思い出していた。
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